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火災保険普通保険約款上保険会社が保険金の支払につき遅滞の責めを負うべき時期

平成9年3月25日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
保険会社は保険契約者又は被保険者が保険の目的について損害が発生したことを通知し所定の書類を提出した日から三〇日以内に保険金を支払う、ただし、保険会社が右期間内に必要な調査を終えることができないときはこれを終えた後遅滞なく保険金を支払う旨の火災保険普通保険約款の条項は、右三〇日の経過により保険金支払の履行期が到来することを定めたものと解すべきであり、保険会社は、右期間内に必要な調査を終えることができなかったとしても、右期間経過後は保険金の支払について遅滞の責めを免れない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/789/052789_hanrei.pdf

 一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1 有限会社Dは、昭和五九年一二月二六日、被上告会社との間で、自らを被保険者として本件建物及び本件自動車につき「火災保険普通保険約款(一般物件用)」に従った内容の火災保険契約を締結した。

2 昭和六〇年一月三日、本件建物から出火し、本件建物及び本件自動車が焼失した。

3 被上告会社川越支社長であるEは、D代表取締役の甲から本件火災についての連絡を受け、同月五日、本件火災現場を視察した。

4 埼玉県本庄警察署は、本件火災発生直後から非現住建造物等放火事件として県警本部と合同で捜査を開始し、目撃者やDの従業員らから事情を聴取するとともに、甲をその有力容疑者と目して、昭和六〇年七月一八日、同人を別件の不動産侵奪の被疑事件により逮捕し、本件放火事件についての取調べも行ったが、結局、決め手を得るに至らなかったため、本件放火事件については、被疑者不詳のままとされ、平成四年一月二日の経過により公訴時効が完成した。 

5 前記約款には、次のような各条項がある。

  (一) 二条一項には、保険契約者、被保険者又はこれらの者の法定代理人(保険契約者又は被保険者(以下「保険契約者等」という。)が法人であるときは、その理事、取締役又は法人の業務を執行するその他の機関)の故意若しくは重大な過失又は法令違反によって生じた損害については、保険会社は保険金を支払わない旨が定められている。

  (二) 一七条一項には、保険契約者等は、保険の目的について損害が生じたことを知ったときは、遅滞なく書面をもってこれを保険会社に通知し、かつ、損害見積書に保険会社の要求するその他の書類を添えて、損害の発生を通知した日から三〇日以内に保険会社に提出しなければならない旨が定められており、同条四項には、保険契約者等が正当な理由がないのに同条一項の規定に違反したとき又は提出書類につき知っている事実を表示せず若しくは不実の表示をしたときは、保険会社は保険金を支払わない旨が定められている。

  (三) 二二条には、次のとおり定められている。
    「当会社は、保険契約者または被保険者が第一七条(損害または傷害発生の場合の手続)の規定による手続をした日から三〇日以内に、保険金を支払います。
ただし、当会社が、この期間内に必要な調査を終えることができないときは、これを終えた後、遅滞なく、保険金を支払います。」

 二 本件請求は、Dの本件保険契約に基づく保険金請求権を転付命令により取得した上告信用組合が、被上告会社に対して保険金及びこれに対する昭和六〇年二月五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものであるが、被上告会社は、本件火災は甲の放火によるものであり、約款二条一項の免責事由が存在するなどと主張して、これを争っている。
  原審は、(一) 本件火災が甲の放火によるものと認めるには足りないとして被上告会社の免責の主張を排斥した上、(二) Dが本件火災につき約款一七条に定める手続を履践したかどうかは明らかでないが、被上告会社川越支社長であるEが昭和六〇年一月五日に本件火災現場を視察したことに照らすと、正当な理由のない手続違反の請求ということはできないとして、被上告会社は保険金二五四七万六一五〇円を支払うべきものとしたが、(三) 本件では、甲が逮捕され、公訴時効が完成するまで捜査が継続されていたものであって、保険契約者等が保険の目的物の放火罪の被告人として訴追を受けている場合と同様に、公訴時効が完成するまで必要な調査を終えることができなかったというべきであるから、約款二二条ただし書により、被上告会社は時効期間の末日である平成四年一月二日が経過するまでは遅滞の責めを負わないとして、右保険金額に対する遅延損害金の請求のうち同日までの分を棄却した。

 三 しかしながら、原審の右判断中(三)の部分は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

 1 損害保険契約は、保険契約者において保険料の支払義務を負う反面、保険会社は、保険事故の発生により被保険者が損害を被った場合に、当然に右損害をてん補する義務を負う双務契約である(商法六二九条参照)。そして、保険契約者の側における義務は保険料の支払により既に履行されているものであり、また、損害の発生後そのてん補がされないまま日時が経過するときは、被保険者の損害の範囲が事後的に拡大することも想定されるから、それらの事情にかんがみれば、保険会社側の損害てん補の義務は、損害発生後、遅滞なく履行されることが期待されているものといわなければならない。

もっとも、保険金の支払に当たっては、これに先立って、保険会社において損害の範囲の確定、損害額の評価、免責事由の有無等について調査を行う必要のあることは、当然予想されるところである。したがって、このような保険制度に内在する手続上の必要を考慮すれば、保険契約者等から保険金支払の請求がされた後も、調査のために必要な一定期間内は保険会社が保険金支払について遅滞の責めを負わないとすることにはそれなりの合理性があり、その旨を約款で定めたとしても、その期間が調査のために通常必要とされる合理的な範囲内であって、これにより被保険者が損害発生後遅滞なく損害のてん補を受ける利益が実質的に害されない限り、その規定は有効なものといわなければならない。

約款二二条本文は、同一七条の規定による手続をした日から三〇日の期間を猶予期間として定めているが、右の事情に照らせば、この条項は正にこの趣旨を定めたものとみることができ、そのことからすれば、約款二二条本文は、右猶予期間の経過により保険金支払の履行期が到来することを定めた保険金支払時期についての約定と解することができる。

他方、約款二二条ただし書は、保険会社が右猶予期間内に必要な調査を終えることができないときは、これを終えた後、遅滞なく保険金を支払う旨を定めている。

しかし、右ただし書の文言は極めて抽象的であって、何をもって必要な調査というのかが条項上明らかでないのみならず、保険会社において必要な調査を終えるべき期間も明示的に限定されていない。

加えて、保険会社において所定の猶予期間内に必要な調査を終えることができなかった場合に、一方的に保険契約者等の側のみに保険金支払時期が延伸されることによる不利益を負担させ、他方保険会社の側は支払期限猶予の利益を得るとするならば、それは前判示の損害保険契約の趣旨、目的と相いれないところである。

したがって、保険契約者等が調査を妨害したなど特段の事情がある場合を除き、保険金支払時期の延伸について保険会社が全く責めを負わないという結果を直ちに是認すべき合理的理由を見いだすことはできない。

以上を勘案すれば、同条ただし書は、これ自体では保険契約者等の法律上の権利義務の内容を定めた特約と解することはできず、保険会社において、所定の猶予期間内に調査を終えることができなかった場合にあっても、速やかにこれを終えて保険金を支払うべき旨の事務処理上の準則を明らかにしたものと解するほかはない。

そうすると、危険防止のために被災現場への立入りが制限されていたなど、保険会社と保険契約者等のいずれの責めに帰することもできない理由により猶予期間内に所要の調査を終えることができなかった場合にも、保険会社は、保険金に猶予期間経過後の遅延損害金を付して支払わなければならないことになるが、さきに判示したところに照らせば、むしろ、このように解することが、当事者間の衡平にかなうとともに、損害保険契約における双方当事者の意思に沿うものというべきである。

これを要するに、約款二二条は、保険契約者等が保険の目的物に損害が発生したことを保険会社に通知し、所定の書類を提出したときは、その日から三〇日の経過により保険金支払についての履行期が到来することを定めたものであって、保険会社は、右期間内に必要な調査を終えることができなかったとしても、右期間経過後は保険金の支払について遅滞の責めを負うものと解するのが相当である。

 2 これと異なる見解に立って、平成四年一月二日が経過するまで保険金支払の履行期が到来しないとして、保険金二五四七万六一五〇円に対する遅延損害金の請求のうち同日までの分を棄却した原審の判断には、約款の解釈を誤った違法がある。

 3 そして、前記の原審認定事実によれば、特段の事情の認められない本件においては、遅くともEが本件火災現場を視察した日である昭和六〇年一月五日から三〇日が経過した日をもって、約款一七条所定の手続がされた日とみるのが相当であるから、その日から約款二二条所定の三〇日が経過した時に保険金支払の履行期が到来したものというべきであり、被上告会社は、保険金二五四七万六一五〇円及びこれに対する昭和六〇年三月七日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべきものである。論旨は右の限度において理由があり、原判決中、遅延損害金の請求のうち同日から平成四年一月二日までの分を棄却した部分は破棄を免れない。