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消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付されたいわゆる敷引特約が消費者契約法10条により無効ということはできないとされた事例

平成23年7月12日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付されたいわゆる敷引特約は,保証金から控除されるいわゆる敷引金の額が賃料月額の3.5倍程度にとどまっており,上記敷引金の額が近傍同種の建物に係る賃貸借契約に付された敷引特約における敷引金の相場に比して大幅に高額であることはうかがわれないなど判示の事実関係の下では,消費者契約法10条により無効であるということはできない。
(補足意見及び反対意見がある。)

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=81499

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/499/081499_hanrei.pdf

1 本件は,居住用建物を上告人から賃借し,賃貸借契約終了後これを明け渡した被上告人が,上告人に対し,同契約の締結時に差し入れた保証金のうち返還を受けていない80万8074円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める事案である。上告人は,同契約には保証金のうち一定額を控除し,これを上告人が取得する旨の特約が付されているなどと主張するのに対し,被上告人は,同特約は消費者契約法10条により無効であるなどとして,これを争っている。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1) 被上告人は,平成14年5月23日,Aとの間で,京都市左京区上高野西氷室町所在のマンションの一室(「本件建物」)を賃借期間同日から平成16年5月31日まで,賃料1か月17万5000円の約定で賃借する旨の賃貸借契約(「本件契約」)を締結し,本件建物の引渡しを受けた。本件契約は,消費者契約法10条にいう「消費者契約」に当たる。

(2) 被上告人とAとの間で作成された本件契約に係る契約書(「本件契約書」)には,次のような条項があった。

ア 賃借人は,本件契約締結時に保証金として100万円(預託分40万円,敷引分60万円)を賃貸人に預託する(以下,この保証金を「本件保証金」という。)。

イ 賃借人に賃料その他本件契約に基づく未払債務が生じた場合には,賃貸人は任意に本件保証金をもって賃借人の債務弁済に充てることができる。その場合,賃借人は遅滞なく保証金の不足額を補塡しなければならない。

ウ 本件契約が終了して賃借人が本件建物の明渡しを完了し,かつ,本件契約に基づく賃借人の賃貸人に対する債務を完済したときは,賃貸人は本件保証金のうち預託分の40万円を賃借人に返還する(以下,本件保証金のうち敷引分60万円を控除してこれを賃貸人が取得することとなるこの約定を「本件特約」といい,本件特約により賃貸人が取得する金員を「本件敷引金」という。)。

(3) 被上告人は,本件契約の締結に際し,本件保証金100万円をAに差し入れた。

(4) 上告人は,平成16年4月1日,Aから本件契約における賃貸人の地位を承継し,その後,被上告人との間で,本件契約を更新するに当たり,賃料の額を1か月17万円とすることを合意した。

(5) 本件契約は平成20年5月31日に終了し,被上告人は,同年6月2日,上告人に対し,本件建物を明け渡した。

(6) 被上告人は,平成20年6月29日,上告人に対し,本件保証金100万円を同年7月7日までに返還するよう催告した。上告人は,同月3日,本件保証金から本件敷引金60万円を控除した上,被上告人が本件契約に基づき上告人に対して負担すべき原状回復費用等として更に20万8074円(原状回復費用17万5500円,明渡し遅延による損害金2万2666円,消費税9908円の合計)を控除し,その残額である19万1926円を被上告人に返還した。

(7) 被上告人が本件契約に基づき上告人に対して負担すべき原状回復費用等は,合計16万3996円である。

3 原審は,次のとおり判断して,本件特約は消費者契約法10条により無効であるとして,被上告人の請求を64万4078円及び遅延損害金の支払を求める限度で認容すべきものとした。
(1) 本件特約は,公の秩序に関しない規定の適用による場合に比し,消費者である被上告人の義務を加重したものである。

(2) 本件契約の締結に当たり,被上告人が,建物賃貸借に関する具体的な情報(礼金,保証金,更新料等を授受するのが通常かどうか,同種の他の物件と比較して本件契約の諸条件が有利であるか否か)を得た上で,賃貸人が把握していた情報等との差が是正されたといえるかは必ずしも明らかではない。また,被上告人が本件特約について賃貸人と交渉する余地があったのか疑問が存する。そして,本件敷引金は,本件保証金の60%,月額賃料の約3.5か月分にも相当する額であり,本件契約の賃料の額や本件保証金の額に比して高額かつ高率であり,被上告人にとって大きな負担となると考えられる。これに対し,被上告人が,本件契約の締結に当たり,本件特約の法的性質等を具体的かつ明確に認識した上で,これを受け入れたとはいい難い。

したがって,本件特約は信義則に反して被上告人の利益を一方的に害するものである。

4 しかしながら,原審の上記3(2)の判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

本件特約は,本件保証金のうち一定額(いわゆる敷引金)を控除し,これを賃貸借契約終了時に賃貸人が取得する旨のいわゆる敷引特約である。賃貸借契約においては,本件特約のように,賃料のほかに,賃借人が賃貸人に権利金,礼金等様々な一時金を支払う旨の特約がされることが多いが,賃貸人は,通常,賃料のほか種々の名目で授受される金員を含め,これらを総合的に考慮して契約条件を定め,また,賃借人も,賃料のほかに賃借人が支払うべき一時金の額や,その全部ないし一部が建物の明渡し後も返還されない旨の契約条件が契約書に明記されていれば,賃貸借契約の締結に当たって,当該契約によって自らが負うこととなる金銭的な負担を明確に認識した上,複数の賃貸物件の契約条件を比較検討して,自らにとってより有利な物件を選択することができるものと考えられる。そうすると,賃貸人が契約条件の一つとしていわゆる敷引特約を定め,賃借人がこれを明確に認識した上で賃貸借契約の締結に至ったのであれば,それは賃貸人,賃借人双方の経済的合理性を有する行為と評価すべきものであるから,消費者契約である居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は,敷引金の額が賃料の額等に照らし高額に過ぎるなどの事情があれば格別,そうでない限り,これが信義則に反して消費者である賃借人の利益を一方的に害するものということはできない(最高裁平成23年3月24日第一小法廷判決)。

これを本件についてみると,前記事実関係によれば,本件契約書には,1か月の賃料の額のほかに,被上告人が本件保証金100万円を契約締結時に支払う義務を負うこと,そのうち本件敷引金60万円は本件建物の明渡し後も被上告人に返還されないことが明確に読み取れる条項が置かれていたのであるから,被上告人は,本件契約によって自らが負うこととなる金銭的な負担を明確に認識した上で本件契約の締結に及んだものというべきである。そして,本件契約における賃料は,契約当初は月額17万5000円,更新後は17万円であって,本件敷引金の額はその3.5倍程度にとどまっており,高額に過ぎるとはいい難く,本件敷引金の額が,近傍同種の建物に係る賃貸借契約に付された敷引特約における敷引金の相場に比して,大幅に高額であることもうかがわれない。

以上の事情を総合考慮すると,本件特約は,信義則に反して被上告人の利益を一方的に害するものということはできず,消費者契約法10条により無効であるということはできない。

これと異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は上記の趣旨をいうものとして理由がある。そして,以上説示したところによれば,被上告人の請求は,上告人に対し4万4078円及びこれに対する平成20年7月8日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから,原判決中,上告人敗訴部分を主文第1項のとおり変更することとする。

よって,裁判官岡部喜代子の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官田原睦夫,同寺田逸郎の各補足意見がある。

 

 裁判官岡部喜代子の反対意見は,次のとおりである。
 1 私は,多数意見と異なり,本件特約は消費者契約法10条により無効であると考える。その理由は,以下のとおりである。
 2 多数意見は,要するに,敷引金の総額が契約書に明記され,賃借人がこれを明確に認識した上で賃貸借契約を締結したのであれば,原則として敷引特約が信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものとはいえないというのである。
 しかしながら,敷引金は個々の契約ごとに様々な性質を有するものであるのに,消費者たる賃借人がその性質を認識することができないまま賃貸借契約を締結していることが問題なのであり,敷引金の総額を明確に認識していることで足りるものではないと考える。
 3 敷引金は,損耗の修繕費(通常損耗料ないし自然損耗料),空室損料,賃料の補充ないし前払,礼金等の性質を有するといわれており,その性質は個々の契約ごとに異なり得るものである。そうすると,賃借物件を賃借しようとする者は,当該敷引金がいかなる性質を有するものであるのかについて,その具体的内容が明示されてはじめて,その内容に応じた検討をする機会が与えられ,賃貸人と交渉することが可能となるというべきである。例えば,損耗の修繕費として敷引金が設定されているのであれば,かかる費用は本来賃料の中に含まれるべきものであるから(最高裁平成17年12月16日第二小法廷判決),賃借人は,当該敷引金が上記の性質を有するものであることが明示されてはじめて,当該敷引金の額に対応して月々の賃料がその分相場より低額なものとなっているのか否か検討し交渉することが可能となる。また,敷引金が礼金ないし権利金の性質を有するというのであれば,その旨が明示されてはじめて,賃借人は,それが礼金ないし権利金として相当か否かを検討し交渉することができる。事業者たる賃貸人は,自ら敷引金の額を決定し,賃借人にこれを提示しているのであるから,その具体的内容を示すことは可能であり,容易でもある。それに対して消費者たる賃借人は,賃貸人から明示されない限りは,その具体的内容を知ることもできないのであるから,契約書に敷引金の総額が明記されていたとしても,消費者である賃借人に敷引特約に応じるか否かを決定するために十分な情報が与えられているとはいえない。
 そもそも,消費者契約においては,消費者と事業者との間に情報の質及び量並びに交渉力の格差が存在することが前提となっており(消費者契約法1条参照),消費者契約関係にある,あるいは消費者契約関係に入ろうとする事業者が,消費者に対して金銭的負担を求めるときに,その対価ないし対応する利益の具体的内容を示すことは,消費者の契約締結の自由を実質的に保障するために不可欠である。敷引特約についても,敷引金の具体的内容を明示することは,契約締結の自由を実質的に保障するために,情報量等において優位に立つ事業者たる賃貸人の信義則上の義務であると考える(なお,消費者契約法3条1項は,契約条項を明確なものとする事業者の義務を努力義務にとどめているが,敷引特約のように,事業者が消費者に対し金銭的負担を求める場合に,かかる負担の対価等の具体的内容を明示する義務を事業者に負わせることは,同項に反するものではない。)。このように解することは,最高裁平成10年9月3日第一小法廷判決が,災害により居住用の賃借家屋が滅失して賃貸借契約が終了した場合において,敷引特約を適用して敷引金の返還を不要とするには,礼金として合意された場合のように当事者間に明確な合意が存することを要求していること,前掲最高裁平成17年12月16日第二小法廷判決が,通常損耗についての原状回復義務を賃借人に負わせるには,その旨の特約が明確に合意されていることが必要であるとしていることから明らかなように,当審の判例の趣旨にも沿うものである。
 4 このような観点から本件特約の消費者契約法10条該当性についてみると,次のようにいうことができる。
 まず,前段該当性についてみると,賃貸借契約においては,賃借人は賃料以外の金銭的負担を負うべき義務を負っていないところ(民法601条),本件特約は,本件敷引金の具体的内容を明示しないまま,その支払義務を賃借人である被上告人に負わせているのであるから,任意規定の適用の場合に比し,消費者である賃借人の義務を加重するものといえる。
 そして,後段該当性についてみると,原審認定によれば,本件敷引金の額は本件契約書に明示されていたものの,これがいかなる性質を有するものであるのかについて,その具体的内容は本件契約書に何ら明示されていないのであり,また,上告人と被上告人との間では,本件契約を締結するに当たって,本件建物の付加価値を取得する対価の趣旨で礼金を授受する旨の合意がなされたとも,改装費用の一部を被上告人に負担させる趣旨で本件敷引金の合意がなされたとも認められないというのであって,かかる認定は記録に徴して十分首肯できるところである。したがって,賃貸人たる上告人は,本件敷引金の性質についてその具体的内容を明示する信義則上の義務に反しているというべきである。加えて,本件敷引金の額は,月額賃料の約3.5倍に達するのであって,これを一時に支払う被上告人の負担は決して軽いものではないのであるから,本件特約は高額な本件敷引金の支払義務を被上告人に負わせるものであって,被上告人の利益を一方的に害するものである。
 以上のとおりであるから,本件特約は消費者契約法10条により無効と解すべきである。
 なお,上告人は,建物賃貸借関係の分野では自己責任の範囲が拡大されてきている,本件特約を無効とすることにより種々の弊害が生ずるなどと述べるが,賃借人に自己責任を求めるには,賃借人が十分な情報を与えられていることが前提となるのであって,私が以上述べたところは,賃借人の自己責任と矛盾するものではなく,かつ,敷引特約を一律に無効と解するものでもないから,上告人の上記非難は当たらない。
 5 本件特約が無効であるとした原審の判断は,以上と同旨をいうものとして是認することができる。論旨は理由がなく,上告を棄却すべきである。