最高裁判例の勉強部屋:毎日数個の最高裁判例を読む

上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

 遺言公正証書の原本に公証人の署名押印がなかったとした原審の認定判断に経験則違反又は採証法則違反の違法があるとされた事例

平成16年2月26日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
現時点においては公証人の署名押印がある遺言公正証書原本について,当該原本を利用して作成された謄本の作成方法についての公証人及び書記の証言等の内容に食違いがあることなどを理由として,上記謄本作成の時点において公証人の署名押印がなかったとした原審の認定判断には,上記謄本の作成方法についての公証人及び書記の証言等は,その細部に食違いがあるものの主要な部分で一致していること,原本の各葉上部欄外には公証人の印による契印がされているのに公証人の署名欄に署名押印がされていないとするのは不自然であること,公証人が原本作成と同じ日に作成して遺言者に交付した正本及び謄本には公証人の署名押印がされていることなど判示の事情の下では,特段の事情の存しない限り,経験則違反又は採証法則違反の違法がある。

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=62500

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/500/062500_hanrei.pdf

 

 1 本件は,被上告人らが,上告人に対し,上告人の養親であり被上告人らの父である丁を遺言者とする平成5年6月2日付け遺言公正証書(「本件公正証書」)による遺言(「本件遺言」)が無効であることの確認を求める事案である。被上告人らは,本件公正証書が公証人の署名押印を欠くものであったとして,民法の定める方式に違反し,無効であると主張している。

 2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

 (1) 丁は,平成5年6月2日,証人2名と共に,大阪法務局所属公証人戊が執務する役場に赴き,戊公証人に対し,本件公正証書の作成を嘱託した。戊公証人は,同日,同役場において,遺言内容を丁及び証人に読み聞かせて承認を受け,本件公正証書原本の所定の欄に同人らの署名押印を得た。そして,戊公証人は,同日,本件公正証書正本(「5年正本」)及び謄本(「5年謄本」)を作成し,これらを丁に交付した。

 (2) 戊公証人が作成した同日付け本件公正証書原本の現在における記載内容等は,第1審判決別紙三(ただし,1枚目表上部欄外の戊公証人の書き込み部分及び押印部分を除く。)のとおりである。その本体は,字枠及び罫線が印刷され袋とじにされた公正証書用紙が用いられ,全2枚表裏各12行であり,その2枚目表9行目には遺言者である丁の署名押印があり,同10,11行目には,証人2名の各署名押印がある。その2枚目裏6行目には,「公証人」の肩書記載の下の署名欄(「第1署名欄」)に戊公証人の毛筆による署名及び押印がされている。
そして,同8行目から9行目にかけて「嘱託人丁のため,前同日正本壱通を交付する。」との記載があり,同12行目の「公証人」の肩書記載の下の署名欄(「第2署名欄」)にも,戊公証人の毛筆による署名及び押印がされている。
その1枚目裏及び2枚目裏の各欄外の左下部分には,それぞれ丁数を示す漢数字の印字「一」,「二」があり,各葉の上部欄外には戊公証人の印による契印がされている。

 (3) 本件公正証書の原本と同じ日に作成された5年正本の2枚目裏6行目の署名欄には,戊公証人の署名押印に代えて,戊公証人の記名とその押印があることを表示する記載(印という字を四角で囲ったもの。以下「押印表示」という。)がされており,同7行目から9行目にかけて,「此の正本は,公正証書原本に依り作成し,請求者丁に交付する。前同日本職の役場において。」との記載があり,同12行目の「公証人」の肩書記載の下の署名欄には,戊公証人の毛筆による署名及び押印がされている。
 本件公正証書原本と同じ日に作成された5年本の2枚目裏6行目の署名欄の記載は,5年正本の上記記載と同じであり,同11行目の「公証人」の肩書記載の下の署名欄には,戊公証人の毛筆による署名及び押印がされている。

 (4) 丁は,平成7年3月1日に死亡した。

 (5) 戊公証人は,平成8年4月22日,被上告人丙の申請に基づき,本件公正証書謄本(「8年謄本」)を作成し,これを同被上告人に交付した。
 8年謄本の記載内容等は,第1審判決別紙一のとおりである。その1枚目表1行目から2枚目裏6行目の「公証人」の肩書記載までの部分は,原本と同様の記載がされており,上記「公証人」の肩書記載の下の署名欄には,戊公証人の記名と押印表示が記載され,同8行目から9行目にかけて「右は謄本である。平成八年四月弐拾弐日本職役場において。」との記載があり,同12行目の「公証人」の肩書記載の下の署名欄には,戊公証人の毛筆による署名及び押印がされている。その1枚目裏から2枚目表にかけて上部欄外に朱肉による契印と複写された契印の記載があり,2枚目裏上部欄外に複写された契印の右側半分の記載がある。その1枚目裏及び2枚目裏の各欄外の左下部分には,それぞれ丁数を示す漢数字が記載されている。

 (6) 本件公正証書の原本の作成状況等につき,第1審において戊公証人の書面尋問及び証人尋問が行われ,原審において戊公証人の下で執務していた主任書記である己の陳述書(「己書記の陳述書」)が提出されたが,その内容は,いずれも,本件公正証書の作成日に,その原本に戊公証人の署名押印がされたというものである。
 もっとも,本件公正証書の原本から8年謄本を作成した方法については,上記各証拠において,次のとおり,それぞれ異なる内容の証言又は記載がされている。
 戊公証人は,書面尋問に対しては,原本を複写したコピーの一部(2枚目裏6行目の第1署名欄以降の部分)を原判決別紙1の線で切り取り,その下に白紙の公正証書用紙を重ねて再度複写し,そのコピーの第1署名欄に公証人名のゴム印等を押し,末尾の第2署名欄に署名押印をしたと回答したが,証人尋問においては,原本のコピーの一部を切り取った線は,上記の線と若干異なり,原判決別紙2のとおりであると証言した。
 また,己書記の陳述書には,同人が8年謄本の作成を担当したこと,その作成方法は,原本を複写したコピーの第1署名欄以降の部分を,原判決別紙3のとおり切り取り,これに白紙の公正証書用紙をあてがって更に複写したコピーの第1署名欄に公証人名のゴム印等を押し,末尾の第2署名欄に戊公証人の署名押印を得たこと,8年謄本の原本には間違いなく戊公証人の署名押印があったこと等の記載がある。

 3 原審は,次のとおり判断して,被上告人らの請求を認容した。

 戊公証人の書面尋問に対する回答及び第1審における証言(これらを「戊公証人の証言等」)並びに己書記の陳述書の記載による8年謄本の作成方法は,それぞれ内容が異なり矛盾するものである。
 戊公証人の証言等による8年謄本の作成方法は,8年謄本の2枚目裏欄外の左下に丁数を示す漢数字が複写されていることと整合しない。
 また,己書記の陳述書は,戊公証人の証言の難点を回避するために作成,提出されたものであり,その戊公証人の上記証言自体も,実質的には己書記が経験したことを同人から聞き取って行われたものであるところ,上記のとおり信用性が疑わしいので,それに続く己書記の陳述書の信用性も疑わしい。さらに,8年謄本の2枚目裏10行目から12行目までの文字記載が,本件公正証書の原本の当該部分と酷似していること,原本のコピー紙を切り取るときに4か所に現れやすいコピーによるずれが8年謄本には全くうかがえないことなどに照らしても,8年謄本の作成に当たり,原本の2枚目裏6行目第1署名欄以降の部分を切り取り,これに白紙の公正証書用紙をあてがって複写したとの己書記の陳述書を採用することはできない。
 以上によれば,戊公証人の証言等及び己書記の陳述書のうち,本件公正証書の原本の作成日に戊公証人の原本への署名押印がされたとする点については信用することができない。これに加えて8年謄本及び本件公正証書の原本の細部にわたる各状態等を参酌すると,8年謄本は,本件公正証書の原本を,その2枚目裏6行目の公証人の第1署名欄に署名押印がなく,同7行目から9行目までに文字記載がなく,同10行目から12行目までには,「大阪市a区b町c丁目d番e号(fビル内)」,「大阪法務局所属」,「公証人」の印字のみがある状態で複写した上,戊公証人がその余の署名等を加えて完成させたものと推認するほかない。
 そうすると,本件公正証書の原本は,少なくとも,8年謄本が作成された平成8年4月22日まで,公証人の署名押印を欠くものであったと認められるから,本件遺言は,民法960条,969条の方式を欠き,無効である。

 4 しかしながら,原審の上記認定判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。 前記事実関係によれば,

(1) 戊公証人の証言等及び己書記の陳述書の記載において,本件公正証書の原本を利用して8年謄本を作成する具体的な方法の細部(原本のコピーの切り取り方)に食違いがあることは原審が指摘するとおりであるが,上記各証拠は,本件公正証書の原本を複写したコピーの2枚目裏6行目の第1署名欄(戊公証人の署名押印がされていたとされる部分)以降の部分を切り取り,これに白紙の公正証書用紙をあてがって更に複写したコピーの第1署名欄に公証人名のゴム印等を押し,末尾の第2署名欄に戊公証人が署名押印をしたという8年謄本の作成方法の主要な部分については,一致しており,その内容に食違いはないこと,

(2) 本件公正証書の原本の各葉上部欄外には,戊公証人の印による契印がされているにもかかわらず,第1署名欄の署名及び押印のみがされておらず,また,2枚目裏の7行目から9行目までが空欄であるにもかかわらず,本来この部分の記載に続けて行を詰めて記載されるべき10行目以下の印字がされていたというのは,通常の書類作成手順に照らして不自然であること,

(3) 本件公正証書の原本が作成された平成5年6月2日には,その原本に基づいて5年正本及び5年謄本が作成され,同日,丁に交付されたが,その5年正本及び5年謄本には,いずれもその2枚目裏11行目又は12行目に戊公証人の署名押印がされているのに,その原本についてのみ,戊公証人が殊更に民法所定の方式に従わずに第1署名欄に署名押印をせず,8年謄本作成の時点(平成8年4月22日)まで,原審が説示するような不自然かつ不完全な状態のままで放置していたとは,通常考え難いこと等が明らかである。さらに,記録によれば,

(4) 大阪法務局は,毎年9月に公証原本の検閲等の公証事務の監査を行っており,戊公証人が所属する役場においても,平成5年9月1日に同年8月31日までの1年分の嘱託事件について抽出調査による検閲が行われたが,その際,署名押印漏れ等の不当事例や誤りの指摘を受けなかったこと,

(5) 8年謄本は,本件公正証書の原本の閲覧を申し出た被上告人らに対し,戊公証人が,書庫から搬出した原本を閲覧させた上で作成したものであるが,その際,被上告人らから,原本に公証人の署名押印がない旨の指摘がされた形跡はないこと等の事情をうかがうことができる。

【要旨】以上の諸点にかんがみると,前記事実関係の下で,戊公証人の証言等及び己書記の陳述書の記載において本件公正証書の原本を利用して8年謄本を作成する具体的な方法の細部(原本のコピーの切り取り方)に食違いがあること等の原審が説示する前記の事情を基に,公務員が職務上作成した公文書たる本件公正証書の原本について,それが作成された時点はもとより,8年謄本が作成された時点においても,戊公証人の署名押印がなかったと認定することは,他にこれを首肯するに足りる特段の事情の存しない限り,経験則又は採証法則に反するものというべきである。

 5 そうすると,本件において,上記特段の事情の存することについて認定説示することなく,本件公正証書が作成された時点はもとより,8年謄本が作成された時点においても,その原本に戊公証人の署名押印がなかったとした原審の認定判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違反又は採証法則違反の違法がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,本件については,上記特段の事情の存否等について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。