最高裁判例の勉強部屋:毎日数個の最高裁判例を読む

上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

曲線での速度超過により列車が脱線転覆し多数の乗客が死傷した鉄道事故について,鉄道会社の歴代社長らに業務上過失致死傷罪が成立しないとされた事例

平成29年6月12日最高裁判所第二小法廷決定

裁判要旨        
快速列車の運転士が制限速度を大幅に超過し,転覆限界速度をも超える速度で同列車を曲線(本件曲線)に進入させたことにより同列車が脱線転覆し,多数の乗客が死傷した鉄道事故について,同事故以前の法令上,曲線に自動列車停止装置(ATS)を整備することは義務付けられておらず,大半の鉄道事業者は曲線にATSを整備していなかったこと,同列車を運行する鉄道会社の歴代社長らが,管内に2000か所以上も存在する同種曲線の中から,特に本件曲線を脱線転覆事故発生の危険性が高い曲線として認識できたとは認められないこと等の本件事実関係(判文参照)の下では,歴代社長らにおいて,ATS整備の主管部門を統括する鉄道本部長に対しATSを本件曲線に整備するよう指示すべき業務上の注意義務があったとはいえない。
(補足意見がある。)

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=86834

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/834/086834_hanrei.pdf

1 本件公訴事実の要旨
(1) 被告人Aは平成4年6月から平成9年3月までの間,被告人Bは平成9年4月から平成15年4月までの間,被告人Cは平成15年4月から平成18年2月までの間,それぞれ西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)の代表取締役社長として会社の業務執行を統括し,運転事故の防止についても経営会議等を通じて必要な指示を与えるとともに,社内に設置された総合安全対策委員会委員長として,運転事故対策についての基本方針や特に重大な事故の対策に関する審議を主導して鉄道の運行に関する安全体制を確立し,重大事故を防止するための対策を講ずるよう指揮すべき業務に従事していた。
(2) JR西日本では,東西線開業に向けて,福知山線から東西線への乗り入れを円滑にする等の目的で,福知山線東海道線を立体交差とするなどの尼崎駅構内の配線変更を行い,これに付帯して,福知山線上り線路の右方に湾曲する曲線(「本件曲線」)の半径を600mから304mにし,その制限時速が従前の95kmから70kmに変更される線形変更工事(「本件工事」)を施工した(平成8年12月完成,平成9年3月運行開始)。本件工事により,通勤時間帯の快速列車の本件曲線における転覆限界速度は時速105kmから110km程度に低減し,本件曲線手前の直線部分の制限時速120kmを下回るに至った。加えて,前記運行開始に伴うダイヤ改正により,1日当たりの快速列車の本数が大幅に増加し,運転士が定刻運転のため本件曲線の手前まで制限時速120km又はこれに近い速度で走行する可能性が高まっていたので,運転士が何らかの原因で適切な制動措置をとらないままこのような速度で列車を本件曲線に進入させた場合には,脱線転覆する危険性が差し迫っていた。
(3) 被告人らは,以上の各事情に加え,JR西日本では半径450m未満の曲線に自動列車停止装置(ATS)を整備しており,本件工事によって本件曲線の半径がこれを大幅に下回ったことや,過去に他社の曲線において速度超過による脱線転覆事故が複数発生していたこと等を認識し,又は容易に認識することができたから,運転士が適切な制動措置をとらないまま本件曲線に進入することにより,本件曲線において列車の脱線転覆事故が発生する危険性を予見できた。
(4) したがって,被告人Aは本件工事及び前記ダイヤ改正の実施に当たり,被告人Bは平成9年4月の社長就任後速やかに,被告人Cは自ら福知山線にATSを整備する工事計画を決定した平成15年9月29日の経営会議又は遅くとも同年12月以降に行われたダイヤ改正の際,それぞれ,JR西日本においてATS整備の主管部門を統括する鉄道本部長に対し,ATSを本件曲線に整備するよう(被告人CはATSを本件曲線に優先的に整備するよう)指示すべき業務上の注意義務があったのに,被告人らはいずれもこれを怠り,本件曲線にATSを整備しないまま,列車の運行の用に供した。
(5) その結果,平成17年4月25日午前9時18分頃,福知山線の快速列車を運転していた運転士が適切な制動措置をとらないまま,転覆限界速度を超える時速約115kmで同列車を本件曲線に進入させた際,ATSによりあらかじめ自動的に同列車を減速させることができず,同列車を脱線転覆させるなどして,同列車の乗客106名を死亡させ,493名を負傷させた(以下,同事故を「本件事故」という。)。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

当裁判所の判断
(1) 本件公訴事実は,JR西日本の歴代社長である被告人らにおいて,ATS整備の主管部門を統括する鉄道本部長に対し,ATSを本件曲線に整備するよう指示すべき業務上の注意義務があったのに,これを怠ったというものであり,被告人らにおいて,運転士が適切な制動措置をとらないまま本件曲線に進入することにより,本件曲線において列車の脱線転覆事故が発生する危険性を予見できたことを前提とするものである。
しかしながら,本件事故以前の法令上,ATSに速度照査機能を備えることも,曲線にATSを整備することも義務付けられておらず,大半の鉄道事業者は曲線にATSを整備していなかった上,後に新省令等で示された転覆危険率を用いて脱線転覆の危険性を判別し,ATSの整備箇所を選別する方法は,本件事故以前において,JR西日本はもとより,国内の他の鉄道事業者でも採用されていなかった。また,JR西日本職掌上,曲線へのATS整備は,線路の安全対策に関する事項を所管する鉄道本部長の判断に委ねられており,被告人ら代表取締役においてかかる判断の前提となる個別の曲線の危険性に関する情報に接する機会は乏しかった。JR西日本の組織内において,本件曲線における脱線転覆事故発生の危険性が他の曲線におけるそれよりも高いと認識されていた事情もうかがわれない。したがって,被告人らが,管内に2000か所以上も存在する同種曲線の中から,特に本件曲線を脱線転覆事故発生の危険性が高い曲線として認識できたとは認められない。
(2) なお,指定弁護士は,本件曲線において列車の脱線転覆事故が発生する危険性の認識に関し,「運転士がひとたび大幅な速度超過をすれば脱線転覆事故が発生する」という程度の認識があれば足りる旨主張するが,前記のとおり,本件事故以前の法令上,ATSに速度照査機能を備えることも,曲線にATSを整備することも義務付けられておらず,大半の鉄道事業者は曲線にATSを整備していなかったこと等の本件事実関係の下では,上記の程度の認識をもって,本件公訴事実に係る注意義務の発生根拠とすることはできない。
(3) 以上によれば,JR西日本の歴代社長である被告人らにおいて,鉄道本部長に対しATSを本件曲線に整備するよう指示すべき業務上の注意義務があったということはできない。したがって,被告人らに無罪を言い渡した第1審判決を是認した原判断は相当である。