大学がその主催する講演会に参加を申し込んだ学生の氏名,住所等の情報を警察に開示した行為が不法行為を構成するとされた事例
平成15年9月12日最高裁判所第二小法廷判決
裁判要旨
1 大学が講演会の主催者として学生から参加者を募る際に収集した参加申込者の学籍番号,氏名,住所及び電話番号に係る情報は,参加申込者のプライバシーに係る情報として法的保護の対象となる。
2 大学が講演会の主催者として学生から参加者を募る際に収集した参加申込者の学籍番号,氏名,住所及び電話番号に係る情報を参加申込者に無断で警察に開示した行為は,大学が開示についてあらかじめ参加申込者の承諾を求めることが困難であった特別の事情がうかがわれないという事実関係の下では,参加申込者のプライバシーを侵害するものとして不法行為を構成する
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52357
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/357/052357_hanrei.pdf
1 原審の確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
(1) 被上告人は,D大学等を設置する学校法人である。D大学は,かねてより,諸外国の要人が来日した際,同大学へ招いて,その講演会を開催してきた。D大学は,平成10年7月下旬ころ,中華人民共和国大使館から,同国のE国家主席が,同年秋ころに来日する際,同大学を訪問したい旨の連絡を受け,同主席の講演会を開催することを計画し,警視庁,外務省,同大使館等と打ち合わせた上,同年11月28日に同大学のF講堂において同主席による本件講演会を開催することを決定し,同大学の学生に対し参加を募ることにした。
(2) 本件講演会の参加の申込みは,平成10年11月18日から同月24日までの間にD大学の各学部事務所,各大学院事務所及びGセンターに備え置かれた本件名簿に,希望者が氏名等を記入してすることとされた。本件名簿の用紙には,最上段の欄外に「中華人民共和国主席E閣下講演会参加者」との表題が印刷され,その下に,横書きで学籍番号,氏名,住所及び電話番号の各記入欄が設けられ,参加申込者が1人ずつ記入できるよう,1行ごとに横線が引かれて各欄が囲われていた。
上記用紙には,1枚につき,15名の参加申込者が記入できるよう,15行の欄が設けられていた。そして,本件名簿に氏名等を記入して本件講演会に参加を申し込んだ学生に対しては,参加証等が交付された。
(3) 上告人らは,当時D大学の学生であったが,本件講演会への参加を申し込み,本件名簿にその氏名等を記入して,参加証等の交付を受けた。
(4) D大学は,本件講演会を準備するに当たり,警視庁,外務省,中華人民共和国大使館等から,警備体制について万全を期すよう要請されていた。そこで,D大学の職員,警視庁の担当者,外務省及び中華人民共和国大使館の各職員らの間において,平成10年7月下旬ころから,数回にわたり,打合せが行われた。その中で,D大学は,警視庁から,警備のため,本件講演会に出席する者の名簿を提出するよう要請された。
(5) このような要請を受けて,D大学は,内部での議論を経て,本件講演会の警備を警察にゆだねるべく,本件名簿を提出することとした。そこで,総務部管理課において,平成10年11月25日までに各事務所等から学生部に届けられた本件名簿の写しの提供を受け,同課の職員が,同日又は翌26日の夜,その本件名簿の写しを,D大学の教職員,留学生,プレス関係者等その他のグループの参加申込者の各名簿と併せて,警視庁戸塚署に提出した。D大学は,このような本件名簿の写しの提出について,上告人らの同意は得ていない。
(6) 上告人らは,本件講演会に参加したが,E主席の講演中に座席から立ち上がって「中国の核軍拡反対」と大声で叫ぶなどしたため,私服の警察官らにより,身体を拘束されて会場の外に連れ出され,建造物侵入及び威力業務妨害の嫌疑により現行犯逮捕された。その後,上告人らは,本件講演会を妨害したことを理由としてD大学からけん責処分に付された。
2 本件は,上告人らが,被上告人に対し,違法な逮捕に協力し無効なけん責処分をしたことを理由とする損害賠償,同処分の無効確認並びに謝罪文の交付及び掲示を求めるとともに,被上告人が上告人らを含む本件講演会参加申込者の氏名等が記載された本件名簿の写しを無断で警視庁に提出したことが,上告人らのプライバシーを侵害したものであるとして,損害賠償を求めた事案である。
3 原審は,前記事実関係の下で,プライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求について,次のとおり判示し,同請求を含めて上告人らの本件請求をいずれも棄却すべきものとした。
(1) 本件名簿は,氏名等の情報のほかに,「本件講演会に参加を希望し申し込んだ学生である」との情報をも含むものであるところ,このような本件個人情報は,プライバシーの権利ないし利益として,法的保護に値するというべきであり,本件名簿は,そのような情報価値を具有するものであったことが認められる。
(2) D大学による本件名簿の警察に対する提出行為については,同大学が本件講演会参加申込者の同意を得ていたと認めるに足りる証拠はない。しかし,私生活上の情報を開示する行為が,直ちに違法性を有し,開示者が不法行為責任を負うことになると考えるのは相当ではなく,諸般の事情を総合考慮し,社会一般の人々の感受性を基準として,当該開示行為に正当な理由が存し,社会通念上許容される場合には,違法性がなく,不法行為責任を負わないと判断すべきであるところ,本件個人情報は,基本的には個人の識別などのための単純な情報にとどまるのであって,思想信条や結社の自由等とは無関係のものである上,他人に知られたくないと感ずる程度,度合いの低い性質のものであること,上告人らが本件個人情報の開示によって具体的な不利益を被ったとは認められないこと,D大学は,本件講演会の主催者として,講演者である外国要人の警備,警護に万全を期し,不測の事態の発生を未然に防止するとともに,その身辺の安全を確保するという目的に資するため本件個人情報を開示する必要性があったこと,その他,開示の目的が正当であるほか,本件個人情報の収集の目的とその開示の目的との間に一応の関連性があること等の諸事情が認められ,これらの諸事情を総合考慮すると,同大学が本件個人情報を開示することについて,事前に上告人らの同意ないし許諾を得ていないとしても,同大学が本件個人情報を開示したことは,社会通念上許容される程度を逸脱した違法なものであるとまで認めることはできず,その開示が上告人らに対し不法行為を構成するものと認めることはできない。
4 上告人らは,原判決のうちプライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求に関する部分を不服として,本件上告受理の申立てをした。
5 原審の前記判断のうち,前記3の(1)は是認することができるが,同(2)は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 本件個人情報は,D大学が重要な外国国賓講演会への出席希望者をあらかじめ把握するため,学生に提供を求めたものであるところ,学籍番号,氏名,住所及び電話番号は,D大学が個人識別等を行うための単純な情報であって,その限りにおいては,秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものではない。また,本件講演会に参加を申し込んだ学生であることも同断である。しかし,このような個人情報についても,本人が,自己が欲しない他者にはみだりにこれを開示されたくないと考えることは自然なことであり,そのことへの期待は保護されるべきものであるから,
【要旨1】本件個人情報は,上告人らのプライバシーに係る情報として法的保護の対象となるというべきである。
(2) このようなプライバシーに係る情報は,取扱い方によっては,個人の人格的な権利利益を損なうおそれのあるものであるから,慎重に取り扱われる必要がある。本件講演会の主催者として参加者を募る際に上告人らの本件個人情報を収集したD大学は,上告人らの意思に基づかずにみだりにこれを他者に開示することは許されないというべきであるところ,
【要旨2】同大学が本件個人情報を警察に開示することをあらかじめ明示した上で本件講演会参加希望者に本件名簿へ記入させるなどして開示について承諾を求めることは容易であったものと考えられ,それが困難であった特別の事情がうかがわれない本件においては,本件個人情報を開示することについて上告人らの同意を得る手続を執ることなく,上告人らに無断で本件個人情報を警察に開示した同大学の行為は,上告人らが任意に提供したプライバシーに係る情報の適切な管理についての合理的な期待を裏切るものであり,上告人らのプライバシーを侵害するものとして不法行為を構成するというべきである。原判決の説示する本件個人情報の秘匿性の程度,開示による具体的な不利益の不存在,開示の目的の正当性と必要性などの事情は,上記結論を左右するに足りない。
6 以上のとおり,原審の前記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,論旨は理由がある。原判決中プライバシーの侵害を理由とする損害賠償請求に関する部分は破棄を免れない。そして,同部分について更に審理判断させる必要があるから,本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官亀山継夫,同梶谷玄の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。