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 金融機関が記名式定期預金の預金者と誤認した者に対する貸付債権をもつてした預金債権との相殺につき民法四七八条が類推適用されるために必要な注意義務を尽くしたか否かの判断の基準時

昭和59年2月23日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
金融機関が、記名式定期預金につき真実の預金者甲と異なる乙を預金者と認定して乙に貸付をしたのち、貸付債権を自働債権とし預金債権を受働債権としてした相殺が民法四七八条の類推適用により甲に対して効力を生ずるためには、当該貸付時において、乙を預金者本人と認定するにつき金融機関として負担すべき相当の注意義務を尽くしたと認められれば足りる。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/150/052150_hanrei.pdf

記録によると、被上告人が事実審で主張した本訴請求の要領は、被上告人は、昭和五一年七月一九日上告人(D支店)に対し、期間六か月等の約定で一五〇万円及び三〇〇万円の二口の定期預金をしたので(「本件定期預金」)、元金四五〇万円及び約定利息一六万二四七七円並びに右元金に対する昭和五二年四月二一日から支払済に至るまで商事法定利率年六分の割合による金員の支払を求めるというのであり、これに対し、上告人が主張した抗弁の要領は、

(1) 上告人は、昭和五一年八月一八日被上告人に四五〇万円を弁済期日同年一一月三〇日として手形貸付をし(「本件貸付」)、同日被上告人から本件貸付金債権担保のため本件定期預金に質権の設定を受けたが、被上告人が本件貸付金を返済しなかつたため、昭和五二年五月二九日被上告人到達の書面で本件貸付元利金をもつて本件定期預金元利金と相殺した、

(2) かりに、被上告人が本件貸付及び質権設定契約の相手方でなかつたとしても、上告人は、本件定期預金に質権設定を受け、右預金債権を受働債権として相殺する予定で右貸付を行つたものであるところ、当時、上告人は、次のような事情により被上告人自身が本件貸付契約及び右質権設定契約を締結するものと信じ、かつ、そう信じたことに過失がなかつたから、債権の準占有者に対する弁済に準じ、右相殺をもつて被上告人に対抗することができる。すなわち、本件定期預金自体が、上告人と取引のあつた訴外Eの紹介でなされたものであるところ、昭和五一年八月一八日被上告人と名乗る男が右Eとともに上告人D支店に来店し、本件定期預金を担保に融資の申入をしたので、応対した上告人融資係(F)は、かねて右Eと面識があり、提出された本件定期預金証書二通及び借入申込書、担保差入書等の印影を本件定期預金申込書の被上告人届出印と照合し、両者が同一であることを確認したうえで、被上告人と名乗る男が被上告人自身であると信じて本件貸付を行つたものである、

(3) なお、本件定期預金契約には「この証書諸届その他の書類に使用された印影を届出の印鑑と相当の注意をもつて照合し、相違ないと認めて取扱いましたうえは、それらの書類につき、偽造、変造その他の事故があつても、そのために生じた損害については、当金庫は責任を負いません。」との免責規定が存する、というのである。

原審は、これに対し、

(1) 被上告人が上告人に対し本件定期預金をしたことは当事者間に争いがない、

(2) 上告人が昭和五一年八月一八日被上告人との間で本件貸付契約をしたことを認めるに足りず、かえつて、本件貸付契約は被上告人の意思とは全く関係なく、被上告人の替え玉によつて締結されたものと認められるから、被上告人に対する本件貸付債権の存在を認めるに由はない、

(3) 本件預金は記名式定期預金であつて、上告人はその真正の預金者が被上告人であることを認識していたものであり、単に本件貸付契約の締結にあたつて前記替え玉某を被上告人本人と誤信したというにすぎないから、右替え玉某を表見預金者としてこれに対し貸付をする合意が成立したと考える余地もない、

(4) 上告人は契約上の免責約款の適用による免責をいうが、(イ) 被上告人は昭和五二年四月二〇日過ぎころ、上告人D支店長と面談して本件定期預金を担保とする本件貸付を初めて知らされたこと、(ロ) 上告人主張の本件貸付金債権の弁済期は昭和五一年一一月三〇日とされ、本件定期預金債権に質権を設定する旨の同年八月一八日付担保差入証書に対する公証人の確定日付は昭和五二年四月二六日となつていること、(ハ) 上告人は同年五月二七日の相殺の意思表示前に被上告人に対し本件貸付金についての催告等一切の連絡をしていないことから考えると、上告人は相殺権行使の時点では、本件貸付契約及びその主張の担保設定契約がいずれも被上告人の意思に基づかないでされたことを知つていたと認められるから、右免責約款の効力、印影照合に関する過失の有無については判断するまでもなく、また、相殺による本件定期預金債権消滅の成否に関し民法四七八条の規定を類推適用して債権の準占有者に対する弁済を考慮する余地もないと判示し、上告人の抗弁を排斥している。

しかしながら、金融機関が、自行の記名式定期預金の預金者名義人であると称する第三者から、その定期預金を担保とする金銭貸付の申込みを受け、右定期預金についての預金通帳及び届出印と同一の印影の呈示を受けたため同人を右預金者本人と誤信してこれに応じ、右定期預金に担保権の設定を受けてその第三者に金銭を貸し付け、その後、担保権実行の趣旨で右貸付債権を自働債権とし右預金債権を受働債権として相殺をした場合には、少なくともその相殺の効力に関する限りは、これを実質的に定期預金の期限前解約による払戻と同視することができ、また、そうするのが相当であるから、右金融機関が、当該貸付等の契約締結にあたり、右第三者を預金者本人と認定するにつき、かかる場合に金融機関として負担すべき相当の注意義務を尽くしたと認められるときには、民法四七八条の規定を類推適用し、右第三者に対する貸金債権と担保に供された定期預金債権との相殺をもつて真実の預金者に対抗することができるものと解するのが相当である(なお、この場合、当該金融機関が相殺の意思表示をする時点においては右第三者が真実の預金者と同一人でないことを知つていたとしても、これによつて上記結論に影響はない。)。

そうすると、右と異なる見解に立ち、本件貸付時においてかかる場合に金融機関として尽くすべき相当な注意を用いたか否か等について審理を尽くすことなく、上告人が本件貸付金債権をもつてした本件定期預金債権との相殺の効力を認めるに由かないとした原審の判断には、前記法条の解釈適用を誤り、ひいて理由不備を犯した違法があるものといわなければならない。論旨は理由があり、原判決は、その余の点について判断するまでもなく、破棄を免れない。そして、本件はさらに叙上の点について審理を尽くさせるためこれを原審に差し戻すのが相当である。