最高裁判例の勉強部屋:毎日数個の最高裁判例を読む

上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

1 雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺にかかったことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効の起算点 2 慰謝料額の認定に違法があるとされた事例

平成6年2月22日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
1 雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺にかかったことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、じん肺法所定の管理区分についての最終の行政上の決定を受けた時から進行する。
2 炭鉱労務に従事してじん肺にかかった者又はその相続人が、雇用者に対し、財産上の損害の賠償を別途請求する意思のない旨を訴訟上明らかにして慰謝料の支払を求めた場合に、じん肺重篤な進行性の疾患であって、現在の医学では治療が不可能とされ、その症状も深刻であるなど判示の事情の下において、その慰謝料額を、じん肺法所定の管理区分に従い、死者を含む管理四該当者につき1200万円又は1000万円、管理三該当者につき600万円、管理二該当者につき300万円とした原審の認定には、その額が低きに失し、著しく不相当なものとして、経験則又は条理に反する違法がある。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/443/052443_hanrei.pdf

 一 本件は、被上告人が経営していた長崎県北松浦郡所在の各炭鉱の従業員として炭鉱労務に従事し、じん(塵)肺に罹患した患者六三名(別紙従業員目録(一)(二)(三)記載のとおり)の本人又は相続人が、被上告人に対し、雇用契約上の安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償を請求するものである(以下、右患者六三名、すなわち、上告人らのうち被上告人に雇用されていた者及びその余の各上告人の被相続人全員を「上告人ら元従業員」という)。
  原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
 1 被上告人は、昭和一四年に設立された株式会社であり、同年八月D鉱業所を設け、a、b、c、dなどの各炭鉱を開発経営し、また同二九年からE鉱業所も経営するようになったが、各炭鉱の終掘により、同四〇年D鉱業所を廃止し、同四七年E鉱業所を閉山した。
   上告人ら元従業員は、被上告人と雇用契約を締結し、それぞれ、右各炭鉱のいずれかにおいて、炭鉱労務に従事した。

 2 「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病」(じん肺法二条一項一号)であるじん肺は、粉じん(粉塵)が肺内に沈着すると、肺組織が、長い年月をかけて、これを細胞内部に取り込む線維化と呼ばれる生体反応を続け、やがて肺胞腔内の線維が固い結節となり、最後には融合して手拳大の塊になり、肺胞壁を閉塞させるというものであり、吸い込む粉じんの種類により、けい(珪)肺、金属じん肺、炭素じん肺有機じん肺等に分類される。
   じん肺による病変は不可逆的であり、現在の医学では治療は不可能である。
また、肺内に粉じんが存在する限り右反応が継続するところ、肺の線維増殖性変化は、粉じんの量に対応する進行であり、無限の進行ではないが、気管支変化、肺気腫は進行し続ける。そのため、粉じんを発散する職場を離れた後、長年月を経て初めてじん肺の所見が発現することも少なくない。進行の程度、速度は多様であるが、進行する場合の予後は不良であり、心肺機能障害は乏酸素血症を招き、その結果全身萎縮を来し、あるいは心不全より肺性心を招き、また肺感染症を合併して死亡に至るとされている。

 3 昭和三〇年七月二九日けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法(以下「けい特法」という)が制定され、けい肺第一症度からけい肺第四症度までのけい肺の症状を決定する手続が定められた。
   そして、昭和三五年三月一日じん肺法が制定され、エックス線写真像、心肺機能検査の結果、結核精密検査の結果、胸部に関する臨床検査の結果の組合せによる、管理一から管理四までの「健康管理の区分」を決定する手続が定められ、更に同五二年七月一日同法が改正され、エックス線写真像と肺機能障害の組合せによる、管理一から管理四までの「じん肺管理区分」を決定する手続が定められた。じん肺の所見があると認められる者は、管理二以上に区分され、管理四と決定された者は、療養を要するものとされている。

 4 上告人ら元従業員六三名は、いずれも、じん肺(けい肺)の所見がある旨の行政上の決定(けい持法に基づくけい肺の症度の決定、前記改正前のじん肺法に基づく管理二以上の健康管理の区分の決定又はじん肺法に基づく管理二以上のじん肺管理区分の決定)を受けており、その最終の行政上の決定をみると、五八名が管理四とされ、その余の二名は管理三に、また三名は管理二にとどまっている。
   そして、右六三名のうち、別紙従業員目録(三)記載の二〇名については、最終の行政上の決定(最も重い行政上の決定)を受けた日から本訴提起の日までに一〇年を超える期間が経過している。その余の四三名については、最終の行政上の決定を受けた日から一〇年未満のうちに本訴が提起されているが、このうち別紙従業員目録(一)記載の一〇名については、最初の行政上の決定を受けた日から本訴提起の日までに一〇年を超える期間が経過している。右一〇名の中には、昭和四一年にじん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受け、その四年後である同四五年に管理四の決定を受けた者もあれば、同三〇年にじん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受け、その二一年後である同五一年に管理三の、次いで同五三年に管理四の決定を受けた者もある。

 二 被上告人は、本訴において、民法一六七条一項の一〇年の消滅時効を援用した。
  第一審は、上告人ら元従業員が最終の行政上の決定を受けた時から消滅時効が進行するとして、別紙従業員目録(三)記載の二〇名に係る損害賠償請求権は時効により消滅したと判断し、上告人目録(三)記載の上告人ら(右二〇名の本人又は相続人)の請求を棄却したところ、原審は、上告人ら元従業員が最初の行政上の決定を受けた時から消滅時効が進行するとして、右二〇名及び別紙従業員目録(一)記載の一〇名に係る損害賠償請求権は時効により消滅したと判断し、別紙上告人目録(三)記載の上告人らの控訴を棄却するとともに、別紙上告人目録(一)記載の上告人ら(右一〇名の本人又は相続人)の請求をも棄却した。 

 三 しかしながら、別紙従業員目録(一)記載の一〇名に係る損害賠償請求権が時効により消滅したとする原審の判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
  雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間は、民法一六七条一項により一〇年と解され(最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決)、右一〇年の消滅時効は、同法一六六条一項により、右損害賠償請求権を行使し得る時から進行するものと解される。そして、一般に、安全配慮義務違反による損害賠償請求権は、その損害が発生した時に成立し、同時にその権利を行使することが法律上可能となるというべきところ、じん肺に罹患した事実は、その旨の行政上の決定がなければ通常認め難いから、本件においては、じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けた時に少なくとも損害の一端が発生したものということができる。
  しかし、このことから、じん肺に罹患した患者の病状が進行し、より重い行政上の決定を受けた場合においても、重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が、最初の行政上の決定を受けた時点で発生していたものとみることはできない。

すなわち、前示事実関係によれば、じん肺は、肺内に粉じんが存在する限り進行するが、それは肺内の粉じんの量に対応する進行であるという特異な進行性の疾患であって、しかも、その病状が管理二又は管理三に相当する症状にとどまっているようにみえる者もあれば、最も重い管理四に相当する症状まで進行した者もあり、また、進行する場合であっても、じん肺の所見がある旨の最初の行政上の決定を受けてからより重い決定を受けるまでに、数年しか経過しなかった者もあれば、二〇年以上経過した者もあるなど、その進行の有無、程度、速度も、患者によって多様であることが明らかである。そうすると、例えば、管理二、管理三、管理四と順次行政上の決定を受けた場合には、事後的にみると一個の損害賠償請求権の範囲が量的に拡大したにすぎないようにみえるものの、このような過程の中の特定の時点の病状をとらえるならば、その病状が今後どの程度まで進行するのかはもとより、進行しているのか、固定しているのかすらも、現在の医学では確定することができないのであって、管理二の行政上の決定を受けた時点で、管理三又は管理四に相当する病状に基づく各損害の賠償を求めることはもとより不可能である。以上のようなじん肺の病変の特質にかんがみると、管理二、管理三、管理四の各行政上の決定に相当する病状に基づく各損害には、質的に異なるものがあるといわざるを得ず、したがって、重い決定に相当する病状に基づく損害は、その決定を受けた時に発生し、その時点からその損害賠償請求権を行使することが法律上可能となるものというべきであり、最初の軽い行政上の決定を受けた時点で、その後の重い決定に相当する病状に基づく損害を含む全損害が発生していたとみることは、じん肺という疾病の実態に反するものとして是認し得ない。これを要するに、雇用者の安全配慮義務違反によりじん肺に罹患したことを理由とする損害賠償請求権の消滅時効は、最終の行政上の決定を受けた時から進行するものと解するのが相当である。
  そうすると、原審がこれと異なる見解に立ち、別紙従業員目録(一)記載の一〇名に係る損害賠償請求権が時効により消滅したとの理由で、別紙上告人目録(一)記載の上告人らの請求を棄却したのは、民法一六六条一項の解釈適用を誤った違法があるというべきであり、この違法は原判決中右棄却部分に影響を及ぼすことが明らかである。

論旨のうち、右の違法をいう部分は理由があり、原判決中、別紙上告人目録(一)記載の上告人らに関する部分は破棄を免れない。そして、右破棄部分については、右上告人らが主張する損害と安全配慮義務違反との間の因果関係の有無、損害の額等につき更に審理を尽くさせる必要があるから、右部分につき本件を原審に差し戻すこととする。 

 同第八点について

 一 別紙上告人目録(二)記載の上告人らは、別紙従業員目録(二)記載の上告人ら元従業員三三名の本人又は相続人であるところ、本訴において、被上告人に対し、本件安全配慮義務違反による損害賠償として、右上告人ら元従業員一人当たり一律三〇〇〇万円の慰謝料と弁護士費用三〇〇万円の支払を求め、財産上の損害を別途請求する意思がない旨を陳述した。
  原審は、右三三名の慰謝料の額について、基本的に管理区分を重視するが、管理四該当者のうち原審における鑑定の結果軽度の障害と判定された者については、これを減額事情として斟酌すべきであるとした上、戦前及び終戦直後において本件安全配慮義務の履行が必ずしも容易であったとはいえないこと、石炭鉱業の社会的有用性及び被上告人が戦中・戦後に果たした社会的役割、上告人ら元従業員がその管理区分に対応する労働者災害補償保険法、厚生年金保険法に基づく保険給付を受けていること等のすべての事情を考慮して、〔A〕死者を含む管理四該当者(一八名)につき一二〇〇万円、〔B〕管理四該当者のうち鑑定により軽度の障害と判定された者(一一名)につき一〇〇〇万円、〔C〕管理三該当者(二名)につき六〇〇万円、〔D〕管理二該当者(二名)につき三〇〇万円とするのが相当と判断し、なお、弁護士費用については右各慰謝料額の一割に当たる金員を相当とした上、右上告人らの請求中、被上告人に対し右各慰謝料額及び各弁護士費用の合計額を超える金員の支払を求める部分を棄却した。

 二 しかしながら、慰謝料額に関する原審の右判断は是認することができない。
その理由は、次のとおりである。
  元来、慰謝料とは、物質的損害ではなく精神的損害に対する賠償、いわば内心の痛みを与えられたことへの償いを意味し、その苦痛の程度を彼此比較した上、客観的・数量的に把握することは困難な性質のものであるから、当裁判所の先例においても、「慰謝料額の認定は原審の裁量に属する事実認定の問題であり、ただ右認定額が著しく不相当であって経験則又は条理に反するような事情でも存するならば格別」である(最高裁昭和三八年三月二六日第三小法廷判決)とされている。
  しかし、ここで留意を要するのは、上告人らによる本訴請求は慰謝料を対象とするものであるが、物質的損害の賠償は別途請求するというのではなく、かえって他に財産上の請求をしない旨を上告人らにおいて訴訟上明確に宣明し、上告人ら自身これに拘束されているのが本件であることである。
  したがって、上告人らは、被上告人の安全配慮義務の不履行に起因するところの、財産上のそれを含めた全損害につき、本訴において請求し、かつ、認容される以外の賠償を受けることはできないのであるから、本訴請求の対象が慰謝料であるとはいえ、他に財産上の請求権の留保のないものとして、原審が慰謝料額を認定するに当たっても、その裁量にはおのずから限界があり、その裁量権の行使は社会通念により相当として容認され得る範囲にとどまることを要するのは当然である。
  以上の考察に立って本件をみるのに、まず、上告人ら元従業員が被上告人の経営する炭鉱において長期間にわたって炭鉱労務に従事した結果、じん肺に罹患したものであること、じん肺重篤な進行性の疾患であり、現在の医学では治療が不可能とされ、進行する場合の予後は不良であることは、前示のとおりである。
  そして管理四該当者はすべて療養を要するものとされているが、前記管理四該当者合計二九名の個別の症状の経過及び生活状況に関する原審確定事実によれば、右二九名のうち、原審がAランクに格付けし慰謝料額一二〇〇万円をもって相当とした者は、症状が重篤で長期間にわたって入院し、あるいは入院しないまでも寝たり起きたりの状態であったり、呼吸困難のため日常の起居にも不自由を来すという状況にあり、そのままじん肺に伴う合併症により苦しみながら死亡した者もあること、

また、原審がBランクに格付けし慰謝料額一〇〇〇万円をもって相当とした鑑定により軽度障害と判定された者でも、重い咳や息切れ等の症状に苦しみ、坂道等の歩行は困難で、家でも休んでいることが多く、夜間に重い咳が続いたり呼吸困難に陥るため、家族の介護を要するといった状況にあること、

右の二九名は総じて、被上告人を退職した後じん肺の進行により徐々に労働能力を喪失して行ったもので、労働者災害補償保険法等による保険給付を受けるまでの間、極めて窮迫した生活を余儀なくされた者が少なくないこと等が明らかである。
  これによると、本件において死者を含む管理四該当者の被った精神的損害に対する評価については、一般の不法行為等により労働能力を完全に喪失し、又は死亡するに至った場合のそれに比してさしたる違いを見出すことはできず、したがって、以上の事実関係の下においては、特段の事情がない限り、原審の認定した一二〇〇万円又は一〇〇〇万円という慰謝料額は低きに失し、著しく不相当であって、経験則又は条理に反し、右にみるような慰謝料額認定についての原審の裁量判断は、社会通念により相当として容認され得る範囲を超えるものというほかはない。 

  この点につき、原判決は種々の事情を挙げているが、被上告人が上告人ら元従業員の雇用者としてその健康管理・じん肺罹患の予防につき深甚の配慮をなすべき立場にあったことを勘案すれば、本件安全配慮義務の履行が必ずしも容易であったとはいい難い一時期があったことその他、原判決説示の被上告人側の事情を考慮しても、なお前記慰謝料額認定についての原審の裁量判断を正当化するには遠く、結局、原審の右判断には、損害の評価に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというに帰着する。

そして、このことは、管理四該当者の慰謝料額の認定を前提とするとみられる管理三及び管理二該当者各二名の慰謝料額の認定判断にも、同様の違法があることを裏付けるものであって、以上の違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。
  したがって、この点の違法をいう論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決中、別紙上告人目録(二)記載の上告人らの敗訴部分は、破棄を免れない。そして、慰謝料額を当審において認定することはもとより相当でないから、右に説示したところに従い原審において改めて審理判断させるため、右部分につき本件を原審に差し戻すこととする。