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上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有している患者に対して医師がほかに救命手段がない事態に至った場合には輸血するとの方針を採っていることを説明しないで手術を施行して輸血をした場合において右医師の不法行為責任が認められた事例

 平成12年2月29日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
医師が、患者が宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有し、輸血を伴わないで肝臓のしゅようを摘出する手術を受けることができるものと期待して入院したことを知っており、右手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、ほかに救命手段がない事態に至った場合には輸血するとの方針を採っていることを説明しないで右手術を施行し、患者に輸血をしたなど判示の事実関係の下においては、右医師は、患者が右手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪われたことによって被った精神的苦痛を慰謝すべく不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/218/052218_hanrei.pdf

 

 一 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

 1 亡T(「T」)は、昭和四年一月五日に出生し、同三八年から「U」の信者であって、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を受けることは拒否するという固い意思を有していた。Tの夫である被上告人・附帯上告人B1(「被上告人B1」)は、「U」の信者ではないが、Tの右意思を尊重しており、同人の長男である被上告人・附帯上告人B2(「被上告人B2」)は、その信者である。

 2 上告人・附帯被上告人(「上告人」)が設置し、運営しているV病院(「V」)に医師として勤務していたWは、「U」の信者に協力的な医師を紹介するなどの活動をしている「U」の医療機関連絡委員会(「連絡委員会」)のメンバーの間で、輸血を伴わない手術をした例を有することで知られていた。しかし、Vにおいては、外科手術を受ける患者が「U」の信者である場合、右信者が、輸血を受けるのを拒否することを尊重し、できる限り輸血をしないことにするが、輸血以外には救命手段がない事態に至ったときは、患者及びその家族の諾否にかかわらず輸血する、という方針を採用していた。

 3 Tは、平成四年六月一七日、国家公務員共済組合連合会X病院に入院し、同年七月六日、悪性の肝臓血管腫との診断結果を伝えられたが、同病院の医師から、 輸血をしないで手術することはできないと言われたことから、同月一一日、同病院を退院し、輸血を伴わない手術を受けることができる医療機関を探した。

 4 連絡委員会のメンバーが、平成四年七月二七日、W医師に対し、Tは肝臓がんに罹患していると思われるので、その診察を依頼したい旨を連絡したところ、同医師は、これを了解し、右メンバーに対して、がんが転移していなければ輸血をしないで手術することが可能であるから、すぐ検査を受けるようにと述べた。

 5 Tは、平成四年八月一八日、Vに入院し、同年九月一六日、肝臓の腫瘍を摘出する手術(「本件手術」)を受けたが、その間、同人、被上告人B1及び同B2は、W医師並びにVに医師として勤務していたY及びZ(以下、右三人の医師を「W医師ら」という。)に対し、Tは輸血を受けることができない旨を伝えた。被上告人B2は、同月一四日、W医師に対し、T及び被上告人B1が連署した免責証書を手渡したが、右証書には、Tは輸血を受けることができないこと及び輸血をしなかったために生じた損傷に関して医師及び病院職員等の責任を問わない旨が記載されていた。

 6 W医師らは、平成四年九月一六日、輸血を必要とする事態が生ずる可能性があったことから、その準備をした上で本件手術を施行した。患部の腫瘍を摘出した段階で出血量が約二二四五ミリリットルに達するなどの状態になったので、W医師らは、輸血をしない限りTを救うことができない可能性が高いと判断して輸血をした。

 7 Tは、Vを退院した後、平成九年八月一三日、死亡した。被上告人・附帯上告人ら(以下「被上告人ら」という。)は、その相続人である。

 二 右事実関係に基づいて、上告人のTに対する不法行為責任の成否について検討する。

本件において、W医師らが、Tの肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。

しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。

そして、Tが、宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有しており、輸血を伴わない手術を受けることができると期待してVに入院したことをW医師らが知っていたなど本件の事実関係の下では、W医師らは、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、Tに対し、Vとしてはそのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して、Vへの入院を継続した上、W医師らの下で本件手術を受けるか否かをT自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。

ところが、W医師らは、本件手術に至るまでの約一か月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、Tに対してVが採用していた右方針を説明せず、同人及び被上告人らに対して輸血する可能性があることを告げないまま本件手術を施行し、右方針に従って輸血をしたのである。

そうすると、

【要旨】本件においては、W医師らは、右説明を怠ったことにより、Tが輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うものというべきである。そして、また、上告人は、W医師らの使用者として、Tに対し民法七一五条に基づく不法行為責任を負うものといわなければならない。これと同旨の原審の判断は、是認することができ、原判決に所論の違法があるとはいえない。論旨は採用することができない。