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上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

意思能力のある子がその自由意思に基づいて拘束者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情があるとされた事例

 昭和61年7月18日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
一 子が意思能力を有していても自由意思に基づいて監護者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情がある場合には、監護者の子に対する監護は、なお人身保護法及び同規則にいう拘束に当たる。
二 監護権を有しない者の監護下にある子が、現在、意思能力を有し、その監護に服することを受容するとともに、監護権を有する者の監護に服することに反対しているとしても、意思能力の全くない当時から引き続き監護権を有しない者の監護を受けてきたものであり、その間、右の監護者が、子の引渡を拒絶するとともに、監護権を有する者に対する嫌悪と畏怖の念を抱かざるをえないように教え込んできた結果、子が右のような意思を形成するに至つたときには、当該子が自由意思に基づいて監護権を有しない者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情があるものというべきである。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/728/052728_hanrei.pdf

 

 原審は、

(一) 被拘束者は千葉県に在住する上告人ら夫婦の第二子・長男として昭和四九年五月二九日に出生したものであるが、上告人らは、家計上の都合により、被拘束者の生後間もないころに、上告人Aの異母弟であつて、長崎県に在住する被上告人B1及びその妻である同B2にその養育を委託した、

(二) (1) 上告人らは、昭和五一年被上告人らに対し、被拘束者の返還引渡を求めたが、なお一年育てたいとの被上告人らの意向を酌んでやむなく被拘束者の保育園入園時期までこれを求めないこととした、

(2) 被上告人らは、昭和五三年三月には上告人らに被拘束者をいつたんは引き渡したが、その直後誘拐されたとして警察官を同道し、長崎空港において出発直前の上告人らから被拘束者を取り戻した、

(3) 上告人らは、その後親戚らに仲介を頼んだりして被上告人らと交渉を繰り返し、被上告人らは、その都度「学齢の一年前まで」、「就学まで」などと被拘束者を返還する旨の約束を反覆し、その趣旨の誓約書まで書いたことがあるにもかかわらず、結局これに応じなかつた、

(4) このため、上告人らは、昭和五六年被上告人らを被告として長崎地方裁判所佐世保支部に親権妨害等を理由として被拘束者の引渡等を求める訴えを提起し、第一、二審、上告審とも勝訴し、この確定判決に基づき強制執行の申立をするに至つたが、更に円満解決のため、昭和六〇年一月佐世保簡易裁判所において、被上告人らと、同年三月二六日限り被上告人らから被拘束者の引渡を受けること等を内容とする裁判上の和解をした、

(5) しかし、被上告人らは、なおも任意の引渡に応じることなく、上告人らが申し立てた右和解調書に基づく強制執行につき停止決定を得たうえ、請求異議訴訟を提起して争う構えを示し、現在に至つている、

(三) 上告人らは、実子の養育を安易に他に委託した軽率さを真摯に反省し、一〇年以上も被上告人らにより接触を妨害されてきたにもかかわらず、被拘束者に対する実親としての変わらぬ愛情を抱き続け、法律上正当な親権者として被拘束者を引き取り共に暮したいとの自然な願望が早急に実現されるのを心から待ち望んでいる、

(四) 被上告人らは、生後間もないころから被拘束者を実子のように慈しみ育ててきたものであるけれども、事実上の監護者にすぎない自己の立場を忘れ、被拘束者に対する愛情に押し流されるまま、被拘束者を上告人らのもとに戻す約束を再三にわたつて反故にし、その間、被拘束者の気持を自己に引き止めたい一心から、日常的に上告人らに対する悪感情をあからさまにする言動をとり、しかも被拘束者に対し、上告人らの真実の姿、心情をゆがめて伝え続け、上告人らに対する不信、恐怖、憎悪の感情をむしろあおつてきた、

(五) 被拘束者は、現在小学校六年生(原審審問終結当時一一年一〇月)であり、成績は優秀で意欲に富み、感情の起伏が激しく自己中心的な面があるものの、性格は明朗であるとの評価を受けており、年齢相応の事理弁識能力に劣る点は見受けられず、被拘束者を溺愛し、これに服従的な対応をしがちな被上告人らのもとで一応安定し、同人らから離れ難く感じている反面、前記の被上告人らの言動に強く影響され、上告人らに対し強く反発して同人らを敵視し、上告人らのもとに連れ戻されることを極度に恐れている、との事実を確定したうえ、被拘束者は自己の生活環境や心身の安定に重大な影響を及ぼす上告人ら、被上告人らのいずれの監護に服すべきかという事項については、十分意思能力を有していると認めるのが相当であるから、歪曲された事実を基礎としているとはいえ、一応は自己の判断と感情に基づいて被上告人らのもとにとどまる意思を表明している以上、被拘束者が被上告人らによつて事実上監護養育されていることをもつて人身保護法にいう拘束に該当するものということはできない、と判断して、上告人らの本件請求を棄却している。

そこで、検討するのに、意思能力のない幼児の監護はそれ自体人身保護法及び同規則にいう拘束に当たると解すべきものであるが(昭和四三年七月四日第一小法廷判決)、幼児に意思能力がある場合であつても、当該幼児が自由意思に基づいて監護者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情のあるときには、右監護者の当該幼児に対する監護は、なお前記拘束に当たるものと解するのが相当である(人身保護規則五条参照)。

そして、監護権を有しない者の監護養育のもとにある子が、一応意思能力を有すると認められる状況に達し、かつ、その監護に服することを受容するとともに、監護権を有する者の監護に服することに反対の意思を表示しているとしても、右監護養育が子の意思能力の全くない当時から引き続きされてきたものであり、その間、監護権を有しない者が、監護権を有する者に子を引き渡すことを拒絶するとともに、子において監護権を有する者に対する嫌悪と畏怖の念を抱かざるをえないように教え込んできた結果、子が前記のような意思を形成するに至つたといえるような場合には、当該子が自由意思に基づいて監護権を有しない者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情があるものというべきである。

これを本件についてみるに、前記の事実関係のもとにおいては、被拘束者は自己の境遇を認識し、かつ、将来を予測して上告人らと被上告人らのいずれの監護を受け入れることが自らを幸福にするのかという事項について判断を下すに足りる意思能力に欠けるところはないものということができるが、他方、生後間もないころから被上告人らの手元で養育されてきたものであり、その間、被上告人らの上告人ら及び被拘束者に対する対応が前記のとおりであつたというのであるから、前記の説示に照らし、被拘束者が自由意思に基づいて被上告人らのもとにとどまつているとはいえない特段の事情があるものというべく、したがつて、被上告人らが被拘束者を監護する行為は、なお人身保護法及び同規則にいう拘束に当たると解すべきものである。

そして、法律上監護権を有しない者が幼児をその監護のもとにおいてこれを拘束している場合に、監護権を有する者が人身保護法に基づいて当該幼児の引渡を請求するときには、両者の監護状態の実質的な当否を比較考察し、幼児の幸福に適するか否かの観点から、監護権を有する者の監護のもとにおくことが著しく不当なものと認められないかぎり、監護権を有しない者の拘束は権限なしにされていることが顕著であるものと認めて、監護権を有する者の請求を認容すべきものであるところ(最高裁昭和四七年七月二五日第三小法廷判決、同昭和四七年九月二六日第三小法廷判決)、被上告人らは右にそつた主張をしているものと解しうるから、原審としては、右主張につき判断を加えたうえで上告人らの請求の当否を決すべきものであつたというべきである。

しかるに、原審は、右の主張の当否につき判断を加えることなく(原判決が、被拘束者を上告人らのもとにおくことの困難性について説示する部分は、右の判断をしたものと解することはできない。)、被上告人らが被拘束者を監護する行為は人身保護法及び同規則にいう拘束に当たらないと説示したのみで上告人らの請求を棄却したものであるから、原判決は、法令の解釈適用を誤つた結果、理由不備の違法を犯したものというべきである。

以上の趣旨をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、叙上の点につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。

Court Summary:

Even if a child possesses decision-making capacity, if there are "special circumstances" where it cannot be said that they remain with their guardian based on free will, then the guardian's care of the child still constitutes restraint as defined in the Personal Liberty Protection Law and its regulations.
Even if a child, currently possessing decision-making capacity and under the guardianship of someone without custody rights, accepts such guardianship and opposes being under the guardianship of someone with custody rights, if they have continuously been under the guardianship of the person without custody rights since the time when they had no decision-making capacity, and during that time, the said guardian has refused to hand over the child and has instilled in the child a sense of aversion and fear towards the person with custody rights, then when the child forms such intentions, there are "special circumstances" indicating that the child is not staying with the person without custody rights based on their free will.

弁護士中山知行