最高裁判例の勉強部屋:毎日数個の最高裁判例を読む

上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

火災保険契約の申込者が同契約に附帯して地震保険契約を締結するか否かの意思決定をするに当たり保険会社側からの地震保険の内容等に関する情報の提供や説明に不十分な点があったとしても慰謝料請求権の発生を肯認し得る違法行為と評価すべき特段の事情が存するものとはいえないとされた事例

平成15年12月9日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
1 火災保険契約の申込者は,特段の事情が存しない限り,同契約に附帯して地震保険契約を締結するか否かの意思決定をするに当たり保険会社側からの地震保険の内容等に関する情報の提供や説明に不十分,不適切な点があったことを理由として,慰謝料を請求することはできない。

2 火災保険契約の申込者が,同契約を締結するに当たり,同契約に附帯して地震保険契約を締結するか否かの意思決定をする場合において,火災保険契約の申込書には「地震保険は申し込みません」との記載のある欄が設けられ,申込者が地震保険に加入しない場合にはこの欄に押印をすることとされていること,当該申込者が上記欄に自らの意思に基づき押印をしたこと,保険会社が当該申込者に対し地震保険の内容等について意図的にこれを秘匿したという事実はないことなど判示の事情の下においては,保険会社側に,火災保険契約の申込者に対する地震保険の内容等に関する情報の提供や説明において不十分な点があったとしても,慰謝料請求権の発生を肯認し得る違法行為と評価すべき特段の事情が存するものとはいえない。

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52358

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/358/052358_hanrei.pdf

 1 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

 (1) 被上告人B1は原判決別表30の家財(「本件家財」)を,被上告人B2は同表31の建物(「本件建物」)を,それぞれ所有し,又は占有していた。

 (2) 平成7年1月17日午前5時46分,阪神・淡路大震災が発生した(以下,この震災に係る地震を「本件地震」という。)。同日午後2時ころ,神戸市a区b町c丁目d番e号所在の株式会社Dの店舗から出火し,これが延焼,拡大して,本件建物及び本件家財を含む85棟の建物等が全焼するなどの被害が発生した(「本件火災」)。

 (3) 被上告人B1は本件家財につき,被上告人B2は本件建物につき,本件地震の発生以前に,上告人との間で,それぞれ火災保険契約(以下「本件各火災保険契約」という。)を締結した。本件各火災保険契約に適用される保険約款には,地震等によって生じた損害(地震等によって発生した火災等が延焼又は拡大して生じた損害及び発生原因のいかんを問わず火災等が地震等によって延焼又は拡大して生じた損害を含む。)に対しては,保険金を支払わない旨の条項(「地震免責条項」)がある。
 本件家財及び本件建物が焼失したのは,上記のとおり,株式会社Dの店舗を火元とする火災が本件地震によって延焼又は拡大したことによるものであり,本件家財及び本件建物の焼失は,地震免責条項所定の地震等によって生じた損害に該当するものである。

 (4) 火災保険契約に適用される保険約款には,上記のように地震免責条項が定められているのが一般的であり,他方,地震を原因とする火災等により生ずる損害をてん補するものとして,地震保険に関する法律に基づき,地震保険の制度が設けられている。
 地震保険契約は,単独では締結することができず,特定の損害保険契約に附帯して締結するものとされている(同法2条2項3号)。各保険会社の事業方法書によれば,地震保険は,火災保険等の契約者が地震保険を附帯しない旨の申出をしない限り,火災保険契約等に附帯して引き受けるものとされており,上記申出がない場合には,保険会社と当該契約者との間で,地震保険の保険金額と保険料についての合意をした上で地震保険契約が締結されることとなる。そして,火災保険の契約者が地震保険にも加入するか否かの意思を確認するために,火災保険契約の申込書には,一般的に,「地震保険ご確認欄」(地震保険を申し込まない旨の文言が記載されている欄。「地震保険不加入意思確認欄」)が設けられており,地震保険の附帯を希望しない契約者は,その欄に押印をすることとされている。
 被上告人らは,いずれも本件各火災保険契約の申込書の「地震保険は申し込みません」との記載のある地震保険不加入意思確認欄に自らの意思に基づき押印をしており,上告人と被上告人らとの間で,本件地震が発生する前に地震保険契約が締結されたとの事実はない。
 上告人は,被上告人らに対し,本件各火災保険契約の締結に当たり,地震保険の内容(地震免責条項を含む。)及び地震保険不加入意思確認欄への押印をすることの意味内容に関する事項(「本件地震保険に関する事項」)について,特段の情報提供や説明をしなかったが,これらの事項を意図的に秘匿した上で,同欄への押印を要求したなどという事実はない。

 2 被上告人らは,上告人に対し,

(1) 主位的請求として,本件地震後に発生した本件火災により本件各火災保険契約の目的物が焼失したと主張して,本件各火災保険契約に基づき,火災保険金の支払を求め,

(2) 予備的請求(その1)として,被上告人らは,上告人に対し,本件各火災保険契約の締結に当たって,地震保険を附帯しない旨の有効な申出をしていないから,上告人と被上告人らとの間で地震保険契約が締結されたことになるなどと主張して,同契約に基づき,地震保険金の支払を求め,

(3) 予備的請求(その2)として,上告人は,本件各火災保険契約の締結をする際に,被上告人らに対し,本件地震保険に関する事項について情報提供や説明をすべき義務があったにもかかわらず,これを怠ったなどと主張して,保険募集の取締に関する法律(「募取法」,同法は,平成7年法律第105号により廃止された。)11条1項,不法行為債務不履行又は契約締結上の過失に基づき,第1次的には,財産上の損害賠償として火災保険金相当額の支払又は地震保険金相当額から保険料相当額を控除した差額金の支払を,第2次的には,精神的苦痛に対する慰謝料として地震保険金相当額から保険料相当額を控除した差額金の支払を,それぞれ求めた。

 3 原審は,被上告人らの主位的請求,予備的請求(その1)及び予備的請求(その2)のうちの上記第1次的請求(財産上の損害賠償請求)は,いずれも棄却したが,予備的請求(その2)のうちの上記第2次的請求(慰謝料請求)については,次のとおり判断して,被上告人らの請求を一部認容した。

 (1) 本件地震保険に関する事項についての情報は,火災保険契約を締結しようとする者が地震災害にどのように対処するかを決定するに当たって不可欠の情報であり,募取法16条1項1号所定の「保険契約の契約条項のうち重要な事項」に該当すると解されること,保険会社と火災保険の契約者との間において地震保険に関する情報面での格差が著しいことなどからすると,上告人は,被上告人らに対し,本件各火災保険契約の締結に当たって,本件地震保険に関する事項(地震保険の内容及び地震保険不加入意思確認欄への押印の意味,すなわち同欄への押印によって地震保険不附帯の法律効果が生ずること)についての情報提供や説明をすべき信義則上の義務があるというべきである。
 しかるに,上告人は,被上告人らに対し,上記の義務の履行を怠った。

 (2) 上告人が,被上告人らに対し,上記の義務を履行することによって,被上告人らが地震保険契約の申込みをした可能性も否定できないのであって,この自己決定の機会を喪失したことにより被上告人らが被った精神的苦痛は,上告人の上記の義務の違反と相当因果関係のある損害である。

 (3) そして,被上告人らが被った精神的苦痛に対する慰謝料としては,地震保険金相当額から保険料相当額を控除した差額金の10分の1の金額が相当である。

 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 原審の上記判断に係る被上告人らの上記予備的請求(その2)のうちの第2次的請求(慰謝料請求)は,要するに,被上告人らは,上告人側から本件地震保険に関する事項について適切な情報提供や説明を受けなかったことにより,正確かつ十分な情報の下に地震保険に加入するか否かについての意思を決定する機会が奪われたとして,上告人に対し,これによって被上告人らが被った精神的損害のてん補としての慰謝料の支払を求めるものである。【要旨1】このような地震保険に加入するか否かについての意思決定は,生命,身体等の人格的利益に関するものではなく,財産的利益に関するものであることにかんがみると,この意思決定に関し,仮に保険会社側からの情報の提供や説明に何らかの不十分,不適切な点があったとしても,特段の事情が存しない限り,これをもって慰謝料請求権の発生を肯認し得る違法行為と評価することはできないものというべきである。
 このような見地に立って,本件をみるに,前記の事実関係等によれば,次のことが明らかである。

(1) 本件各火災保険契約の申込書には,「地震保険は申し込みません」との記載のある地震保険不加入意思確認欄が設けられ,申込者が地震保険に加入しない場合には,その欄に押印をすることになっている。申込書にこの欄が設けられていることによって,火災保険契約の申込みをしようとする者に対し,①火災保険とは別に地震保険が存在すること,②両者は別個の保険であって,前者の保険に加入したとしても,後者の保険に加入したことにはならないこと,③申込者がこの欄に押印をした場合には,地震保険に加入しないことになることについての情報が提供されているものとみるべきであって,申込者である被上告人らは,申込書に記載されたこれらの情報を基に,上告人に対し,火災保険及び地震保険に関する更に詳細な情報(両保険がてん補する範囲,地震免責条項の内容,地震保険に加入する場合のその保険料等に関する情報)の提供を求め得る十分な機会があった。

(2) 被上告人らは,いずれも,この欄に自らの意思に基づき押印をしたのであって,上告人側から提供された上記①~③の情報の内容を理解し,この欄に押印をすることの意味を理解していたことがうかがわれる。

(3) 上告人が,被上告人らに対し,本件各火災保険契約の締結に当たって,本件地震保険に関する事項について意図的にこれを秘匿したなどという事実はない。
 【要旨2】これらの諸点に照らすと,本件各火災保険契約の締結に当たり,上告人側に,被上告人らに対する本件地震保険に関する事項についての情報提供や説明において,不十分な点があったとしても,前記特段の事情が存するものとはいえないから,これをもって慰謝料請求権の発生を肯認し得る違法行為と評価することはできないものというべきである。したがって,前記の事実関係の下において,被上告人らの上告人に対する前記の募取法11条1項,不法行為債務不履行及び契約締結上の過失に基づく慰謝料請求が理由のないことは明らかである。

 5 以上によれば,上告人の被上告人らに対する慰謝料の支払義務を肯定した原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,被上告人らの情報提供・説明の義務違反を理由とする損害賠償請求は理由がなく,これを棄却した第1審判決は結論において正当であるから,上記部分に対する被上告人らの控訴を棄却すべきである。