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少年保護事件を題材として家庭裁判所調査官が執筆した論文を雑誌及び書籍において公表した行為がプライバシーの侵害として不法行為法上違法とはいえないとされた事例

令和2年10月9日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
少年保護事件を題材として家庭裁判所調査官が執筆した論文を雑誌及び書籍に掲載して公表した場合において,少年のプライバシーに属する情報が上記論文に含まれており,当該情報が上記少年保護事件における上記家庭裁判所調査官の調査によって取得されたものであったとしても,次の⑴~⑶など判示の事情の下においては,当該情報に係る事実を公表されない法的利益がこれを公表する理由に優越するとまではいえず,上記の公表行為は,プライバシーを侵害したものとして不法行為法上違法であるということはできない。

⑴ 上記論文は,社会の関心を集めつつあったアスペルガー症候群の特性が非行事例でどのように現れるのか等を明らかにするという目的で執筆された。
⑵ 上記論文の公表は,医療関係者や研究者等を読者とする専門誌や専門書籍に掲載する方法で行われた。
⑶ 上記論文には,上記少年やその関係者を直接特定した記載部分や事実関係の時期を特定した記載部分はなかった。
(意見がある。)

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=89757

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/757/089757_hanrei.pdf

家庭裁判所調査官であった上告人Y1は,被上告人に対する少年保護事件を題材とした論文を精神医学関係者向けの雑誌及び書籍に掲載して公表した。本件は,被上告人が,この公表等によりプライバシーを侵害されたなどと主張して,上告人Y1,上記雑誌の出版社である上告人アークメディア及び上記書籍の出版社である上告人金剛出版に対し,不法行為に基づく損害賠償を求める事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は,次のとおりである。

(1)ア 被上告人(当時17歳)は,平成N年,ナイフをリュックサックの中に入れて持ち歩いたという非行事実に係る銃砲刀剣類所持等取締法違反保護事件(「本件保護事件」)について東京家庭裁判所に送致された。本件保護事件は,平成N+1年 月,不処分により終了した。被上告人は,先天的な発達障害の一種であるアスペルガー症候群(「本件疾患」)を有するとの診断を受けていた。

東京家庭裁判所家庭裁判所調査官であった上告人Y1は,本件保護事件の調査を担当し,被上告人や父親からの聞き取り調査等を行った。なお,上告人Y1は,臨床心理士の資格を有し,発達障害に関する学会発表等の活動もしており,裁判所の研修機関が編集する専門誌において,広汎性発達障害に関する論文を発表したこともあった。

(2)ア 上告人アークメディアは,その発行に係る臨床精神医学に関する月刊誌(「本件月刊誌」)において,本件疾患の症例報告に関する公募論文の特集を行うこととし,平成N+1年 月末を締切りとして論文を公募した。この特集の趣旨は,本件疾患が,その頻度の多さ,見過ごされた成人例とその転帰の問題,一部でみられる触法問題等から,精神医学全体の大きな課題となっていることに注目し,その臨床知識を共有することをもって,精神医学,臨床心理学その他関連領域における研究活動の促進を図るとともに,本件疾患に対する正しい理解を広めることにあった。本件月刊誌は,精神医学の臨床や研究に関与する医療関係者等を読者と想定して市販されている専門誌であった。

イ 上告人Y1は,平成N+1年 月以降,大阪家庭裁判所において勤務していたが,同月頃,本件月刊誌の編集委員長である大学教授から上記公募論文の執筆を勧められ,社会の関心を集めつつあった本件疾患の特性が非行事例でどのように現れるのか,司法機関の枠組みの中でどのように本件疾患を有する者に関わることが有効であるのかを明らかにするという目的で,本件保護事件を題材とした論文(「本件論文」)を執筆し,上記の公募に応募した。

ウ 上告人アークメディアは,本件論文を採用し,これを平成N+1年 月発行の本件月刊誌(以下「本件掲載誌」という。)に掲載した(以下,上告人Y1が本件論文を本件掲載誌において公表した行為を「本件公表」という。)。被上告人は,本件公表の当時,19歳であった。

(3) 上告人Y1は,本件保護事件における調査の際に作成した手控えを基礎資料として本件論文を執筆した。その内容は,本件掲載誌における論文特集の前記趣旨に沿ったものであった。上告人Y1は,本件論文において取り上げた「少年」(「対象少年」)が容易に特定されることがないように,対象少年の氏名や住所等の記載を省略しており,本件論文には,対象少年やその関係者を直接特定した記載部分はなく,対象少年や父親の年齢等を記載した箇所はあるものの,本件保護事件が係属した時期など,本件論文に記載された事実関係の時期を特定した記載部分もなかった。
他方において,上告人Y1は,本件論文の執筆に当たり,症例の事実それ自体を加工すると本件疾患の症例報告としての学術的意義が弱まることを懸念し,本件疾患の診断基準に合致するエピソードをそのまま記載していた。また,本件論文には,対象少年の家庭環境や生育歴に関して具体的な記載がされ,学校生活における具体的な出来事も複数記載されていたことから,これらを知る者が,本件論文を読んだ場合には,その知識と照合することによって対象少年を被上告人と同定し得る可能性はあった。なお,精神医学の症例報告を内容とする論文においては,一般的に,患者の具体的な症状のほか,家族歴,既往歴,生育・生活歴,現病歴,治療経過,考察等を必須事項として正確に記載することが求められていた。
本件論文には,対象少年の非行事実の態様,母親の生育歴,小学校における評価,家庭裁判所への係属歴及び本件保護事件の調査における知能検査の状況に関する記載部分があり,これらの記載部分には,対象少年である被上告人のプライバシーに属する情報が含まれていた(以下,上記記載部分に含まれる被上告人のプライバシーに属する情報を「本件プライバシー情報」という。)。

(4) 上告人Y1は,平成N+2年 月までに家庭裁判所調査官を退官し,同年月,大学の心理学部教授に就任した。

(5) 上告人金剛出版は,平成N+4年 月,本件論文を含め,上告人Y1がそれまでに発表した論文を1冊にまとめた書籍(「本件書籍」)を出版した(以下,上告人Y1が本件論文を本件書籍に掲載して再公表した行為を「本件再公表」といい,本件公表と併せて「本件各公表」という。)。本件書籍は,少年事件において発達障害を有する者に関与した事例についての知識を共有することをもって,精神医学,臨床心理学その他関連領域における研究活動の促進を図るとともに,本件疾患を含む発達障害に対する正しい理解を広めることを目的としたものであり,研究者等を読者と想定して市販された専門書籍であった。

(6)ア 被上告人は,本件保護事件の終了後,上告人Y1と接触することはなかったが,平成N+8年 月頃に上告人Y1に連絡を取って以降,その勤務先を訪問するなどして上告人Y1と連絡を取り合うようになり,同年 月,上告人Y1から本件書籍の交付を受けた。上告人Y1は,あらかじめ被上告人の了承を得た上,本件疾患を克服して社会適応を勝ち取った例として被上告人に関するエッセイを執筆し,平成N+9年 月,これを心理学関係の雑誌に公表したこともあった。

イ 被上告人は,上告人Y1に対し,平成N+10年 月,本件書籍を出版したことに抗議し,これを絶版とすることを求める電子メールを送信し,この頃以降,上告人Y1の法的責任を追及するようになり,平成27年8月,本件訴訟を提起した。

3 原審は,上記事実関係等の下において,要旨次のとおり判断して,被上告人の上告人らに対する本件各公表に係る損害賠償請求を一部認容した。
本件論文に含まれる本件プライバシー情報は,少年保護事件の手続において得られたものであり,これを公表されない被上告人の法的利益は重要であって,本件論文の目的,本件掲載誌及び本件書籍の読者が限定されていること等を考慮しても,本件論文に記載された内容を公表する利益は,公表されない法的利益に優越しない。上告人Y1は,本件各公表によって,被上告人のプライバシーを違法に侵害したものであり,不法行為に基づく損害賠償責任を負う。上告人アークメディアは本件公表によるプライバシー侵害について,上告人金剛出版は本件再公表によるプライバシー侵害について,それぞれ上告人Y1との共同不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1) プライバシーの侵害については,その事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由とを比較衡量し,前者が後者に優越する場合に不法行為が成立するものと解される(最高裁平成6年2月8日第三小法廷判決,最高裁平成15年3月14日第二小法廷判決)。そして,本件各公表が被上告人のプライバシーを侵害したものとして不法行為法上違法となるか否かは,本件プライバシー情報の性質及び内容,本件各公表の当時における被上告人の年齢や社会的地位,本件各公表の目的や意義,本件各公表において本件プライバシー情報を開示する必要性,本件各公表によって本件プライバシー情報が伝達される範囲と被上告人が被る具体的被害の程度,本件各公表における表現媒体の性質など,本件プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益とこれを公表する理由に関する諸事情を比較衡量し,本件プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益がこれを公表する理由に優越するか否かによって判断すべきものである。

(2)ア 少年法は,少年審判を非公開とし(22条2項),審判に付された少年本人を推知させる記事等を出版物に掲載することを禁止しており(61条),少年審判規則7条1項及び2項は,少年の付添人以外の者は,同条1項に定める場合を除き,少年保護事件の記録等を閲覧又は謄写することができないと定めている。これらの規定は,少年の健全な育成を期するため(同法1条),少年に非行があったこと等が公開されることによって少年の改善更生や社会復帰に悪影響が及ぶことのないように配慮したものである。また,家庭裁判所調査官は,裁判所の命令により,少年の要保護性や改善更生の方法を明らかにするため,少年,保護者又は関係人の行状,経歴,素質,環境等について,医学,心理学,教育学,社会学その他の専門的智識を活用して調査を行う(同法8条2項,9条)のであって,その調査内容は,少年等のプライバシーに属する情報を多く含んでいるのであるから,これを対外的に公表することは原則として予定されていないものというべきである。
本件プライバシー情報は,被上告人の非行事実の態様,母親の生育歴,小学校における評価,家庭裁判所への係属歴及び本件保護事件の調査における知能検査の状況に関するものであるところ,これらは,いずれも本件保護事件における調査によって取得されたものであり,上記規定の趣旨等に鑑みても,その秘匿性は極めて高い。また,被上告人は,本件公表の当時,19歳であり,その改善更生等に悪影響が及ぶことのないように配慮を受けるべき地位にあった。さらに,本件保護事件の性質や処分結果等に照らしても,被上告人において,本件保護事件の内容等が出版物に掲載されるといったことは想定し難いものであったということもできる。

イ 他方において,本件掲載誌における論文特集の趣旨は,本件疾患の臨床知識を共有することをもって,研究活動の促進を図るとともに,本件疾患に対する正しい理解を広めることにあったところ,上告人Y1は,このような論文特集のための公募に応じ,本件保護事件を題材とした本件論文を執筆したものである。上告人Y1は,社会の関心を集めつつあった本件疾患の特性が非行事例でどのように現れるのか,司法機関の枠組みの中でどのように本件疾患を有する者に関わることが有効であるのかを明らかにするという目的で本件論文を執筆しており,その内容が上記論文特集の趣旨に沿ったものであったこと,本件各公表が医療関係者や研究者等を読者とする専門誌や専門書籍に掲載する方法で行われたこと等に鑑み,本件各公表の目的は重要な公益を図ることにあったということができる。そして,精神医学の症例報告を内容とする論文では,一般的に,患者の家族歴,生育・生活歴等も必須事項として正確に記載することが求められていたというのであり,本件論文の趣旨及び内容に照らしても,本件プライバシー情報に係る事実を記載することは本件論文にとって必要なものであったということができる。
また,本件論文には,対象少年やその関係者を直接特定した記載部分はなく,事実関係の時期を特定した記載部分もなかったのであり,上告人Y1は,本件論文の執筆に当たり,対象少年である被上告人のプライバシーに対する配慮もしていたということができる。もっとも,被上告人と面識があること等から本件論文に記載された事実関係を知る者が,本件論文を読んだ場合には,その知識と照合することによって対象少年を被上告人と同定し得る可能性はあったものである。しかしながら,本件論文に記載された事実関係を知る者の範囲は限定されており,本件論文が医療関係者や研究者等を読者とする専門誌や専門書籍に掲載するという方法で公表されたことからすると,本件論文の読者が対象少年を被上告人と同定し,そのことから被上告人に具体的被害が生ずるといった事態が起こる可能性は相当低かったものというべきである。そして,このことは,実際に,上告人Y1が被上告人に本件書籍を交付する以前において,被上告人又は被上告人と面識のある者等が,本件論文又は本件書籍を読んで,対象少年を被上告人と同定し,本件各公表が被上告人の改善更生等に悪影響を及ぼしたなどといった事情がうかがわれないことからも裏付けられている。

ウ 以上の諸事情に照らすと,本件プライバシー情報に係る事実を公表されない法的利益がこれを公表する理由に優越するとまではいい難い。したがって,本件各公表が被上告人のプライバシーを侵害したものとして不法行為法上違法であるということはできない。そうすると,本件各公表が違法であることを理由とする被上告人の上告人らに対する損害賠償請求は,いずれも理由がない。

5 以上と異なる原審の前記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決中,被上告人の上告人らに対する共同不法行為に基づく損害賠償請求を認容した部分は破棄を免れない。そして,以上に説示したところによれば,被上告人の上告人らに対する上記損害賠償請求をいずれも棄却した第1審判決は正当であるから,上記破棄部分につき,被上告人の控訴を棄却すべきである。
なお,上告人Y1のその余の上告については,上告受理申立ての理由を記載した書面を提出しないから,これを却下することとする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官草野耕一の意見がある。