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地方教育行政の組織及び運営に関する法律五四条二項と昭和三六年度全国中学校一せい学力調査の手続上の適法性  憲法と子どもに対する教育内容の決定権能の帰属

 昭和51年5月21日最高裁判所大法廷判決

裁判要旨    

一、地方教育行政の組織及び運営に関する法律五四条二項は、文部大臣に対し、昭和三六年度全国中学生一せい学力調査のような調査の実施を教育委員会に要求する権限を与えるものではないが、右規定を根拠とする文部大臣の右学力調査の実施の要求に応じて教育委員会がした実施行為は、そのために手続上違法となるものではない。
二、憲法上、親は一定範囲においてその子女の教育の自由をもち、また、私学教育の自由及び教師の教授の自由も限られた範囲において認められるが、それ以外の領域においては、国は、子ども自身の利益の擁護のため、又は子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、子どもの教育内容を決定する権能を有する。
三、教育行政機関が法令に基づき教育の内容及び方法に関して許容される目的のために必要かつ合理的と認められる規制を施すことは、必ずしも教育基本法一〇条の禁止するところではない。
四、昭和三六年当時の中学校学習指導要領(昭和三三年文部省告示第八一号)は、全体としてみた場合、中学校における教育課程に関し、教育の機会均等の確保及び全国的な一定水準の維持の目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な遵守基準を設定したものとして、有効である。
五、昭和三六年度全国中学校一せい学力調査は、教育基本法一〇条一項にいう教育に対する「不当な支配」として同条に違反するものではない。
六、文部大臣が地方教育行政の組織及び運営に関する法律五四条二項の規定を根拠として教育委員会に対してした昭和三六年度全国中学校一せい学力調査の実施の要求は、教育の地方自治の原則に違反するが、右要求に応じてした教育委員会の調査実施行為自体は、そのために右原則に違反して違法となるものではない。

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=57016

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/016/057016_hanrei.pdf

 (本件の経過)
 本件公訴事実の要旨は、
 被告人らは、いずれも、昭和三六年一〇月二六日旭川市立E中学校において実施予定の全国中学校一せい学力調査を阻止する目的をもつて、当日、他の数十名の説得隊員とともに、同校に赴いた者であるところ、
 第一 被告人D、同A、同Bは、前記説得隊員と共謀のうえ、同校校長Fの制止にもかかわらず、強いて同校校舎内に侵入し、その後、同校長より更に強く退去の要求を受けたにもかかわらず、同校舎内から退去せず、
 第二 同校長が同校第二学年教室において右学力調査を開始するや、

 (一) 被告人Dは、約一〇名の説得隊員と共謀のうえ、右学力調査立会人として旭川市教育委員会から派遣された同委員会事務局職員Gが右学力調査の立会に赴くため同校長室を出ようとしたのに対し、共同して同人に暴行、脅迫を加えて、その公務の執行を妨害し、
 (二) 被告人Bは、右学力調査補助者Hに対し暴行を加え、

 (三) 被告人I、同B、同Cは、外三、四〇名の説得隊員と共謀のうえ、右学力調査を実施中の各教室を見回りつつあつた同校長に対し、共同して暴行、脅迫を加えて、その公務の執行を妨害したものである、
というものであつて、第一の事実につき建造物侵入罪、第二の(一)及び(三)の事実につき公務執行妨害罪、第二の(二)の事実につき暴行罪に該当するとして、起訴されたものである。 

 (検察官の上告趣意第二点について)
 一  論旨
 論旨は、要するに、第一審判決及び原判決において、本件学力調査が違法であるとし、したがつて、これを実施しようとしたF校長に対する暴行は公務執行妨害罪とならないとしているのは、本件学力調査の適法性に関する法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。よつて、所論にかんがみ、職権により、本件学力調査の適法性について判断する。
 二 本件学力調査の適法性に関する問題点
 1 本件学力調査の概要
 文部省は、昭和三五年秋ころ、全国中学校第二、三学年の全生徒を対象とする一せい学力調査を企画し、これを雑誌等を通じて明らかにした後、昭和三六年三月八日付文部省初等中等教育局長、同調査局長連名による「中学校生徒全国一せい学力調査の実施期日について(通知)」と題する書面を、次いで、同年四月二七日付同連名による「昭和三六年度全国中学校一せい学力調査実施について」と題する書面に調査実施要綱を添付したものを、各都道府県教育委員会教育長等にあて送付し、各都道府県教育委員会に対し、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)五四条二項に基づき、右調査実施要綱による調査及びその結果に関する資料、報告の提出を求めた。右調査実施要綱は、(1) 本件学力調査の目的は、(イ)文部省及び教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること、(ロ)中学校においては、自校の学習の到達度を全国的な水準との比較においてみることにより、その長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること、(ハ)文部省及び教育委員会においては、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、(ニ)文部省及び教育委員会においては、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てる等今後の教育施策を行うための資料とすること等であり、(2) 調査の対象は、全国中学校第二、三学年の全生徒とし、(3) 調査する教科は、国語、社会、数学、理科、英語の五教科とし、(4) 調査の実施期日は、昭和三六年一〇月二六日午前九時から午後三時までの間に、一教科五〇分として行い、(5) 調査問題は、文部省において問題作成委員会を設けて教科別に作成し、(6) 調査の系統は、都道府県教育委員会(以下「都道府県教委」という。)は当該都道府県内の学力調査の全般的な管理運営にあたり、また、市町村教育委員会(以下「市町村教委」という。)は当該市町村の公立中学校の学力調査を実施するが、右実施のため、原則として、管内の各中学校長を当該学校のテスト責任者に、同教員を同補助員に命じ、更に教育委員会事務局職員などをテスト立会人として各中学校に派遣し、(7) 調査結果の整理集計は、原則として、市町村立学校については市町村教委が行い、都道府県教委において都道府県単位の集計を文部省に提出するものとし、(8) なお、調査結果の利用については、生徒指導要録の標準検査の記録欄に調査結果の換算点を記録する、等の内容を含むものである。

そこで、北海道教育委員会(以下「北海道教委」という。)は、同年六月二〇日付教育長名の通達により、道内各市町村教委に対して同旨の調査及びその結果に関する資料、報告の提出を求め、これを受けた旭川市教育委員会(以下「旭川市教委」という。)においては、同年一〇月二三日、同市立の各中学校長に対し、学校長をテスト責任者として各中学校における本件学力調査の実施を命じるに至つた。 

 

原判決は、地教行法五四条二項は、文部大臣において地教委が自主的に実施した調査につきその結果の提出を要求することができることを規定したにとどまり、その前提としての調査そのものの実施を要求する権限を認めたものではないから、文部省が同条項の規定を根拠として本件学力調査の実施を要求することはできず、この点においても右調査の実施は手続上違法である、と判示している。
地教行法五四条二項が、同法五三条との対比上、文部大臣において本件学力調査のような調査の実施を要求する権限までをも認めたものと解し難いことは、原判決の説くとおりである。しかしながら、このことは、地教行法五四条二項によつて求めることができない文部大臣の調査要求に対しては、地教委においてこれに従う法的義務がないということを意味するだけであつて、右要求に応じて地教委が行つた調査行為がそのために当然に手続上違法となるわけのものではない。地教委は、前述のように、地教行法二三条一七号により当該地方公共団体の教育にかかる調査をする権限を有しており、各市町村教委による本件学力調査の実施も、当該市町村教委が文部大臣の要求に応じその所掌する中学校の教育にかかる調査として、右法条に基づいて行つたものであつて、文部大臣の要求によつてはじめて法律上根拠づけられる調査権限を行使したというのではないのである。その意味において、文部大臣の要求は、法手続上は、市町村教委による調査実施の動機をなすものであるにすぎず、その法的要件をなすものではない。それ故、本件において旭川市教委が旭川市立の各中学校につき実施した調査行為は、たとえそれが地教行法五四条二項の規定上文部大臣又は北海道教委の要求に従う義務がないにもかかわらずその義務があるものと信じてされたものであつても、少なくとも手続法上は権限なくしてされた行為として違法であるということはできない。そして、市町村教委は、市町村立の学校を所管する行政機関として、その管理権に基づき、学校の教育課程の編成について基準を設定し、一般的な指示を与え、指導、助言を行うとともに、特に必要な
場合には具体的な命令を発することもできると解するのが相当であるから、旭川市教委が、各中学校長に対し、授業計画を変更し、学校長をテスト責任者としてテストの実施を命じたことも、手続的には適法な権限に基づくものというべく、要するに、本件学力調査の実施には手続上の違法性はないというべきである。 

 

子どもはその成長の過程において他からの影響によつて大きく左右されるいわば可塑性をもつ存在であるから、子どもにどのような教育を施すかは、その子どもが将来どのような大人に育つかに対して決定的な役割をはたすものである。それ故、子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者が、それぞれその教育の内容及び方法につき深甚な関心を抱き、それぞれの立場からその決定、実施に対する支配権ないしは発言権を主張するのは、極めて自然な成行きということができる。子どもの教育は、前述のように、専ら子どもの利益のために行われるべきものであり、本来的には右の関係者らがその目的の下に一致協力して行うべきものであるけれども、何が子どもの利益であり、また、そのために何が必要であるかについては、意見の対立が当然に生じうるのであつて、そのために教育内容の決定につき矛盾、対立する主張の衝突が起こるのを免れることができない。憲法がこのような矛盾対立を一義的に解決すべき一定の基準を明示的に示していないことは、上に述べたとおりである。そうであるとすれば、憲法の次元におけるこの問題の解釈としては、右の関係者らのそれぞれの主張のよつて立つ憲法上の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するのが、最も合理的な解釈態度というべきである。

そして、この観点に立つて考えるときは、まず親は、子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に対して最も深い関心をもち、かつ、配慮をすべき立場にある者として、子どもの教育に対する一定の支配権、すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが、このような親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし、また、私学教育における自由や前述した教師の教授の自由も、それぞれ限られた一定の範囲においてこれを肯定するのが相当であるけれども、それ以外の領域においては、一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせないのである。もとより、政党政治の下で多数決原理によつてされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によつて左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によつて支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤つた知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許されないと解することができるけれども、これらのことは、前述のような子どもの教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由となるものではないといわなければならない。 

 

教基法一〇条一項は、その文言からも明らかなように、教育が国民から信託されたものであり、したがつて教育は、右の信託にこたえて国民全体に対して直接責任を負うように行われるべく、その間において不当な支配によつてゆがめられることがあつてはならないとして、教育が専ら教育本来の目的に従つて行われるべきことを示したものと考えられる。
これによつてみれば、同条項が排斥しているのは、教育が国民の信託にこたえて右の意味において自主的に行われることをゆがめるような「不当な支配」であつて、そのような支配と認められる限り、その主体のいかんは問うところでないと解しなければならない。それ故、論理的には、教育行政機関が行う行政でも、右にいう「不当な支配」にあたる場合がありうることを否定できず、問題は、教育行政機関が法令に基づいてする行為が「不当な支配」にあたる場合がありうるかということに帰着する。思うに、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここにいう「不当な支配」となりえないことは明らかであるが、上に述べたように、他の教育関係法律は教基法の規定及び同法の趣旨、目的に反しないように解釈されなければならないのであるから、教育行政機関がこれらの法律を運用する場合においても、当該法律規定が特定的に命じていることを執行する場合を除き、教基法一〇条一項にいう「不当な支配」とならないように配慮しなければならない拘束を受けているものと解されるのであり、その意味において、教基法一〇条一項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるも のといわなければならない。 

 

憲法上、国は、適切な教育政策を樹立、実施する権能を有し、国会は、国の立法機関として、教育の内容及び方法についても、法律により、直接に又は行政機関に授権して必要かつ合理的な規制を施す権限を有するのみならず、子どもの利益のため又は子どもの成長に対する社会公共の利益のためにそのような規制を施すことが要請される場合もありうるのであり、国会が教基法においてこのような権限の行使を自己限定したものと解すべき根拠はない。むしろ教基法一〇条は、国の教育統制権能を前提としつつ、教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立に置き、その整備確立のための措置を講ずるにあたつては、教育の自主性尊重の見地から、これに対する「不当な支配」となることのないようにすべき旨の限定を付したところにその意味があり、したがつて、教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるとしても、許容される目的のために必要かつ合理的と認められるそれは、たとえ教育の内容及び方法に関するものであつても、必ずしも同条の禁止するところではないと解するのが、相当である。

 

学習指導要領についていえば、文部大臣は、学校教育法三八条、一〇六条による中学校の教科に関する事項を定める権限に基づき、普通教育に属する中学校における教育の内容及び方法につき、上述のような教育の機会均等の確保等の目的のために必要かつ合理的な基準を設定することができるものと解すべきところ、本件当時の中学校学習指導要領の内容を通覧するのに、おおむね、中学校において地域差、学校差を超えて全国的に共通なものとして教授されることが必要な最小限度の基準と考えても必ずしも不合理とはいえない事項が、その根幹をなしていると認められるのであり、その中には、ある程度細目にわたり、かつ、詳細に過ぎ、また、必ずしも法的拘束力をもつて地方公共団体を制約し、又は教師を強制するのに適切でなく、また、はたしてそのように制約し、ないしは強制する趣旨であるかどうか疑わしいものが幾分含まれているとしても、右指導要領の下における教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分に残されており、全体としてはなお全国的な大綱的基準としての性格をもつものと認められるし、また、その内容においても、教師に対し一方的な一定の理論ないしは観念を生徒に教え込むことを強制するような点は全く含まれていないのである。それ故、上記指導要領は、全体としてみた場合、教育政策上の当否はともかくとして、少なくとも法的見地からは、上記目的のために必要かつ合理的な基準の設定として是認することができるものと解するのが、相当である。 

 

原判決は、本件学力調査の結果として、全国の中学校及びその教師の間に、学習指導要領の指示するところに従つた教育を行う風潮を生じさせ、教師の教育の自由が阻害される危険性があることをいうが、もともと右学習指導要領自体が全体としてみて中学校の教育課程に関する基準の設定として適法なものであり、これによつて必ずしも教師の教育の自由を不当に拘束するものとは認められないことはさきに述べたとおりであるのみならず、本件学力調査は、生徒の一般的な学力の実態調査のために行われたもので、学校及び教師による右指導要領の遵守状況を調査し、その結果を教師の勤務評定にも反映させる等して、間接にその遵守を強制ないしは促進するために行われたものではなく、右指導要領は、単に調査のための試験問題作成上の基準として用いられたにとどまつているのである。もつとも、右調査の実施によつて、原判決の指摘するように、中学校内の各クラス間、各中学校間、更には市町村又は都道府県間における試験成績の比較が行われ、それがはねかえつてこれらのものの間の成績競争の風潮を生み、教育上必ずしも好ましくない状況をもたらし、また、教師の真に自由で創造的な教育活動を畏縮させるおそれが絶無であるとはいえず、教育政策上はたして適当な措置であるかどうかについては問題がありうべく、更に、前記のように、試験の結果を生徒指導要録の標準検査の欄に記録させることとしている点については、特にその妥当性に批判の余地があるとしても、本件学力調査実施要綱によれば、同調査においては、試験問題の程度は全体として平易なものとし、特別の準備を要しないものとすることとされ、また、個々の学校、生徒、市町村、都道府県についての調査結果は公表しないこととされる等一応の配慮が加えられていたことや、原判決の指摘する危険性も、教師自身を含めた教育関係者、父母、その他社会一般の良識を前提とする限り、それが全国的に現実化し、教育の自由が阻害されることとなる可能性がそれほど強いとは考えられないこと(原判決の挙げている一部の県における事例は、むしろ例外的現象とみるべきである。)等を考慮するときは、法的見地からは、本件学力調査を目して、前記目的のための必要性をもつてしては正当化することができないほどの教育に対する強い影響力、支配力をもち、教基法一〇条にいう教育に対する「不当な支配」にあたるものとすることは、相当ではなく、結局、本件学力調査は、その調査の方法において違法であるということはできない。 

以上説示のとおりであつて、本件学力調査には、教育そのものに対する「不当な支配」として教基法一〇条に違反する違法があるとすることはできない。 

文部大臣は、地教行法五四条二項によつては地教委に対し本件学力調査の実施をその義務として要求することができないことは、さきに三において述べたとおりであり、このような要求をすることが教育に関する地方自治の原則に反することは、これを否定することができない。しかしながら、文部大臣の右要求行為が法律の根拠に基づかないものであるとしても、そのために右要求に応じて地教委がした実施行為が地方自治の原則に違反する行為として違法となるかどうかは、おのずから別個の問題である。思うに、文部大臣が地教行法五四条二項によつて地教委に対し本件学力調査の実施を要求することができるとの見解を示して、地教委にその義務の履行を求めたとしても、地教委は必ずしも文部大臣の右見解に拘束されるものではなく、文部大臣の右要求に対し、これに従うべき法律上の義務があるかどうか、また、法律上の義務はないとしても、右要求を一種の協力要請と解し、これに応ずるのを妥当とするかどうかを、独自の立場で判断し、決定する自由を有するのである。それ故、地教委が文部大臣の要求に応じてその要求にかかる事項を実施した場合には、それは、地教委がその独自の判断に基づきこれに応ずべきものと決定して実行に踏み切つたことに帰着し、したがつて、たとえ右要求が法律上の根拠をもたず、当該地教委においてこれに従う義務がない場合であつたとしても、地教委が当該地方公共団体の内部において批判を受けることは格別、窮極的にはみずか
らの判断と意見に基づき、その有する権限の行使としてした実施行為がそのために実質上違法となるべき理はないというべきである。それ故、本件学力調査における調査の実施には、教育における地方自治の原則に反する違法があるとすることはできない。