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上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

 原審が,壁面に吹き付けられた石綿が露出している建物が通常有すべき安全性を欠くと評価されるようになった時点を明らかにしないまま,同建物の設置又は保存の瑕疵の有無について判断したことに審理不尽の違法があるとされた事例

平成25年7月12日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
壁面に吹き付けられた石綿が露出している建物で昭和45年から平成14年まで勤務していた間にその石綿の粉じんにばく露したことにより悪性胸膜中皮腫に罹患した者の相続人が,同建物の所有者に対し,民法717条1項ただし書の規定に基づく損害賠償を求める訴訟において,原審が,同建物が通常有すべき安全性を欠くと評価されるようになったのはいつの時点からであるかを明らかにしないまま,昭和45年以降の時期における同建物の設置又は保存の瑕疵の有無について,平成7年に一部改正された政令及び平成17年に制定された省令の規定による規制措置の導入をも根拠にして直ちに判断をしたことには,審理が尽くされていない違法がある。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/401/083401_hanrei.pdf

 上告代理人の上告受理申立て理由第1について
 1 本件は,亡Aの相続人である被上告人らが,Aは勤務先の建物の壁面に吹き付けられた石綿アスベスト)の粉じんを吸入したことにより悪性胸膜中皮腫に罹患し,自殺したと主張して,上記建物の所有者である上告人に対し,民法717条1項ただし書の規定に基づく損害賠償を求める事案である。

 2 原審の確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

 (1) Aは,昭和45年3月から平成14年5月まで,a鉄道b線c駅高架下所在の建物(「本件建物」)を店舗兼倉庫として使用する文具店の店長として,本件建物で勤務していた。
 本件建物は,昭和45年3月に建築された当初からB株式会社(当時の商号はC株式会社)が所有しており,平成14年4月に上告人が同社を吸収合併して,上告人の所有となった(以下,Bと上告人を区別せず,単に「上告人」という。)。

 (2) 石綿は,耐火,耐熱等を目的とする吹付け材として広く利用されていたが,縦に裂ける傾向があり,細い繊維となる。石綿の繊維は,人が呼吸する際,鼻,気管及び気管支の繊毛を通り抜け,肺胞等に到達して沈着する。これにより生ずる石綿関連疾患として,肺がん,中皮腫等がある。石綿の中でもクロシドライトは,発がん性などの有害性が最も強いものである。

 (3) 本件建物の壁面の一部には,クロシドライトを25%含有する吹付け材が約3㎝の厚さに吹き付けられた状態のまま露出していた。本件建物は,鉄道の高架下にあるため,電車が往来する際の振動で上記吹付け材の粉じんが飛散しやすい状態にあり,昭和61年ないし昭和62年頃以降は,上記粉じんが目立って飛散していた。

 (4) Aは,本件建物での勤務期間中,本件建物の壁面に吹き付けられた石綿の粉じんにばく露したことにより,悪性胸膜中皮腫に罹患し,平成14年7月にその旨の診断を受けて治療中,その症状の悪化等による精神的,心理的ストレスにより適応障害を発症し,平成16年7月20日,自殺した。

 (5) 我が国では,昭和45年頃の時点では,建築物に吹き付けられた石綿(「吹付け石綿」)の粉じんにばく露することによる健康被害の危険性はまだ指摘されていなかったところ,昭和49年に,吹付け石綿から飛散する粉じんの有害性を警告する書籍が出版され,昭和60年及び昭和62年に,吹付け石綿の除去等の対策をとる必要があることを指摘する論稿が出された。

同年には,文部省により全国の公立学校を対象に吹付け石綿についての実態調査が実施されてその除去工事が進められることになり,建築基準法施行令に基づく告示による耐火構造の指定から吹付け石綿が除かれ,大阪府でもアスベスト対策検討委員会が設置された。

平成7年には,労働安全衛生法施行令の一部改正により,クロシドライトの新たな製造及び使用が禁止され,平成17年に制定された石綿障害予防規則において,事業者はその労働者を就業させる建築物の吹付け石綿の粉じんに労働者がばく露するおそれがあるときは,当該石綿の除去,封じ込め,囲い込み等の措置を講じなければならないものとされた。

 3 原審は,上記事実関係の下において,次のとおり判断して,被上告人らの請求を一部認容した。

民法717条1項は土地の工作物の種類に応じて通常有すべき安全性を欠くことをもって瑕疵としているところ,通常有すべき安全性とは,瑕疵判断の基準時に社会通念上要求される工作物の安全性をいい,客観的に定められるべきものである。
当該基準時に社会通念上許容されない危険性が客観的に存在すれば,予見可能性・回避可能性がない場合でも瑕疵があると判断すべきであり,占有者のみが予見可能性・回避可能性を欠くことを踏まえた主張立証により責任を免れ得るにすぎない。
所有者については,究極的な賠償責任を無過失で負担させることが著しく不合理とはいい難い。

本件建物の壁面にはクロシドライトを一定量含有する吹付け材が露出しており,また,本件建物は鉄道の高架下にあって振動で上記吹付け材が飛散しやすい状態にあったところ,平成7年以降クロシドライトの製造及び使用が禁止されたことや,平成17年以降現在に至るまで事業者はその労働者が就業する建築物の吹付け石綿の粉じんにばく露するおそれがあるときは,当該石綿の除去等の措置を講じなければならないとされていることなどに照らせば,本件建物の壁面にクロシドライトを含有する吹付け材が露出していたことは,本件建物の設置又は保存の瑕疵に当たる。

 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

土地の工作物の設置又は保存の瑕疵とは,当該工作物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうものであるところ,吹付け石綿を含む石綿の粉じんにばく露することによる健康被害の危険性に関する科学的な知見及び一般人の認識並びに様々な場面に応じた法令上の規制の在り方を含む行政的な対応等は時と共に変化していることに鑑みると,上告人が本件建物の所有者として民法717条1項ただし書の規定に基づく土地工作物責任を負うか否かは,人がその中で勤務する本件建物のような建築物の壁面に吹付け石綿が露出していることをもって,当該建築物が通常有すべき安全性を欠くと評価されるようになったのはいつの時点からであるかを証拠に基づいて確定した上で,更にその時点以降にAが本件建物の壁面に吹き付けられた石綿の粉じんにばく露したこととAの悪性胸膜中皮腫の発症との間に相当因果関係を認めることができるか否かなどを審理して初めて判断をすることができるというべきである。

ところが,原判決は,吹付け石綿の粉じんにばく露することによる健康被害の危険性に関する指摘等がされるようになった過程について第1審判決を引用して説示するだけで,結局のところ,本件建物が通常有すべき安全性を欠くと評価されるようになったのはいつの時点からであるかを明らかにしないまま,Aが本件建物で勤務していた昭和45年3月以降の時期における本件建物の設置又は保存の瑕疵の有無について,平成7年に一部改正された政令及び平成17年に制定された省令の規定による規制措置の導入をも根拠にして直ちに判断をしていると解されるのであって,上記のような観点からの審理が尽くされていない。

このような原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。

論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。

そして,上記の観点から,本件建物に工作物の設置又は保存の瑕疵が認められる時期及び当該時期以降にAが本件建物の壁面に吹き付けられた石綿の粉じんにばく露したこととAの悪性胸膜中皮腫の発症との間の相当因果関係の存否等について更に審理を尽くさせるため,上記部分及び民訴法260条2項の裁判を求める申立てにつき,本件を原審に差し戻すこととする。