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医師が肝硬変の患者につき肝細胞がんを早期に発見するための検査を実施しなかった注意義務違反と患者の右がんによる死亡との間の因果関係を否定した原審の判断に違法があるとされた事例

 平成11年2月25日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
一 医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係は、医師が右診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度のがい然性が証明されれば肯定され、患者が右診療行為を受けていたならば生存し得たであろう期間を認定するのが困難であることをもって、直ちには否定されない。
二 肝硬変の患者が後に発生した肝細胞がんにより死亡した場合において、医師が、右患者につき当時の医療水準に応じた注意義務に従って肝細胞がんを早期に発見すべく適切な検査を行っていたならば、遅くとも死亡の約六箇月前の時点で外科的切除術の実施も可能な程度の大きさの肝細胞がんを発見し得たと見られ、右治療法が実施されていたならば長期にわたる延命につながる可能性が高く、他の治療法が実施されていたとしてもやはり延命は可能であったと見られるとしながら、仮に適切な診療行為が行われていたとしてもどの程度の延命が期待できたかは確認できないとして、医師の検査に関する注意義務違反と患者の死亡との間の因果関係を否定した原審の判断には、違法がある。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/587/052587_hanrei.pdf

 

 一 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

 1 D(昭和五年九月一四日生)は、昭和五八年一〇月ころ、社会保険E病院において、アルコール性肝硬変に罹患しているとの診断を受け、同病院の医師の紹介により、同年一一月四日、肝臓病を専門とする医師でありF内科消化器科医院を経営する被上告人との間に、右疾患についての診療契約を締結し、継続的に受診するようになった。

 2 その当時、Dには、肝細胞癌の存在は認められなかったが、肝硬変に罹患した患者に肝細胞癌の発生することが多いことは、医学的に広く知られていた。また、肝細胞癌の発生する危険性の高さを判断する上での因子としては、肝硬変に罹患していること、男性であること、年齢が五〇歳代であること、B型肝炎ウイルス検査の結果が陽性であることの四点が特に重視されていたところ、Dは、当時五三歳の男性であって、肝硬変に罹患しており、医師として肝細胞癌発見のための注意を怠ってはならない高危険群の患者に属していた。

 3 右当時、肝細胞癌を早期に発見するための検査方法としては、血液中のアルファ・フェトプロテインの量を測定する検査(AFP検査)と、腹部超音波検査が有効であると認められていた。このうち、AFP検査は、肝細胞癌の大きさと検査による測定値が必ずしも比例せず、特に、細小肝癌の場合には検査による測定値が顕著な上昇を示すことは必ずしも多くないため、定期的に反復継続して検査を行い、その経過を観察することが重要であると認識されていた。このように右検査の有効性には限界があるので、腹部超音波検査を併用することが必要であるとされていたが、同検査も、検査装置使用上の死角や画像描出の鮮明さの限界などの点で完全なものではないため、当時の医療水準においては、その頻度についてはともかくとして、定期的に右各検査を実施し、肝細胞癌の発生が疑われる場合には、早期に確定診断をするため、更にエックス線による身体断面の画像の解析検査(CT検査)その他の検査を行う必要があるものとされていた。
 被上告人は、肝臓病の専門医として以上の事情を認識しており、また、E病院においてDにAFP検査や腹部超音波検査等を受けさせることは、それほど困難ではない状況にあった。
 ちなみに、当時、超音波検査の検査装置等により検出することが可能な腫瘍の最小の直径は、一・五センチメートルとされていた。また、腫瘍の体積の倍加速度については、症例ごとに大幅な差があるとされており、最短のものとしてこれを一二日とする調査結果もあった。

 4 被上告人は、昭和五八年一一月四日から昭和六一年七月一九日までの間に、合計七七一回にわたり、Dについて診療行為を行った。その内容は、問診をし、肝庇護剤を投与するなどの内科的治療を実施するほか、一箇月ないし二箇月に一度の割合で触診等を行うにとどまり、肝細胞癌の発生の有無を知る上で有効とされていた前記各検査については、昭和六一年七月五日にAFP検査を実施したのみであった。なお、Dの肝臓の機能は、肝硬変の患者としては比較的良好に保たれていたところ、同月九日に明らかになった同検査の結果において、その測定値は、正常値が血液一ミリリットル当たり二〇ナノグラムであるのに対して同一一○ナノグラムであったが、被上告人は、Dに対し、肝細胞癌についての反応は陰性であった旨告げた。

 5 Dは、昭和六一年七月一七日夜、腹部膨隆、右季肋部痛等の症状を発し、翌一八日朝、被上告人の診察を受けたところ、筋肉痛と診断され、鎮痛剤の注射を受けたが、翌一九日、容態が悪化し、被上告人の紹介により、財団法人G病院において同病院医師の診察を受けた。その結果、肝臓に発生した腫瘤が破裂して腹腔内出血を起こしていることが明らかとなり、さらに、同月二二日、前記急性腹症の原因は肝細胞癌であるとの確定診断がされた。また、同病院における検査の結果、Dの肝臓には、三つの部位に、それぞれ大きさ約二・六センチメートル×二・五センチメートルないし約七センチメートル×七センチメートルの腫瘤が存在していたほか、他の部分に、大きさ約五センチメートルの境界不明瞭病変及び大きさ不明の転移巣数個が存在し、門脈本幹に大きさ不明の腫瘍塞栓が存在していることが判明した。
 なお、Dについては解剖が実施されなかったことなどもあり、腫瘍等の正確な位置、大きさ等は明らかとなっていない。

 6 当時、肝細胞癌に対する根治的治療法の第一選択は患部の外科的切除術であるとされ、他に、門脈から血流が得られない場合以外の場合について肝動脈を塞栓して癌細胞に対する栄養補給を止めこれを死滅させる治療法(TAE療法)や、腫瘍の直径が三センチメートル以下で個数が三個以下の肝細胞癌について病巣部にエタノールを直接注入して癌細胞を壊死させる治療法(エタノール注入療法)が知られていたが、Dについて肝細胞癌が発見された時点においては、その進行度に照らし、既にいずれの治療法も実施できない状況にあり、Dは、同月二七日、肝細胞癌及び肝不全により死亡した。

 二 本件において、Dの妻である上告人A及び右両名の間の子であるその余の上告人らは、被上告人は、当時の医療水準に応じDについて適切に検査を実施し早期に肝細胞癌を発見してこれに対する治療を施すべき義務を負っていたのに、昭和五八年一一月四日から昭和六一年七月四日までの間に肝細胞癌を発見するための検査を全く行わず、その結果、Dは肝細胞癌に対する適切な治療を受けることができないで、同月二七日に死亡するに至ったのであるから、主位的に不法行為により、予備的に診療契約の債務不履行により、被上告人はDの逸失利益及び精神的苦痛について損害賠償債務を負うところ、上告人らはDの右請求権を相続したなどとして、上告人Aは四〇○○万円、その余の上告人は各自につき一五〇〇万円と、これらについての遅延損害金の支払を求めている。

 原審は、次のように判示し、上告人らの主位的請求を一部認容すべきものとした。

 1 Dは、被上告人の診療を受け始めた昭和五八年一一月四日当時、肝細胞癌の発生する危険性が高い状態にあったのであるから、当時の開業医の医療水準として、被上告人は、自らこれを行うか、又はDに対してE病院等他の医療機関で受診するよう指示するなどして、少なくとも年二回、すなわち、六箇月に一度は、AFP検査及び腹部超音波検査を実施し、その結果肝細胞癌が発生したとの疑いが生じた場合には、更にCT検査等を行って、早期にその確定診断を行うようにすべき注意義務を負っていた。それにもかかわらず、被上告人は、昭和六一年七月五日にAFP検査を一度実施した以外は、Dについて肝細胞癌の発生を想定した検査を一度も実施していないから、被上告人は右注意義務に違反したというべきである。当時の検査装置の性能において検出可能とされる腫瘍の直径が最小一・五センチメートルとされていたことや、Dについて肝細胞癌が発見された当時の腫瘍の状態、肝細胞癌の成長速度に関する知見を考慮すると、被上告人が右注意義務を尽くしていれば、遅くとも昭和六一年一月ころまでには、被上告人はDにつき肝細胞癌を発見し得る高度の蓋然性があったと認められる。

 2 仮に右の時点でDについて肝細胞癌が発見されたとした場合、実際の発見時における肝細胞癌の状況及び当時のDの肝臓の機能が比較的保たれていたことなどからみて、外科的切除術も適切な治療法として実施可能であったと認められる。そして、外科的切除術による治癒又は延命の効果は、腫瘍の直径に応じて大きく異なるが、仮にDにつきこれが二センチメートル未満の状態で発見されていたとすると、治癒するか長期にわたる延命につながる可能性が高かった。
 また、TAE療法の実施についても、腫瘍の直径が二センチメートル未満であれば、一般に門脈への浸潤はなく、同療法の実施は可能である。また、同療法は、四個以上の病巣を持つ多中心性の肝細胞癌や腫瘍の直径が三センチメートルを超える肝細胞癌に対しても、また、肝機能が悪化して外科的切除術が実施できない場合についても、有効であって、他の療法と組み合わせて実施することにより、大きな腫瘍の場合であっても、延命は可能である。
 このように、被上告人がDについて当時の医療水準に応じた注意義務に従って肝細胞癌を発見していれば、右各治療法のいずれか又はこれらを組み合わせたものの適切な実施により、ある程度の延命効果が得られた可能性が認められる。

 3 しかしながら、右のようにDについて延命の可能性が認められるとしても、いつの時点でどのような癌を発見することができたかという点などの本件の不確定要素に照らすと、どの程度の延命が期待できたかは確認できないから、被上告人の前記注意義務違反とDの死亡との間に相当因果関係を認めることはできない。

 4 もっとも、Dは、被上告人の前記注意義務違反により、肝細胞癌に対するある程度の延命が期待できる適切な治療を受ける機会を奪われ、延命の可能性を奪われたものであり、これにより精神的苦痛を受けたと認められる。本件の事情を総合考慮すると、Dの右精神的苦痛に対する慰謝料については、三〇〇万円をもって相当と認め、他に弁護士費用として六〇万円をもって相当と認める。上告人らは、右各損害合計三六〇万円についてのDの損害賠償請求権を、各自の相続分に従って相続したものというべきである。

 三 しかしながら、被上告人の注意義務違反とDの死亡との間の因果関係の存在を否定した原審の右3の判断は是認することができず、したがって、損害額に関する右4の判断も是認することができない。その理由は、次のとおりである。

 1 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである(最高裁昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決)。

右は、医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係の存否の判断においても異なるところはなく、経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し、医師の右不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである。

患者が右時点の後いかほどの期間生存し得たかは、主に得べかりし利益その他の損害の額の算定に当たって考慮されるべき由であり、前記因果関係の存否に関する判断を直ちに左右するものではない。

 2 これを本件について見るに、原審は、被上告人が当時の医療水準に応じた注意義務に従ってDにつき肝細胞癌を早期に発見すべく適切な検査を行っていたならば、遅くとも死亡の約六箇月前の昭和六一年一月の時点で外科的切除術の実施も可能な程度の肝細胞癌を発見し得たと見られ、右治療法が実施されていたならば長期にわたる延命につながる可能性が高く、TAE療法が実施されていたとしてもやはり延命は可能であったと見られる旨判断しているところ、前記判示に照らし、また、原審が判断の基礎とした甲第七九号証、第八八号証等の証拠の内容をも考慮すると、その趣旨とするところは、Dの肝細胞癌が昭和六一年一月に発見されていたならば、以後当時の医療水準に応じた通常の診療行為を受けることにより、同人は同年七月二七日の時点でなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が認められるというにあると解される。

そうすると、肝細胞癌に対する治療の有効性が認められないというのであればともかく、このような事情の存在しない本件においては、被上告人の前記注意義務違反と、Dの死亡との間には、因果関係が存在するものというべきである。

してみると、被上告人の注意義務違反とDの死亡との間の因果関係を否定した原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるというほかはなく、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。

この点をいう論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中上告人ら敗訴の部分は破棄を免れない。そして、右部分については、更に審理を尽くさせる必要があるから、原審に差し戻すこととする。