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通商産業大臣が石炭鉱山におけるじん肺発生防止のための鉱山保安法上の保安規制の権限を行使しなかったことが国家賠償法1条1項の適用上違法となるとされた事例  加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合における民法724条後段所定の除斥期間の起算点

平成16年4月27日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
 1 炭鉱で粉じん作業に従事した労働者が粉じんの吸入によりじん肺にり患した場合において,炭鉱労働者のじん肺り患の深刻な実情及びじん肺に関する医学的知見の変遷を踏まえて,じん肺を炭じん等の鉱物性粉じんの吸入によって生じたものを広く含むものとして定義し,これを施策の対象とするじん肺法が成立したこと,そのころまでには,さく岩機の湿式型化によりじん肺の発生の原因となる粉じんの発生を著しく抑制することができるとの工学的知見が明らかとなっており,金属鉱山と同様に,すべての石炭鉱山におけるさく岩機の湿式型化を図ることに特段の障害はなかったのに,同法成立の時までに,鉱山保安法に基づく省令の改正を行わず,さく岩機の湿式型化等を一般的な保安規制とはしなかったことなど判示の事実関係の下では,じん肺法が成立した後,通商産業大臣が鉱山保安法に基づく省令改正権限等の保安規制の権限を直ちに行使しなかったことは,国家賠償法1条1項の適用上違法となる。

2 民法724条後段所定の除斥期間は,不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には,当該損害の全部又は一部が発生した時から進行する。

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52326

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/326/052326_hanrei.pdf

2 原審の適法に確定した事実関係及び関係法令の概要は,次のとおりである。
(1) じん肺法2条1項1号は,じん肺を,「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病」と定義している。このうち,特に遊離けい酸を含有する粉じんの吸入によって生ずるものは「けい肺」と呼ばれ,後述のとおり,じん肺法制定前においては,専ら金属鉱山における遊離けい酸を含有する粉じんの吸入を原因とするけい肺に関心が寄せられてきた。

じん肺の病像は,肺胞内に取り込まれた粉じんが,リンパ腺や肺胞において長期間にわたり線維増殖性変化を進行させ,じん肺結節,小血管の閉そく等の病変を生じさせるというものであり,粉じんに暴露した後においても,じん肺結節が拡大融合するなどの病状が進行すること(進行性),いったん発生した線維増殖性変化,気腫性変化等を元の状態に戻すための治療方法がないこと(不可逆性)に特徴がある。発症までの期間は,粉じんへの暴露を開始してから最短でも2,3年,通常は5年~10年以上,長い場合で30年以上とされ,しばしば遅発性であって,粉じんへの暴露が終わった後,相当長期間経過後に発症することも少なくない。自覚症状としては,せき,たん,息切れ,呼吸困難等があり,病状が著しく重くなると,呼吸不全,心肺機能障害等から全身の衰弱を来し,肺結核等の合併症を生じ,死に至ることもある。

(2) じん肺に関する法令の概要は,以下のとおりである。
 ア 昭和35年3月31日に公布されたじん肺法は,じん肺に関し,適正な予防及び健康管理その他必要な措置を講ずることにより,労働者の健康の保持を図ること等を目的とするものであり(1条),事業者にじん肺の予防のための措置を講ずべき義務を課し(5条),粉じん作業に従事する労働者等につき,じん肺健康診断の結果に基づいて健康管理の区分(管理一~四)が決定され,事業者は,当該労働者の管理区分に応じて従事させる作業内容を配慮すること等を定めている(4条,21条~23条)。じん肺法は,同法の制定に伴い廃止された「けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法」(昭和30年法律第91号。昭和35年法律第29号により廃止された。以下「けい肺特別保護法」という。)と同様,労働省の所管であった。
 イ 昭和24年5月16日に公布された鉱山保安法は,鉱山労働者に対する危害の防止等を目的とするものであり(1条),鉱業権者は,粉じん等の処理に伴う危害又は鉱害の防止のため必要な措置を講じなければならないものとされ(4条2号),同法30条の委任に基づき,金属鉱山等保安規則(昭和24年通商産業省令第33号),石炭鉱山保安規則(昭和24年通商産業省令第34号)等が,鉱業権者が同法4条の規定によって講ずべき具体的な保安措置を定めている。金属鉱山等保安規則は,石炭,亜炭及び石油を目的とする鉱業以外の鉱業,すなわち金属鉱山等における鉱業の保安について定めたものであり,石炭鉱山保安規則は,石炭鉱業及び亜炭鉱業に関する保安について定めたものである。同法及び両規則は,鉱業権者が鉱山労働者のじん肺を防止するために講ずべき粉じん対策等の規制の法的根拠となるものであり,いずれも通商産業省の所管であった。

(3) 我が国における戦後から昭和30年代ころまでの国の石炭政策の概要は,次のとおりである。
 戦時中,多くの炭鉱は,資材欠乏下での出炭強制により荒廃していたところ,政府は,石炭の増産が戦後経済復興のための最重要課題であるとの認識に基づき,昭和20年10月に石炭生産緊急対策を閣議決定するなどして,いわゆる傾斜生産方式と呼ばれる石炭増産政策を強力に推進した。なお,昭和24年5月の鉱山保安法の制定により,鉱山における保安行政は通商産業省(その前身である商工省)の所管とされたが,これは,石炭増産の必要性が考慮されたものであった。 

その後,重油などの輸入エネルギーの増加等により,昭和28,29年には石炭大不況が到来した。政府は,これに対処するため,高能率炭鉱に生産を集中させ,非能率炭鉱の閉山を支援する合理化政策を進めることとなった。昭和30年7月には,石炭鉱業合理化臨時措置法が成立したが,政府は,その施行に当たり,重油に対抗していくための徹底的な合理化が必要であるとして,各企業に具体的な合理化策を指導するなどした。昭和38年からは,石炭鉱業の合理化政策の目標を「石炭が重油に対抗できないことを認めつつ,石炭鉱業の崩壊がもたらす社会的摩擦の回避等に着目した幅広い政策」とする第一次石炭政策が開始され,以後,数次にわたる石炭政策が策定された。
 このように,政府は,戦後,いわば国策として,強力に石炭増産政策を推進し,また,合理化政策への転換後においても,石炭産業の経営にかかわる事項について強い影響力を及ぼしてきた。 

(4) 戦前から昭和30年代にかけてのじん肺に関する医学的知見の進展等は,次のとおりである。
 ア 昭和の初めころまでは,粉じんの吸入を原因とする坑夫の職業病としては,専ら金属鉱山におけるけい肺が問題視されていた。けい肺は,金属鉱山等において遊離けい酸分を多量に含有する粉じんを長期間吸入することにより肺に線維増殖性変化を生ずる慢性疾患であり,呼吸困難,肺気腫等の症状がみられること,心肺機能の悪化,肺結核等との合併症を生じて死に至ることもあることは,その当時から,周知の事実とされていた。これに対し,当時,炭鉱において炭鉱夫がり患するじん肺は,炭肺などとも呼ばれ,症例もそれほど多くなく,ほとんどが軽症であるとされ,重大な職業病としての認識は,一般的に希薄であり,炭じんは無害でけい肺や肺結核の予防効果があるなどという説さえも存在した。その後,昭和10年ころまでには,炭鉱におけるけい肺患者の発生を指摘し,粉じん対策の必要性を説く講習会等も開かれるようになったが,やがて戦時体制になり,じん肺に関する医学的知見に大きな進展は見られなかった。
 イ 戦後,金属鉱山を中心として,けい肺の撲滅を目指し,けい肺に関する特別法の制定を求める運動が広がり,鉱山経営者の生産協議会であるD会議が,けい肺対策に関する建議書を衆参両議院の議長あてに提出するなど,特別法制定の機運が高まった。そして,昭和25年には労働省がけい肺法案をけい肺協議会に付議し,昭和28年には国会議員がけい肺法案を国会に提出するなどしたが,いずれも法律制定には至らず,けい肺に関する特別法が制定されたのは,昭和30年7月29日に公布されたけい肺特別保護法が最初であった。けい肺特別保護法は,その2条1項1号で,けい肺を「遊離けい酸じん又は遊離けい酸を含む粉じんを吸入することによって肺に生じた繊維増殖性変化の疾病及びこれと肺結核の合併した疾病」と定義していることからも明らかなように,同法は,遊離けい酸を含む粉じんの吸入により発症するけい肺を対象とし,その病勢の悪化の防止等を目的とするものであった(1条)。

 ウ 労働省は,昭和23年10月,国の行政機関として初めて本格的なけい肺巡回検診を実施し,その結果,炭鉱においても,多くのけい肺患者が存在することが明らかとなった。さらに,労働省は,昭和30年9月から昭和32年3月にかけて,対象事業所数1万2981事業所,対象労働者数33万9450人(うち炭鉱労働者数14万4247人)に及ぶ国内外を通じて最大規模のけい肺健康診断を実施した。そして,昭和34年ころには,その実施結果として,有所見者が3万8738人であること,そのうち炭鉱労働者が1万1747人(全有所見者の約30%)にも達していることが明らかとなった。 

 エ 炭鉱夫じん肺に関する医学的知見に関しては,昭和30年前後から,医学雑誌に掲載された論文等において,炭鉱労働者のじん肺についての調査結果を踏まえて,炭鉱におけるじん肺の実情は軽視することができない旨を指摘したり,粉じんを有害なものと無害なものとに分けるべきではなく,すべての粉じんは,長期間多量に吸入すると有害である旨を指摘したりするものが多数に上り,さらに,炭じんをラットに長期間吸入させると,その肺に高度の線維増殖性結節が見られたとの動物実験の結果が紹介されるなど,炭じんを長期間吸入した場合には,じん肺にり患するおそれがある旨の医学的知見が次第に明確なものとなってきた。
 オ 労働大臣は,昭和33年6月,けい肺審議会に,けい肺特別保護法の改正について諮問をし,同審議会は,医学的な観点からの専門的な検討を行うための医学部会を設置した。医学部会は,昭和34年9月,「けい肺に関する医学上の問題点についての意見」を公表し,「最近,屍体解剖の結果,石綿肺,ろう石肺,アルミニウム肺,けいそう土肺,その他各種のじん肺の存在が認められており,いずれのじん肺もそれが高度となってくれば,心肺機能障害を来すものであるので,あらゆる粉じんからの被害を予防し,健康管理を行っていく必要がある」との意見を表明した。この意見は,じん肺に関する当時の医学的知見に基づき,炭じん等のあらゆる種類の粉じんの吸入によるじん肺発症の可能性,危険性を肯定し,その症状が高度なものとなった場合の健康被害の重大性を指摘した上で,けい肺の原因となる遊離けい酸を含有する粉じんに限定せず,あらゆる種類の粉じんに対する被害の予防と健康管理の必要性を述べたものである。
 カ 上記のとおり,炭鉱労働者のじん肺に関する実態が明らかとなり,じん肺に関する上記医学部会の意見が公表されたことから,けい肺に限定していた従来のじん肺に関する施策を根本的に見直す必要があると認識されるようになり,政府は,昭和34年12月,上記医学部会の意見に基づくけい肺審議会の答申を受けて,じん肺法案を国会に提出した。同法案は,国会審議を経て,昭和35年3月31日に可決成立し,同日公布され,翌4月1日に施行された。
 制定当時のじん肺法は,じん肺を「鉱物性粉じんを吸入することによって生じたじん肺及びこれと肺結核の合併した病気」と定義した(2条1項1号)。これは,じん肺を,遊離けい酸を含有する粉じんの吸入によるけい肺に限定せず,炭じん等の鉱物性粉じんの吸入によって生じたものを広く含むものとして定義したものであり,これを同法による施策の対象とする趣旨である。なお,参議院社会労働委員会は,じん肺法案の採択に際し,「政府は,じん肺法の実施に当たっては,特に予防対策に主点をおき,労働衛生全般について適切なる指導を行うべきである」との附帯決議をした。

(5) じん肺法案が国会に提出された昭和34年当時の鉱山保安法30条の委任に基づく石炭鉱山保安規則による粉じん防止のための規制内容は,次のようなものであった。

石炭鉱業及び亜炭鉱業における粉じん対策に関する一般的な保安規制としては,「岩石の掘進,運搬,破砕等を行う坑内作業場において,岩石の掘進,運搬,破砕等によりいちぢるしく粉じんを飛散するときは,粉じんの飛散を防止するため,粉じん防止装置の設置,散水等適当な措置を講じなければならない。ただし,別に告示する規格に適合する防じんマスクを備えたときは,この限りでない。」と定められているにすぎなかった(昭和54年通商産業省令第115号による改正前の石炭鉱山保安規則284条)。これに対し,掘採作業場の岩盤中に遊離けい酸分を多量に含有し,通商産業大臣が指定する区域,すなわち「けい酸質区域」においては,規制を強化し,せん孔するときには,せん孔前に周囲の岩盤等に散水することを義務付け,衝撃式さく岩機を使用するときには,湿式型でなければならないものとしていた(昭和61年通商産業省令第74号による改正前の石炭鉱山保安規則284条の2)。岩盤中に遊離けい酸分を多量に含有するけい酸質区域のみを対象とする上記保安規制の強化は,昭和25年8月の石炭鉱山保安規則の改正により導入されたものであった。 

上記の石炭鉱山保安規則による保安規制と同様の規制は,金属鉱山等保安規則においても,同時期に導入されたが,金属鉱山等保安規則においては,昭和27年9月の改正により,せん孔前の散水,衝撃式さく岩機の湿式型化を義務付ける旨の上記保安規制は,同規則が対象とする金属鉱山等のすべての坑内作業場に適用されるべき一般的な保安規制と改められ,同規則においては,けい酸質区域指定制度は廃止された。これに対し,石炭鉱山においては,上記金属鉱山等保安規則の改正後もけい酸質区域指定制度が維持され,その後,前記の炭鉱労働者に対する健康診断の実施結果や前記医学部会の意見が公表され,前記答申に基づきじん肺法が制定された昭和35年3月以降も,特定の指定区域だけを対象として保安規制の強化を図る上記制度が存続した。石炭鉱山保安規則において,せん孔前の散水,衝撃式さく岩機の湿式型化を義務付ける旨の保安規制が,一般的な保安規制に改められたのは,昭和61年11月であった。 

(6) じん肺防止のための粉じん対策は,粉じんの生成,発散,吸入を防止することにあるが,中でも,粉じんの発生の抑止が粉じん対策の要であるとされており,昭和30年代初頭までには,さく岩機の湿式型化により粉じんの発生を著しく抑制することができるとの工学的知見が明らかとなっていた。また,そのころまでには,軽量の手持型湿式さく岩機が実用に供されるようになっており,遅くとも,昭和35年ころには,すべての石炭鉱山における衝撃式さく岩機の湿式型化を図ることに特段の障害はなかった。現に,金属鉱山においては,昭和27年9月に上記のとおり金属鉱山等保安規則が改正されて以降,坑内排水管の敷設及びさく岩機の湿式型化は急速に進展し,昭和29年までにはさく岩機の湿式型化率は99.7%となり,昭和33年までには坑内排水管の敷設率は100%を達成した。

これに対し,石炭鉱山においては,昭和36年の調査で,さく岩機の湿式型化率は,九州大手炭鉱で18.7%,九州中小炭鉱で5.9%にとどまり,金属鉱山と比較して大きく立ち遅れていた。とりわけ,けい酸質区域に指定された坑(「指定坑」)以外の坑(「非指定坑」)では,衝撃式さく岩機の湿式型化はほとんど進んでおらず,また,非指定坑の坑内作業の掘採現場において散水が行われていた箇所は,指定坑の3分の1程度でしかなく,非指定坑における湿式型化率,散水実施率は,極めて低かった。九州地区において,昭和35年までに指定された指定坑は,全体の3.6%にすぎず,また,その指定の基準(昭和31年の遊離けい酸分含有率40%基準,昭和34年の同30%基準等)自体も,粉じんの許容限度についての医学的な知見等に基づいて設定されたものではなく,非指定坑における炭坑労働者の粉じんへの暴露が健康上許容される範囲内のものであることを確保するための基準として,合理性の認められないものであった。そして,粉じんの生成,発散,吸入の各段階での対策を全体としてみても,昭和35年当時,湿式型さく岩機の導入と同等の効果を有するとされていた集じん機はさほど普及せず,また,防じんマスクの設置率も低調であり,その必要性に関する労働者の理解を深めるためのじん肺教育も不十分なものにとどまるなど,石炭鉱山におけるじん肺防止対策が適切に実施されているとはいえない状況であった。

3 原審は,上告人は,昭和35年3月のじん肺法の成立に合わせて石炭鉱山保安規則を見直し,前記のけい酸質区域指定制度を廃止するか,少なくとも,指定の基準を引き下げ,又はけい酸質区域の内外を問わず,衝撃式さく岩機の湿式型化等の粉じんの生成,発散防止策を義務付ける必要があったものというべきであり,上告人が,上記の時点において,これらの措置をいずれも採らなかったことは,著しく不合理といわざるを得ず,また,けい酸質区域の内外を問わず適用される粉じん対策についても,その指導,監督は不十分なものにとどまり,上記の不合理性を解消するに足りるものではなかったとして,上告人が上記規制権限を行使しなかったことが国家賠償法1条1項の適用上違法であるとした上,同年4月以降に粉じん作業に従事し,じん肺にり患した本件元従業員らのうち,合併症のない管理二,三の認定を受けている者を除外した者につき,各損害の3分の1を限度として,損害賠償責任を負うと判断した。 

第2 上告代理人都築弘外27名の上告受理申立ての理由第2,第3について

1 国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は,その権限を定めた法令の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは,その不行使により被害を受けた者との関係において,国家賠償法1条1項の適用上違法となるものと解するのが相当である最高裁平成元年11月24日第二小法廷判決,最高裁平成7年6月23日第二小法廷判決)。

これを本件についてみると,鉱山保安法は,鉱山労働者に対する危害の防止等をその目的とするものであり(1条),鉱山における保安,すなわち,鉱山労働者の労働災害の防止等に関しては,同法のみが適用され,労働安全衛生法は適用されないものとされており(同法115条1項),鉱山保安法は,職場における労働者の安全と健康を確保すること等を目的とする労働安全衛生法の特別法としての性格を有する。

そして,鉱山保安法は,鉱業権者は,粉じん等の処理に伴う危害又は鉱害の防止のため必要な措置を講じなければならないものとし(4条2号),同法30条は,鉱業権者が同法4条の規定によって講ずべき具体的な保安措置を省令に委任しているところ,同法30条が省令に包括的に委任した趣旨は,規定すべき鉱業権者が講ずべき保安措置の内容が,多岐にわたる専門的,技術的事項であること,また,その内容を,できる限り速やかに,技術の進歩や最新の医学的知見等に適合したものに改正していくためには,これを主務大臣にゆだねるのが適当であるとされたことによるものである。

同法の目的,上記各規定の趣旨にかんがみると,同法の主務大臣であった通商産業大臣の同法に基づく保安規制権限,特に同法30条の規定に基づく省令制定権限は,鉱山労働者の労働環境を整備し,その生命,身体に対する危害を防止し,その健康を確保することをその主要な目的として,できる限り速やかに,技術の進歩や最新の医学的知見等に適合したものに改正すべく,適時にかつ適切に行使されるべきものである。

2 前記の事実関係によれば,次のことが明らかである。

(1) 労働省が昭和30年9月から昭和32年3月にかけて実施した大規模なけい肺健康診断の結果により,昭和34年ころには,全有所見者の約30%,1万人を超える炭鉱労働者の有所見者が存在することなど,炭坑労働者のじん肺り患の実情が相当深刻なものであることが明らかになっていた。

(2) じん肺に関する医学的知見に関しては,けい肺審議会医学部会が,昭和34年9月,じん肺に関する当時の医学的知見に基づき,炭じん等のあらゆる種類の粉じんの吸入によるじん肺発症の可能性,危険性を肯定し,その症状が高度なものとなった場合の健康被害の重大性を指摘した上で,けい肺の原因となる遊離けい酸を含有する粉じんに限定せず,あらゆる種類の粉じんに対する被害の予防と健康管理の必要性を指摘する旨の意見を公表した。

(3) 上記のとおり,炭鉱労働者のじん肺り患の深刻な実情が明らかとなり,じん肺に関する上記医学部会の意見が公表されたことから,けい肺に限定していた従来のじん肺に関する施策を根本的に見直す必要があると認識されるようになり,政府は,昭和34年12月,上記医学部会の意見に基づくけい肺審議会の答申を受けて,じん肺法案を国会に提出したが,同法案は,じん肺を,遊離けい酸を含有する粉じんの吸入によるけい肺に限定せず,炭じん等の鉱物性粉じんの吸入によって生じたものを広く含むものとして定義し,これを同法による施策の対象とするものであった。

(4) じん肺防止のための粉じん対策の要は,粉じんの発生の抑止であるとされているが,昭和30年代初頭までには,さく岩機の湿式型化により粉じんの発生を著しく抑制することができるとの工学的知見が明らかとなっており,また,そのころまでには,軽量の手持型湿式さく岩機が実用に供されるようになっていたことから, 遅くとも,昭和35年ころまでには,すべての石炭鉱山における衝撃式さく岩機の湿式型化を図ることに特段の障害はなく,現に,金属鉱山においては,昭和27年9月に金属鉱山等保安規則が改正されて以降,さく岩機の湿式型化は急速に進展し,昭和29年までにはさく岩機の湿式型化率は99.7%を達成していた。

(5)  しかるに,石炭鉱山においては,前記のとおり,いわば国策としての強力な石炭増
産政策が推進されるなどしてきたのに,上記金属鉱山等保安規則の改正後も,石炭鉱山保安規則によるけい酸質区域指定制度が維持され,その後,前記答申に基づきじん肺法が制定された昭和35年3月以降も,指定の基準も含め,保安規制に関する大きな見直しもされずに,上記制度が存続し,せん孔前の散水,衝撃式さく岩機の湿式型化を義務付ける旨の保安規制が,一般的な保安規制に改められたのは,昭和61年11月であった。そのため,石炭鉱山においては,その大部分を占める非指定坑におけるさく岩機の湿式型化率,せん孔前の散水実施率は極めて低い状態で推移したのであり,じん肺防止対策の実施状況は,一般的な粉じん対策も含めて,極めて不十分なものであった。 

【要旨1】以上の諸点に照らすと,通商産業大臣は,遅くとも,昭和35年3月31日のじん肺法成立の時までに,前記のじん肺に関する医学的知見及びこれに基づくじん肺法制定の趣旨に沿った石炭鉱山保安規則の内容の見直しをして,石炭鉱山においても,衝撃式さく岩機の湿式型化やせん孔前の散水の実施等の有効な粉じん発生防止策を一般的に義務付ける等の新たな保安規制措置を執った上で,鉱山保安法に基づく監督権限を適切に行使して,上記粉じん発生防止策の速やかな普及,実施を図るべき状況にあったというべきである。そして,上記の時点までに,上記の保安規制の権限(省令改正権限等)が適切に行使されていれば,それ以降の炭坑労働者のじん肺の被害拡大を相当程度防ぐことができたものということができる。

本件における以上の事情を総合すると,昭和35年4月以降,鉱山保安法に基づく上記の保安規制の権限を直ちに行使しなかったことは,その趣旨,目的に照らし,著しく合理性を欠くものであって,国家賠償法1条1項の適用上違法というべきである。

したがって,同項による上告人の損害賠償責任を認めた原審の判断は,正当として是認することができる。論旨は採用することができない。 

第3 上告代理人都築弘外27名の上告受理申立て理由第4について

民法724条後段所定の除斥期間の起算点は,「不法行為ノ時」と規定されており,加害行為が行われた時に損害が発生する不法行為の場合には,加害行為の時がその起算点となると考えられる。しかし,

【要旨2】身体に蓄積した場合に人の健康を害することとなる物質による損害や,一定の潜伏期間が経過した後に症状が現れる損害のように,当該不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には,当該損害の全部又は一部が発生した時が除斥期間の起算点となると解すべきである。なぜなら,このような場合に損害の発生を待たずに除斥期間の進行を認めることは,被害者にとって著しく酷であるし,また,加害者としても,自己の行為により生じ得る損害の性質からみて,相当の期間が経過した後に被害者が現れて,損害賠償の請求を受けることを予期すべきであると考えられるからである。

これを本件についてみるに,前記のとおり,じん肺は,肺胞内に取り込まれた粉じんが,長期間にわたり線維増殖性変化を進行させ,じん肺結節等の病変を生じさせるものであって,粉じんへの暴露が終わった後,相当長期間経過後に発症することも少なくないのであるから,じん肺被害を理由とする損害賠償請求権については,その損害発生の時が除斥期間の起算点となるというべきである。これと同旨の原審の判断は,正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。