最高裁判例の勉強部屋:毎日数個の最高裁判例を読む

上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

 拘置所に収容された被勾留者に対する国の安全配慮義務の有無

平成28年4月21日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
国は,拘置所に収容された被勾留者に対して,その不履行が損害賠償責任を生じさせることとなる信義則上の安全配慮義務を負わない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/846/085846_hanrei.pdf

 

1 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

(1) 被上告人は,平成18年10月23日に器物損壊罪で逮捕された後勾留され,平成19年3月15日,神戸地方裁判所において,建造物損壊罪で懲役1年の判決を受け,これを不服として控訴し,同年5月10日,神戸拘置所から大阪拘置所に移送され,同拘置所に収容されていた。

(2) 大阪拘置所医務部の医師は,平成19年5月14日,被上告人が11食連続して食事をしておらず,同拘置所入所時と比較して体重が5㎏減少しており,食事をするよう指導をしてもこれを拒絶していることから,このままでは被上告人の生命に危険が及ぶおそれがあると判断し,被上告人の同意を得ることなく,鼻腔から胃の内部にカテーテルを挿入し栄養剤を注入する鼻腔経管栄養補給の処置を実施した。その後,カテーテルを引き抜いたところ,被上告人の鼻腔から出血が認められたので,医師の指示により止血処置が行われた。

2 本件は,被上告人が,上告人に対し,被上告人の当時の身体状態に照らして不必要であった上記処置を実施したことが,拘置所に収容された被勾留者に対する診療行為における安全配慮義務に違反し債務不履行を構成するなどと主張して,損害賠償を求める事案である。国が,拘置所に収容された被勾留者に対し,未決勾留による拘禁関係の付随義務として信義則上の安全配慮義務を負うか否かが争われている。
なお,被上告人は,上記処置の実施につき国家賠償法1条1項に基づく損害賠償も請求していたが,当該請求に係る請求権は時効により消滅したとしてこれを棄却した原判決に対し不服申立てをしなかった。

3 原審は,前記事実関係の下において,次のとおり判断して,被上告人の請求を一部認容した。
拘置所に収容された被勾留者は,自己の意思に従って自由に医師の診療行為を受けることはできない。そして,拘置所の職員は,被勾留者が飲食物を摂取しない場合等に強制的な診療行為(栄養補給の処置を含む。)を行う権限が与えられている反面として,拘置所内の診療行為に関し,被勾留者の生命及び身体の安全を確保し,危険から保護する必要がある。そうすると,拘置所に収容された被勾留者に対する診療行為に関し,国と被勾留者との間には特別な社会的接触の関係があり,国は,当該診療行為に関し,安全配慮義務を負担していると解するのが相当である。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
未決勾留は,刑訴法の規定に基づき,逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として,被疑者又は被告人の居住を刑事施設内に限定するものであって,このような未決勾留による拘禁関係は,勾留の裁判に基づき被勾留者の意思にかかわらず形成され,法令等の規定に従って規律されるものである。そうすると,未決勾留による拘禁関係は,当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上の安全配慮義務を負うべき特別な社会的接触の関係とはいえない。したがって,国は,拘置所に収容された被勾留者に対して,その不履行が損害賠償責任を生じさせることとなる信義則上の安全配慮義務を負わないというべきである(なお,事実関係次第では,国が当該被勾留者に対して国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負う場合があり得ることは別論である。)。

5 これと異なる原審の上記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,被上告人の請求は理由がなく,これを棄却した第1審判決は是認することができるから,上記部分に関する被上告人の控訴を棄却すべきである。

"Pretrial detention is based on the provisions of the criminal procedure law, aimed at preventing flight or the concealment of evidence, by restricting the residence of the suspect or defendant to a criminal facility. Such confinement due to pretrial detention is formed regardless of the detainee's will based on the detention trial and is regulated according to legal provisions and other regulations. Given this, the relationship of confinement due to pretrial detention cannot be considered a special social contact where one or both parties owe a duty of care to the other based on the principle of good faith. Therefore, it should be said that the state does not owe a duty of care based on the principle of good faith to detainees held in detention facilities, the non-performance of which could result in liability for damages. (However, depending on the factual circumstances, there is a separate argument that the state may be liable for damages to the detainee under Article 1, Paragraph 1 of the State Compensation Law.)"

弁護士中山知行

刑法175条のわいせつな電磁的記録に該当する女性器の三次元形状データファイル又は同データが記録されたCD-Rを頒布した被告人の行為について,正当行為として違法性が阻却されるものではないとされた事例

令和2年7月16日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
 1 行為者によって頒布された電磁的記録又は電磁的記録に係る記録媒体について,芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の有無・程度をも検討しつつ,刑法175条のわいせつな電磁的記録又はわいせつな電磁的記録に係る記録媒体に該当するか否かを判断するに当たっては,電磁的記録が視覚情報であるときには,同記録を視覚化したもののみを見て,これらの検討及び判断をするのが相当である。
2 刑法175条のわいせつな電磁的記録に該当する女性器の三次元形状データファイル又は同データが記録されたCD-Rを頒布した被告人の行為は,女性器に対する卑わいな印象を払拭し,女性器を表現することを日常生活に浸透させたいという思想に基づくものであるということや,同データの頒布が被告人の作品制作に資金を提供する者に対し資金提供という方法で作品制作に参加する機会を与えるものであるということ,同データ又は同CD-Rの頒布がそれらの提供を受けた者に対し同データを加工して創作をする機会を与えるものであるということによって正当行為として違法性が阻却されるものではない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/579/089579_hanrei.pdf

 

所論に鑑み記録を調査しても,刑訴法411条を適用すべきものとは認められない。

1 本件は,漫画家兼芸術家である被告人が,被告人の作品制作に資金を提供した不特定の者6名に自己の女性器をスキャンした三次元形状データファイル(「本件データ」)をインターネットを通じて送信して頒布し,被告人が販売する商品を購入した不特定の者3名に本件データが記録されたCD-R(「本件CD-R」)を郵送して頒布したという事案である。

2 所論は,本件データの頒布は,被告人の作品制作に資金を提供する者に対し資金提供という方法で作品制作に参加する機会を与えるものであることに芸術性・思想性が認められ,また,本件データ又は本件CD-Rの頒布は,それらの提供を受けた者に対し本件データを加工して創作をする機会を与えるものであることに芸術性・思想性が認められるから,本件データは刑法175条のわいせつな電磁的記録に該当せず,本件CD-Rは同条のわいせつな電磁的記録に係る記録媒体に該当しないなどという。

しかしながら,行為者によって頒布された電磁的記録又は電磁的記録に係る記録媒体について,芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の有無・程度をも検討しつつ,同条のわいせつな電磁的記録又はわいせつな電磁的記録に係る記録媒体に該当するか否かを判断するに当たっては,電磁的記録が視覚情報であるときには,それをコンピュータにより画面に映し出した画像やプリントアウトしたものなど同記録を視覚化したもののみを見て,これらの検討及び判断をするのが相当である。

本件データ又は本件CD-Rの頒布が前記各機会を他者に与えるものであることに芸術性・思想性が含まれているとしても,そのことを考慮してこれらの検討及び判断をすべきではない。

以上の方法によりこれらの検討及び判断をすべきであるとした原判決の判断は正当であり,本件データがわいせつな電磁的記録に該当し,本件CD-Rがわいせつな電磁的記録に係る記録媒体に該当するとした第1審判決の認定,評価を是認した原判決の判断に誤りがあるとはいえない。

3 所論は,被告人は,女性器に対する卑わいな印象を払拭し,女性器を表現することを日常生活に浸透させたいという思想に基づき,本件データ又は本件CD-Rを頒布したのであり,しかも,これらの頒布は前記各機会を他者に与えるものであることに芸術性・思想性が認められるから,被告人の本件各頒布行為は,正当行為として違法性が阻却されるなどという。しかしながら,被告人の本件各頒布行為は,所論が前記各機会の付与についていう点を勘案しても,結局のところ,女性器を表現したわいせつな電磁的記録等の頒布それ自体を目的とするものであるといわざるを得ず,そのような目的は,正当なものとはいえない。したがって,被告人の本件各頒布行為は,所論指摘の諸事情により正当行為として違法性が阻却されるものではない。 

Summary of the Judgment:

When determining whether the electromagnetic record or the recording medium related to the electromagnetic record distributed by the perpetrator falls under Article 175 of the Penal Code as an obscene electromagnetic record or a recording medium related to an obscene electromagnetic record, it is appropriate to consider the presence or degree of sexual stimulation mitigation through artistic and intellectual qualities. In cases where the electromagnetic record is visual information, it is appropriate to view only the visualized version of the record and make these considerations and judgments based on that.
The defendant's act of distributing a three-dimensional shape data file of the female genitals that falls under the obscene electromagnetic record of Article 175 of the Penal Code or a CD-R on which the data is recorded, is based on the idea of dispelling the vulgar impression of the female genitals and wanting to integrate the expression of the female genitals into everyday life. Additionally, the distribution of the data provides an opportunity for those who fund the defendant's artwork creation to participate in the creation process through financial contributions. The distribution of the data or the CD-R also provides an opportunity for recipients to process the data and create works. However, these facts do not negate the illegality of the act as a justified act.

The argument posits that the defendant, driven by a philosophy to dispel the vulgar perception towards female genitals and to permeate the expression of female genitals in daily life, distributed the subject data or the subject CD-R. Moreover, the distribution of these materials, which offer the aforementioned opportunities to others, is recognized for its artistic and intellectual qualities. Hence, it is suggested that the defendant's distribution actions are justifiable, eliminating any illegality. However, even when considering the provision of such opportunities as mentioned in the argument, the defendant's distribution actions ultimately appear to primarily aim at distributing obscene electromagnetic recordings that depict female genitals. Such a purpose cannot be deemed justifiable. Therefore, the defendant's distribution actions cannot be considered justifiable based on the reasons pointed out in the argument.

弁護士中山知行

控訴審が重要な書証の成立について第一審の判断を覆す場合にその署名部分の筆跡鑑定の申出をするかどうかについて釈明権の行使を怠った違法があるとされた事例

 平成8年2月22日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
第一審が重要な書証の署名部分について書証を提出した当事者の筆跡鑑定の申出を採用することなくその部分が真正に成立したものと認めていた場合に、右署名の筆跡とその名義人が宣誓書にした署名の筆跡とが明らかに異なると断定することができないなど判示の事情の下においては、控訴審が改めて筆跡鑑定の申出をするかどうかについて釈明権を行使することなく第一審の判断を覆したことは、釈明権の行使を怠った違法がある。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/168/073168_hanrei.pdf

 

本件訴訟は、被上告人が、第一審判決別紙物件目録記載の各土地に設定された被上告人の抵当権と上告人の抵当権の順位を変更する登記の抹消登記手続を求めるものであり、その主要な争点は、上告人と被上告人が抵当権の順位を変更する旨の合意をしたとの上告人主張の抗弁事実が認められるかどうかの点にある。

そして、この抗弁事実の認定については、乙第一号証(抵当権順位変更契約証書)の被上告人作成名義の部分にある被上告人代表者の「D」の署名が本人の自署によるものであるかどうかが重要な意味を有する。

上告人は、第一審においてこれについて筆跡鑑定の申出をしたが、第一審は、これを採用することなく、乙第一号証の被上告人作成名義の部分が真正に成立したものであると認定し、右抗弁事実を認めて被上告人の請求を棄却した。これに対し、原審は、筆跡の点について特段の証拠調べをすることなく、乙第一号証の被上告人作成名義の部分が真正に成立したものとは認められないとして抗弁を排斥し、第一審判決を取り消して被上告人の請求を認容した。
 しかしながら、第一審で勝訴した上告人は、原審で改めて筆跡鑑定の申出をしなかったものの、原審第二回口頭弁論期日において陳述した準備書面によって、原審が乙第一号証の被上告人作成名義の部分の成立に疑問があるとする場合には、上告人が第一審において筆跡鑑定の申出をした事情を考慮して釈明権の行使に十分配慮されたい旨を求めていたのである。そして、乙第一号証の「D」の署名の筆跡と第一審における被上告人代表者尋問の際にDが宣誓書にした署名の筆跡とを対比すると、その筆跡が明らかに異なると断定することはできない。このような事情の下においては、原審は、すべからく、上告人に対し、改めて筆跡鑑定の申出をするかどうかについて釈明権を行使すべきであったといわなければならない。原審がこのような措置に出ることなく上告人の抗弁を排斥したのは、釈明権の行使を怠り、審理不尽の違法を犯したものというほかなく、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
 したがって、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、乙第一号証の被上告人作成名義の部分の成立について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。 

Summary of the Trial:
When the court of first instance acknowledged that the signature portion of a crucial written document was genuinely established without accepting the party's request for handwriting verification of that document, and under circumstances where one cannot definitively determine that the handwriting of that signature differs significantly from the signature the same person made on a sworn statement, it is a violation of the right to explain if the appellate court overturns the first instance's decision without exercising the right to clarify whether or not to request a handwriting examination again.

弁護士中山知行

 仮差押解放金に充てた借入金に対する利息及び自己資金に対する法定利率による金員と違法な仮差押命令の申立てにより債務者に通常生ずべき損害

 平成8年5月28日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
不動産の仮差押命令の申立て及びその執行が債務者に対する不法行為となる場合において、債務者が仮差押解放金を供託してその執行の取消しを求めるため、金融機関から資金を借り入れ、あるいは自己の資金をもってこれに充てることを余儀なくされたときは、仮差押解放金の供託期間中に債務者が支払った右借入金に対する通常予測し得る範囲内の利息及び右自己資金に対する法定利率の割合に相当する金員は、右不法行為により債務者に通常生ずべき損害に当たる。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/073/057073_hanrei.pdf

 

不動産の仮差押命令の申立て及びその執行が、当初からその被保全権利が存在しなかったため違法であり、債務者に対する不法行為となる場合において、債務者が、仮差押解放金を供託してその執行の取消しを求めるため、金融機関から資金を借り入れ、あるいは自己の資金をもってこれに充てることを余儀なくされたときは、仮差押解放金の供託期間中に債務者が支払った右借入金に対する通常予測し得る範囲内の利息及び債務者の右自己資金に対する法定利率の割合に相当する金員は、右違法な仮差押命令により債務者に通常生ずべき損害に当たると解すべきである。

本件についてこれをみるのに、原審の適法に確定したところによれば、

 (一) 上告人の被相続人であるDは、自己の所有する土地を被上告人B1が無断で処分したため一億一二七〇万五〇〇〇円の損害を被ったとして、その賠償請求権を被保全権利として、同被上告人所有の土地について仮差押命令の申立てをし、平成二年二月八日に仮差押命令を得てこれを執行した。
 (二) しかしながら、右被保全権利は存在せず、Dはそれを知りながら前記仮差押命令を申請したものであって、右は被上告人B1に対する不法行為に当たる。
 (三) 被上告人B1は、右違法な仮差押命令の執行を取り消すため、平成二年四月九日、右仮差押命令において定められた仮差押解放金一億一二七〇万五〇〇〇円を供託し、同四年七月一七日まで供託を続けざるを得なかった。
 (四) 同被上告人は、右仮差押解放金のうち一億一〇〇〇万円を信用組合Eからの借入れによって調達し、これに対する平成二年四月九日から同四年七月一七日までの年七・七五パーセントないし九・二五パーセントの割合による約定利息合計二二三六万九九三二円の支払を余儀なくされた。
 (五) また、同被上告人は、右仮差押解放金のうちその余の二七〇万五〇〇〇円は自己資金をもって充てたが、これに対する平成二年四月九日から同四年七月一七日までの民事法定利率年五分の割合による金員の額は三〇万七五五四円である。
 (六) 一方、右期間の仮差押解放金の供託に係る利息の額は一六九万〇五〇〇円であり、これを右(四)(五)の合計額二二六七万七四八六円から控除すると、その差額は二〇九八万六九八六円となる。
というのであり、右(四)記載の信用組合Eからの借入金についての年七・七五パーセントないし九・二五パーセントの割合による約定利息は、通常予測し得る範囲内のものというべきである。
 そうであれば、右事実関係の下において、右(六)の二〇九八万六九八六円は、Dの前記違法な仮差押命令の申立てに基づく執行により通常生ずべき損害に当たるものということができ、以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。

"In cases where the application and execution of a provisional seizure order on real estate is illegal from the outset because the right to be preserved did not exist, and constitutes a tortious act against the debtor, if the debtor is forced to borrow funds from financial institutions, or allocate their own funds to deposit a bond to seek the cancellation of that execution, the amount equivalent to the interest on the borrowed funds that the debtor paid during the deposit period of the bond for release from provisional seizure, which is foreseeable within a normal range, as well as the legal interest rate on the debtor's own funds, should be regarded as the damage ordinarily incurred by the debtor due to the aforementioned illegal provisional seizure order."

弁護士中山知行

 内縁の夫婦による共有不動産の共同使用と一方の死亡後に他方が右不動産を単独で使用する旨の合意の推認

 平成10年2月26日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
内縁の夫婦がその共有する不動産を居住又は共同事業のために共同で使用してきたときは、特段の事情のない限り、両者の間において、その一方が死亡した後は他方が右不動産を単独で使用する旨の合意が成立していたものと推認される。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/795/052795_hanrei.pdf

 

 一 原審の確定した事実及び記録によれば、本件の事実関係の概要は次のとおりである。

(1)上告人とDとは、昭和三四年ころから内縁関係にあって、楽器指導盤の製造販売業を共同で営み、本件不動産を居住及び右事業のために共同で占有使用していた。

(2)Dは昭和五七年に死亡し、本件不動産に関する同人の権利は、同人の子である被上告人が相続により取得した。

(3)上告人は、Dの死亡後、本件不動産を居住及び右事業のために単独で占有使用している。

(4)上告人と被上告人との間では、本件不動産の所有権の帰属をめぐる訴訟が係属し、被上告人は本件不動産がDの単独所有であったと主張し、上告人はDとの共有であったと主張して争っていたところ、右訴訟において、本件不動産は上告人とDとの共有財産であったことが認定され、上告人がその二分の一の持分を有することを確認する旨の判決が確定した。

 二 本件は、被上告人が上告人に対し、上告人が本件不動産を単独で使用することによりその賃料相当額の二分の一を法律上の原因なく利得しているとして、不当利得返還を求めるものであり、原審は、上告人の持分を超える使用による利益につき不当利得の成立を認めて、被上告人の請求を一部認容した。

 三 しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 共有者は、共有物につき持分に応じた使用をすることができるにとどまり、他の共有者との協議を経ずに当然に共有物を単独で使用する権原を有するものではない。 

しかし、共有者間の合意により共有者の一人が共有物を単独で使用する旨を定めた場合には、右合意により単独使用を認められた共有者は、右合意が変更され、又は共有関係が解消されるまでの間は、共有物を単独で使用することができ、右使用による利益について他の共有者に対して不当利得返還義務を負わないものと解される。
そして、内縁の夫婦がその共有する不動産を居住又は共同事業のために共同で使用してきたときは、特段の事情のない限り、両者の間において、その一方が死亡した後は他方が右不動産を単独で使用する旨の合意が成立していたものと推認するのが相当である。けだし、右のような両者の関係及び共有不動産の使用状況からすると、一方が死亡した場合に残された内縁の配偶者に共有不動産の全面的な使用権を与えて従前と同一の目的、態様の不動産の無償使用を継続させることが両者の通常の意思に合致するといえるからである。
 これを本件について見るに、内縁関係にあった上告人とDとは、その共有する本件不動産を居住及び共同事業のために共同で使用してきたというのであるから、特段の事情のない限り、右両名の間において、その一方が死亡した後は他方が本件不動産を単独で使用する旨の合意が成立していたものと推認するのが相当である。そうすると、右特段の事情の有無について審理を尽くさず、不当利得の成立を認めた原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、右部分につき、右特段の事情の有無について更に審理を尽くさせるため、原審に差し戻すこととする。

 

Co-owners can use shared property in proportion to their respective shares, but they do not inherently have the authority to use the shared property individually without consultation with other co-owners.
However, if the co-owners agree that one of them can use the shared property individually, the co-owner who has been granted the right to use it individually by such agreement may do so until that agreement is changed or the co-ownership is terminated, and is understood not to be obligated to return any benefits gained from such use to the other co-owners as unjust enrichment.
Furthermore, when a de facto couple has been using their jointly owned real estate for residence or joint business, it is reasonable to presume that, unless there are special circumstances, an agreement was in place that after one party dies, the other party would be able to use the real estate individually. Given the relationship between the two parties and the usage of the jointly-owned property, it can be said that it conforms to their usual intention to grant full usage rights to the remaining de facto spouse and allow them to continue using the property without compensation for the same purpose and in the same manner as before when one party dies.

弁護士中山知行

贈与者の第三者あて内容証明郵便が民法五五〇条にいう書面に当たるとされた事例

 昭和60年11月29日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
甲から不動産を取得した乙がこれを丙に贈与した場合において、乙が、司法書士に依頼して、登記簿上の所有名義人である甲に対し、右不動産を丙に譲渡したので甲から直接丙に所有権移転登記をするよう求める旨の内容証明郵便を差し出したなど判示の事情があるときは、右内容証明郵便は、民法五五〇条にいう書面に当たる。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/688/052688_hanrei.pdf

 

民法五五〇条が書面によらない贈与を取り消しうるものとした趣旨は、贈与者が軽率に贈与することを予防し、かつ、贈与の意思を明確にすることを期するためであるから、贈与が書面によつてされたといえるためには、贈与の意思表示自体が書面によつていることを必要としないことはもちろん、書面が贈与の当事者間で作成されたこと、又は書面に無償の趣旨の文言が記載されていることも必要とせず、書面に贈与がされたことを確実に看取しうる程度の記載があれば足りるものと解すべきである。

これを本件についてみるに、原審の適法に確定した事実によれば、上告人らの被相続人である亡Dは、昭和四二年四月三日被上告人に岡崎市a町字bc番d宅地一六五・六〇平方メートルを贈与したが、前主であるEからまだ所有権移転登記を経由していなかつたことから、被上告人に対し贈与に基づく所有権移転登記をすることができなかつたため、同日のうちに、司法書士Fに依頼して、右土地を被上告人に譲渡したからEから被上告人に対し直接所有権移転登記をするよう求めたE宛ての内容証明郵便による書面を作成し、これを差し出した、というのであり、右の書面は、単なる第三者に宛てた書面ではなく、贈与の履行を目的として、亡Dに所有権移転登記義務を負うEに対し、中間者である亡Dを省略して直接被上告人に所有権移転登記をすることについて、同意し、かつ、指図した書面であつて、その作成の動機・経緯、方式及び記載文言に照らして考えるならば、贈与者である亡Dの慎重な意思決定に基づいて作成され、かつ、贈与の意思を確実に看取しうる書面というのに欠けるところはなく、民法五五〇条にいう書面に当たるものと解するのが相当である。

論旨は、右と異なる見解に基づき原判決の違法をいうか、又は原審の認定にそわない事実を前提として原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。 

 

The purpose of Article 550 of the Civil Code, which allows for the revocation of gifts not made in writing, is to prevent donors from making gifts rashly and to clarify the intention of the gift. Therefore, in order for a gift to be deemed made in writing, it is not only unnecessary for the expression of intent for the gift itself to be in writing, but it is also not required that the document be created between the parties involved in the gift, or that the document contains wording indicating its gratuitous nature. What is essential is that the document contains enough information to clearly confirm that the gift was made.

In a case where Party B acquires real estate from Party A and then gifts it to Party C, if Party B sends a certified mail to Party A, who is the registered owner on the registry, requesting that the real estate be directly transferred from Party A to Party C through a judicial scrivener, given the circumstances presented, such certified mail corresponds to the written document as mentioned in Article 550 of the Civil Code.

弁護士中山知行

著作権法21条の複製権を時効取得する要件としての権利行使の態様とその立証責任

平成9年7月17日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
一 漫画において一定の名称、容貌、役割等の特徴を有するものとして反復して描かれている登場人物のいわゆるキャラクターは、著作物に当たらない。
二 二次的著作物の著作権は、二次的著作物において新たに付与された創作物部分のみについて生じ、原著作物と共通し、その実質を同じくする部分には生じない。
三 連載漫画において、登場人物が最初に掲載された漫画の著作権の保護期間が満了した場合には、後続の漫画の著作権の保護期間がいまだ満了していないとしても、当該登場人物について著作権を主張することはできない。
四 著作権法二一条の複製権を時効取得する要件としての継続的な行使があるというためには、著作物の全部又は一部につき外形的に著作権者と同様に複製権を独占的、排他的に行使する状態が継続されていることを要し、そのことについては取得時効の成立を主張する者が立証責任を負う。
五 被上告人の平成五年法律第四七号による改正前の不正競争防止法(昭和九年法律第一四号)一条一項一号に基づく差止請求に対して、上告人が商標権の行使を理由として同法六条の抗弁を主張している場合において、事実審の口頭弁論終結後に当該商標権につき商標登録を無効とする審決が確定したときは、民訴法四二〇条一項八号に照らし、被上告人は上告審でこれを主張することができる。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/776/054776_hanrei.pdf

 

上告代理人の上告理由第一点について

 一 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。

 1 被上告人B1(「被上告人B1」)と同名のアメリカ合衆国の法人である訴外B1(「旧B1」)は、アメリカ合衆国において、その社員をして職務上創作させたポパイ等の登場人物を有する一話完結形式の漫画である「シンブル・シアター」を、昭和四年(一九二九年)一月一七日から新聞、単行本に逐次連載ないし掲載したが、このうち最初に公表された作品である、同日のニューヨーク・イブニング・ジャーナルに掲載された漫画(「第一回作品」)は、別紙二のとおりの内容であった。ポパイは、「シンブル・シアター」の主人公であって、水兵帽をかぶり、水兵服を着、口にパイプをくわえ、腕にはいかりを描き、ほうれん草を食べると超人的な強さを発揮する船乗りとして描かれている。

 2 右の一連の漫画の著作権は、旧B1が被上告人B2(「被上告人B2」)に吸収合併されたことにより同被上告人に承継され、次いで、昭和一八年(一九四三年)一二月三一日、同被上告人から同日設立された被上告人B1に譲渡された。同被上告人は、昭和一九年(一九四四年)から少なくとも平成元年(一九八九年)四月二八日現在に至るまで、その社員をして右一連の漫画の続編となるポパイ等の登場人物を有する漫画を職務上創作させて、新聞、単行本に逐次連載ないし掲載している(以下、旧B1及び被上告人B1がその社員に職務上創作させたポパイを登場人物とする一連の漫画を総称して「本件漫画」という。)。旧B1は、昭和一三年(一九三八年)二月二五日、本件漫画のうち第一回作品について著作権登録をし、被上告人B1は、昭和三一年(一九五六年)二月一〇日、同被上告人名義でその更新登録をしている。

 3 上告人は、昭和五七年五月から別紙一記載の図柄(「本件図柄一」)を付したネクタイを販売している。

 二1 本件訴訟において、被上告人B1は、次のとおり主張して、上告人に対し、著作権に基づく差止請求として、本件図柄一を付したネクタイの販売の差止め及び上告人の所有するネクタイからの同図柄の抹消を求めている。

(1) 本件漫画の主人公ポパイは、その容貌、性格等が連載を通じて一貫性を持って描かれており、本件漫画から独立したキャラクターとして漫画とは別個の著作物となるものであるところ、本件図柄一は、ポパイのキャラクターの複製としてその著作権を侵害する、

(2) キャラクターが独立の著作物といえないとしても、本件漫画につき、連載に係る各回の各完結する漫画ごとに著作権が成立し、本件図柄一は、右各漫画におけるポパイの絵の複製として右各漫画の各著作権を侵害する。
 これに対して、上告人は、次のとおり主張して、これを争っている。(1) 本件漫画は法人著作であり、昭和四年(一九二九年)一月一七日に公表された第一回作品の著作権の保護期間は、平成二年五月二一日の経過をもって満了したものであるところ、(2) キャラクターが独立の著作物であるとすれば、本件におけるポパイのキャラクターも法人著作であり、その著作権の保護期間は本件漫画に最初にポパイが登場した第一回作品の公表時から起算すべきであるから、前同日の経過により満了した、(3) 本件漫画につき、連載に係る各回の漫画ごとに著作権が成立し、その保護期間も個別に各公表時から起算するとしても、第一回作品の後に新聞、単行本に連載ないし掲載された漫画(「後続作品」)の著作権は、後続作品において新たに付与された創作性のある部分についてしか主張することができないというべきである、(4) 本件では、既に第一回作品において主人公ポパイの特徴を備えた絵が表示されており、後続作品に表示されているポパイの絵はその複製にすぎず、本件図柄一は後続作品において新たに付与された創作性のある部分を含むものではないから、後続作品の著作権に基づいて上告人の本件図柄一の使用の差止めを求めることもできない。

 2 原審は、次のとおり判断して、被上告人B1の本件漫画の著作権に基づく本件図柄一に関する差止請求を認容した。

(1) ポパイのキャラクターが本件漫画を離れて別個の著作物であるということはできないが、

(2) 本件図柄一は本件漫画の主人公ポパイの絵の複製に当たるものであって、

(3) 本件漫画については、連載に係る各回の漫画ごとに著作権が成立し、その保護期間も個別に各公表時から起算すべきものであるから、第一回作品の著作権の保護期間が平成二年五月二一日の経過をもって満了しても、後続作品には著作権の保護期間が満了していないものがあり、

(4) 第一回作品において主人公ポパイの特徴を備えた絵が表示されていても、後続作品のうちいまだ著作権の保護期間が満了していない漫画の著作権に基づいて上告人の本件図柄一の使用の差止めを求めることは許される。

 三 しかしながら、原審の右判断のうち(4)の部分は是認することができない。

その理由は、次のとおりである。

 1 著作権法上の著作物は、「思想又は感情を創作的に表現したもの」(同法二条一項一号)とされており、一定の名称、容貌、役割等の特徴を有する登場人物が反復して描かれている一話完結形式の連載漫画においては、当該登場人物が描かれた各回の漫画それぞれが著作物に当たり、具体的な漫画を離れ、右登場人物のいわゆるキャラクターをもって著作物ということはできない。

けだし、キャラクターといわれるものは、漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって、具体的表現そのものではなく、それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものということができないからである。

したがって、一話完結形式の連載漫画においては、著作権の侵害は各完結した漫画それぞれについて成立し得るものであり、著作権の侵害があるというためには連載漫画中のどの回の漫画についていえるのかを検討しなければならない。

 2 このような連載漫画においては、後続の漫画は、先行する漫画と基本的な発想、設定のほか、主人公を始めとする主要な登場人物の容貌、性格等の特徴を同じくし、これに新たな筋書を付するとともに、新たな登場人物を追加するなどして作成されるのが通常であって、このような場合には、後続の漫画は、先行する漫画を翻案したものということができるから、先行する漫画を原著作物とする二次的著作物と解される。

そして、二次的著作物の著作権は、二次的著作物において新たに付与された創作的部分のみについて生じ、原著作物と共通しその実質を同じくする部分には生じないと解するのが相当である。

けだし、二次的著作物が原著作物から独立した別個の著作物として著作権法上の保護を受けるのは、原著作物に新たな創作的要素が付与されているためであって(同法二条一項一一号参照)、二次的著作物のうち原著作物と共通する部分は、何ら新たな創作的要素を含むものではなく、別個の著作物として保護すべき理由がないからである。

 3 そうすると、著作権の保護期間は、各著作物ごとにそれぞれ独立して進行するものではあるが、後続の漫画に登場する人物が、先行する漫画に登場する人物と同一と認められる限り、当該登場人物については、最初に掲載された漫画の著作権の保護期間によるべきものであって、その保護期間が満了して著作権が消滅した場合には、後続の漫画の著作権の保護期間がいまだ満了していないとしても、もはや著作権を主張することができないものといわざるを得ない。

 4 ところで、著作物の複製とは、既存の著作物に依拠し、その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいうところ(最高裁昭和五三年九月七日第一小法廷判決)、複製というためには、第三者の作品が漫画の特定の画面に描かれた登場人物の絵と細部まで一致することを要するものではなく、その特徴から当該登場人物を描いたものであることを知り得るものであれば足りるというべきである。

 5 これを本件についてみるに、原審の前記認定事実によれば、第一回作品においては、その第三コマないし第五コマに主人公ポパイが、水兵帽をかぶり、水兵服を着、口にパイプをくわえ、腕にはいかりを描いた姿の船乗りとして描かれているところ、本件図柄一は、水兵帽をかぶり、水兵服を着、口にパイプをくわえた船乗りが右腕に力こぶを作っている立ち姿を描いた絵の上下に「POPEYE」「ポパイ」の語を付した図柄である。右によれば、本件図柄一に描かれている絵は、第一回作品の主人公ポパイを描いたものであることを知り得るものであるから、右のポパイの絵の複製に当たり、第一回作品の著作権を侵害するものというべきである。

ところで、アメリカ合衆国国民の著作物については、平成元年三月一日以降はベルヌ条約により、それ以前は万国著作権条約によって我が国がこれを保護する義務を負うことから、日本国民の著作物と同様の保護を受けるところ(著作権法六条三号参照)、本件漫画は法人著作であり、その著作権の保護期間は公表後五〇年であって、昭和四年(一九二九年)一月一七日に公表された第一回作品の著作権の保護期間は、右公表日の翌年である昭和五年一月一日を起算日として、連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律四条一項によるアメリカ合衆国国民の著作権についての三七九四日の保護期間の加算をして算定すると、平成二年五月二一日の経過をもって満了したから、これに伴って第一回作品の著作権は消滅したものと認められる。

前記の原審認定事実によれば、本件図柄一は、第一回作品において表現されているポパイの絵の特徴をすべて具備するというに尽き、それ以外の創作的表現を何ら有しないものであって、仮に後続作品のうちいまだ著作権の保護期間の満了していないものがあるとしても、後続作品の著作権を侵害するものとはいえないから、被上告人B1は、もはや上告人の本件図柄一の使用を差し止めることは許されないというべきである。

 四 したがって、これと異なる見解に立って、後続作品のうちいまだ著作権の保護期間の満了していない漫画の著作権に基づいて上告人の本件図柄一の使用を差し止めることが許されるとして、被上告人B1が著作権に基づいて本件図柄一を付したネクタイの販売の差止め及び上告人の所有するネクタイからの同図柄の抹消を求める請求を認容すべきものとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、同被上告人の請求中、本件図柄一を付したネクタイの販売の差止め及び上告人の所有するネクタイからの同図柄の抹消を求める部分につき、原判決は破棄を免れない。そして、右部分につき第一審判決を取り消して、右部分に関する同被上告人の請求を棄却すべきものである。

 同第二点について

 一 本件において、被上告人B1は、本件漫画の著作権に基づく損害賠償請求として、上告人が昭和五七年五月三一日から同五九年五月三一日までの間本件図柄一を付したネクタイを販売したことにより被った損害の賠償を求めている。

これに対して、上告人は、次のとおり、本件図柄一の複製権につき取得時効が成立した旨の抗弁を主張している。

(1) Dは、本件図柄一と構成を同じくする商標につき、昭和三三年六月二六日商標登録出願をし、同三四年六月一二日に設定登録(登録第五三六九九二号)を受けたが(以下、右の商標権を「本件商標権」といい、その登録商標を「本件商標」という。)、同四六年三月四日に本件商標権をE株式会社に譲渡して移転登録を経由し、同会社は、同五九年七月三〇日に本件商標権を上告人に譲渡して移転登録を経由したところ、

(2) D及びEは、昭和三三年六月二六日以降、本件商標権と共に本件図柄一の複製権を継続して行使してきたから、Eは二〇年の時効期間が経過した昭和五三年六月二六日に本件図柄一の複製権を時効取得したものであり、

(3) 上告人は、Eから本件商標権と共に右複製権を承継した。

 二 原審は、(1) 著作権法二一条の複製権は、民法一六三条にいう「所有権以外ノ財産権」に含まれるが、(2) Dは、昭和三三年六月二六日に本件商標の商標登録出願を行うに際して、本件漫画の主人公ポパイの絵を複製して本件図柄一を作成することについて被上告人B1の許諾を得ていないから、Dによる本件図柄一の複製は同条にいう「自己ノ為メニスル意思」を欠くとして、上告人の前記取得時効の抗弁を排斥した。

 三 原審の右判断のうち(2)の部分は是認することができないが、次に述べる理由により上告人の右取得時効の抗弁は採用することができないから、結局のところ、原判決の前記説示部分の違法は、その結論に影響しないものというべきである。

 1 著作権法二一条に規定する複製権は、民法一六三条にいう「所有権以外ノ財産権」に含まれるから、自己のためにする意思をもって平穏かつ公然に著作物の全部又は一部につき継続して複製権を行使する者は、複製権を時効により取得すると解することができるが、複製権が著作物の複製についての排他的支配を内容とする権利であることに照らせば、時効取得の要件としての複製権の継続的な行使があるというためには、著作物の全部又は一部につきこれを複製する権利を専有する状態、すなわち外形的に著作権者と同様に複製権を独占的、排他的に行使する状態が継続されていることを要し、そのことについては取得時効の成立を主張する者が立証責任を負うものと解するのが相当である。

 2 他方、民法一六三条にいう「自己ノ為メニスル意思」は、財産権行使の原因たる事実によって外形的客観的に定められるものであって、準占有者がその性質上自己のためにする意思のないものとされる権原に基づいて財産権を行使しているときは、その財産権行使は右の意思を欠くものというべきである。

これを本件についてみるに、原判決の挙げる、Dが被上告人B1の許諾を得ないで本件図柄一を作成したという事実をもっては、Dがその性質上自己のためにする意思のないものとされる権原に基づいて財産権を行使していたということはできないから(むしろ逆に、Dが同被上告人の許諾を得て本件図柄一を複製したとすれば、そのことからDにおいて自己のためにする意思を欠いていたということができる。)、Dによる本件図柄一の複製が自己のためにする意思を欠くものであるとして上告人の取得時効の抗弁を排斥した原審の判断は、法令の解釈適用を誤ったものというべきである。

 3 しかし、原審の認定によれば、上告人の主張する時効期間(昭和三三年六月二六日から二〇年)の間、被上告人B1がアメリカ合衆国において本件漫画を新聞、単行本に逐次連載ないし掲載していたほか、同被上告人から本件漫画の著作権について独占的利用権の設定を受けた被上告人B2が我が国において多数の企業との間で本件漫画の使用許諾契約を締結し、右契約に基づいてポパイの絵の付された菓子、文具、衣料、雑貨等の商品が広く市場に流通していたというのであり、加えて、前記のとおり本件図柄一に描かれているポパイの絵は、その姿態等において格別特異な特徴はなく、他のポパイの絵一般と識別すべき特徴が何ら認められないものであって、右によれば、D及びEは、本件漫画における主人公ポパイの絵一般についてはもちろん、本件図柄一に表示されたポパイの絵に限定したとしても、これを複製する権利を独占的、排他的に行使していたということができないから、上告人の取得時効の抗弁は理由がない。

 四 そうすると、さきに説示したとおり、本件図柄一は、第一回作品のポパイの絵の複製として、その著作権を侵害するものであるから、上告人が本件図柄一を付したネクタイを右著作権の保護期間の満了前である昭和五七年五月三一日から同五九年五月三一日までの間販売したことにより被上告人B1が被った損害については、上告人は著作権の侵害として賠償の責めを負うものというべきである。右によれば、原審の判断は結論において是認することができるから、結局のところ、所論は理由がないことに帰する。論旨は採用することができない。

 同第三点一について

原審において、被上告人B2及び被上告人有限会社B3は、上告人に対して、旧不正競争防止法(平成五年法律第四七号による全部改正前のもの)一条一項一号に基づいて、第一審判決添付第一目録(五)記載の図柄(「本件図柄二」)を付したマフラー及び本件図柄一又は同二を付したネクタイの販売の差止め並びにマフラー及びネクタイからの右各図柄の抹消を求めており、これに対して、上告人は、右各図柄の使用は本件商標権の行使に当たるから同法六条により右被上告人らの差止請求は及ばない旨を抗弁として主張している。
 しかるところ、当審において、右被上告人らは、本件商標権につき商標登録を無効とする審決が確定した旨を主張し、右被上告人らの提出した昭和五八年審判第一九一二三号審決謄本及び商標登録原簿記載事項証明書によれば、本件商標権につき、平成七年一月二四日に商標法四条一項七号に該当するものとして同法四六条一項一号により商標登録を無効とするとの審決があり、同年四月三日に右審決が確定して、同年六月二七日に商標登録が抹消されたことが認められる。右は民訴法四二〇条一項八号所定の再審事由に該当するものであって、右被上告人らの前記主張は当裁判所においてこれを考慮すべきものであるところ、これによれば本件商標権は初めから存在しなかったものとみなされるから、上告人の前記抗弁がその前提を欠くものとして失当であることは明らかである。
 したがって、上告人の右抗弁についての原審の判断の違法をいう論旨は、その内容につき判断するまでもなく、採用することができない。

 その余の上告理由について

 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係及び記録に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難し、独自の見解に立って原判決の違法をいうか、又は原審において主張していない事由に基づいて原判決を論難するものであって、採用することができない。
 以上によれば、被上告人B1の上告人に対する本件請求のうち、本件図柄一を付したネクタイの販売の差止め及び上告人の所有するネクタイからの同図柄の抹消を求める部分については、原判決を破棄し、第一審判決を取り消して、右部分に関する同被上告人の請求を棄却すべきであり、上告人の同被上告人に対するその余の上告及びその余の被上告人らに対する上告は棄却すべきである。 

Summary of the Judgment:

A so-called "character" in a manga, which is repeatedly depicted with certain names, appearances, roles, and other features, does not constitute a copyrighted work.
Copyright of a derivative work arises only for the newly added creative portion of the derivative work and does not arise for parts that are common to and essentially the same as the original work.
In a serialized manga, if the copyright protection period of the manga where a character first appeared has expired, one cannot claim copyright for that character even if the copyright protection period for subsequent mangas has not yet expired.
To acquire a limitation right to the reproduction right under Copyright Law Article 21 through continuous exercise, it requires a state where the reproduction right is exercised exclusively and exclusively for the whole or part of the copyrighted work, similar to the copyright holder. The burden of proof for this lies with the person asserting the establishment of the prescription.
If, in a case where the defendant is claiming injunction under Article 1, Paragraph 1, Item 1 of the Unfair Competition Prevention Act before its amendment by Law No. 47 of Heisei 5, the appellant claims a defense under Article 6 of the same law based on the exercise of trademark rights, and after the conclusion of the oral arguments in the factual trial, a judgment confirming the invalidity of the said trademark registration is finalized, the defendant can assert this in the appellate court in light of Article 420, Paragraph 1, Item 8 of the Civil Procedure Law.

弁護士中山知行

買戻特約付売買契約の形式を採りながら目的不動産の占有の移転を伴わない契約の性質

 平成18年2月7日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
買戻特約付売買契約の形式が採られていても,目的不動産の占有の移転を伴わない契約は,特段の事情のない限り,債権担保の目的で締結されたものと推認され,その性質は譲渡担保契約と解するのが相当である。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/427/052427_hanrei.pdf

 

 上告人らの上告受理申立て理由について
 1 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1) 上告人株式会社A1興産(「上告会社」)は,平成13年12月13日当時,第1審判決別紙物件目録記載の建物(「本件建物」)及びその敷地である同目録記載の土地(「本件土地」)を所有していた。

(2) 平成12年11月13日,被上告人は,上告人A2に対し,利息を月3分とする約定で,1000万円を貸し付け(「別件貸付け」),その担保として,有限会社Dとの間で,同社の所有する土地及び建物について譲渡担保契約を締結した(以下,この契約の契約書を「別件契約書」という。)。

(3) 上告人A2は,別件貸付けに係る利息ないし遅延損害金として,同年12月12日,平成13年2月5日,同年3月6日,同年5月8日,同年6月8日にそれぞれ30万円を支払ったのみで,それ以降の弁済をしなかった。そこで,被上告人は,別件貸付けに係る債権について,少なくとも利息を回収するため,上告人A2が代表取締役を務める上告会社との間で,上告会社所有の本件土地建物について買戻特約付売買契約を締結することを考えた。

(4) 平成13年12月13日,被上告人と上告会社とは,いったん,本件土地の売買代金を700万円,本件建物の売買代金を100万円,買戻期間を平成14年2月28日までとする買戻特約付売買契約を締結することに合意して契約書(「変更前契約書」)を作成し,司法書士に対し,登記手続を依頼した。

(5) しかし,被上告人代表者は,司法書士が退去した後,売買代金は,合計800万円ではなく,合計750万円でなければ契約を締結することができないと言い出し,上告人A2も,750万円の方が買戻しをしやすいとしてこれに応じたことから,被上告人と上告会社は,本件土地の売買代金を650万円,本件建物の売買代金を100万円とし,上告会社は平成14年3月12日までに上記売買代金相当額及び契約の費用を提供して本件土地建物を買い戻すことができる旨の内容の買戻特約付売買契約(「本件契約」)を締結し,変更前契約書の内容を改めた契約書(「本件契約書」)を作成した。

(6) 被上告人は,本件契約日に,上告会社に対し,売買代金750万円のうち400万円を支払うこととしたが,上告会社の了承の下,400万円から,買戻権付与の対価として67万5000円,別件貸付けの利息9か月分として270万円,登記手続費用等の支払に充てるべく司法書士に預託した41万円,以上合計378万5000円を控除し,21万5000円を上告会社に交付した。
別件貸付けの利息として支払われた270万円の領収証には,そのただし書欄に「利息」と明記されているのに対し,買戻権付与の対価として支払われた67万5000円の領収証にはその記載がない。

(7) 本件契約日の翌日,被上告人は,司法書士が本件土地建物について変更前契約書の内容で登記手続を完了したことを確認し,上告会社に対し,売買代金の残金350万円を支払った。

(8) 上告会社は,平成14年3月12日までに本件契約に基づく買戻しをしなかった。

(9) 本件契約には,買戻期間内に本件土地建物を上告会社から被上告人に引き渡す旨の約定はなく,本件建物は本件契約日以降も上告人らが共同して占有している。

(10) 本件訴訟は,被上告人が上告人らに対し,本件契約は民法の買戻しの規定が適用される買戻特約付売買契約(「真正な買戻特約付売買契約」)であり,被上告人は本件契約によって本件建物の所有権を取得したと主張して,所有権に基づき本件建物の明渡しを求めるものであり,上告人らは,本件契約は譲渡担保契約であるから被上告人は本件建物の所有権を取得していないと主張して,これを争っている。

 2 原審は,上記事実関係の下において,次のとおり判断し,被上告人の請求をいずれも認容すべきものとした。

(1) 別件契約書には,「買戻約款付譲渡担保契約書」という標題が付されているが,変更前契約書にも,本件契約書にも,「買戻約款付土地建物売買契約書」という標題が付されている。

(2) 上告人らは,被上告人が控除した67万5000円は本件契約による貸付けに係る3か月分の利息であると主張するが,別件貸付けの利息として支払われた270万円の領収証にはそのただし書欄に「利息」と明記されているのに対し,買戻権付与の対価として支払われた67万5000円の領収証にはその記載がないので,これを認めることはできない。

(3) 上告人らは,上告会社は被上告人から371万5000円しか受け取っておらず,このような少額の代金で上告会社が時価1800万円を下らない本件土地建物を売却するはずはないと主張するが,上告会社が371万5000円しか受け取ることができなかったのは,買戻権付与の対価,別件貸付けに係る利息,登記手続費用の合計378万5000円が控除されたからにほかならず,本件土地建物は飽くまで750万円と評価されているし,本件土地建物の時価が1800万円を下らないと認めるに足りる証拠もない。

(4) したがって,本件契約は,譲渡担保契約ではなく,真正な買戻特約付売買契約と認められる。

 3 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1) 真正な買戻特約付売買契約においては,売主は,買戻しの期間内に買主が支払った代金及び契約の費用を返還することができなければ,目的不動産を取り戻すことができなくなり,目的不動産の価額(目的不動産を適正に評価した金額)が買主が支払った代金及び契約の費用を上回る場合も,買主は,譲渡担保契約であれば認められる清算金の支払義務(最高裁昭和46年3月25日第一小法廷判決)を負わない(民法579条前段,580条,583条1項)。

このような効果は,当該契約が債権担保の目的を有する場合には認めることができず,買戻特約付売買契約の形式が採られていても,目的不動産を何らかの債権の担保とする目的で締結された契約は,譲渡担保契約と解するのが相当である。

そして,真正な買戻特約付売買契約であれば,売主から買主への目的不動産の占有の移転を伴うのが通常であり,民法も,これを前提に,売主が売買契約を解除した場合,当事者が別段の意思を表示しなかったときは,不動産の果実と代金の利息とは相殺したものとみなしている(579条後段)。そうすると,

【要旨】買戻特約付売買契約の形式が採られていても,目的不動産の占有の移転を伴わない契約は,特段の事情のない限り,債権担保の目的で締結されたものと推認され,その性質は譲渡担保契約と解するのが相当である。

(2) 前記事実関係によれば,本件契約は,目的不動産である本件建物の占有の移転を伴わないものであることが明らかであり,しかも,債権担保の目的を有することの推認を覆すような特段の事情の存在がうかがわれないだけでなく,かえって,

① 被上告人が本件契約を締結した主たる動機は,別件貸付けの利息を回収することにあり,実際にも,別件貸付けの元金1000万円に対する月3分の利息9か月分に相当する270万円を代金から控除していること,

② 真正な買戻特約付売買契約においては,買戻しの代金は,買主の支払った代金及び契約の費用を超えることが許されないが(民法579条前段),被上告人は,買戻権付与の対価として,67万5000円(代金額750万円に対する買戻期間3か月分の月3分の利息金額と一致する。)を代金から控除しており,上告会社はこの金額も支払わなければ買戻しができないことになることなど,本件契約が債権担保の目的を有することをうかがわせる事情が存在することが明らかである。
したがって,本件契約は,真正な買戻特約付売買契約ではなく,譲渡担保契約と解すべきであるから,真正な買戻特約付売買契約を本件建物の所有権取得原因とする被上告人の上告人らに対する請求はいずれも理由がない。

 4 以上によれば,本件契約を真正な買戻特約付売買契約と解し,被上告人の請求を認容すべきものとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は,上記の趣旨をいうものとして理由がある。したがって,原判決を破棄し,被上告人の請求を認容した第1審判決を取り消した上,被上告人の請求をいずれも棄却することとする。

In a genuine repurchase agreement, if the seller cannot return the payment and contract expenses paid by the buyer within the repurchase period, they cannot reclaim the subject real estate. Even if the value of the subject real estate (the properly appraised amount) exceeds the payment and contract expenses paid by the buyer, the buyer will not bear the obligation to pay liquidation money that would be recognized under a transfer security agreement (Supreme Court decision on March 25, 1971, First Petty Bench) (Civil Code Article 579, first part, Articles 580, and 583(1)).

Such an effect cannot be acknowledged when the contract serves the purpose of a claim security. Even if the form of a repurchase agreement is adopted, a contract entered into for the purpose of securing any claims by the subject real estate is appropriately understood as a transfer security agreement.

Furthermore, in a genuine repurchase agreement, it is typical for the transfer of possession of the subject real estate to move from the seller to the buyer. The Civil Code also assumes this, stipulating that if the seller rescinds the sales contract and the parties do not express any other intentions, the fruits of the real estate and the interest on the payment are considered to be offset (Article 579, latter part). Therefore,

Summary: Even if the form of a repurchase agreement is adopted, contracts that do not involve the transfer of possession of the subject real estate are, unless there are specific circumstances, presumed to be entered into for the purpose of claim security, and it is appropriate to interpret their nature as a transfer security agreement.

弁護士中山知行

意思能力のある子がその自由意思に基づいて拘束者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情があるとされた事例

 昭和61年7月18日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
一 子が意思能力を有していても自由意思に基づいて監護者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情がある場合には、監護者の子に対する監護は、なお人身保護法及び同規則にいう拘束に当たる。
二 監護権を有しない者の監護下にある子が、現在、意思能力を有し、その監護に服することを受容するとともに、監護権を有する者の監護に服することに反対しているとしても、意思能力の全くない当時から引き続き監護権を有しない者の監護を受けてきたものであり、その間、右の監護者が、子の引渡を拒絶するとともに、監護権を有する者に対する嫌悪と畏怖の念を抱かざるをえないように教え込んできた結果、子が右のような意思を形成するに至つたときには、当該子が自由意思に基づいて監護権を有しない者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情があるものというべきである。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/728/052728_hanrei.pdf

 

 原審は、

(一) 被拘束者は千葉県に在住する上告人ら夫婦の第二子・長男として昭和四九年五月二九日に出生したものであるが、上告人らは、家計上の都合により、被拘束者の生後間もないころに、上告人Aの異母弟であつて、長崎県に在住する被上告人B1及びその妻である同B2にその養育を委託した、

(二) (1) 上告人らは、昭和五一年被上告人らに対し、被拘束者の返還引渡を求めたが、なお一年育てたいとの被上告人らの意向を酌んでやむなく被拘束者の保育園入園時期までこれを求めないこととした、

(2) 被上告人らは、昭和五三年三月には上告人らに被拘束者をいつたんは引き渡したが、その直後誘拐されたとして警察官を同道し、長崎空港において出発直前の上告人らから被拘束者を取り戻した、

(3) 上告人らは、その後親戚らに仲介を頼んだりして被上告人らと交渉を繰り返し、被上告人らは、その都度「学齢の一年前まで」、「就学まで」などと被拘束者を返還する旨の約束を反覆し、その趣旨の誓約書まで書いたことがあるにもかかわらず、結局これに応じなかつた、

(4) このため、上告人らは、昭和五六年被上告人らを被告として長崎地方裁判所佐世保支部に親権妨害等を理由として被拘束者の引渡等を求める訴えを提起し、第一、二審、上告審とも勝訴し、この確定判決に基づき強制執行の申立をするに至つたが、更に円満解決のため、昭和六〇年一月佐世保簡易裁判所において、被上告人らと、同年三月二六日限り被上告人らから被拘束者の引渡を受けること等を内容とする裁判上の和解をした、

(5) しかし、被上告人らは、なおも任意の引渡に応じることなく、上告人らが申し立てた右和解調書に基づく強制執行につき停止決定を得たうえ、請求異議訴訟を提起して争う構えを示し、現在に至つている、

(三) 上告人らは、実子の養育を安易に他に委託した軽率さを真摯に反省し、一〇年以上も被上告人らにより接触を妨害されてきたにもかかわらず、被拘束者に対する実親としての変わらぬ愛情を抱き続け、法律上正当な親権者として被拘束者を引き取り共に暮したいとの自然な願望が早急に実現されるのを心から待ち望んでいる、

(四) 被上告人らは、生後間もないころから被拘束者を実子のように慈しみ育ててきたものであるけれども、事実上の監護者にすぎない自己の立場を忘れ、被拘束者に対する愛情に押し流されるまま、被拘束者を上告人らのもとに戻す約束を再三にわたつて反故にし、その間、被拘束者の気持を自己に引き止めたい一心から、日常的に上告人らに対する悪感情をあからさまにする言動をとり、しかも被拘束者に対し、上告人らの真実の姿、心情をゆがめて伝え続け、上告人らに対する不信、恐怖、憎悪の感情をむしろあおつてきた、

(五) 被拘束者は、現在小学校六年生(原審審問終結当時一一年一〇月)であり、成績は優秀で意欲に富み、感情の起伏が激しく自己中心的な面があるものの、性格は明朗であるとの評価を受けており、年齢相応の事理弁識能力に劣る点は見受けられず、被拘束者を溺愛し、これに服従的な対応をしがちな被上告人らのもとで一応安定し、同人らから離れ難く感じている反面、前記の被上告人らの言動に強く影響され、上告人らに対し強く反発して同人らを敵視し、上告人らのもとに連れ戻されることを極度に恐れている、との事実を確定したうえ、被拘束者は自己の生活環境や心身の安定に重大な影響を及ぼす上告人ら、被上告人らのいずれの監護に服すべきかという事項については、十分意思能力を有していると認めるのが相当であるから、歪曲された事実を基礎としているとはいえ、一応は自己の判断と感情に基づいて被上告人らのもとにとどまる意思を表明している以上、被拘束者が被上告人らによつて事実上監護養育されていることをもつて人身保護法にいう拘束に該当するものということはできない、と判断して、上告人らの本件請求を棄却している。

そこで、検討するのに、意思能力のない幼児の監護はそれ自体人身保護法及び同規則にいう拘束に当たると解すべきものであるが(昭和四三年七月四日第一小法廷判決)、幼児に意思能力がある場合であつても、当該幼児が自由意思に基づいて監護者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情のあるときには、右監護者の当該幼児に対する監護は、なお前記拘束に当たるものと解するのが相当である(人身保護規則五条参照)。

そして、監護権を有しない者の監護養育のもとにある子が、一応意思能力を有すると認められる状況に達し、かつ、その監護に服することを受容するとともに、監護権を有する者の監護に服することに反対の意思を表示しているとしても、右監護養育が子の意思能力の全くない当時から引き続きされてきたものであり、その間、監護権を有しない者が、監護権を有する者に子を引き渡すことを拒絶するとともに、子において監護権を有する者に対する嫌悪と畏怖の念を抱かざるをえないように教え込んできた結果、子が前記のような意思を形成するに至つたといえるような場合には、当該子が自由意思に基づいて監護権を有しない者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情があるものというべきである。

これを本件についてみるに、前記の事実関係のもとにおいては、被拘束者は自己の境遇を認識し、かつ、将来を予測して上告人らと被上告人らのいずれの監護を受け入れることが自らを幸福にするのかという事項について判断を下すに足りる意思能力に欠けるところはないものということができるが、他方、生後間もないころから被上告人らの手元で養育されてきたものであり、その間、被上告人らの上告人ら及び被拘束者に対する対応が前記のとおりであつたというのであるから、前記の説示に照らし、被拘束者が自由意思に基づいて被上告人らのもとにとどまつているとはいえない特段の事情があるものというべく、したがつて、被上告人らが被拘束者を監護する行為は、なお人身保護法及び同規則にいう拘束に当たると解すべきものである。

そして、法律上監護権を有しない者が幼児をその監護のもとにおいてこれを拘束している場合に、監護権を有する者が人身保護法に基づいて当該幼児の引渡を請求するときには、両者の監護状態の実質的な当否を比較考察し、幼児の幸福に適するか否かの観点から、監護権を有する者の監護のもとにおくことが著しく不当なものと認められないかぎり、監護権を有しない者の拘束は権限なしにされていることが顕著であるものと認めて、監護権を有する者の請求を認容すべきものであるところ(最高裁昭和四七年七月二五日第三小法廷判決、同昭和四七年九月二六日第三小法廷判決)、被上告人らは右にそつた主張をしているものと解しうるから、原審としては、右主張につき判断を加えたうえで上告人らの請求の当否を決すべきものであつたというべきである。

しかるに、原審は、右の主張の当否につき判断を加えることなく(原判決が、被拘束者を上告人らのもとにおくことの困難性について説示する部分は、右の判断をしたものと解することはできない。)、被上告人らが被拘束者を監護する行為は人身保護法及び同規則にいう拘束に当たらないと説示したのみで上告人らの請求を棄却したものであるから、原判決は、法令の解釈適用を誤つた結果、理由不備の違法を犯したものというべきである。

以上の趣旨をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、叙上の点につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。

Court Summary:

Even if a child possesses decision-making capacity, if there are "special circumstances" where it cannot be said that they remain with their guardian based on free will, then the guardian's care of the child still constitutes restraint as defined in the Personal Liberty Protection Law and its regulations.
Even if a child, currently possessing decision-making capacity and under the guardianship of someone without custody rights, accepts such guardianship and opposes being under the guardianship of someone with custody rights, if they have continuously been under the guardianship of the person without custody rights since the time when they had no decision-making capacity, and during that time, the said guardian has refused to hand over the child and has instilled in the child a sense of aversion and fear towards the person with custody rights, then when the child forms such intentions, there are "special circumstances" indicating that the child is not staying with the person without custody rights based on their free will.

弁護士中山知行

民法891条5号にいう遺言書の隠匿に当たらないとされた事例

平成6年12月16日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
被相続人甲からその子乙が遺言公正証書の正本の保管を託され、乙は遺産分割協議の成立に至るまで法定相続人の一人である姉に対して遺言書の存在と内容を告げなかったが、甲の妻丙は甲が公正証書によって遺言をしたことを知っており、丙の実家の当主は証人として遺言書の作成に立ち会った上、遺言執行者の指定を受け、また、乙は遺産分割協議の成立前に法定相続人の一人である妹に対して遺言公正証書の正本を示してその存在と内容を告げたなど判示の事実関係においては、乙の行為は、民法八九一条五号にいう遺言書の隠匿に当たらない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/715/062715_hanrei.pdf

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができる。そして、原審の確定した事実によれば、被上告人は、父であるDから遺言公正証書の正本の保管を託され、Dの法定相続人(被上告人のほか、Dの妻E、子F、上告人、G)の間で遺産分割協議が成立するまで上告人に対して遺言書の存在と内容を告げなかったが、Eは事前に相談を受けてDが公正証書によって遺言をしたことを知っており、Eの実家の当主であるH及びD家の菩提寺の住職であるIは証人として遺言書の作成に立ち会った上、Hは遺言執行者の指定を受け、また、被上告人は、遺産分割協議の成立前にGに対し、右遺言公正証書の正本を示してその存在と内容を告げたというのである。

右事実関係の下において、被上告人の行為は遺言書の発見を妨げるものということができず、民法八九一条五号の遺言書の隠匿に当たらないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

Summary of the Judgment
The decedent, A, entrusted his child, B, with the storage of the original copy of a will made in the form of a notarized deed. Until the agreement on the inheritance division was reached, B did not inform his sister, who was one of the legal heirs, about the existence and content of the will. However, A's wife, C, was aware that A had made a will using a notarized deed. The head of C's family had witnessed the creation of the will and was also designated as the executor. Additionally, before the agreement on the inheritance division, B showed the original copy of the notarized will to his sister, another legal heir, informing her of its existence and content. Given these stated facts, B's actions do not constitute the concealment of a will as defined by Article 891, Item 5 of the Civil Code.

 

民法

(相続人の欠格事由)
(Causes of Disqualification of Heir)
第八百九十一条次に掲げる者は、相続人となることができない。
Article 891The following persons may not become an heir:
一故意に被相続人又は相続について先順位若しくは同順位にある者を死亡するに至らせ、又は至らせようとしたために、刑に処せられた者
(i)a person who has received punishment for intentionally causing, or attempting to cause, the death of a decedent or a person of equal or prior rank in relation to inheritance;
被相続人の殺害されたことを知って、これを告発せず、又は告訴しなかった者。ただし、その者に是非の弁別がないとき、又は殺害者が自己の配偶者若しくは直系血族であったときは、この限りでない。
(ii)a person who is aware that the decedent was killed by someone but made no accusation or complaint about this; provided that this shall not apply if that person cannot discern right from wrong, or if the killer was that person's spouse or lineal relative;
三詐欺又は強迫によって、被相続人が相続に関する遺言をし、撤回し、取り消し、又は変更することを妨げた者
(iii)a person who prevented a decedent from making, revoking, rescinding, or changing a will relating to inheritance through fraud or duress;
四詐欺又は強迫によって、被相続人に相続に関する遺言をさせ、撤回させ、取り消させ、又は変更させた者
(iv)a person who forced a decedent to make, revoke, rescind, or change a will relating to inheritance through fraud or duress; or
五相続に関する被相続人の遺言書を偽造し、変造し、破棄し、又は隠匿した者
(v)a person who has forged, altered, destroyed, or concealed a decedent's will relating to inheritance.

弁護士中山知行

民訴法118条3号の要件を具備しない懲罰的損害賠償としての金員の支払を命じた部分が含まれる外国裁判所の判決に係る債権について弁済がされた場合に,その弁済が上記部分に係る債権に充当されたものとして上記判決についての執行判決をすることの可否

令和3年5月25日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
民訴法118条3号の要件を具備しない懲罰的損害賠償としての金員の支払を命じた部分が含まれる外国裁判所の判決に係る債権について弁済がされた場合,その弁済が上記外国裁判所の強制執行手続においてされたものであっても,これが上記部分に係る債権に充当されたものとして上記判決についての執行判決をすることはできない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/323/090323_hanrei.pdf

 

1 本件は,被上告人らが,上告人に対して損害賠償を命じた米国カリフォルニア州の裁判所の判決について,民事執行法24条に基づいて提起した執行判決を求める訴えである。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

被上告人ホンダヤインコーポレイテッド(「被上告人会社」)は,被上告人X1及び同X2によって設立されたカリフォルニア州所在の会社である。
被上告人らは,平成25年(2013年)3月,上告人が被上告人会社のビジネスモデル,企業秘密等を領得したなどと主張して,上告人外数名に対して損害賠償を求める訴えをカリフォルニア州オレンジ郡上位裁判所(「本件外国裁判所」)に提起した。 

本件外国裁判所は,平成27年(2015年)3月20日,上記訴えについて,上告人に対し,補償的損害賠償として18万4990米国ドル及び訴訟費用として519.50米国ドル並びにこれらに対する年10%の割合による利息を被上告人らに支払うよう命ずるとともに,見せしめと制裁のためにカリフォルニア州民法典の定める懲罰的損害賠償として9万米国ドル及びこれに対する上記割合による利息を被上告人らに支払うよう命ずる判決(「本件外国判決」)を言い渡し,本件外国判決は,その後確定した。

本件外国裁判所は,同年5月,被上告人らの申立てにより,本件外国判決に基づく強制執行として,上告人がその関連会社に対して有する債権等を被上告人らに転付する旨の命令(「本件転付命令」)を発付した。
被上告人らは,同年12月,本件転付命令に基づき,13万4873.96米国ドルの弁済(「本件弁済」)を受けた。なお,被上告人らは,本件弁済が本件外国判決に係る債権の元本に充当されたものとして,上記元本からこれを控除することを認めている。

3 原審は,上記事実関係の下において,要旨次のとおり判断し,本件外国判決のうち上告人に対して14万0635.54米国ドル及びこれに対する本件外国判決の言渡し日の翌日である平成27年3月21日から支払済みまでの利息の支払を命じた部分についての執行判決を求める被上告人らの請求を認容した。
本件外国判決のうち懲罰的損害賠償として9万米国ドル及びこれに対する利息の支払を命じた部分(「本件懲罰的損害賠償部分」)は,民訴法118条3号にいう公の秩序に反するものであるが,カリフォルニア州において本件懲罰的損害賠償部分に係る債権が存在することまで否定されるものではないから,本件外国裁判所の強制執行手続においてされた本件弁済は,同州においては,上記債権を含む本件外国判決に係る債権の全体に充当されたとみるほかない。そして,本件外国判決の認容額(27万5509.50米国ドル)から本件弁済の額を差し引いた残額(14万0635.54米国ドル)は,本件外国判決のうち本件懲罰的損害賠償部分を除く部分に係る債権の額(18万5509.50米国ドル)を超えないから,上記残額の債権の行使を認めても公の秩序に反しない。したがって,本件外国判決のうち上記残額に係る部分についての執行判決をすることができる。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
民訴法118条3号の要件を具備しない懲罰的損害賠償としての金員の支払を命じた部分(「懲罰的損害賠償部分」)が含まれる外国裁判所の判決に係る債権について弁済がされた場合,その弁済が上記外国裁判所の強制執行手続においてされたものであっても,これが懲罰的損害賠償部分に係る債権に充当されたものとして上記判決についての執行判決をすることはできないというべきである。
なぜなら,上記の場合,懲罰的損害賠償部分は我が国において効力を有しないのであり,そうである以上,上記弁済の効力を判断するに当たり懲罰的損害賠償部分に係る債権が存在するとみることはできず,上記弁済が懲罰的損害賠償部分に係る債権に充当されることはないというべきであって,上記弁済が上記外国裁判所の強制執行手続においてされたものであっても,これと別異に解すべき理由はないからである。
前記事実関係によれば,本件弁済は,本件外国判決に係る債権につき,本件外国裁判所の強制執行手続においてされたものであるが,本件懲罰的損害賠償部分は,見せしめと制裁のためにカリフォルニア州民法典の定める懲罰的損害賠償としての金員の支払を命じたものであり,民訴法118条3号の要件を具備しないというべきであるから(最高裁平成9年7月11日第二小法廷判決),本件弁済が本件懲罰的損害賠償部分に係る債権に充当されたものとして本件外国判決についての執行判決をすることはできない。

そして,本件外国判決のうち本件懲罰的損害賠償部分を除く部分は同条各号に掲げる要件を具備すると認められるから,本件外国判決については,本件弁済により本件外国判決のうち本件懲罰的損害賠償部分を除く部分に係る債権が本件弁済の額の限度で消滅したものとして,その残額である5万0635.54米国ドル及びこれに対する利息の支払を命じた部分に限り執行判決をすべきである。

5 以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決中,主文第1項及び第2項は破棄を免れない。そして,以上に説示したところによれば,本件外国判決のうち5万0635.54米国ドル及びこれに対する平成27年3月21日から支払済みまで年10%の割合による利息の支払を命じた部分について執行判決を求める限度で被上告人らの請求を認容した第1審判決は正当であるから,被上告人らの控訴を棄却すべきである。
なお,上告人のその余の上告については,上告受理申立て理由が上告受理の決定において排除されたので,棄却することとする。

第2 上告人の民訴法260条2項の裁判を求める申立てについて

上告人が上記申立ての理由として主張する事実関係は,別紙「仮執行の原状回復及び損害賠償を命ずる裁判の申立書」第2の1記載のとおりであり,被上告人らは,これを争わない。上記事実関係によれば,上告人は,令和元年10月31日,被上告人らに対し,原判決に付された仮執行の宣言に基づき,2242万4347円を給付したものというべきである。そして,原判決中主文第1項及び第2項が破棄を免れないことは前記説示のとおりであるから,原判決に付された仮執行の宣言は,その限度でその効力を失うことになる。そうすると,被上告人らに対し,1435万0507円(2242万4347円から,5万0635.54米国ドル及びこれに対する平成27年3月21日から令和元年10月31日まで年10%の割合による利息2万3361.71米国ドルの合計7万3997.25米国ドルを同日の外国為替相場により邦貨に換算した額である807万3840円を差し引いた額)及びこれに対する給付の日の翌日である同年11月1日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める上告人の申立ては,正当として認容すべきであり,その余の部分の申立ては,理由がないからこれを棄却すべきである。なお,上告人は,米国通貨による支払を求めているが,上告人が邦貨により給付をしたことからすれば,邦貨による支払を被上告人らに命ずるのが相当である。

In a foreign court judgment that includes a section ordering the payment of punitive damages (the "punitive damages section") that does not meet the requirements of Article 118, Paragraph 3 of the Civil Procedure Law, even if the obligation pertaining to that judgment is fulfilled, even if that fulfillment is carried out through the foreign court's compulsory enforcement procedure, it should not be possible to enforce that judgment as pertaining to the punitive damages section.

This is because, in the mentioned situation, the punitive damages section does not have legal effect in our country. Given this, when judging the efficacy of the aforementioned fulfillment, one cannot consider that the obligation concerning the punitive damages exists. Consequently, it should be determined that the said fulfillment does not pertain to the obligation concerning the punitive damages. There is no reason to differentiate this, even if the said fulfillment was carried out through the foreign court's compulsory enforcement procedure.

According to the aforementioned facts, the fulfillment in this case was made in relation to the obligation pertaining to the foreign judgment in this case, through the compulsory enforcement procedure of the foreign court. However, the punitive damages section in this case was ordered for payment as punitive damages stipulated by the California Civil Code for the purposes of deterrence and sanctions. It should be determined that it does not meet the requirements of Article 118, Paragraph 3 of the Civil Procedure Law. Thus, it is not possible to enforce the foreign judgment in this case as if the fulfillment pertained to the punitive damages section.

Furthermore, excluding the punitive damages section from the foreign judgment in this case, the remaining parts are acknowledged to meet the requirements listed in the said article. Therefore, concerning the foreign judgment in this case, it should be determined that the obligation pertaining to the parts excluding the punitive damages section of the foreign judgment has been extinguished up to the amount of the fulfillment. The remaining amount, which is 50,635.54 US dollars and the interest on this amount, should be ordered for payment through enforcement.

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Japan's Supreme Court's stance on not recognizing punitive damages at all is a reflection of the country's legal and cultural philosophy. Punitive damages, as recognized in some jurisdictions like the U.S., are designed to punish the defendant for particularly egregious wrongdoing and deter future misconduct. However, in Japan, the primary focus of damages is compensation rather than punishment.

There are both pros and cons to this approach:

Pros:

Predictability: Without punitive damages, businesses and individuals have a clearer understanding of their potential liabilities, leading to a more predictable legal environment.
Avoiding Excessive Awards: One of the criticisms of punitive damages, especially in the U.S., is that they can sometimes lead to disproportionately large awards that might unduly burden defendants and result in "lottery-like" outcomes.
Focus on Actual Harm: By concentrating solely on compensatory damages, the legal system ensures that victims are adequately compensated for their actual losses.
Cons:

Limited Deterrence: Without the threat of punitive damages, there might be limited deterrence for entities to avoid engaging in particularly egregious misconduct, especially if the financial gain outweighs the compensatory damages they might have to pay.
Potential for Unchecked Misconduct: Especially in cases where the actual harm to individual victims is minimal but the overall societal impact is significant, the lack of punitive damages might allow some entities to continue harmful practices without significant financial consequences.
In conclusion, Japan's approach to punitive damages reflects its legal tradition and societal values. While there are merits to this system, there are also potential drawbacks. Like all legal decisions, it's a balance of societal needs, economic considerations, and cultural values.

 

弁護士中山知行

医師(開業医)に患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った過失がある場合において転送が行われていたならば患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときの医師の不法行為責任の有無

 平成15年11月11日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
 1 開業医が,その下で通院治療中の患者について,初診から5日目になっても投薬による症状の改善がなく,午前中の点滴をした後も前日の夜からのおう吐の症状が全く治まらず,午後の再度の点滴中に軽度の意識障害等を疑わせる言動があり,これに不安を覚えた母親が診察を求めたことなどから,その病名は特定できないまでも,自らの開設する診療所では検査及び治療の面で適切に対処することができない何らかの重大で緊急性のある病気にかかっている可能性が高いことを認識することができたなど判示の事情の下では,当該開業医には,上記診察を求められた時点で,直ちに当該患者を診断した上で,高度な医療を施すことのできる適切な医療機関へ転送し,適切な医療を受けさせる義務がある。
2 医師に患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った過失がある場合において,上記転送が行われ,同医療機関において適切な検査,治療等の医療行為を受けていたならば,患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負う。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/354/052354_hanrei.pdf

 

 上告代理人の上告受理申立て理由について

 1 本件は,急性脳症により重い脳障害の後遺症を残した上告人が,最初に上告人を診察したかかりつけの開業医である被上告人に対し,①被上告人が適時に総合医療機関に転送すべき義務(転送義務)を怠ったため,上告人に重い脳障害を残した,②仮に,被上告人の転送義務違反と上告人の重い脳障害との間に因果関係が認められないとしても,重い脳障害を残さない相当程度の可能性が侵害された旨を主張し,被上告人に対し,不法行為に基づく損害賠償を求める事案である。

 2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

 (1) 当事者

被上告人は,昭和43年3月に大学医学部を卒業した医師であり,昭和59年7月から兵庫県川西市において内科・小児科を診療科目とする医院(「本件医院」)を開設している。なお,本件医院は,いわゆる個人病院(診療所)であり,患者を入院させるための施設はなく,1階が診察室で,2階に外階段で通じる処置室があった。
 上告人は,昭和51年8月4日生まれで,昭和61年2月21日から本件医院で被上告人の診療を受けるようになり,昭和63年9月29日までの約2年半の間に,発熱,頭痛,腹痛等を訴えて,25回以上診療を受けていた。

 (2) 急性脳症

急性脳症は,急性脳炎に似ているが脳に炎症の所見を欠くときに診断される疾病(非炎症性急性脳機能障害)であり,著明な脳浮しゅを伴うことが多く,早期診断,早期治療が重要な疾患である。
 その診断の臨床的手掛かりは,頑固なおう吐,意識障害,肢位の異常(除脳硬直肢位,除皮質硬直肢位)及びしばしば先行疾患を伴うこととされ,意識障害は必ず発生するものとされている。意識障害の程度は,軽いこん迷から深こん睡まで種々のものがあるが,特にTVサインと呼ばれる周囲に無関心な状態や攻撃的な状態を見逃さないことが早期発見,早期治療につながるとされている。
 急性脳症の予後は,一般に重篤で極めて不良であり,昭和51年の統計では,死亡率は36%で,生存した場合でも,生存者中の63%に中枢神経後遺症が残存し,昭和62年の統計では,完全回復は22.2%で,残りの77.8%は死亡したか又は神経障害が残ったとされている。予後の良否は,早期に適切な治療がされるか否かに左右され,特に,脳浮しゅの治療が早期にかつ適切に行われるか否かが決定的であるとされている。
 なお,おう吐性の疾患には,脳症等の中枢神経性疾患のほか,腸重積等の消化器疾患,ウイルス性肝炎等の感染症等があり,臨床的には,これらの重大かつ緊急性のある疾患を見逃してはならないとされている。また,急性のおう吐で胆汁等が混じったり,全身状態がおかされたり,脱水等の所見がみられるときは,緊急性が高いものとされ,輸液によってもおう吐や全身状態が改善しない場合には,原因の再検討をすべきであるとされている。

 (3) 診療の経過

 ア 当時,小学校の6年生であった上告人は,昭和63年9月27日ころから発熱し,同月28日は学校を欠席し,翌29日午前には,1人で本件医院に行き,被上告人の診察を受けた。その際,上告人は,被上告人に対し,前日から軽い腹痛があり,前日の夜には頭痛と発熱があったこと,当日も頭痛と前けい部痛があることを訴えた。被上告人は,上告人に37.1℃の発熱,軽度のいん頭発赤,右前けい部圧痛を認め,上気道炎,右けい部リンパせん炎と診断し,抗生物質サマセフ,アスピリン含有のEAC錠,解熱剤アセトアミノフェンを処方した。

 イ 上告人は,上記処方薬を指示どおりに服用したが改善しなかったため,同月30日午後7時ころ,本件医院で被上告人の診察を受けた。被上告人は,上告人に39℃の発熱,へんとうせんの肥大・発赤を認め,へんとうせん炎を病名に加え,サマセフ,EAC錠を2倍とする処方をし,同年10月3日に来院するよう指示した。

 ウ 上告人は,同月1日には発熱がやや治まり,かゆを食べたが,同月2日(日曜日),朝から食欲がなく,昼から再び発熱し,むかつきを訴え,同日午後2時ころ,本件医院が休診であったため,母親である丙に付き添われ,医療法人D設立に係る総合病院であるE病院で救急の診察を受け,鎮痛剤を処方された。

 エ 上告人は,同日午後8時ころから腹痛を訴え,同日午後11時30分ころ,大量のおう吐をし,その後も吐き気が治まらず,翌3日午前4時30分ころ,母親に付き添われ,E病院で救急の診察を受けた。同病院の医師は,腸炎と診断し,また,虫垂炎の疑いもあるとして本件医院での受診を指示した。

 オ 上告人は,同日午前8時30分ころ,母親に付き添われ,本件医院で被上告人の診察を受けた。被上告人は,E病院での診療の経過を聴いた上,上告人に38℃の発熱,脱水所見を認めて,急性胃腸炎,脱水症等と診断し,本件医院の2階の処置室のベッドで,同日午後1時ころまで約4時間にわたり,上告人に700㏄の点滴による輸液を行った。2階への階段の上り下りは,母親が背負ってした。上告人は,点滴開始後も,おう吐をしており,その症状は改善されなかった。
 被上告人は,おう吐が続くようであれば午後も来診するように指示をして,上告人を帰宅させた。

 カ 上告人は,帰宅後もおう吐が続いたため,同日午後4時ころ,母親に付き添われて本件医院の1階で被上告人の診察を受け,再度,母親に背負われて本件医院の2階へ上がり,同日午後8時30分ころまでの約4時間にわたり,700㏄の点滴による輸液を受けた。上告人は,点滴が開始された後もおう吐の症状が治まらず,黄色い胃液を吐くなどし,さらに,点滴の途中で,点滴の容器が1本目であるのに2本目であると発言したり,点滴を外すように強い口調で求めたりした。母親は,上告人の言動に不安を覚え,看護婦を通じて被上告人の診察を求めたが,被上告人は,その際,外来患者の診察中であったため,すぐには診察しなかった。被上告人は,その後,点滴の合間に上告人を診察し,脱水症状,左上腹部に軽度の圧痛を認めた。なお,上告人は,同日午後7時30分ころ,母の不在中に尿意を催した際,職員の介助によりベッドで排尿するのを嫌がり,自分で点滴台を動かして歩いてトイレに行き,排尿後,タオルを渡してくれた職員に礼を述べたりした。
 上告人は,同日午後8時30分ころ,点滴終了後,母親に背負われて1階に下り,診察台で被上告人の診察を受けた際,いすに座ることができず,診察台に横になっていた。上告人は,点滴前に37.3℃であった熱が点滴後は37.0℃に下がり,おう吐もいったんは治まり,同日午後9時ころ,母親に背負われて帰宅した。
 被上告人は,上告人の状態につき,このままおう吐が続くようであれば事態は予断を許さないものと考え,今後,症状の改善がみられなければ入院の必要があると判断し,翌日の入院の可能性を考えて,入院先病院あての紹介状を作成した。

 キ 上告人は,帰宅後もおう吐の症状が続き,熱も38℃に上がり,同日午後11時ころには,母親に苦痛を訴えた。上告人は,同月4日早朝から,母親が呼びかけても返答をしなくなった。被上告人は,同日午前8時30分ころ,上告人の状態が気になっていたため,上告人方に電話をかけ,上告人の容態を知って,すぐに来院するように指示した。
 上告人は,同日午前9時前ころ,母親の知人の車で本件医院に来院したが,意識の混濁した状態であり,呼びかけても反応がなかった。被上告人は,緊急入院を必要と考え,入院先を精密検査・入院治療が可能な総合病院であるF病院と決め,上記紹介状を母親に交付した。

 ク 上告人は,母親の知人の車でF病院に行き,受付でしばらく待たされた後,同日午前11時に入院の措置がとられた。上告人は,入院時,意識は傾眠状態で,呼びかけても反応がなく,体幹及び四肢に冷感があり,けい部及び四肢全般に硬直が見られた。F病院の医師は,直ちに頭部のCTスキャン検査等を実施し,脳浮しゅを認め,上告人の当時の症状を総合して,ライ症候群を含む急性脳症の可能性を強く疑い,脳減圧の目的で,同日からグリセオール,デカドロン等の投与を開始し,翌5日からは,脳賦活の目的で,ルシドリール等の投与を行ったが,上告人は,その後も意識が回復せず,入院中の平成元年2月20日,原因不明の急性脳症と診断された。
 上告人は,同年10月25日,水頭症の治療のため,F病院を退院し,G病院脳外科に転院した。

 ケ 上告人は,平成2年2月,G病院を退院したが,その後も急性脳症による脳原性運動機能障害が残り,身体障害者等級1級と認定され,日常生活全般にわたり常時介護を要する状態にある。
 上告人は,平成13年5月8日,精神発育年齢が2歳前後で言語能力もないなどとして,後見開始の審判を受け,成年後見人が付された。

 3 原審は,上記事実関係の下において,次のとおり判断して,上告人の請求を棄却すべきものとした。

 (1) 上記2(3)カ記載の昭和63年10月3日午後4時ころから同日午後9時ころまでの間の診療(以下「本件診療」という。)中の点滴時における上告人の前記言動は,意識レベルの低下の徴候ないし軽度の意識障害の発現とも考えられるものであるが,その後,上告人が自分で点滴台を動かしてトイレに行き,タオルを渡してくれた職員に礼を述べたことなどに照らすと,点滴中の上告人の前記言動が意識障害ないし意識レベルの低下の徴候であったと断定することには疑問がある。また,本件診療中,輸液をしているにもかかわらず,上告人のおう吐が継続していた点についても,本件診療終了時には,おう吐がいったん治まっていたことなどに照らすと,本件において,本件診療終了時までに急性脳症の発症を疑って上告人を総合医療機関に転送すべき義務が被上告人にあったと認めることはできない。
 被上告人の医療行為には,結果的にみて疑問の余地がないではないが,全体としては,一般開業医に求められる注意義務に違反した過失があるとまでいうことはできない。

 (2)ア 仮に,被上告人に本件診療終了時までに上告人を総合医療機関に転送すべき義務があったとしても,鑑定の結果等に照らせば,被上告人の転送義務違反と上告人の後遺障害との間に因果関係を認めることはできない。

 イ また,急性脳症の予後は,一般に重篤であり,昭和51年の統計で,死亡率36%,生存した場合でも,生存者中の63%に中枢神経後遺症が残存したこと,また,昭和62年の統計で,完全回復は22.2%で,残りの77.8%は,死亡又は神経障害を残したことが認められ,他方,早期診断,早期治療により,どの程度予後が改善され,後遺症率が下がるかについての明確な統計もないから,早期転送によって上告人の後遺症を防止できたことについての相当程度の可能性があるということもできない。

 4 しかしながら,原審の上記(1),(2)イの判断は,いずれも是認することができない。その理由は,次のとおりである。

 (1) 転送義務違反について
 前記の事実関係によれば,次のことが明らかである。

① 上告人は,昭和63年9月27日ころから発熱し,同月29日と30日の両日,本件医院で被上告人の診察を受け,被上告人から上気道炎,右けい部リンパせん炎,へんとうせん炎等と診断されて薬剤の投与を受けた。同年10月1日に発熱がやや治まったものの,同月2日に再び発熱し,むかつきを訴え,他の病院で救急の診察を受けたが症状は改善せず,同日夜には,大量のおう吐をし,その後も吐き気が治まらず,翌3日午前4時30分ころ同病院で救急の診察を受けた後,同日午前8時30分ころ本件医院で被上告人の診察を受けた。その際,被上告人は,他の病院での上記診療の経過を聞いた上で,上告人に38℃の発熱,脱水所見を認め,急性胃腸炎,脱水症等と診断し,本件医院の2階の処置室で同日午後1時まで約4時間にわたり700㏄の点滴による輸液を行ったが,上告人のおう吐の症状は一向に改善されなかった。

② 上告人は,いったん帰宅したが,おう吐の症状が続いたので,午後4時ころ以降,再度,本件医院で被上告人の本件診療を受けることとなった。被上告人は,上告人に対し,午前中と同様,2階の処置室で点滴による輸液を受けさせることとしたが,上告人は,点滴が開始された後もおう吐の症状が治まらず,黄色い胃液を吐くなどし,さらに,点滴の途中で,点滴の容器が1本目であるのに2本目であると発言したり,点滴を外すように強い口調で求めたりするなどの軽度の意識障害等を疑わせる言動があったため,これに不安を覚えた母親は,被上告人の診察を求めたが,1階の診察室で外来患者診察中であった被上告人は,すぐには診察しなかった。被上告人は,上告人に対し,同日午後4時過ぎから午後8時30分ころまでの約4時間にわたり,700㏄の点滴による輸液を受けさせた後,1階の診察室で上告人の診察をしたが,その際,上告人は,いすに座ることもできない状態で診察台に横になっていた。被上告人は,同日午後9時に上告人を帰宅させたものの,上告人のおう吐の症状が続くようであれば事態は予断を許さないと考えていた。

③ 本件医院は,いわゆる個人病院であり,入院加療のための設備はないことから,被上告人は,上告人を入院させる必要がある場合には,高度の医療機器による精密検査及び入院加療が可能な病院への入院を考えており,同日夜には,同病院あての紹介状を作成していた。
 以上の診療の経過にかんがみると,被上告人は,初診から5日目の昭和63年10月3日午後4時ころ以降の本件診療を開始する時点で,初診時の診断に基づく投薬により何らの症状の改善がみられず,同日午前中から700㏄の点滴による輸液を実施したにもかかわらず,前日の夜からの上告人のおう吐の症状が全く治まらないこと等から,それまでの自らの診断及びこれに基づく上記治療が適切なものではなかったことを認識することが可能であったものとみるべきであり,さらに,被上告人は,上告人の容態等からみて上記治療が適切でないことの認識が可能であったのに,本件診療開始後も,午前と同様の点滴を,常時その容態を監視できない2階の処置室で実施したのであるが,その点滴中にも,上告人のおう吐の症状が治まらず,また,上告人に軽度の意識障害等を疑わせる言動があり,これに不安を覚えた母親が被上告人の診察を求めるなどしたことからすると,被上告人としては,その時点で,上告人が,その病名は特定できないまでも,本件医院では検査及び治療の面で適切に対処することができない,急性脳症等を含む何らかの重大で緊急性のある病気にかかっている可能性が高いことをも認識することができたものとみるべきである。
 上記のとおり,この重大で緊急性のある病気のうちには,その予後が一般に重篤で極めて不良であって,予後の良否が早期治療に左右される急性脳症等が含まれること等にかんがみると,

【要旨1】被上告人は,上記の事実関係の下においては,本件診療中,点滴を開始したものの,上告人のおう吐の症状が治まらず,上告人に軽度の意識障害等を疑わせる言動があり,これに不安を覚えた母親から診察を求められた時点で,直ちに上告人を診断した上で,上告人の上記一連の症状からうかがわれる急性脳症等を含む重大で緊急性のある病気に対しても適切に対処し得る,高度な医療機器による精密検査及び入院加療等が可能な医療機関へ上告人を転送し,適切な治療を受けさせるべき義務があったものというべきであり,被上告人には,これを怠った過失があるといわざるを得ない。これと異なる原審の判断には,転送義務の存否に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。

 (2) 相当程度の可能性の侵害について

医師が過失により医療水準にかなった医療を行わなかった場合には,その医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないが,上記医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明される場合には,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解すべきである(最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決)。
患者の診療に当たった医師に患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務の違反があり,本件のように重大な後遺症が患者に残った場合においても,同様に解すべきである。すなわち,

【要旨2】患者の診療に当たった医師が,過失により患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った場合において,その転送義務に違反した行為と患者の上記重大な後遺症の残存との間の因果関係の存在は証明されなくとも,適時に適切な医療機関への転送が行われ,同医療機関において適切な検査,治療等の医療行為を受けていたならば,患者に上記重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解するのが相当である。

このような見地に立って,本件をみるに,被上告人には,急性脳症等を含む重大で緊急性のある病気に対しても適切に対処し得る,高度な医療機器による精密検査及び入院加療等が可能な医療機関へ上告人を転送し,適切な治療を受けさせるべき義務を怠った過失があることは,前記のとおりであり,また,前記事実関係によれば,上告人には急性脳症による脳原性運動機能障害が残り,上告人は,身体障害者等級1級と認定され,日常生活全般にわたり,常時介護を要する状態にあり,精神発育年齢は2歳前後で,言語能力もないとの重大な後遺症が残ったというのである。
したがって,被上告人が,適時に適切な医療機関へ上告人を転送し,同医療機関において適切な検査,治療等の医療行為を受けさせていたならば,上告人に上記の重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは,被上告人は,上告人が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものというべきである。
 しかるに,原審は,前記のとおり,急性脳症の予後が一般に重篤であって,統計上,完全回復率が22.2%であることなどを理由に,被上告人の転送義務違反と上告人の後遺障害との間の因果関係を否定し,早期転送によって上告人の後遺症を防止できたことについての相当程度の可能性も認めることができないと判断したのであるが,上記の重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存否については,本来,転送すべき時点における上告人の具体的な症状に即して,転送先の病院で適切な検査,治療を受けた場合の可能性の程度を検討すべきものである上,原判決の引用する前記の統計によれば,昭和51年の統計では,生存者中,その63%には中枢神経後遺症が残ったが,残りの37%(死亡者を含めた全体の約23%)には中枢神経後遺症が残らなかったこと,昭和62年の統計では,完全回復をした者が全体の22.2%であり,残りの77.8%の数値の中には,上告人のような重大な後遺症が残らなかった軽症の者も含まれていると考えられることからすると,これらの統計数値は,むしろ,上記の相当程度の可能性が存在することをうかがわせる事情というべきである。
 そうすると,原審の上記判断には,上記の相当程度の可能性の存否に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。

 5 以上によれば,原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,論旨は理由があり,原判決中上告人に関する部分は破棄を免れない。そして,上記の相当程度の可能性の存否等について更に審理を尽くさせるため,上記部分につき,本件を原審に差し戻すこととする。 

Court Summary

If a private practitioner, regarding a patient under outpatient treatment, observes no improvement in symptoms through medication from the first day up to the fifth day, and even after administering an IV drip in the morning, the patient still exhibits vomiting symptoms from the previous night, and during another IV drip in the afternoon, the patient displays behavior indicative of mild consciousness impairment, causing the concerned mother to seek a medical examination. Under these circumstances, even if a specific diagnosis cannot be determined, it should be recognized that there is a high likelihood that the patient is suffering from a serious and urgent illness that cannot be adequately addressed in terms of testing and treatment at the private practitioner's clinic. Under these circumstances, the private practitioner has a duty, as soon as a medical examination is requested, to promptly diagnose the patient and then transfer him/her to a suitable medical institution capable of providing advanced medical care, ensuring that the patient receives appropriate treatment.
If a physician neglects the duty to transfer a patient to a suitable medical institution in a timely manner, and if it is proven that had the patient been transferred and received appropriate medical examinations, treatments, etc. at the said medical institution, there would have been a significant possibility that the patient would not have suffered any major sequelae, then the physician bears tort liability to compensate for the damages caused to the patient by infringing on this possibility.

弁護士中山知行

街頭募金詐欺について包括一罪と解することができるとされた事例

平成22年3月17日最高裁判所第二小法廷決定

裁判要旨    
 1 街頭募金の名の下に通行人から現金をだまし取ろうと企てた者が,約2か月間にわたり,事情を知らない多数の募金活動員を通行人の多い複数の場所に配置し,募金の趣旨を立看板で掲示させるとともに,募金箱を持たせて寄付を勧誘する発言を連呼させ,これに応じた通行人から現金をだまし取ったという本件街頭募金詐欺については,(1)不特定多数の通行人一般に対し一括して同一内容の定型的な働き掛けを行って寄付を募るという態様のものであること,(2)1個の意思,企図に基づき継続して行われた活動であること,(3)被害者が投入する寄付金を個々に区別して受領するものではないことなどの特徴(判文参照)にかんがみると,これを一体のものと評価して包括一罪と解することができる。
2 包括一罪を構成する判示のような街頭募金詐欺の罪となるべき事実については,募金に応じた多数人を被害者とした上,被告人の行った募金の方法,その方法により募金を行った期間,場所及びこれにより得た総金額を摘示することをもってその特定に欠けるところはない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/002/080002_hanrei.pdf

 

所論にかんがみ,本件詐欺の罪数関係及びその罪となるべき事実の特定方法につき職権で判断する。

1 本件は,被告人が,難病の子供たちの支援活動を装って,街頭募金の名の下に通行人から金をだまし取ろうと企て,平成16年10月21日ころから同年12月22日ころまでの間,大阪市堺市京都市,神戸市,奈良市の各市内及びその周辺部各所の路上において,真実は,募金の名の下に集めた金について経費や人件費等を控除した残金の大半を自己の用途に費消する意思であるのに,これを隠して,虚偽広告等の手段によりアルバイトとして雇用した事情を知らない募金活動員らを上記各場所に配置した上,おおむね午前10時ころから午後9時ころまでの間,募金活動員らに,「幼い命を救おう!」「日本全国で約20万人の子供達が難病と戦っています」「特定非営利団体NPO緊急支援グループ」などと大書した立看板を立てさせた上,黄緑の蛍光色ジャンパーを着用させるとともに1箱ずつ募金箱を持たせ,「難病の子供たちを救うために募金に協力をお願いします。」などと連呼させるなどして,不特定多数の通行人に対し,NPOによる難病の子供たちへの支援を装った募金活動をさせ,寄付金が被告人らの個人的用途に費消されることなく難病の子供たちへの支援金に充てられるものと誤信した多数の通行人に,それぞれ1円から1万円までの現金を寄付させて,多数の通行人から総額約2480万円の現金をだまし取ったという街頭募金詐欺の事案である。

2 そこで検討すると,本件においては,個々の被害者,被害額は特定できないものの,現に募金に応じた者が多数存在し,それらの者との関係で詐欺罪が成立していることは明らかである。

弁護人は,募金に応じた者の動機は様々であり,錯誤に陥っていない者もいる旨主張するが,正当な募金活動であることを前提として実際にこれに応じるきっかけとなった事情をいうにすぎず,被告人の真意を知っていれば募金に応じることはなかったものと推認されるのであり,募金に応じた者が被告人の欺もう行為により錯誤に陥って寄付をしたことに変わりはないというべきである。

この犯行は,偽装の募金活動を主宰する被告人が,約2か月間にわたり,アルバイトとして雇用した事情を知らない多数の募金活動員を関西一円の通行人の多い場所に配置し,募金の趣旨を立看板で掲示させるとともに,募金箱を持たせて寄付を勧誘する発言を連呼させ,これに応じた通行人から現金をだまし取ったというものであって,個々の被害者ごとに区別して個別に欺もう行為を行うものではなく,不特定多数の通行人一般に対し,一括して,適宜の日,場所において,連日のように,同一内容の定型的な働き掛けを行って寄付を募るという態様のものであり,かつ,被告人の1個の意思,企図に基づき継続して行われた活動であったと認められる。

加えて,このような街頭募金においては,これに応じる被害者は,比較的少額の現金を募金箱に投入すると,そのまま名前も告げずに立ち去ってしまうのが通例であり,募金箱に投入された現金は直ちに他の被害者が投入したものと混和して特定性を失うものであって,個々に区別して受領するものではない。

以上のような本件街頭募金詐欺の特徴にかんがみると,これを一体のものと評価して包括一罪と解した原判断は是認できる。

そして,その罪となるべき事実は,募金に応じた多数人を被害者とした上,被告人の行った募金の方法,その方法により募金を行った期間,場所及びこれにより得た総金額を摘示することをもってその特定に欠けるところはないというべきである。

よって,刑訴法414条,386条1項3号により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。なお,裁判官須藤正彦,同千葉勝美の各補足意見がある。

Summary of the Judgment:

Regarding the street fundraising fraud case where a person plotted to deceive pedestrians for cash under the guise of fundraising and, over approximately two months, placed a large number of unknowing fundraisers in multiple crowded locations, had them display the purpose of the donation on signboards, made them repeatedly call out solicitation phrases with donation boxes, and deceived cash from responsive pedestrians: considering characteristics such as (1) a consistent, standardized approach toward an unspecified general pedestrian population for donations, (2) activities continuously performed based on a single intent and plan, and (3) not distinguishing each individual donation received, it can be evaluated as a unified act and interpreted as a "comprehensive single crime."
For the facts that should constitute a crime of street fundraising fraud as indicated for a comprehensive single crime, there is no lack of specificity by noting the number of victims who donated, the method of fundraising adopted by the defendant, the duration and location of fundraising by this method, and the total amount earned from it.

弁護士中山知行

破産管財人が破産者の締結していた建物賃貸借契約を合意解除した際に賃貸人との間で破産宣告後の未払賃料等に敷金を充当する旨の合意をして上記賃料等の現実の支払を免れた場合において破産管財人は敷金返還請求権の質権者に対して不当利得返還義務を負うとされた事例

 平成18年12月21日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
 1 破産管財人が,破産者の締結していた建物賃貸借契約を合意解除するに際し,賃貸人との間で破産宣告後の未払賃料等に破産者が差し入れていた敷金を充当する旨の合意をし,質権の設定された敷金返還請求権の発生を阻害したことは,当時破産財団に上記賃料等を支払うのに十分な銀行預金が存在しており,これを現実に支払うことに支障がなかったなど判示の事情の下では,質権設定者の質権者に対する目的債権の担保価値を維持すべき義務に違反する。
2 破産管財人が,破産者の締結していた建物賃貸借契約を合意解除するに際して賃貸人との間で破産宣告後の未払賃料等に破産者が差し入れていた敷金を充当する旨の合意をし,質権の設定された敷金返還請求権の発生を阻害したことが,質権設定者の質権者に対する目的債権の担保価値を維持すべき義務に違反する場合であっても,その義務違反の有無が,破産債権者のために破産財団の減少を防ぐという破産管財人の職務上の義務と質権設定者が質権者に対して負う上記義務との関係をどのように解するかによって結論の異なり得る問題であって,この点について論ずる学説や判例も乏しかったことや,破産管財人が上記合意をするにつき破産裁判所の許可を得ているという事情の下では,破産管財人は,質権者に対し,善管注意義務違反の責任を負うということはできない。
3 破産管財人が,破産者の締結していた建物賃貸借契約を合意解除するに際し,賃貸人との間で破産宣告後の未払賃料等に破産者が差し入れていた敷金を充当する旨の合意をし,上記賃料等の現実の支払を免れた場合において,当時破産財団には上記賃料等を支払うのに十分な銀行預金が存在しており,これを現実に支払うことに支障がなかったなど判示の事情の下では,破産管財人は,敷金返還請求権の質権者に対し,敷金返還請求権の発生が阻害されたことにより優先弁済を受けることができなくなった金額につき不当利得返還義務を負う。
(2につき補足意見がある。)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/931/033931_hanrei.pdf

第1 事案の概要

1 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

(1) A(「破産会社」)は,平成10年2月13日,Bから,東京都港区芝▲丁目▲番▲号所在の鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階,地上9階建ての建物のうち次のア~エの部分を各記載の賃料で賃借し,その引渡しを受けた(「本件各賃貸借」)。

ア 地下1階事務所部分(「本件第1賃貸借」)
月額賃料248万0805円

イ 8階,9階居室部分(「本件第2賃貸借」)
月額賃料388万6875円

ウ 駐車場部分(「本件第3賃貸借」)
月額賃料49万円

エ 倉庫部分(「本件第4賃貸借」)

月額賃料3万円

(2) 破産会社は,本件各賃貸借に際し,Bに対し,合計6050万8750円(本件第1賃貸借につき4961万5000円,本件第2賃貸借につき777万3750円,本件第3賃貸借につき294万円,本件第4賃貸借につき18万円)の敷金(「本件敷金」)を差し入れた。

(3) 破産会社は,平成10年4月30日,C銀行,D銀行,E銀行,F銀行及びG銀行(「本件各銀行」)に対し,破産会社が本件各銀行に対して負担する一切の債務の担保として,本件各賃貸借に基づき破産会社がBに対して有する本件敷金の返還請求権(「本件敷金返還請求権」)のうち6000万円につき質権(「本件質権」)を設定し,Bは,同日,確定日付のある証書により本件質権の設定を承諾した。

(4) 本件各銀行及び破産会社は,本件質権の設定に際し,その実行による本件敷金の配分割合を,C銀行262分の87,D銀行262分の65,E銀行262分の50,F銀行262分の30,G銀行262分の30とする旨合意した。

(5) 破産会社は,平成11年1月25日に破産宣告を受け,被上告人が破産管財人に選任された。

(6) C銀行は,平成11年9月20日,オランダ法人であるH(「H」)に対し,破産会社に対して有する債権(元本合計75億9884万0303円)を付随する一切の担保等と共に譲渡し,確定日付のある書面による債権譲渡通知を行った。
また,Hは,上告人に対し,債権管理回収業に関する特別措置法に基づき,上記債権の回収を委託した。

(7) 被上告人は,破産裁判所の許可を得て(ただし,本件第3賃貸借を除く。),Bとの間で,以下のとおり,本件各賃貸借を順次合意解除し,本件敷金6050万8750円のうち6043万4590円を本件各賃貸借に関して生じたBの債権に充当する旨を合意した(「本件充当合意」)。

ア 平成11年3月31日,本件第2賃貸借を合意解除して居室を明け渡し,未払賃料,未払共益費等合計777万3750円に本件敷金を充当する旨合意した。

イ 同日,本件第4賃貸借を合意解除して倉庫を明け渡し,未払賃料,未払共益費等合計10万5840円に本件敷金を充当する旨合意した。

ウ 同年6月21日,本件第3賃貸借を合意解除して駐車場を明け渡し,未払賃料294万円に本件敷金を充当する旨合意した。

エ 同年10月31日,本件第1賃貸借を合意解除して事務所を明け渡し,未払賃料,未払共益費,本件第1賃貸借の終了に伴う原状回復工事及び残置物処理費用(「原状回復費用」)等合計4961万5000円(うち1021万3714円は原状回復費用)に本件敷金を充当する旨合意した。

(8) 本件敷金が充当された上記債権のうち,本件第1賃貸借に係る未払賃料及び未払共益費の一部3163万0257円,同賃貸借に係る原状回復費用1021万3714円並びに本件第2賃貸借に係る未払賃料及び未払共益費の一部317万6574円の合計4502万0545円は,破産宣告後に生じた債権である(「本件宣告後賃料等」)。

(9) 破産会社の破産財団には,本件第2及び第4賃貸借が合意解除された平成11年3月31日現在で約2億2000万円の,本件第3賃貸借が合意解除された同年6月21日現在で約5億8000万円の,本件第1賃貸借が合意解除された同年10月31日現在で約6億5000万円の銀行預金が存在した。

2 本件は,上告人が,本件充当合意は破産管財人善管注意義務に違反するものであり,これにより破産財団が本件宣告後賃料等の支払を免れ,Hの有する質権が無価値となって優先弁済権が害されたとして,被上告人に対し,旧破産法(平成16年法律第75号による廃止前のもの。以下同じ。)164条2項,47条4号に基づく損害賠償又は不当利得の返還として(両者の関係は選択的併合),本件充当合意により本件敷金が充当された本件宣告後賃料等4502万0545円からHに対する債権譲渡がされる前に充当がされた317万6574円を控除した4184万3971円の262分の87に当たる1389万4752円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める事案である。

第1審は,上告人の旧破産法164条2項,47条4号に基づく損害賠償請求を一部認容したが,原審は,上告人の請求をいずれも棄却した。

第2 上告代理人の上告受理申立て理由第1について

1 債権が質権の目的とされた場合において,質権設定者は,質権者に対し,当該債権の担保価値を維持すべき義務を負い,債権の放棄,免除,相殺,更改等当該債権を消滅,変更させる一切の行為その他当該債権の担保価値を害するような行為を行うことは,同義務に違反するものとして許されないと解すべきである。

そして,建物賃貸借における敷金返還請求権は,賃貸借終了後,建物の明渡しがされた時において,敷金からそれまでに生じた賃料債権その他賃貸借契約により賃貸人が賃借人に対して取得する一切の債権を控除し,なお残額があることを条件として,その残額につき発生する条件付債権であるが(最高裁昭和48年2月2日第二小法廷判決),このような条件付債権としての敷金返還請求権が質権の目的とされた場合において,質権設定者である賃借人が,正当な理由に基づくことなく賃貸人に対し未払債務を生じさせて敷金返還請求権の発生を阻害することは,質権者に対する上記義務に違反するものというべきである。

また,質権設定者が破産した場合において,質権は,別除権として取り扱われ(旧破産法92条),破産手続によってその効力に影響を受けないものとされており(同法95条),他に質権設定者と質権者との間の法律関係が破産管財人に承継されないと解すべき法律上の根拠もないから,破産管財人は,質権設定者が質権者に対して負う上記義務を承継すると解される。

そうすると,被上告人は,Hに対し,本件各賃貸借に関し,正当な理由に基づくことなく未払債務を生じさせて本件敷金返還請求権の発生を阻害してはならない義務を負っていたと解すべきである。

2 以上の見地から本件についてみると,本件宣告後賃料等のうち原状回復費用については,賃貸人において原状回復を行ってその費用を返還すべき敷金から控除することも広く行われているものであって,敷金返還請求権に質権の設定を受けた質権者も,これを予定した上で担保価値を把握しているものと考えられるから,敷金をもってその支払に当てることも,正当な理由があるものとして許されると解すべきである。

他方,本件宣告後賃料等のうち原状回復費用を除く賃料及び共益費(「本件賃料等」)については,前記事実関係によれば,被上告人は,本件各賃貸借がすべて合意解除された平成11年10月までの間,破産財団に本件賃料等を支払うのに十分な銀行預金が存在しており,現実にこれを支払うことに支障がなかったにもかかわらず,これを現実に支払わないでBとの間で本件敷金をもって充当する旨の合意をし,本件敷金返還請求権の発生を阻害したのであって,このような行為(「本件行為」)は,特段の事情がない限り,正当な理由に基づくものとはいえないというべきである。

本件行為が破産財団の減少を防ぎ,破産債権者に対する配当額を増大させるために行われたものであるとしても,破産宣告の日以後の賃料等の債権は旧破産法47条7号又は8号により財団債権となり,破産債権に優先して弁済すべきものであるから(旧破産法49条,50条),これを現実に支払わずに敷金をもって充当することについて破産債権者が保護に値する期待を有するとはいえず,本件行為に正当な理由があるとはいえない。そして,本件において他に上記特段の事情の存在をうかがうことはできない。

以上によれば,本件行為は,被上告人がHに対して負う前記義務に違反するものというべきである。

破産管財人は,職務を執行するに当たり,総債権者の公平な満足を実現するため,善良な管理者の注意をもって,破産財団をめぐる利害関係を調整しながら適切に配当の基礎となる破産財団を形成すべき義務を負うものである(旧破産法164条1項,185条~227条,76条,59条等)。

そして,この善管注意義務違反に係る責任は,破産管財人としての地位において一般的に要求される平均的な注意義務に違反した場合に生ずると解するのが相当である。

この見地からみると,本件行為が質権者に対する義務に違反することになるのは,本件行為によって破産財団の減少を防ぐことに正当な理由があるとは認められないからであるが,正当な理由があるか否かは,破産債権者のために破産財団の減少を防ぐという破産管財人の職務上の義務と質権設定者が質権者に対して負う義務との関係をどのように解するかによって結論の異なり得る問題であって,この点について論ずる学説や判例も乏しかったことや,被上告人が本件行為(本件第3賃貸借に係るものを除く。)につき破産裁判所の許可を得ていることを考慮すると,被上告人が,質権者に対する義務に違反するものではないと考えて本件行為を行ったとしても,このことをもって破産管財人善管注意義務違反の責任を負うということはできないというべきである。

そうすると,被上告人の善管注意義務違反を理由とする旧破産法164条2項,47条4号に基づく損害賠償請求を棄却した原審の判断は,結論において是認することができる。論旨は理由がない。

第3 上告代理人の上告受理申立て理由第2について

1 前記事実関係の下で,原審は,被上告人が本件宣告後賃料等に本件敷金を充当してその支払を免れても,それと同額が破産財団に属する敷金返還請求権から減少するから,これにより破産財団に利得が生じないことは明らかであると判断して,上告人の不当利得返還請求を棄却すべきものとした。

2 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
本件質権の被担保債権の額が本件敷金の額を大幅に上回ることが明らかである本件においては,本件敷金返還請求権は,別除権である本件質権によってその価値の全部を把握されていたというべきであるから,破産財団が支払を免れた本件宣告後賃料等の額に対応して本件敷金返還請求権の額が減少するとしても,これをもって破産財団の有する財産が実質的に減少したとはいえない。そうすると,破産財団は,本件充当合意により本件宣告後賃料等の支出を免れ,その結果,同額の本件敷金返還請求権が消滅し,質権者が優先弁済を受けることができなくなったのであるから,破産財団は,質権者の損失において本件宣告後賃料等に相当する金額を利得したというべきである。これと異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決中,主文第1,2項は破棄を免れない。

そして,前記事実関係及び上記に説示したところによれば,破産財団は,本件賃料等3480万6831円について,法律上の原因なくこれを利得したものであり,被上告人は,3480万6831円からHに対する債権譲渡がされる前に本件充当合意がされた317万6574円を控除した3163万0257円の262分の87に相当する1050万3176円につき,これを不当利得としてHに返還すべき義務を負うというべきである。

したがって,上告人の不当利得返還請求を上記金額及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容し,その余の上告は理由がないから棄却することとする(なお,上記不当利得返還請求が認容されることにより,第1審判決主文第1項は当然に失効する。)。

Summary of the Judgment:

When the bankruptcy trustee agreed to offset the deposit the bankrupt had made against post-bankruptcy unpaid rent, upon mutually terminating the building lease agreement the bankrupt had entered into, and this act hindered the emergence of the right to demand a refund of the deposit upon which a security interest was set, it is a violation of the obligation to maintain the collateral value of the underlying debt towards the secured creditor, especially when it is evident that there were sufficient bank deposits in the bankruptcy estate at the time to pay the said rent and there was no hindrance to actually paying it.

Even if the bankruptcy trustee's action of offsetting the deposit against the post-bankruptcy unpaid rent, upon mutual termination of the building lease agreement, violates the obligation to maintain the collateral value of the underlying debt towards the secured creditor, whether this constitutes a breach of duty depends on how one interprets the relationship between the trustee's professional duty to prevent a decrease in the bankruptcy estate for the benefit of the bankruptcy creditors and the duty the party setting the security interest owes to the secured creditor. Given the scant academic discourse and legal precedents on this matter, and the fact that the bankruptcy trustee obtained permission from the bankruptcy court for the said agreement, the trustee cannot be held liable for negligence towards the secured creditor.

When the bankruptcy trustee, upon mutually terminating the building lease agreement the bankrupt had entered into, agreed with the landlord to offset the deposit the bankrupt had made against post-bankruptcy unpaid rent, and avoided the actual payment of said rent, given the circumstances where there were sufficient bank deposits in the bankruptcy estate at the time to pay the said rent and there was no hindrance to actually paying it, the bankruptcy trustee has an obligation to return unjust enrichment with respect to the amount the secured creditor of the deposit refund claim could not preferentially recover due to the obstruction in the emergence of the right to claim the deposit refund.

弁護士中山知行

証券投資信託であるMMF(マネー・マネージメント・ファンド)の受益者が受益証券を販売した会社に対して有する一部解約金支払請求権を差し押さえた債権者が取立権の行使として上記会社に対し解約実行請求をして同請求権を取り立てることの可否

平成18年12月14日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
 1 証券投資信託であるMMF(マネー・マネージメント・ファンド)であって,(1)投資信託約款において,受益証券の換金は受益者が委託者に対して信託契約の解約の実行を請求する方法によること,この解約実行請求は委託者又は受益証券を販売した会社に対して行うこと,委託者は受益者から解約実行請求があったときは信託契約の一部を解約し,一部解約金は上記会社の営業所等において受益者に支払うことが定められ,(2)上記会社が,委託者から,受益証券の販売のほか,解約実行請求の受付及び一部解約金の支払等の業務の委託を受け,受益証券が上記会社に保護預りされており,(3)上記会社と受益者との間の投資信託総合取引規定において,受益証券等の購入及び解約の申込みは上記会社の店舗等において受け付けること,解約金は取扱商品ごとに定められた日に受益者の預金口座に入金することなどが定められているものについては,上記会社は,解約実行請求をした受益者に対し,委託者から一部解約金の交付を受けることを条件として一部解約金の支払義務を負い,受益者は,上記会社に対し,上記条件の付いた一部解約金支払請求権を有する。
2 証券投資信託であるMMF(マネー・マネージメント・ファンド)であって,(1)投資信託約款において,受益証券の換金は受益者が委託者に対して信託契約の解約の実行を請求する方法によること,この解約実行請求は委託者又は受益証券を販売した会社に対して行うこと,委託者は受益者から解約実行請求があったときは信託契約の一部を解約し,一部解約金は上記会社の営業所等において受益者に支払うことが定められ,(2)上記会社が,委託者から,受益証券の販売のほか,解約実行請求の受付及び一部解約金の支払等の業務の委託を受け,受益証券が上記会社に保護預りされているものについては,上記会社が委託者から一部解約金の交付を受けることを条件として効力を生ずる受益者の上記会社に対する一部解約金支払請求権を差し押さえた債権者は,取立権の行使として,上記会社に対して解約実行請求の意思表示をすることができ,委託者によって信託契約の一部解約が実行されて上記会社が一部解約金の交付を受けたときは,上記会社から同請求権を取り立てることができる。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/906/033906_hanrei.pdf

 

 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

(1) A(「A」)は,平成12年1月19日,被上告人から,証券投資信託及び証券投資法人に関する法律(平成12年法律第97号による改正前のもの)2条1項にいう証券投資信託である「B社のMMF(マネー・マネージメント・ファンド)」(「本件投資信託」)に係る受益証券(「本件受益証券」)を購入した。

(2)ア 本件投資信託は,投資信託委託業者であるB株式会社(「B社」)を委託者,信託会社であるC信託銀行株式会社を受託者として,両者の間で締結された信託契約(「本件信託契約」)に基づき設定されたものである。B社は,C信託銀行に対して信託財産の運用を指図するとともに,本件投資信託から生じた受益権を均等に分割して証券化した本件受益証券を発行している。本件受益証券の販売は,B社又はB社が指定する証券会社及び登録金融機関(証券取引法65条の2第3項。これらの証券会社と登録金融機関を併せて,以下「販売会社」といい,この中には,被上告人も含まれている。)が行い,販売会社が販売した本件受益証券は,当該販売会社に保護預りされ,受益者(本件受益証券の購入者)による本件受益証券の換金は,当該受益証券について,B社に本件信託契約の解約の実行を請求する方法によることとされている。

イ そして,本件信託契約に係る投資信託約款(本件投資信託の目論見書に添付されているもの。以下「本件約款」という。)は,本件受益証券の換金に関して,

① 受益者は,当該受益証券について,B社に対して本件信託契約の解約の実行の請求(「解約実行請求」)をすることができ,解約実行請求は,B社又は販売会社に対して,受益証券をもって行う,

② B社は,受益者から解約実行請求があったときは,本件信託契約の一部(当該解約実行請求に係る受益証券に相当する部分)を解約する(「一部解約」),

③ 一部解約の価額は,当該解約実行請求を受け付けた日の翌営業日の前日の基準価額とする,

④ 一部解約に係る解約金(「一部解約金」)は,原則として解約実行請求を受け付けた日の翌営業日に,販売会社の営業所等において受益者に支払う,

⑤ C信託銀行は,上記④において受益者に支払を行う日にB社に一部解約金を交付するなどと定めている。

ウ また,B社は,被上告人との間で,「証券投資信託受益証券の募集・販売に関する契約書」をもって委託契約(「本件委託契約」)を締結して,被上告人に対し,受益証券の募集の取扱い及び販売,受益者との間の一部解約事務並びに受益者に対する一部解約金の支払等の業務を委託している。本件委託契約において,

① 被上告人は,受益証券の購入を申し込んだ者から受領した申込金をB社に払い込むこと,

② 被上告人は,受益者からの解約実行請求を受け付け,当該一部解約に係る受益証券をB社に引き渡し,一部解約金をB社より受け入れて,これを受益者に支払うことなどが合意されている。

エ 他方,被上告人からの募集に応じて投資信託に係る受益証券の購入を申し込んだ者は,被上告人との間で,「投資信託総合取引規定」(「本件取引規定」)等に従って取引を行う旨を合意する。本件取引規定は,投資信託に係る受益証券等の購入,解約等の取引について,受益者と被上告人との間の権利義務関係を明確にすることを目的とするものであり,投資信託に係る受益証券等の購入及び解約の申込みは,取扱店(受益者が開設した投資信託口座及び指定預金口座のある被上告人の店舗)等において受け付けること,解約を申し込む場合には,被上告人所定の解約申込書に必要事項を記入し,押印の上,預り証又は受益証券等の本券と共に取扱店に提出すること,解約金は,取扱商品ごとに定められた日に,受益者の指定預金口座に入金することなどを定めている。

オ 上記ア~エにより,被上告人から本件受益証券を購入した受益者が被上告人に対して当該受益証券についての解約実行請求を行ったときは,被上告人は,解約実行請求があったことをB社に通知し,B社は,C信託銀行に対して一部解約を実行して,C信託銀行から支払われた一部解約金を被上告人に交付し,被上告人は,B社から交付を受けた一部解約金を受益者に交付することになる。

(3) D(「D」)は,Aを債務者,被上告人を第三債務者として,東京地方裁判所に対し,東京法務局所属公証人E作成平成12年第380号債務弁済等契約公正証書の執行力ある正本に基づき,下記アの債権の弁済に充てるため,下記イの債権(「本件被差押債権」)を含む債権について差押命令及び転付命令を申し立て,同裁判所は,平成13年7月4日,差押命令及び転付命令(「本件差押命令等」)を発し,本件差押命令等に係る決定正本は,Aに対しては同月29日に,被上告人に対しては同月5日に,それぞれ送達された。

ア 1500万円

ただし,上記公正証書の執行力ある正本に表示された平成12年12月27日付け債務弁済承認金7000万円のうち,同公正証書第2条記載の6000万円の内金

イ 750万円

ただし,債務者(A)と第三債務者(被上告人)との間で締結されたB社のMMFの自動継続投資契約に基づいて,第三債務者(被上告人)が保管する債務者(A)所有の上記MMFの受益証券について,上記契約に基づき第三債務者(被上告人)において債務者(A)に対して支払われる解約金(償還金)にして頭書金額に満つるまで。

(4) Dは,平成15年7月28日に被上告人に送達された本件訴状をもって,被上告人に対し,差押債権者の取立権に基づくものとして,Aの購入に係る本件受益証券についての解約実行請求(「本件解約実行請求」)を行った。

(5) Dは,平成16年2月4日に死亡し,その子である上告人らがDを相続し,本件訴訟におけるDの地位を承継した。

2 本件は,本件被差押債権を差し押さえたDを相続した上告人らが,第三債務者である被上告人に対し,本件解約実行請求に係る一部解約金として各351万0490円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める取立訴訟である。

3 原審は,上記事実関係等の下において,次のとおり判断して,上告人らの請求を棄却した。

(1) 本件受益証券に係る一部解約金支払請求権は,本件信託契約について一部解約がされることを条件として発生するもので,その解約権は,販売会社である被上告人ではなく,委託者であるB社が有する。上記の一部解約金支払請求権は,受益者から解約実行請求がされただけではいまだ発生せず,B社による解約権の行使によって初めて発生するものである。被上告人は,本件委託契約に基づき一部解約金の支払等の事務を行うべき義務を負っているが,その義務は,B社に対するものであって,受益者に対するものではなく,本件信託契約の当事者でもない被上告人が,受益者に対して,本件信託契約の一部解約に伴う一部解約金の支払義務を負うものではない。被上告人は,B社に対し,解約実行請求があったことを通知するとともに,一部解約金がB社から交付されたときにこれを受益者に交付する義務を負うにすぎず,一部解約をすることができる適格に欠ける。受益者が被上告人に対して解約実行請求を行った場合に,被上告人がB社に解約実行請求があったことを通知する義務を負い,その通知を受けたB社が一部解約を実行する義務を負うとしても,いまだB社が解約をしていない段階で一部解約の効力が生ずると解することはできない。
したがって,Aは,被上告人に対して一部解約金支払請求権を有するものではないから,D又は上告人らにおいても,被差押債権として,一部解約金支払請求権を取得することはなく,本件差押命令等に係る差押えの権能として,B社に対して解約の意思表示をすることもできないし,被上告人に対して解約実行請求をすることもできない。

(2) 上告人らは,被上告人が販売会社としての義務に反して,本件解約実行請求があったことについてB社に通知することを怠りながら,一部解約金の交付がない以上支払に応じられないと主張するのは,クリーンハンドの原則に反する,あるいは,故意に解約の実行を妨げたものとして民法130条が適用されるべきであると主張するが,上記のとおり,受益者であるAから解約実行請求があっても被上告人が一部解約金の支払義務を負うものではなく,D又は上告人らも被上告人に対して解約実行請求をすることができないから,被上告人が故意に一部解約の実行を妨げたものと評価することはできず,上記主張はいずれも失当である。

4 しかしながら,原審の上記判断のうち,以下の当裁判所の判断に反する部分は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1) 以下のとおり,本件受益証券に係る販売会社である被上告人は,受益者に対し,B社から一部解約金の交付を受けることを条件として,一部解約金の支払義務を負い,受益者は,被上告人に対し,上記条件の付いた一部解約金支払請求権を有するものと解するのが相当であり,そして,受益者の債権者は,受益者の被上告人に対する上記条件付きの一部解約金支払請求権を差し押えた上,民事執行法155条1項に定める取立権の行使として,被上告人に対して解約実行請求の意思表示をすることができ,この解約実行請求に基づくB社の一部解約の実行により,B社から一部解約金が被上告人に交付されたときに,被上告人から上記一部解約金支払請求権を取り立てることができるものと解するのが相当である。

ア 本件約款の定めによると,本件信託契約に基づき,受益者は,B社に対し,解約実行請求をすることができ,B社は,解約実行請求があった場合には,受益者に対し一部解約を実行した上,原則として解約実行請求を受け付けた日の翌営業日に販売会社の営業所等において一部解約金を支払う義務を負うものと解される。

この義務は,本件信託契約の委託者であり,本件受益証券の発行者であるB社が負うものであって,本件信託契約の当事者ではない被上告人ら販売会社の義務ではない。

そして,一部解約の効力は,B社が一部解約を実行することによって初めて生ずるものであり,受益者による解約実行請求の意思表示によって当然に生ずるものではないと解される。
なお,本件委託契約は,被上告人が,本件受益証券に係る解約実行請求の受付や一部解約金の支払等に関する業務を引き受けることを,B社との間で合意した業務委託契約にすぎないから,これによって被上告人と受益者との間に一部解約金の支払についての権利義務関係が生ずるものではない。

イ しかしながら,本件取引規定は,被上告人と受益者との間の権利義務関係を定めるものとして,受益証券等の解約の申込みは被上告人の店舗で受け付けること,解約金は取扱商品ごとに定められた日に被上告人の店舗にある受益者の指定預金口座に入金することを定めており,本件受益証券の内容について定める本件約款においても,受益者による解約実行請求はB社又は販売会社に対して行うものとされているから,本件取引規定に基づき,被上告人は,受益者に対する関係で,受益者から本件受益証券について解約実行請求を受けたときは,これを受け付けてB社に通知する義務及びこの通知に従って一部解約を実行したB社から一部解約金の交付を受けたときに受益者に一部解約金を支払う義務を負うもの,換言すれば,被上告人は,受益者に対し,B社から一部解約金の交付を受けることを条件として一部解約金の支払義務を負い,受益者は,被上告人に対し,上記条件の付いた一部解約金支払請求権を有するものと解するのが相当である。

なお,本件約款によれば,解約実行請求は本件受益証券をもって行うものとされているところ,販売会社の販売に係る本件受益証券は,当該販売会社が保護預りしており,記録によれば,保護預りに係る本件受益証券は,受託者であるC信託銀行に大券をもって混蔵保管されていて,受益者に本件受益証券が交付されることは予定されていないことがうかがわれるから,本件約款上は,直接B社に対して解約実行請求を行う方法も認められているが,事実上,解約実行請求は販売会社を通じて行う方法に限定されているのであって,このような取扱いの実態に照らしても,販売会社である被上告人と受益者との間には上記のような権利義務関係があるものと認めるのが相当である。

そして,上記のとおり,本件受益証券は受益者に交付されることが予定されていないことからすれば,上記のような条件付きの一部解約金支払請求権は,債権差押えの対象となるものと解すべきであり,本件被差押債権は,AがB社から購入した本件受益証券に係るAの被上告人に対するこのような条件付きの一部解約金支払請求権であるということができる。

ウ 金銭債権を差し押さえた債権者は,民事執行法155条1項に基づき,自己の名で被差押債権の取立てに必要な範囲で債務者の一身専属的権利に属するものを除く一切の権利を行使することができる(最高裁平成11年9月9日第一小法廷判決)。

前記のとおり,本件受益証券に係る受益者の被上告人に対する一部解約金支払請求権は,B社から被上告人に対する一部解約金の交付を条件として効力を生ずる権利であるから,解約実行請求をすることは,一部解約金支払請求権の取立てのために必要不可欠な行為であり,取立ての範囲を超えるものでもない。

したがって,受益者の被上告人に対する一部解約金支払請求権を差し押さえた債権者は,取立権の行使として,被上告人に対して解約実行請求の意思表示をすることができ,B社によって一部解約が実行されて被上告人が一部解約金の交付を受けたときは,被上告人から上記一部解約金支払請求権を取り立てることができるものと解するのが相当である。

(2) Dは,本件訴状の送達をもって被上告人に対して本件解約実行請求の意思表示を行ったものであり,これは,差押債権者の取立権に基づくものとして,被上告人に対してB社に対する本件解約実行請求の通知義務を生じさせるものということができる。

ところが,前記事実関係によれば,被上告人は本件解約実行請求があったことをB社に通知しておらず,そのためB社も本件解約実行請求に基づく一部解約の実行をしていないことがうかがわれる。

前記のとおり,B社は,解約実行請求があった場合には,受益者に対し,一部解約を実行して一部解約金を支払う義務を負っているが,被上告人が上記通知をしなければ,B社による一部解約の実行及び一部解約金の被上告人への交付によって前記条件が成就することはなく,被上告人は上告人らに対して一部解約金の支払義務を負わないことになるというべきであるから,被上告人が上記通知をしないことについて民法130条所定の要件が充足されるのであれば,同条により前記条件が成就したものとみなされ,被上告人は,上告人らに対して本件解約実行請求に基づく一部解約金の支払義務を負う余地がある。

(3) 以上によれば,Aが被上告人に対して前記のような条件の付いた一部解約金支払請求権を有することを認めず,上告人らが同請求権を差し押さえ,取立権の行使として被上告人に対して解約実行請求の意思表示をすることも認められないかのように判示し,これを前提に上告人らの民法130条に基づく主張を排斥した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいう限度において理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,同条に基づく主張の当否等について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。

参考図

Judgment Summary:

For the MMF (Money Management Fund), which is a securities investment trust:
(1) According to the investment trust agreement, the redemption of beneficiary securities is done by the beneficiary requesting the trustee to execute the termination of the trust contract. This request for execution of termination can be made to the trustee or the company that sold the beneficiary securities. The trustee, when receiving such a request, shall terminate part of the trust contract, and the partial termination amount shall be paid to the beneficiary at the business offices of the aforementioned company.
(2) The aforementioned company, apart from selling beneficiary securities on behalf of the trustee, also receives requests for execution of terminations and handles the payment of partial termination amounts. The beneficiary securities are kept in protective custody with the aforementioned company.
(3) According to the comprehensive investment trust transaction regulations between the aforementioned company and the beneficiary, applications for purchase and termination of beneficiary securities are accepted at the company's stores, etc., and termination amounts are deposited into the beneficiary's bank account on specified days. Under these conditions, the aforementioned company bears the obligation to pay the partial termination amount to the beneficiary who requested termination, contingent upon receiving the partial termination amount from the trustee. The beneficiary holds the right to request this contingent payment from the aforementioned company.

For the MMF (Money Management Fund), which is a securities investment trust:
(1) As in the first point, based on the investment trust agreement, the redemption of beneficiary securities happens through a process, where the beneficiary requests the trustee to execute the termination, and the partial termination amount is determined and paid by certain rules.
(2) The aforementioned company is entrusted by the trustee with tasks beyond selling beneficiary securities, such as handling requests for execution of terminations. For beneficiary securities that are kept in protective custody with the aforementioned company, if a creditor seizes the right of the beneficiary to request the aforementioned company for a partial termination amount, conditioned upon the company receiving the partial termination amount from the trustee, this creditor can express the intention to request termination to the company. When the trustee executes a partial termination and the aforementioned company receives the partial termination amount, the creditor can collect this claim from the company.

弁護士中山知行