最高裁判例の勉強部屋:毎日数個の最高裁判例を読む

上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

当直の看護師らが抑制具であるミトンを用いて入院中の患者の両上肢をベッドに拘束した行為が,診療契約上の義務に違反せず,不法行為法上違法ともいえないとされた事例

平成22年1月26日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
当直の看護師らが抑制具であるミトン(手先の丸まった長い手袋様のもので緊縛用のひもが付いているもの)を用いて入院中の患者の両上肢をベッドに拘束した行為は,次の(1)〜(3)など判示の事情の下では,上記患者が転倒,転落により重大な傷害を負う危険を避けるため緊急やむを得ず行われた行為であって,診療契約上の義務に違反するものではなく,不法行為法上違法ともいえない。

(1) 上記患者は,上記行為が行われた当日,せん妄の状態で,深夜頻繁にナースコールを繰り返し,車いすで詰所に行ってはオムツの交換を求め,大声を出すなどした上,興奮してベッドに起き上がろうとする行動を繰り返していたものであり,当時80歳という高齢で,4か月前に他病院で転倒して骨折したことがあったほか,10日ほど前にもせん妄の状態で上記と同様の行動を繰り返して転倒したことがあった。

(2) 看護師らは,約4時間にもわたって,上記患者の求めに応じて汚れていなくてもオムツを交換し,お茶を飲ませるなどして落ち着かせようと努めたが,上記患者の興奮状態は一向に収まらず,また,その勤務態勢からして,深夜,長時間にわたり,看護師が上記患者に付きっきりで対応することは困難であった。

(3) 看護師が上記患者の入眠を確認して速やかにミトンを外したため,上記行為による拘束時間は約2時間であった。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/356/038356_hanrei.pdf

1 本件は,第1審原告亡Aの子である被上告人らが,E病院(「本件病院」)を開設する上告人に対し,当直の看護師らが本件病院に入院中のAの両上肢をベッドに拘束したことが診療契約上の義務に違反する違法な行為であるなどと主張して,債務不履行又は不法行為に基づき損害賠償の支払を求める事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1) A(大正12年2月生)は,平成15年6月20日(以下,平成15年については月日のみを記載する。)以降,両側胸部痛を訴えてF病院整形外科に入院していたが,7月16日,入眠剤を投与された状態で歩行していたところ,トイレ内で転倒して左恥骨骨折の傷害を負った。
Aは,8月1日,肋間神経痛及び左恥骨骨折の治療並びにリハビリテーションのため,本件病院内科に入院したが,9月12日に退院した。

(2) Aは,10月7日,変形性脊椎症,腎不全,狭心症等と診断されて本件病院外科に入院した。入院当初は腰痛により歩行困難であったが,徐々に軽快し,ベッドから車いすに移乗してトイレに行ったり,手すりにつかまり立ちしたりできるようになった。しかし,看護計画によれば,痛みがひどいときは無理にトイレへ行かず,昼はリハビリパンツを,夜はオムツを着用することとされていた。

(3) Aは,10月22日から11月5日にかけて,夜間になると,大きな声で意味不明なことを言いながらゴミ箱に触って落ち着かない様子を見せ,トイレで急に立てなくなってナースコールをし,汚れたティッシュを便器の中に入れずに自分の目の前に捨てるなどせん妄(意識混濁,精神運動興奮,錯覚,幻覚等を伴い短期間に変動する可逆的な意識障害)の症状がみられ,同月4日には,何度もナースコールを繰り返してオムツをしてほしいと要求し,これに対する看護師の説明を理解せず,1人でトイレに行った帰りに車いすを押して歩いて転倒したことがあった。

(4) 本件病院は,救急指定病院であり,内科,消化器科,外科,リハビリテーション科等の診療科目を備えている。
11月15日夜から翌16日朝にかけて,Aの入院していた病棟(定床数41床)には,B,C,Dの3名の当直看護師がいた。当直看護師らが対応すべき患者数は27名であり,重症患者はいなかったが,「特殊(要注意)」な患者としてドレナージ中の者が1名いた。

(5) Aは,11月15日午後9時の消灯前に入眠剤リーゼを服用したが,消灯後も頻繁にナースコールを繰り返し,オムツを替えてもらいたいと要求した。看護師らは,オムツを確認して汚れていないときはその旨説明し,オムツに触らせるなどしたが,Aは納得しなかったため,汚れていなくてもその都度オムツを交換するなどしてAを落ち着かせようと努めた。
Aは,同日午後10時過ぎころ,車いすを足でこぐようにして詰所を訪れ,病棟内に響く大声で「看護婦さんオムツみて」などと訴えた。これに対応した看護師は,車いすを押して病室にAを連れ戻し,オムツを交換して入眠するよう促したが,Aは,その後も何度も車いすに乗って詰所に向かうことを繰り返し,オムツの汚れを訴えた。看護師らは,その都度,Aを病室へ連れ戻し,汚れていなくてもオムツを交換するなどした。
なお,看護師らは,より薬効の強い向精神薬をAに服用させることについては,腎機能もよくないため危険であると判断して,上記のような対応を続けた。

(6) Aは,11月16日午前1時ころにも車いすで詰所を訪れ,車いすから立ち上がろうとし,「おしっこびたびたやでオムツ替えて」「私ぼけとらへんて」などと大声を出した。C看護師は,Aを4人部屋である病室へいったん連れ戻したものの,同室者に迷惑がかかると思ったことや,Aが再び同様の行動を繰り返す可能性が高く,その際に転倒する危険があると考えたことから,D看護師の助力を得て,Aをベッドごと詰所に近い個室である201号室に移動させた。
Aは,201号室でも「オムツ替えて」などと訴えたため,C看護師及びD看護師(以下,両名を併せて「C看護師ら」という。)は,声をかけたりお茶を飲ませたりしてAを落ち着かせようとしたが,Aの興奮状態は一向に収まらず,なおベッドから起き上がろうとする動作を繰り返した。このため,C看護師らは,抑制具であるミトン(手先の丸まった長い手袋様のもので緊縛用のひもが付いているもの)を使用して,Aの右手をベッドの右側の柵に,左手を左側の柵に,それぞれくくりつけた(以下,この行為を「本件抑制行為」という。)。
Aは,口でミトンのひもをかじり片方を外してしまったが,やがて眠り始めた。
C看護師らは,詰所から時折Aの様子をうかがっていたが,同日午前3時ころ,Aが入眠したのを確認してもう片方のミトンを外し,明け方にAを元の病室に戻した。Aには,ミトンを外そうとした際に生じたと思われる右手首皮下出血及び下唇擦過傷が見られた。

(7) Aは,11月21日,G市民病院で腎不全の治療を受けるため本件病院を退院した。

(8) Aは,平成16年11月1日,本件訴訟を提起したが,第1審口頭弁論終結後の同18年9月8日に死亡し,子である被上告人らがAの権利義務を承継した。

3 原審は,次のとおり判断して,被上告人らの請求を各35万円の支払を求める限度で認容した。

(1) Aは,せん妄の状態ではあったが,その挙動は,せいぜいベッドから起き上がって車いすに移り,詰所に来る程度のことであって,本件抑制行為を行わなければAが転倒,転落により重大な傷害を負う危険があったとは認められない。また,Aのせん妄状態は,不眠とオムツへの排泄を強いられることによるストレスなどが加わって起きたものであり,さらに,当初Aを説得してオムツが汚れていないことを分からせようとした看護師らのつたない対応がかえってAを興奮させてせん妄状態を高めてしまったと認められること,看護師のうち1名がしばらくAに付き添って安心させ,落ち着かせて入眠するのを待つという対応が不可能であったとは考えられないことからすれば,本件抑制行為に切迫性や非代替性があるとも認められない。Aは,ミトンを外そうとして右手首皮下出血等の傷害を負っており,抑制の態様も軽微とはいえない。また,本件抑制行為は,夜間せん妄に対する処置として行われたものであるから,単なる「療養上の世話」ではなく,医師が関与すべき行為であって,当直医の判断を得ることなく看護師が本件抑制行為を行った点でも違法である。

(2) したがって,本件抑制行為は,診療契約上の義務に違反する違法な行為であって,債務不履行及び不法行為を構成する。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1) 前記事実関係によれば,Aは,せん妄の状態で,消灯後から深夜にかけて頻繁にナースコールを繰り返し,車いすで詰所に行っては看護師にオムツの交換を求め,更には詰所や病室で大声を出すなどした上,ベッドごと個室に移された後も興奮が収まらず,ベッドに起き上がろうとする行動を繰り返していたものである。

しかも,Aは,当時80歳という高齢であって,4か月前に他病院で転倒して恥骨を骨折したことがあり,本件病院でも,10日ほど前に,ナースコールを繰り返し,看護師の説明を理解しないまま,車いすを押して歩いて転倒したことがあったというのである。これらのことからすれば,本件抑制行為当時,せん妄の状態で興奮したAが,歩行中に転倒したりベッドから転落したりして骨折等の重大な傷害を負う危険性は極めて高かったというべきである。

また,看護師らは,約4時間にもわたって,頻回にオムツの交換を求めるAに対し,その都度汚れていなくてもオムツを交換し,お茶を飲ませるなどして落ち着かせようと努めたにもかかわらず,Aの興奮状態は一向に収まらなかったというのであるから,看護師がその後更に付き添うことでAの状態が好転したとは考え難い上,当時,当直の看護師3名で27名の入院患者に対応していたというのであるから,深夜,長時間にわたり,看護師のうち1名がAに付きっきりで対応することは困難であったと考えられる。

そして,Aは腎不全の診断を受けており,薬効の強い向精神薬を服用させることは危険であると判断されたのであって,これらのことからすれば,本件抑制行為当時,他にAの転倒,転落の危険を防止する適切な代替方法はなかったというべきである。

さらに,本件抑制行為の態様は,ミトンを使用して両上肢をベッドに固定するというものであるところ,前記事実関係によれば,ミトンの片方はAが口でかんで間もなく外してしまい,もう片方はAの入眠を確認した看護師が速やかに外したため,拘束時間は約2時間にすぎなかったというのであるから,本件抑制行為は,当時のAの状態等に照らし,その転倒,転落の危険を防止するため必要最小限度のものであったということができる。

(2) 入院患者の身体を抑制することは,その患者の受傷を防止するなどのために必要やむを得ないと認められる事情がある場合にのみ許容されるべきものであるが,上記(1)によれば,本件抑制行為は,Aの療養看護に当たっていた看護師らが,転倒,転落によりAが重大な傷害を負う危険を避けるため緊急やむを得ず行った行為であって,診療契約上の義務に違反するものではなく,不法行為法上違法であるということもできない。

Aの右手首皮下出血等が,同人が口でミトンを外そうとした際に生じたものであったとしても,上記判断に影響を及ぼすものではなく,また,前記事実関係の下においては,看護師らが事前に当直医の判断を経なかったことをもって違法とする根拠を見いだすことはできない。

5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,被上告人らの請求を棄却した第1審判決は正当であるから,被上告人らの控訴をいずれも棄却すべきである。