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上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

被害者を殺害した加害者が被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出したため相続人がその事実を知ることができなかった場合における上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権と民法724条後段の除斥期間

平成21年4月28日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
被害者を殺害した加害者が被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し,そのために相続人はその事実を知ることができず,相続人が確定しないまま上記殺害の時から20年が経過した場合において,その後相続人が確定した時から6か月内に相続人が上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法160条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じない。
(意見がある。)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/556/037556_hanrei.pdf

1 本件は,殺人事件の被害者の有していた権利義務を相続した被上告人らが,加害者である上告人に対して,不法行為に基づく損害賠償を請求する事案であり,不法行為から20年が経過したことによって,民法724条後段の規定に基づき損害賠償請求権が消滅したか否かが争われている。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

(1) Aは,足立区立a小学校(以下「本件小学校」という。)に図工教諭として勤務していた者であり,上告人は,本件小学校に学校警備主事として勤務していた者である。

(2) 上告人は,昭和53年8月14日,本件小学校内においてAを殺害し(以下「本件殺害行為」という。),その死体を同月16日までに上告人の自宅の床下に掘った穴に埋めて隠匿した。

(3) Aの両親であるB及びCは,Aの行方が分からなくなったため,警察に捜索願を出し,本件小学校の教職員らと共に校内やAの住んでいたアパートの周辺を捜すなどしたが,手掛かりをつかむことができなかった。

(4) Bは,昭和57年▲月▲日に死亡し,C及び被上告人ら(いずれもBとCの間の子であり,Aの弟である。)が,その権利義務を相続した。

(5) 上告人は,本件殺害行為の発覚を防ぐため,自宅の周囲をブロック塀,アルミ製の目隠し等で囲んで内部の様子を外部から容易にうかがうことができないようにし,かつ,サーチライトや赤外線防犯カメラを設置するなどした。

(6) 上告人の自宅を含む土地は,平成6年ころ,土地区画整理事業の施行地区となった。上告人は,当初は自宅の明渡しを拒否していたが,最終的には明渡しを余儀なくされたため,死体が発見されることは避けられないと思い,本件殺害行為から約26年後の平成16年8月21日に,警察署に自首した。

(7) 上告人の自宅の捜索により床下の地中から白骨化した死体が発見され,DNA鑑定の結果,平成16年9月29日,それがAの死体であることが確認された。これにより,C及び被上告人らは,Aの死亡を知った。

(8) C及び被上告人らは,平成17年4月11日,本件訴えを提起した。

(9) Cは平成19年▲月▲日に死亡し,被上告人らがその権利義務を相続した。

民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により上記請求権が消滅したものと判断すべきである(最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決)。
ところで,民法160条は,相続財産に関しては相続人が確定した時等から6か月を経過するまでの間は時効は完成しない旨を規定しているが,その趣旨は,相続人が確定しないことにより権利者が時効中断の機会を逸し,時効完成の不利益を受けることを防ぐことにあると解され,相続人が確定する前に時効期間が経過した場合にも,相続人が確定した時から6か月を経過するまでの間は,時効は完成しない(最高裁昭和35年9月2日第二小法廷判決)。そして,相続人が被相続人の死亡の事実を知らない場合は,同法915条1項所定のいわゆる熟慮期間が経過しないから,相続人は確定しない。

これに対し,民法724条後段の規定を字義どおりに解すれば,不法行為により被害者が死亡したが,その相続人が被害者の死亡の事実を知らずに不法行為から20年が経過した場合は,相続人が不法行為に基づく損害賠償請求権を行使する機会がないまま,同請求権は除斥期間により消滅することとなる。

しかしながら,被害者を殺害した加害者が,被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し,そのために相続人はその事実を知ることができず,相続人が確定しないまま除斥期間が経過した場合にも,相続人は一切の権利行使をすることが許されず,相続人が確定しないことの原因を作った加害者は損害賠償義務を免れるということは,著しく正義・公平の理念に反する。このような場合に相続人を保護する必要があることは,前記の時効の場合と同様であり,その限度で民法724条後段の効果を制限することは,条理にもかなうというべきである(最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決)。

そうすると,被害者を殺害した加害者が,被害者の相続人において被害者の死亡の事実を知り得ない状況を殊更に作出し,そのために相続人はその事実を知ることができず,相続人が確定しないまま上記殺害の時から20年が経過した場合において,その後相続人が確定した時から6か月内に相続人が上記殺害に係る不法行為に基づく損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法160条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないものと解するのが相当である。

4 これを本件についてみるに,前記事実関係によれば,上告人が本件殺害行為後にAの死体を自宅の床下に掘った穴に埋めて隠匿するなどしたため,B,C及び被上告人らはAの死亡の事実を知ることができず,相続人が確定せず損害賠償請求権を行使する機会がないまま本件殺害行為から20年が経過したというのである。
そして,C及び被上告人らは,平成16年9月29日にAの死亡を知り,それから3か月内に限定承認又は相続の放棄をしなかったことによって単純承認をしたものとみなされ(民法915条1項,921条2号),これにより相続人が確定したところ,更にそれから6か月内である平成17年4月11日に本件訴えを提起したというのであるから,本件においては前記特段の事情があるものというべきであり,民法724条後段の規定にかかわらず,本件殺害行為に係る損害賠償請求権が消滅したということはできない。

5 以上と同旨の原審の判断は,正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官田原睦夫の意見がある。

 

 民法391条にもとづく優先償還をすることなく抵当権者に対してされた競売代金の交付と不当利得の成否

 昭和48年7月12日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
抵当不動産の第三取得者が、民法三九一条にもとづく優先償還請求権を有しているにもかかわらず、抵当不動産の競売代金が抵当権者に交付されたため優先償還を受けられなかつたときは、右第三取得者は、抵当権者に対し不当利得返還請求権を有する。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/091/052091_hanrei.pdf

 所論は、上告人の予備的請求に関し不当利得の成立を否定した原審判断に法令違背があるというのである。
 所論の点に関し原審が確定した事実関係は、

(1)上告人は、昭和三九年九月訴外D工業株式会社から当時農地であつた第一審判決添付別紙目録記載の土地(「本件土地」)を買い受けてその所有権を取得した後、これを宅地に造成することとし、訴外有限会社E建設に請負わせて同年一二月から昭和四〇年一月ごろまでの間埋立工事をして宅地とし、その請負代金として合計一二〇〇万円を支払つた、

(2)本件土地には上告人がその所有権を取得する以前に訴外D工業株式会社を債務者とし、被上告人を債権者とする根抵当権(仙台法務局昭和三九年一月一八日受付第一五四〇号)等が設定されていたため、昭和四〇年六月二一日本件土地に対して抵当権の実行による競売手続が開始され(仙台地方裁判所昭和四〇年(ケ)第七一号事件)、昭和四三年九月九日訴外株式会社F商会外一名に対し代金六四八〇万円で競落許可決定がされた、

(3)一方上告人は、本件土地につき前記の宅地造成のため一二〇〇万円の有益費を支出しているとして右競売代金六四八〇万円から右の有益費の償還を受けるため競売裁判所にその配当要求をしたが、それが競落期日の後になされたものであつたため、結局昭和四四年一月二一日同裁判所において右配当要求金額が計上されない第一審判決添付別表第一のごとき交付表が作成され、右競売手続上は右有益費が上告人に交付されず、右有益費に相当する金員が被上告人らに配当されることになつている、というのである。 

 上告人は、右事実関係のもとにおいて、被上告人が右別表第一の交付表どおりの交付金を受領するときは、被上告人は、上告人が右競売代金から優先償還を受けうべき金員のうち被上告人に対する配当分に相当する金額を上告人の損失において不当利得することになると主張して、被上告人が右交付金を受領することの条件のもとに右不当利得の返還を求めたところ、原審は、これに対し、右の場合に利得をうけるのは、そのため余分の債務消滅の利益を受ける債務者(訴外D工業株式会社)であり、また、被上告人の利得には法律上の原因がないものとはいえないとして、上告人の右請求を排斥したのである。
しかし、抵当不動産の第三取得者が、抵当不動産につき必要費または有益費を支出して民法三九一条にもとづく優先償還請求権を有しているにもかかわらず、抵当不動産の競売代金が抵当権者に交付されたため、第三取得者が優先償還を受けられなかつたときは、第三取得者は右抵当権者に対し民法七〇三条にもとづく不当利得返還請求権を有するものと解するのが相当である。

けだし、抵当不動産の第三取得者が抵当不動産につき支出した必要費または有益費の優先償還を受けうるのは、その必要費または有益費が不動産の価値の維持・増加のために支出された一種の共益費であることによるものであつて、右償還請求権は当然に最先順位の抵当権にも優先するものであり、したがつて、抵当権者は、右第三取得者に対する関係においては、その第三取得者が受けるべき優先償還金に相当する金員の交付を受けてこれを保有する実質的理由を有しないというべきであり、また、誤つて競売法三三条により抵当権者に右金員の交付がなされたとしても、その交付行為は抵当権者がその交付を受けうる実体上の権利を確定するものではないからである。

もつとも、抵当権者に右の交付がなされた場合、一見抵当権者の債権が消滅し債務者が債務消滅の利得を得たかのような外形を呈するが、そうであるからといつて、交付を受けた抵当権者に利得がないとはいえないから、これを理由に抵当権者の不当利得を否定することはできない。 

 してみれば、これと異なる見解のもとに上告人の被上告人に対する不当利得返還請求権を排斥した原審の判断には、法令違背があり、その違法は原判決の結論に影響を与えることが明らかである。よつて、民訴法四〇七条一項により、原判決を破棄し、本件は上告人に認容さるべき金額等につきなお審理を必要とするからこれを原審に差し戻すこととし、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

厚生年金保険の被保険者であった叔父と内縁関係にあった姪が厚生年金保険法に基づき遺族厚生年金の支給を受けることのできる配偶者に当たるとされた事例

平成19年3月8日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
厚生年金保険の被保険者であった叔父と姪との内縁関係が,叔父と先妻との子の養育を主たる動機として形成され,当初から反倫理的,反社会的な側面を有していたものとはいい難く,親戚間では抵抗感なく承認され,地域社会等においても公然と受け容れられ,叔父の死亡まで約42年間にわたり円満かつ安定的に継続したなど判示の事情の下では,近親者間における婚姻を禁止すべき公益的要請よりも遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するという厚生年金保険法の目的を優先させるべき特段の事情が認められ,上記姪は同法に基づき遺族厚生年金の支給を受けることのできる配偶者に当たる。
(反対意見がある。)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/239/034239_hanrei.pdf

1 本件は,厚生年金保険の被保険者であったA(上告人の父の弟。以下「A」という。)との間で内縁関係にあった上告人が,Aの死亡後,上告人は厚生年金保険法(以下「法」という。)3条2項にいう「婚姻の届出をしていないが,事実上婚姻関係と同様の事情にある者」として法59条1項本文所定の被保険者であった者の配偶者に当たり,Aの死亡当時,同人によって生計を維持していたと主張して,被上告人に対し,Aの遺族としての遺族厚生年金の裁定を請求したところ,被上告人から,上記内縁関係は,民法734条1項により婚姻が禁止される近親者との間の内縁関係に当たり,上告人は法59条1項本文所定の配偶者とは認められないとして,遺族厚生年金を支給しない旨の裁定(以下「本件不支給処分」という。)を受けたことから,その取消しを求める事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

(1) A(昭和▲年▲▲月▲▲日生)は,a県b郡のc町(現在のd市)において,父B(上告人にとっては祖父),母,弟及び妹と同居していた。Aは,昭和▲▲年▲▲月▲▲日,Cと婚姻し,両者の間に,同年▲▲月▲▲日,長女Dが生まれたが,Cは,Dの出産前後から統合失調症に罹患し,同▲▲年末には,Dを残して実家に帰ってしまった。Aは,Cとの婚姻関係の継続は困難であると考え,離婚を決意し,その協議を重ねたが,Cの精神状態が原因で協議自体が困難であった上,Cの両親が,Cとの離婚後にAがCの妹と結婚することを強く望み,AはCを気遣ってこれに応じなかったため,協議は4年間にわたり続いた。

(2) Aは,当時,Eに勤務しており,Cが実家に戻った後は,勤務の都合上,Dの世話はAの父母が行っていた。しかし,Aの父母らは,農業を営み年中多忙であったことから,Dに行き届いた世話をできる状況にはなかった。そのため,Dは,離乳食なども余り食べることができず,栄養失調気味であり,その衣類の洗濯も十分に行われていなかった。

(3) Aの兄の長女である上告人(昭和▲▲年▲月▲▲日生)は,春休み,夏休みなどの長期の休みには,祖父母の手伝いをするためAの住む父の実家を訪れ,その際にDのおしめを替えて洗濯するなど,Dの面倒を見た。Dも,親族の中で最も上告人になついていた。Bは,Dが上告人に一番なついていること,AがBの田畑を継ぐ可能性が高く,親族関係にある者をAの妻としたいと考えていたこと,親戚の中では上告人の年齢がAに一番近いこと,Aには既に子がおり,夜勤も多い上,その妻になれば同居している老父母の世話や農業の手伝いもしなければならないという事情があり,結婚相手を見つけることが困難であったこと等から,Aの姪に当たる上告人とAとの結婚を提案した。

(4) 上告人は,BからAとの縁談を聞き,余りにも身近な関係にあったため,当初は驚いたものの,Dがやせ細り,その衣類も汚れたままになっていたこと等に同情し,Dのために結婚を決意し,昭和▲▲年▲▲月末ころから,Aと夫婦としての共同生活を始めた。上告人とAは,共同生活を始めるに当たり,2泊3日で新婚旅行に出かけ,旅行から戻った後,親戚に集まってもらい,結婚を祝う会を開いてもらったが,その媒酌人は,AとCの結婚の際の媒酌人でもあったAの親族が務めた。

(5) AとCとの協議離婚は,昭和▲▲年▲月▲日に成立した。Aは,税金の控除や出産費用の支給等を受けるため,上告人とAが結婚したことについて,同月▲▲日付けで,証人2人の署名入りの証明願をc町長あてに提出し,同証明願に「右願出の通り相違ないことを証明する」との文言及びc町長の記名押印を得た。同証明願にはAの勤務先の上司である駅長の記名押印も認められる。上告人は,Aを世帯主とする健康保険証に氏名を記載され,源泉徴収票にも配偶者控除の対象として記載されていた。また,上告人の出産に際し,E共済組合から出産費用が支給された。

(6) 上告人とAは,Aが平成▲▲年に死亡するまで,約42年間にわたり夫婦としての生活を送り,両者の間には,昭和▲▲年にFが,同▲▲年にはGが出生し,Aは両名の認知をした。上告人,A,D,F及びGは,Aの収入から生活費を支出し,上告人が家事を担当し,5人で円満な家族生活を送った。上告人は,Aの葬式の際も,Aの妻として挨拶を行う等,共同生活を始めた当初から終始,事実上の妻としての役割を果たしてきた。Aは,上告人に対し,年金に関する手続の仕方を記した資料の所在を教えた上,自分が先に死亡した場合には,これをよく見て手続をするようにと常に言い聞かせていた。

(7) 上告人は,平成13年10月19日付けで,遺族厚生年金の裁定を請求したところ,被上告人から,同月31日付けで,「遺族の範囲に該当しないため。(近親婚にあたり,内縁の妻として認められないため。)」との理由により本件不支給処分を受けた。

(8) なお,上告人の周囲には,代々農業で生計を立てている者が多く,そのような地域的な特性から,親戚同士で結婚する例も多くあった。上告人の近い親戚の中には,いとこ同士で結婚した夫婦が2組あったほか,上告人の知っている範囲でも,おじと姪で事実上の夫婦として生活する者がAの勤務先で2組,親戚に1組あった。

3 原審は,上記事実関係の下において,次のとおり判断して,上告人の請求を棄却すべきものとした。

(1) 厚生年金保険制度は,労働者の老齢,障害又は死亡について保険給付を行い,労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とした,政府が管掌する公的年金制度であり,遺族厚生年金が公的財源によって賄われている社会保障的性格の強い給付であることを考慮すると,その受給権者としての「事実上婚姻関係と同様の事情にある者」(法3条2項)に該当するか否かの判断に当たっては,民法上の婚姻の届出をした配偶者に準じて,公的保護の対象にふさわしい内縁関係にある者であるかどうかという観点からの判断が求められ,その意味での公益的要請を無視することはできないものというべきである。

(2) ところで,法は,婚姻関係について別段の定めを置いておらず,婚姻関係の一般法である民法が定める婚姻法秩序を当然の前提としていると解されるから,上記(1)の判断に当たっては,民法の規定及びその趣旨が尊重されるべきであり,法は,上記婚姻法秩序を前提とした婚姻関係と同様の事情にある者を遺族厚生年金の受給権者として保護する趣旨であって,上記婚姻法秩序に反する内縁関係にある者をも保護する趣旨ではないと解される。そして,民法734条1項は,三親等内の傍系血族間の近親婚を禁止しているが,その趣旨は,社会倫理的配慮及び優生学的配慮という公益的要請に基づくものであり,合理性があるというべきである。

(3) 三親等内の傍系血族間の婚姻関係は,我が国の婚姻法秩序において,反倫理的で公益を害するものとされている上,その反倫理性,反公益性は,時の経過によっても治癒されることのあり得ない性質のものであるから,法は,民法734条1項により婚姻が禁止される三親等内の傍系血族間で内縁関係にある者を遺族厚生年金という公的給付を受給し得る者として保護することを予定していないというべきである。したがって,上告人は,法3条2項にいう「婚姻の届出をしていないが,事実上婚姻関係と同様の事情にある者」には当たらないと解される。

4 しかしながら,原審の上記3の判断のうち,同(1)及び(2)は是認することができるが,同(3)は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

(1) 法は,遺族厚生年金の支給を受けることができる遺族の範囲について,被保険者又は被保険者であった者(以下,併せて「被保険者等」という。)の配偶者等であって,被保険者等の死亡の当時その者によって生計を維持していたものとし(59条1項本文),上記配偶者について,「婚姻の届出をしていないが,事実上婚姻関係と同様の事情にある者」を含むものと規定している(3条2項)。法が,このように,遺族厚生年金の支給を受けることができる地位を内縁の配偶者にも認めることとしたのは,労働者の死亡について保険給付を行い,その遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するという法の目的にかんがみ,遺族厚生年金の受給権者である配偶者について,必ずしも民法上の配偶者の概念と同一のものとしなければならないものではなく,被保険者等との関係において,互いに協力して社会通念上夫婦としての共同生活を現実に営んでいた者にこれを支給することが,遺族厚生年金の社会保障的な性格や法の上記目的にも適合すると考えられたことによるものと解される。
他方,厚生年金保険制度が政府の管掌する公的年金制度であり(法1条,2条),被保険者及び事業主の意思にかかわりなく強制的に徴収される保険料に国庫負担を加えた財源によって賄われていること(法80条,82条)を考慮すると,民法の定める婚姻法秩序に反するような内縁関係にある者まで,一般的に遺族厚生年金の支給を受けることができる配偶者に当たると解することはできない。

(2) ところで,民法734条1項によって婚姻が禁止される近親者間の内縁関係は,時の経過ないし事情の変化によって婚姻障害事由が消滅ないし減退することがあり得ない性質のものである。しかも,上記近親者間で婚姻が禁止されるのは,社会倫理的配慮及び優生学的配慮という公益的要請を理由とするものであるから,上記近親者間における内縁関係は,一般的に反倫理性,反公益性の大きい関係というべきである。殊に,直系血族間,二親等の傍系血族間の内縁関係は,我が国の現在の婚姻法秩序又は社会通念を前提とする限り,反倫理性,反公益性が極めて大きいと考えられるのであって,いかにその当事者が社会通念上夫婦としての共同生活を営んでいたとしても,法3条2項によって保護される配偶者には当たらないものと解される。そして,三親等の傍系血族間の内縁関係も,このような反倫理性,反公益性という観点からみれば,基本的にはこれと変わりがないものというべきである。

(3) もっとも,我が国では,かつて,農業後継者の確保等の要請から親族間の結婚が少なからず行われていたことは公知の事実であり,前記事実関係によれば,上告人の周囲でも,前記のような地域的特性から親族間の結婚が比較的多く行われるとともに,おじと姪との間の内縁も散見されたというのであって,そのような関係が地域社会や親族内において抵抗感なく受け容れられている例も存在したことがうかがわれるのである。

このような社会的,時代的背景の下に形成された三親等の傍系血族間の内縁関係については,それが形成されるに至った経緯,周囲や地域社会の受け止め方,共同生活期間の長短,子の有無,夫婦生活の安定性等に照らし,反倫理性,反公益性が婚姻法秩序維持等の観点から問題とする必要がない程度に著しく低いと認められる場合には,上記近親者間における婚姻を禁止すべき公益的要請よりも遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するという法の目的を優先させるべき特段の事情があるものというべきである。したがって,このような事情が認められる場合,その内縁関係が民法により婚姻が禁止される近親者間におけるものであるという一事をもって遺族厚生年金の受給権を否定することは許されず,上記内縁関係の当事者は法3条2項にいう「婚姻の届出をしていないが,事実上婚姻関係と同様の事情にある者」に該当すると解するのが相当である。
なお,被上告人の引用する判例最高裁昭和60年2月14日第一小法廷判決)は,事案を異にし本件に適切でない。

(4) これを本件についてみると,前記事実関係によれば,上告人とAとの内縁関係は,Dの養育を主たる動機として形成され,媒酌人を立て,新婚旅行,親戚間の祝宴を経て,地元町長やAの職場の長もその成立を認証したというのであり,当初から反倫理的,反社会的な側面をもったものとはいい難く,親戚間では抵抗感なく承認され,地域社会やAの職場でも公然と受け容れられていたものである。

また,上告人とAは,その後2人の子にも恵まれ,Aの死亡まで約42年間にわたり円満な夫婦生活を安定的に継続したというのであり,その間,上告人は,共済組合の短期給付,国民健康保険及び源泉徴収の面でAの内縁の妻として扱われていたことがうかがわれるのである。これらの事情からすれば,上記内縁関係の反倫理性,反公益性は,婚姻法秩序維持等の観点から問題とする必要がない程度に著しく低いものであったと認められる。
そうすると,上告人とAとの内縁関係については,上記の特段の事情が認められ,上告人は,法3条2項にいう「事実上婚姻関係と同様の事情にある者」に該当し,法59条1項本文により遺族厚生年金の支給を受けることができる配偶者に当たるものというべきである。

5 以上によれば,上告人の遺族厚生年金の受給権を否定し本件不支給処分に違法はないとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり,原判決は破棄を免れない。上告人の請求には理由があり,これを認容した第1審判決は正当であるから,被上告人の控訴を棄却すべきである。
よって,裁判官横尾和子の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

 

株式会社が定款で株主総会における議決権行使の代理人の資格を株主に限定している場合と株主である地方公共団体、株式会社の職員又は従業員による議決権の代理行使

昭和51年12月24日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
1、株式会社が定款で株主総会における議決権行使の代理人の資格を株主に限定している場合においても、株主である地方公共団体、株式会社が、その職制上上司の命令に服する義務を負い、議決権の代理行使にあたつて法人の代表者の意図に反することができないようになつている職員又は従業員に議決権を代理行使させることは、右定款の規定に反しない。
2、株主総会決議取消の訴において、商法二四八条一項所定の期間経過後に新たな取消事由を追加主張することは、許されない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/217/053217_hanrei.pdf

原審が適法に確定したところによれば、被上告会社の定款には、「株主又はその法定代理人は、他の出席株主を代理人としてその議決権を行使することができる。」旨の規定があり、被上告会社の本件株主総会において、株主である新潟県直江津市、D通運株式会社がその職員又は従業員に議決権を代理行使させたが、これらの使用人は、地方公共団体又は会社という組織のなかの一員として上司の命令に服する義務を負い、議決権の代理行使に当たつて法人である右株主の代表者の意図に反するような行動をすることはできないようになつているというのである。

このように、株式会社が定款をもつて株主総会における議決権行使の代理人の資格を当該会社の株主に限る旨定めた場合において、当該会社の株主である県、市、株式会社がその職員又は従業員を代理人として株主総会に出席させた上、議決権を行使させても、原審認定のような事実関係の下においては、右定款の規定に反しないと解するのが相当である。けだし、右のような定款の規定は、株主総会が株主以外の第三者によつて攪乱されることを防止し、会社の利益を保護する趣旨に出たものであり、株主である県、市、株式会社がその職員又は従業員を代理人として株主総会に出席させた上、議決権を行使させても、特段の事情のない限り、株主総会が攪乱され会社の利益が害されるおそれはなく、かえつて、右のような職員又は従業員による議決権の代理行使を認めないとすれば、株主としての意見を株主総会の決議の上に十分に反映することができず、事実上議決権行使の機会を奪うに等しく、不当な結果をもたらすからである。論旨は、これと異なる前提に立つて原判決を論難するものであつて、採用することができない。 


株主総会決議取消しの訴えを提起した後、商法二四八条一項所定の期間経過後に新たな取消事由を追加主張することは許されないと解するのが相当である。けだし、取消しを求められた決議は、たとえ瑕疵があるとしても、取り消されるまでは一応有効のものとして取り扱われ、会社の業務は右決議を基礎に執行されるのであつて、その意味で、右規定は、瑕疵のある決議の効力を早期に明確にさせるためその取消しの訴えを提起することができる期間を決議の日から三カ月と制限するものであり、また、新たな取消事由の追加主張を時機に遅れない限り無制限に許すとすれば、会社は当該決議が取り消されるのか否かについて予測を立てることが困難となり、決議の執行が不安定になるといわざるを得ないのであつて、そのため、瑕疵のある決議の効力を早期に明確にさせるという右規定の趣旨は没却されてしまうことを考えると、右所定の期間は、決議の瑕疵の主張を制限したものと解すべきであるからである。
 したがつて、Eの議決権行使を被上告会社が認めなかつたのは違法である旨の第一、二審における上告人の主張は、本件決議取消しの訴えの提起期間経過後に新たに追加されたものであるから許されないとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。

地方公共団体が建築工事の中止命令の名あて人に対して同工事を続行してはならない旨の裁判を求める訴えが不適法とされた事例

平成14年7月9日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
1 国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は,不適法である。
2 宝塚市が,宝塚市パチンコ店等,ゲームセンター及びラブホテルの建築等の規制に関する条例(昭和58年宝塚市条例第19号)8条に基づき同市長が発した建築工事の中止命令の名あて人に対し,同工事を続行してはならない旨の裁判を求める訴えは,不適法である。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/246/052246_hanrei.pdf

主  文
 原判決を破棄し,第1審判決を取り消す。
 本件訴えを却下する。
 訴訟の総費用は上告人の負担とする。
理  由 

 1 本件は,地方公共団体である上告人の長が,宝塚市パチンコ店等,ゲームセンター及びラブホテルの建築等の規制に関する条例(昭和58年宝塚市条例第19号。以下「本件条例」という。)8条に基づき,宝塚市内においてパチンコ店を建築しようとする被上告人に対し,その建築工事の中止命令を発したが,被上告人がこれに従わないため,上告人が被上告人に対し同工事を続行してはならない旨の裁判を求めた事案である。

第1審は,本件訴えを適法なものと扱い,本件請求は理由がないと判断して,これを棄却し,原審は,この第1審判決を維持して,上告人の控訴を棄却した。

 2 そこで,職権により本件訴えの適否について検討する。
 行政事件を含む民事事件において裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は,裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」,すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる(最高裁昭和56年4月7日第三小法廷判決)。
国又は地方公共団体が提起した訴訟であって,財産権の主体として自己の財産上の権利利益の保護救済を求めるような場合には,法律上の争訟に当たるというべきであるが,国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は,法規の適用の適正ないし一般公益の保護を目的とするものであって,自己の権利利益の保護救済を目的とするものということはできないから ,法律上の争訟として当然に裁判所の審判の対象となるものではなく,法律に特別の規定がある場合に限り,提起することが許されるものと解される。

そして,行政代執行法は,行政上の義務の履行確保に関しては,別に法律で定めるものを除いては,同法の定めるところによるものと規定して(1条),同法が行政上の義務の履行に関する一般法であることを明らかにした上で,その具体的な方法としては,同法2条の規定による代執行のみを認めている。

また,行政事件訴訟法その他の法律にも,一般に国又は地方公共団体が国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟を提起することを認める特別の規定は存在しない。したがって,

【要旨1】国又は地方公共団体が専ら行政権の主体として国民に対して行政上の義務の履行を求める訴訟は,裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たらず,これを認める特別の規定もないから,不適法というべきである。
【要旨2】本件訴えは,地方公共団体である上告人が本件条例8条に基づく行政上の義務の履行を求めて提起したものであり,原審が確定したところによると,当該義務が上告人の財産的権利に由来するものであるという事情も認められないから,法律上の争訟に当たらず,不適法というほかはない。

そうすると,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上によれば,第1審判決を取り消して,本件訴えを却下すべきである。

 

新会社が旧会社と法人格を異にするとの実体法上および訴訟法上の主張が信義則に反し許されないとされた事例

昭和48年10月26日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
株式会社の代表取締役が、会社が賃借している居室の明渡し、延滞賃料等の債務を免れるために、会社の商号を変更したうえ、旧商号と同一の商号を称し、その代表取締役監査役、本店所在地、営業所、什器備品、従業員が旧会社のそれと同一で、営業目的も旧会社のそれとほとんど同一である新会社を設立したにもかかわらず、右商号変更および新会社設立の事実を賃貸人に知らせなかつたため、賃貸人が、右事実を知らないで、旧会社の旧商号であり、かつ、新会社の商号である会社名を表示して、旧会社の債務の履行を求める訴訟を提起したところ、新旧両会社の代表取締役を兼ねる者が、これに応訴し、一年以上にわたる審理の期間中、商号変更、新会社設立の事実についてなんらの主張もせず、かつ、旧会社が居室を賃借したことを自白するなど原判示のような事情(原判決理由参照)のもとにおいては、その後にいたつて同人が新会社の代表者として、新旧両会社が別異の法人格であるとの実体法上および訴訟法上の主張をすることは、信義則に反し許されない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/013/052013_hanrei.pdf

原判決が適法に確定したところによれば、
 (一) D地所株式会社(旧商号A開発株式会社、以下旧会社と称する。)が昭和四二年一〇月中被上告人から本件居室に関する賃貸借解除の通知を受け、かつ占有移転禁止の仮処分を執行されたところ、同会社代表者Eは、被上告人の旧会社に対する本件居室明渡、延滞賃料支払債務等の履行請求の手続を誤まらせ時間と費用とを浪費させる手段として、同年一一月一五日旧会社の商号を従前のA開発株式会社から現商号のD地所株式会社に変更して、同月一七日その登記をなすとともに、同日旧会社の前商号と同一の商号を称し、その代表取締役監査役、本店所在地、営業所、什器備品、従業員が旧会社のそれと同一であり、営業目的も旧会社のそれとほとんど同一である新会社を設立したが、右商号変更、新会社設立の事実を賃貸人である被上告人に通知しなかつたこと、
 (二) 被上告人は右事実を知らなかつたので同年一二月一三日「A開発株式会社(代表取締役E)」を相手方として本訴を提起したこと、
 (三) Eは第一審口頭弁論期日に出頭しないで判決を受け、原審における約一年にわたる審理の期間中も、右商号変更、新会社設立の事実についてなんらの主張をせず、また、旧会社が昭和三八年一二月以降本件居室を賃借し、昭和四〇年一二月一日当時の賃料が月額一六万二二〇〇円であることならびに前記被上告人から賃貸借解除の通知を受けたことをそれぞれ認めていたにもかかわらず、上告人は、いつたん口頭弁論が終結されたのち弁論の再開を申請し、その再開後初めて、上告人が昭和四二年一一月一七日設立された新会社であることを明らかにし、このことを理由に、前記自白は事実に反するとしてこれを撤回し、旧会社の債務について責任を負ういわれはないと主張するにいたつたこと、
以上の事実が認められるというのであり、論旨は右自白の撤回を許さず、上告人が旧会社の債務について責任を負うとした原審の判断を非難するのである。

おもうに、株式会社が商法の規定に準拠して比較的容易に設立されうることに乗じ、取引の相手方からの債務履行請求手続を誤まらせ時間と費用とを浪費させる手段として、旧会社の営業財産をそのまま流用し、商号、代表取締役、営業目的、従業員などが旧会社のそれと同一の新会社を設立したような場合には、形式的には新会社の設立登記がなされていても、新旧両会社の実質は前後同一であり、新会社の設立は旧会社の債務の免脱を目的としてなされた会社制度の濫用であつて、このような場合、会社は右取引の相手方に対し、信義則上、新旧両会社が別人格であることを主張できず、相手方は新旧両会社のいずれに対しても右債務についてその責任を追求することができるものと解するのが相当である(最高裁判所昭和四四年二月二七日第一小法廷判決)。

本件における前記認定事実を右の説示に照らして考えると、上告人は、昭和四二年一一月一七日前記のような目的、経緯のもとに設立され、形式上は旧会社と別異の株式会社の形態をとつてはいるけれども、新旧両会社は商号のみならずその実質が前後同一であり、新会社の設立は、被上告人に対する旧会社の債務の免脱を目的としてなされた会社制度の濫用であるというべきであるから、上告人は、取引の相手方である被上告人に対し、信義則上、上告人が旧会社と別異の法人格であることを主張しえない筋合にあり、したがつて、上告人は前記自白が事実に反するものとして、これを撤回することができず、かつ、旧会社の被上告人に対する本件居室明渡、延滞賃料支払等の債務につき旧会社とならんで責任を負わなければならないことが明らかである。

これと結論において同旨に出た原判決の判断は、正当として是認することができ、右判断の過程に所論の違法はない。

債権譲渡人について支払停止又は破産の申立てがあったことを停止条件とする債権譲渡契約に係る債権譲渡と破産法72条2号による否認

平成16年9月14日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
債権譲渡人について支払停止又は破産の申立てがあったことを停止条件とする債権譲渡契約に係る債権譲渡は,破産法72条2号に基づく否認権行使の対象となる。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/573/062573_hanrei.pdf

 1 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

 (1) 株式会社D(「破産会社」)は,寝具類及び衣料品の販売等を業とする会社であるが,平成7年7月13日,上告人らとの間で,破産会社が上告人らに対して負担する一切の債務の担保として,破産会社の特定の第三債務者らに対する売掛債権を,上告人らにつき各5000万円を限度として譲渡することとし,その債権の譲渡の効力発生の時期は,破産会社において,破産手続開始の申立てがされたとき,支払停止の状態に陥ったとき,手形又は小切手の不渡処分を受けたとき等の一定の事由が生じた時とする旨の契約(「本件債権譲渡契約」)を締結した。

 (2) 破産会社は,平成11年7月1日,支払停止の状態に陥った。

 (3) 上告人らは,同日,破産会社から付与された権限に基づいて,破産会社に代わって,上記第三債務者らに対する確定日付のある証書による債権譲渡の通知をした。

 (4) 上告人らは,同年9月から10月までの間に,上記第三債務者らから譲受債権の弁済を受けた。

 (5) 破産会社は,平成12年3月22日,大阪地方裁判所において破産宣告を受け,被上告人が破産管財人に選任された。

 2 被上告人は,本訴において,上告人らに対し,本件債権譲渡契約に係る債権譲渡については破産法72条1号又は2号に基づき,債権譲渡の通知については同法74条1項に基づき,それぞれ否認権を行使し,不当利得返還請求権に基づき,譲受債権の弁済として受領した金員の支払を求めている。

 3 破産法72条2号は,破産者が支払停止又は破産の申立て(「支払停止等」)があった後にした担保の供与,債務の消滅に関する行為その他破産債権者を害する行為を否認の対象として規定している。同号の規定の趣旨は,債務者に支払停止等があった時以降の時期を債務者の財産的な危機時期とし,危機時期の到来後に行われた債務者による上記担保の供与等の行為をすべて否認の対象とすることにより,債権者間の平等及び破産財団の充実を図ろうとするものである。

債務者の支払停止等を停止条件とする債権譲渡契約は,その契約締結行為自体は危機時期前に行われるものであるが,契約当事者は,その契約に基づく債権譲渡の効力の発生を債務者の支払停止等の危機時期の到来にかからしめ,これを停止条件とすることにより,危機時期に至るまで債務者の責任財産に属していた債権を債務者が危機時期に至ると直ちにその責任財産から逸出させることをあらかじめ意図し,これを目的として,当該契約を締結しているものである。

破産法72条2号の規定の趣旨及び上記契約の内容,その目的等に照らすと,上記契約は,同号の規定による否認権行使の実効性を失わせ,これを潜脱しようとするものといわざるを得ず,その契約内容を実質的にみれば,【要旨】上記契約に係る債権譲渡は,債務者に支払停止等の危機時期が到来した後の債権譲渡と同視すべきものであり,上記規定に基づく否認権行使の対象となると解するのが相当である(最高裁平成16年7月16日第二小法廷判決)。
 そうすると,被上告人の請求を認容すべきものとした原審の判断は,結論において正当である。したがって,その余の点について判断するまでもなく,論旨は採用することができない。 

 破産管財人が別除権の目的である不動産の受戻しについて上記別除権を有する者との間で交渉し又は上記不動産につき権利の放棄をする前後に上記の者に対してその旨を通知するに際し、上記の者に対して破産者を債務者とする上記別除権に係る担保権の被担保債権についての債務の承認をしたときに、その承認は上記被担保債権の消滅時効を中断する効力を有するか

令和5年2月1日最高裁判所第三小法廷決定

裁判要旨    
破産管財人が、別除権の目的である不動産の受戻しについて上記別除権を有する者との間で交渉し、又は、上記不動産につき権利の放棄をする前後に上記の者に対してその旨を通知するに際し、上記の者に対して破産者を債務者とする上記別除権に係る担保権の被担保債権についての債務の承認をしたときは、その承認は上記被担保債権の消滅時効を中断する効力を有する。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/746/091746_hanrei.pdf

1 本件は、抗告人所有の不動産について相手方を根抵当権者とする根抵当権の実行としての競売の開始決定がされたところ、抗告人が、上記根抵当権の被担保債権が時効によって消滅したことにより上記根抵当権は消滅したと主張して、相手方に対し、上記競売手続の停止及び上記根抵当権の実行禁止の仮処分命令の申立てをした事案である。

2 記録によれば、本件の経緯は次のとおりである。
相手方は、抗告人が所有する原決定別紙不動産物件目録(土地)記載の各土地及び同目録(建物)記載の建物(「本件各不動産」)について、原決定別紙根抵当権目録記載の各根抵当権(以下「本件各根抵当権」という。)の設定を受けた。
抗告人は、相手方から原決定別紙債権目録記載の各貸付けを受けたが、平成26年5月、期限の利益を喪失した。
抗告人は、平成28年7月、破産手続開始の決定を受け、A弁護士が破産管財人(以下「本件破産管財人」という。)に選任された。抗告人が上記決定を受けたことにより、本件各根抵当権の担保すべき元本が確定した。本件各根抵当権の被担保債権は、上記各貸付けに係る債権(以下「本件各被担保債権」という。)である。
本件破産管財人は、本件各不動産につき、任意売却を検討し、相手方との間でその受戻しについて交渉(以下「本件交渉」という。)をしたが、任意売却の見込みが立たず、相手方に対し、破産財団から放棄する予定である旨の破産規則56条後段所定の通知(以下「本件事前通知」という。)をした上で、平成29年2月28日付けの書面により、破産裁判所の許可を得て破産財団から放棄した旨の通知(「本件放棄通知」)をした。本件破産管財人は、本件交渉、本件事前通知及び本件放棄通知をするに際し、相手方に対して本件各被担保債権が存在する旨の認識を表示した。
抗告人は、平成29年5月、破産手続廃止の決定を受けた。
相手方は、令和4年1月、本件各根抵当権の実行としての競売の申立てをし、その後、上記申立てに基づき、本件各不動産について担保不動産競売の開始決定がされた。

3 原審は、本件破産管財人がした前記2 の認識の表示は本件各被担保債権についての債務の承認(民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)147条3号)に当たり、本件各被担保債権の消滅時効を中断する効力を有するから、本件各被担保債権の消滅時効は完成していないとして、本件申立てを却下すべきものとした。所論は、破産管財人は破産者の債務の承認をする権限を有しないから、本件破産管財人による本件各被担保債権についての債務の承認は本件各被担保債権の消滅時効を中断する効力を有しないとして、原審の上記判断には法令解釈の誤り及び判例違反があるというものである。

4 時効の中断の効力を生ずべき債務の承認とは、時効の利益を受けるべき当事者がその相手方の権利の存在の認識を表示することをいうのであって、債務者以外の者がした債務の承認により時効の中断の効力が生ずるためには、その者が債務者の財産を処分する権限を有することを要するものではないが、これを管理する権限を有することを要するものと解される(民法156条参照)。

そして、破産管財人は、その職務を遂行するに当たり、破産財団に属する財産に対する管理処分権限を有するところ(破産法78条1項)、その権限は破産財団に属する財産を引当てとする債務にも及び得るものである(同法44条参照)。破産管財人が、別除権の目的である不動産の受戻し(同法78条2項14号)について上記別除権を有する者との間で交渉したり、上記不動産につき権利の放棄(同項12号)をする前後に上記の者に対してその旨を通知したりすることは、いずれも破産管財人がその職務の遂行として行うものであり、これらに際し、破産管財人が上記の者に対して上記別除権に係る担保権の被担保債権についての債務の承認をすることは、上記職務の遂行上想定されるものであり、上記権限に基づく職務の遂行の範囲に属する行為ということができる。

そうすると、破産管財人が、別除権の目的である不動産の受戻しについて上記別除権を有する者との間で交渉し、又は、上記不動産につき権利の放棄をする前後に上記の者に対してその旨を通知するに際し、上記の者に対して破産者を債務者とする上記別除権に係る担保権の被担保債権についての債務の承認をしたときは、その承認は上記被担保債権の消滅時効を中断する効力を有すると解するのが相当である。

5 以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。所論引用の大審院判例大審院昭和3年(オ)第486号同年10月19日判決・民集7巻11号801頁)は、破産管財人の職務の遂行の範囲に属する行為に係る本件とは事案を異にし、本件に適切でない。論旨は採用することができない。 

暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律11条2項、46条1号と憲法14条1項

令和5年1月23日最高裁判所第一小法廷判決

判示事項    
暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律11条2項、46条1号は,憲法14条1項に違反しない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/702/091702_hanrei.pdf

1 弁護人の上告趣意のうち、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律(「暴力団対策法」)11条2項、46条1号の憲法14条1項違反をいう点について

暴力団対策法は、暴力団員の行う暴力的要求行為等について必要な規制を行うこと等により、市民生活の安全と平穏の確保を図り、もって国民の自由と権利を保護することを目的としており(1条)、この目的は正当なものというべきである。

そして、暴力団対策法は、指定暴力団(3条)の暴力団員による暴力的要求行為を禁止した上で(9条)、都道府県公安委員会は、指定暴力団員が暴力的要求行為をした場合において、当該指定暴力団員が更に反復して類似の暴力的要求行為をするおそれがあると認めるときは、当該指定暴力団員に対し、その防止のために必要な事項を命ずることができることとし(11条2項)、この命令に違反した者は、3年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金に処し、又はこれを併科することとしている(46条1号)。

このような規制は、前記目的を達成するために必要かつ合理的なものであり、指定暴力団員について合理的な理由のない差別をするものということはできない。したがって、暴力団対策法11条2項、46条1号は、憲法14条1項に違反しない。このように解すべきことは、当裁判所の判例最高裁昭和39年5月27日大法廷判決)の趣旨に徴して明らかである。

2 その余の上告趣意について
弁護人本間博子のその余の上告趣意のうち、暴力団対策法11条2項、46条1号の憲法21条1項違反をいう点は、暴力団対策法11条2項、46条1号は、結社の自由それ自体を規制するものではないから、前提を欠き、その余は、量刑不当の主張であり、被告人本人の上告趣意は、原判決に対する不服の理由を具体的に示しておらず、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。 

 

統合失調症の治療のため精神科病院に任意入院者として入院した患者が無断離院をして自殺した場合において、上記病院の設置者に無断離院の防止策についての説明義務違反があったとはいえないとされた事例

令和5年1月27日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
統合失調症の治療のため精神科病院に任意入院者として入院した患者が、単独での院内外出(病棟から上記病院の敷地内への外出)を許可され、敷地外への単独での外出を許可されていなかったにもかかわらず、無断離院をして自殺した場合において、次の⑴~⑶など判示の事情の下においては、上記病院の医師が、上記患者に対し、上記病院においては、平日の日中は敷地の出入口である門扉が開放され、通行者を監視する者がおらず、任意入院者に徘徊センサーを装着するなどの対策も講じていないため、単独での院内外出を許可されている任意入院者は無断離院をして自殺する危険性があることを説明しなかったことをもって、上記病院の設置者に説明義務違反があったということはできない。

⑴ 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律37条1項の委任に基づき厚生労働大臣精神科病院に入院中の者の処遇について定めた基準において、任意入院者は、原則として、開放的な環境での処遇(本人の求めに応じ、夜間を除いて病院の出入りが自由に可能な処遇)を受けるものとされており、当時の医療水準では無断離院の防止策として徘徊センサーの装着等の措置を講ずる必要があるとされていたわけでもなかった。

⑵ 上記病院においては、任意入院者につき、医師がその病状を把握した上で、単独での院内外出を許可するかどうかを判断していた。

⑶ 上記患者が、具体的にどのような無断離院の防止策が講じられているかによって入院する病院を選択する意向を有し、そのような意向を上記病院の医師に伝えていたといった事情はうかがわれない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/716/091716_hanrei.pdf

1 本件は、統合失調症の治療のため、上告人の設置する香川県立丸亀病院(「本件病院」)に入院した患者(「本件患者」)が、入院中に無断離院をして自殺したことについて、本件患者の相続人である被上告人が、上告人には、診療契約に基づき、本件病院においては無断離院の防止策が十分に講じられていないことを本件患者に対して説明すべき義務があったにもかかわらず、これを怠った説明義務違反があるなどと主張して、上告人に対し、債務不履行に基づく損害賠償を請求する事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
本件患者は、平成7年頃から、複数の精神科病院に入通院していたところ、平成8年8月、本件病院を受診し、統合失調症と診断された。以後、本件患者は、本件病院において統合失調症の治療を受けるようになり、平成21年7月までの間に、合計6回にわたり、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(「精神保健福祉法」)22条の4第2項(平成25年法律第47号による改正前のもの)にいう任意入院者として入院した(以下、同項にいう任意入院者としての入院を「任意入院」という。)。上記各入院中、本件患者が自傷行為や自殺企図に及んだことはなく、無断離院をしたこともなかった。
本件患者は、平成21年11月26日、統合失調症の治療のため、本件病院に任意入院(以下「本件入院」という。)をした。
本件患者は、本件入院に際して、主治医から、本件入院中の処遇につき、原則として、開放的な環境での処遇(本人の求めに応じ、夜間を除いて病院の出入りが自由に可能な処遇をいう。以下「開放処遇」という。)となるが、治療上必要な場合には、開放処遇を制限することがある旨等が記載された書面を交付された。
本件病院の精神科においては、任意入院者は、原則として、入院後しばらくの間病棟からの外出を禁止されるが、その後、症状が安定し、主治医において自傷他害のおそれがないと判断したときは、本件病院の敷地内に限り単独での外出を許可されていた(以下、病棟から上記敷地内への外出を「院内外出」という。)。
病棟の出入口は、常時施錠されており、単独での院内外出を許可されている任意入院者が院内外出をするときは、鍵を管理している看護師にその旨を告げ、看護師が上記出入口を開錠するなどして、当該任意入院者を病棟から出入りさせていた。
また、本件病院の敷地は、門扉が設置された1箇所を除き塀で囲まれていたが、上記門扉は、平日の日中は開放され、その付近に守衛や警備員はおらず、監視カメラ等も設置されていなかった。
本件患者は、本件入院当初、病棟からの外出を禁止されていたが、平成21年12月1日から、単独での院内外出を許可された。その後、主治医の判断により、単独での院内外出を禁止される期間もあったが、平成22年6月16日には、再び単独での院内外出を許可された。
本件患者は、平成22年7月1日、看護師に対し、本件病院の敷地内の散歩を希望する旨を告げて病棟から外出し、そのまま本件病院の敷地外に出た後、本件病院の付近の建物から飛び降りて自殺した。当時、本件患者は、単独での院内外出を許可されていたが、上記敷地外への単独での外出は許可されていなかった。
なお、本件患者は、本件入院中、自殺企図に及んだり、希死念慮を訴えたりすることはなかった。
精神保健福祉法36条1項は、精神科病院の管理者は、入院中の者につき、その医療又は保護に欠くことのできない限度において、その行動について必要な制限を行うことができると規定する。そして、同法37条1項の委任に基づき厚生労働大臣精神科病院に入院中の者の処遇について定めた「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第37条第1項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準」(昭和63年厚生省告示第130号)は、任意入院者は、原則として、開放処遇を受けるものとし、開放処遇の制限は、当該任意入院者の症状からみて、その開放処遇を制限しなければその医療又は保護を図ることが著しく困難であると医師が判断する場合にのみ行われる旨定めている。
本件入院当時、精神科病院の中には、無断離院の可能性が高い患者に対しては、院内の移動に際して付添いを付けたり、徘徊センサーを装着したりするといった対策を講じている病院もあった。もっとも、多くの精神科病院においてこれらの対策が講じられていたわけではなかったし、本件入院当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準において、無断離院の防止策として徘徊センサーの装着等の措置を講ずる必要があるとされていたわけでもなかった。

3 原審は、上記事実関係等の下において、要旨次のとおり判断し、説明義務違反を理由とする被上告人の損害賠償請求を一部認容した。
統合失調症の治療のため任意入院をしている患者は、一般に無断離院をして自殺する危険性が高いという特質を有すること、本件患者も、本件入院に際して、自らが自傷他害に及ぶおそれがあると認識し、本件病院に入院することにより適切に自己の症状が管理されると期待していたと推認されること等に照らせば、本件患者と上告人との間で締結された診療契約においては、本件病院における無断離院の防止策の有無及び内容が契約上の重大な関心事項になっていたということができる。そうすると、上告人は、本件患者に対し、無断離院の防止策を講じている他の病院と比較した上で入院する病院を選択する機会を保障するため、本件病院の医師を通じて、本件病院においては、平日の日中は敷地の出入口である門扉が開放され、通行者を監視する者がおらず、任意入院者に徘徊センサーを装着するなどの対策も講じていないため、単独での院内外出を許可されている任意入院者は無断離院をして自殺する危険性があることを説明すべき義務を負っていたというべきであり、上告人にはこれを怠った説明義務違反がある。

4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
前記事実関係等によれば、任意入院者は、その者の症状からみて医療を行い、又は保護を図ることが著しく困難であると医師が判断する場合を除き、開放処遇を受けるものとされており、本件入院当時の医療水準では無断離院の防止策として徘徊センサーの装着等の措置を講ずる必要があるとされていたわけでもなかったのであるから、本件病院において、任意入院者に対して開放処遇が行われ、無断離院の防止策として上記措置が講じられていなかったからといって、本件病院の任意入院者に対する処遇や対応が医療水準にかなうものではなかったということはできない。

また、本件入院当時、多くの精神科病院で上記措置が講じられていたというわけではなく、本件病院においては、任意入院者につき、医師がその病状を把握した上で、単独での院内外出を許可するかどうかを判断し、これにより、任意入院者が無断離院をして自殺することの防止が図られていたものである。

これらの事情によれば、任意入院者が無断離院をして自殺する危険性が特に本件病院において高いという状況はなかったということができる。さらに、本件患者は、本件入院に際して、本件入院中の処遇が原則として開放処遇となる旨の説明を受けていたものであるが、具体的にどのような無断離院の防止策が講じられているかによって入院する病院を選択する意向を有し、そのような意向を本件病院の医師に伝えていたといった事情はうかがわれない。

以上によれば、上告人が、本件患者に対し、本件病院と他の病院の無断離院の防止策を比較した上で入院する病院を選択する機会を保障すべきであったということはできず、これを保障するため、上告人が、本件患者に対し、本件病院の医師を通じて、上記3の説明をすべき義務があったということはできない。そうすると、本件病院の医師が、本件患者に対し、上記説明をしなかったことをもって、上告人に説明義務違反があったということはできないというべきである。

5 以上と異なる原審の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中上告人敗訴部分は、破棄を免れない。そして、以上に説示したところによれば、上記部分に関する被上告人の請求は理由がないから、同請求を棄却すべきである。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

個品割賦購入あっせんにおいて,購入者と販売業者との間の売買契約が公序良俗に反し無効であることにより,購入者とあっせん業者との間の立替払契約が無効となるか

平成23年10月25日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
個品割賦購入あっせんにおいて,購入者と販売業者との間の売買契約が公序良俗に反し無効とされる場合であっても,販売業者とあっせん業者との関係,販売業者の立替払契約締結手続への関与の内容及び程度,販売業者の公序良俗に反する行為についてのあっせん業者の認識の有無及び程度等に照らし,販売業者による公序良俗に反する行為の結果をあっせん業者に帰せしめ,売買契約と一体的に立替払契約についてもその効力を否定することを信義則上相当とする特段の事情があるときでない限り,売買契約と別個の契約である購入者とあっせん業者との間の立替払契約が無効となる余地はない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/723/081723_hanrei.pdf

 1 本件は,第1審脱退被告(「本件あっせん業者」)の加盟店である販売業者(「本件販売業者」)との間で宝飾品の売買契約を締結し,本件あっせん業者との間で購入代金に係る立替払契約を締結した被上告人が,本件あっせん業者から事業の譲渡を受けた上告人に対し,上記売買契約が公序良俗に反し無効であることにより上記立替払契約も無効であること又は消費者契約法5条1項が準用する同法4条1項1号若しくは同条3項2号により上記立替払契約の申込みの意思表示を取り消したことを理由として,不当利得返還請求権に基づき,上記立替払契約に基づく既払金の返還を求めるとともに,本件あっせん業者がその加盟店の行為について調査する義務を怠ったことにより本件販売業者の行為による被害が発生したことを理由として,不法行為に基づき,上記既払金及び弁護士費用相当額の損害賠償を求め,他方,上告人が,被上告人に対し,上記立替払契約に基づき,未払割賦金の支払を求める事案である。なお,上記の不法行為の成立を否定し,弁護士費用相当額の損害賠償請求を棄却した原審の判断については,不服の申立てがなく,原判決中,同部分は当審の審理の対象ではない。

 2 原審の適法に確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

 (1)ア 被上告人は,平成15年3月,電話で勧誘を受けて,同月29日に本件販売業者の女性販売員と会い,同販売員に勧められて,同日,本件販売業者との間で,指輪等3点(以下「本件商品」という。)を代金合計157万5000円で購入する売買契約(以下「本件売買契約」という。)を締結した。
 本件売買契約の締結に至るまでの間,上記販売員が,長時間話し続け,被上告人の手を握ったりするなどの思わせぶりな言動をしながら,宝飾品の購入を勧め,その間に,上記販売員の仲間数人が集まってきて,威圧的な態度で購入を迫るなどしたため,被上告人は,帰宅を言い出すことができないまま,本件売買契約を締結するに至った。なお,本件商品については,後日,複数の宝石・貴金属取扱店において,併せて10万円程度であるとの査定がされた。

 イ 被上告人は,本件売買契約を締結した際,上記販売員が用意した本件あっせん業者宛てのクレジット契約申込書にも署名し,割賦販売法(平成20年法律第74号による改正前のもの。以下同じ。)2条3項2号に規定する割賦購入あっせん(以下「個品割賦購入あっせん」という。)を業とする本件あっせん業者に対し,本件あっせん業者が本件販売業者に本件商品の代金を立替払し,被上告人が本件あっせん業者に上記代金額に分割払手数料を加えた218万9250円を平成15年5月から平成20年4月まで60回に分割して支払う内容の立替払契約(以下「本件立替払契約」という。)の申込みをした。
 本件あっせん業者は,平成15年3月30日,担当者が被上告人に電話をして,本件立替払契約の申込みにつき,その意思,内容等を確認した上,被上告人との間で,本件立替払契約を締結した。被上告人は,上記の確認の際,上記担当者に対し,本件売買契約や本件立替払契約の締結につき,特に苦情を述べることはなかった。

 ウ 被上告人は,平成15年5月頃,本件販売業者から本件商品の引渡しを受け,本件立替払契約に基づく割賦金として,同月から平成17年9月までに合計106万0850円を支払った(以下,これを「本件既払金」という。)。

 (2) 本件あっせん業者は,遅くとも平成14年頃から,本件販売業者と取引があり,平成15年1月23日頃,本件販売業者との間で,加盟店契約(以下「本件加盟店契約」という。)を締結した。
 本件販売業者の販売行為については,平成14年には,各地の消費生活センターに,購入者からの相談が年間70件ほど寄せられていたが,本件あっせん業者が本件販売業者との間の取引につき購入者から初めて支払停止の申出を受けたのは,平成15年4月15日であり,本件あっせん業者がそれまでに契約解除,取消し等をめぐって消費生活センター等から本件販売業者の販売行為に関する苦情,相談を受けたことはうかがわれない。

 (3) 上告人は,平成16年5月頃,本件あっせん業者から個品割賦購入あっせん事業の譲渡を受けた。

 (4) 被上告人は,上告人に対し,平成17年10月7日頃,「解約を強く祈願させていただきます」などと記載した書面を送付し,平成18年1月15日,「商品は返すから後はそっちで貸し倒れにしてほしい」などと告げた。
 被上告人は,平成17年10月以降,本件立替払契約に基づく割賦金を支払っておらず,上記割賦金のうち合計112万8400円が未払である(以下,これを「本件未払金」という。)。

 (5) 本件販売業者は,休業又は廃業の状態にある。

 (6) 上告人は,消費者契約法の規定による取消権については,被上告人が追認をすることができる時から6箇月以内に行使しなかったので,時効により消滅したと主張して,これを援用した。

 3 原審は,上記事実関係の下において,本件売買契約は公序良俗に反し無効であるとして,上告人の本件未払金の支払請求を棄却し,かつ,被上告人の不当利得返還請求権に基づく本件既払金の返還請求について,次のとおり判断して,その部分に係る被上告人の請求を認容した。

 (1) 個品割賦購入あっせんは,購入者と販売業者の二者取引である売買にあっせん業者を加えて三者契約としたもので,本来は一体的な関係にあったのであるから,売買が無効等になる場合には,代金の支払のための法律関係にもそれをできる限り反映させるべき要請がある。売買契約が公序良俗に反し無効である場合,割賦販売法30条の4第1項の規定により,あっせん業者からの未払金の支払請求は拒むことができるのに対し,あっせん業者に対し既払金の返還を求めることはできないという結果は,購入者にとって不均衡な感を否めない。

 (2) 本件販売業者は,本件あっせん業者のために,本件立替払契約の締結の準備行為である申込手続を代行していること,本件あっせん業者にとって,本件立替払契約を締結した当時,本件販売業者について消費生活センターからクレームが付いていることを全くうかがえないわけではなかったこと,被上告人は,本件販売業者から本件既払金相当額の回収を図ることは実際上できないことなどの事情を総合すると,本件売買契約が公序良俗に反し無効であることにより,本件立替払契約は目的を失って失効し,被上告人は,上告人に対し,不当利得返還請求権に基づき,本件既払金の返還を求めることができるというべきである。

 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

 (1) 個品割賦購入あっせんは,法的には,別個の契約関係である購入者と割賦購入あっせん業者(「あっせん業者」)との間の立替払契約と,購入者と販売業者との間の売買契約を前提とするものであるから,両契約が経済的,実質的に密接な関係にあることは否定し得ないとしても,購入者が売買契約上生じている事由をもって当然にあっせん業者に対抗することはできないというべきであり,割賦販売法30条の4第1項の規定は,法が,購入者保護の観点から,購入者において売買契約上生じている事由をあっせん業者に対抗し得ることを新たに認めたものにほかならない(最高裁平成2年2月20日第三小法廷判決)。
 そうすると,個品割賦購入あっせんにおいて,購入者と販売業者との間の売買契約が公序良俗に反し無効とされる場合であっても,販売業者とあっせん業者との関係,販売業者の立替払契約締結手続への関与の内容及び程度,販売業者の公序良俗に反する行為についてのあっせん業者の認識の有無及び程度等に照らし,販売業者による公序良俗に反する行為の結果をあっせん業者に帰せしめ,売買契約と一体的に立替払契約についてもその効力を否定することを信義則上相当とする特段の事情があるときでない限り,売買契約と別個の契約である購入者とあっせん業者との間の立替払契約が無効となる余地はないと解するのが相当である。

 (2) これを本件についてみると,本件販売業者は,本件あっせん業者の加盟店の一つにすぎず,本件販売業者と本件あっせん業者との間に,資本関係その他の密接な関係があることはうかがわれない。そして,本件あっせん業者は,本件立替払契約の締結の手続を全て本件販売業者に委ねていたわけではなく,自ら被上告人に本件立替払契約の申込みの意思,内容等を確認して,本件立替払契約を締結している。また,被上告人が本件立替払契約に基づく割賦金の支払につき異議等を述べ出したのは,長期間にわたり約定どおり割賦金の支払を続けた後になってからのことであり,本件あっせん業者は,本件立替払契約の締結前に,本件販売業者の販売行為につき,他の購入者から苦情の申出を受けたことや公的機関から問題とされたこともなかったというのである。これらの事実によれば,上記特段の事情があるということはできず,他に上記特段の事情に当たるような事実もうかがわれない。したがって,本件売買契約が公序良俗に反し無効であることにより,本件立替払契約が無効になると解すべきものではなく,被上告人は,本件あっせん業者の承継人である上告人に対し,本件立替払契約の無効を理由として,本件既払金の返還を求めることはできない。

 5 以上と異なる原審の前記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決中被上告人の請求に関する上告人敗訴部分は破棄を免れない。

そして,前記事実関係によれば,被上告人が消費者契約法の規定による取消権を追認をすることができる時から6箇月以内に行使したとはいえないから,同法7条1項により,その取消権は時効によって消滅したことが明らかであり,被上告人の消費者契約法の規定による取消しを理由とする本件既払金の返還請求は理由がない。また,前記事実関係によれば,本件あっせん業者がその加盟店の行為について調査する義務を怠ったとはいえないから,被上告人の不法行為に基づく本件既払金相当額の損害賠償請求も理由がない。したがって,上記各請求をいずれも棄却した第1審判決は正当であるから,前記破棄部分につき,被上告人の控訴を棄却すべきである。 

国が連合国最高司令官総司令部の発した覚書に従い南方地域から帰還した日本人捕虜に対して抑留期間中の労働賃金を決済する措置を講じてきたことを理由としてシベリア抑留者が憲法一四条に基づき国に対して抑留期間中の労働賃金の支払を請求することの可否

平成9年3月13日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
1 シベリア抑留者は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言六項後段に定める請求権放棄によりソヴィエト社会主義共和国連邦に対して損害の賠償を求めることが実際上不可能となったことによる損害につき、憲法二九条三項に基づき国に対して補償を請求することはできない。
2 シベリア抑留者は、長期にわたる抑留と強制労働により受けた損害につき、憲法一一条、一三条、一四条、一七条、一八条、二九条三項及び四〇条に基づき、国に対して補償を請求することはできない。
3 国が、連合国最高司令官総司令部の発した覚書に従い、戦時捕虜としての所得を示す証明書を示したオーストラリア、ニュージーランド、東南アジア地域などの南方地域から帰還した日本人捕虜に対して抑留期間中の労働賃金を決済する措置を講じてきたとしても、シベリア抑留者は、憲法一四条一項に基づき、国に対して抑留期間中の労働賃金の支払を請求することはできない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/788/052788_hanrei.pdf

 一 上告代理人の上告理由第一について
 捕虜の待遇に関する一九四九年八月一二日のジュネーブ条約(以下「四九年ジュネーブ条約」という。)が我が国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間において効力を生ずる以前に捕虜たる身分を終了した者の法律関係の処理について、同条約を遡及して適用することはできないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

 二 同第二について
 ソヴィエト社会主義共和国連邦は、四九年ジュネーブ条約の批准に当たり、同条約八五条の適用を留保したものであるところ、原審の適法に確定した事実関係によれば、上告人Aは、昭和二四年二月、ロシア共和国刑法五八条所定の罪により強制労働二五年の刑の宣告を受け、以後、昭和三一年に本邦に帰還するまでの間、囚人として囚人ラーゲリに収容され労働に従事してきたというのである。右事実関係の下においては、その後、同上告人が右有罪判決について再審請求をした結果、同判決が破棄されて無罪となり、名誉回復の措置が執られたとしても、そのことによって、同上告人の右受刑中の身柄拘束が、さかのぼって、同条約の適用を受けるべき捕虜の抑留になると解する根拠はなく、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

 三 同第三について
 原審の適法に確定した事実関係の下においては、上告人らが捕虜としてシベリアに抑留されていた当時、抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高について捕虜の所属国がこれを決済する責任を負うこと、捕虜の労働による負傷又はその他の身体障害に対する補償請求等は捕虜の所属国に対してすべきこと等を内容とする所論の自国民捕虜補償の原則が、世界の主要国における一般慣行となり、これが法的確信によって支えられていたとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

 五 同第五について
 我が国がポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印したことにより、上告人らを含む多くの軍人・軍属が、ソヴィエト社会主義共和国連邦の捕虜となり、シベリア地域の収容所等に送られ、その後長期間にわたり、満足な食料も与えられず、劣悪な環境の中で抑留された上、過酷な強制労働を課され、その結果、多くの人命が失われ、あるいは身体に重い障害を残すなど、筆舌に尽くし難い辛苦を味わわされ、肉体的、精神的、経済的に多大の損害を被ったことは、原審の適法に確定するところであり、上告人らを含むこれらのシベリア抑留者に対する右のような取扱いは、捕虜の取扱いに関し当時確立していた国際法規に反する不当なものといわざるを得ない。そして、昭和三一年一二月一二日発効の日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言(以下「日ソ共同宣言」という。)六項後段によるいわゆる請求権放棄に伴い、我が国が、国際法上、ソヴィエト社会主義共和国連邦との間で、シベリア抑留者の右損害の回復を図る権利を失い、これにより、上告人らがソヴィエト社会主義共和国連邦に対し右損害の賠償を求めることは、仮に所論の請求権が存するとしても、実際上不可能となったことも否定することができない。 

 所論は、日ソ共同宣言六項後段に定める請求権放棄により上告人らが受けた損害につき、被上告人は、憲法二九条三項に基づき、これを補償すべき義務を負うという。しかしながら、上告人らを含む多くの軍人・軍属が、長期にわたりシベリア地域において抑留され、強制労働を課されるに至ったのは、敗戦に伴って生じた事態であり、これによる損害は正に戦争により生じたものというべきである。そして、日ソ共同宣言は、連合国との間の平和条約とは異なり我が国が主権を回復した後に合意されたものであるとはいえ、終戦処理の一環として、いまだ平和条約を締結するに至っていなかったソヴィエト社会主義共和国連邦との間で戦争状態を解消して正常な外交関係を回復するために合意されたものであって、請求権放棄を含む合意内容について、連合国との間の平和条約と異なる合意をすることは事実上不可能であり、我が国が同宣言六項後段において請求権放棄を合意したことは、誠にやむを得ないところであったというべきである。右の抑留が敗戦に伴って生じたものであること、日ソ共同宣言が合意されるに至った経緯、同宣言の規定の内容等を考え合わせれば、同宣言六項後段に定める請求権放棄により上告人らが受けた損害も、戦争損害の一つであり、これに対する補償は、憲法二九条三項の予想しないところといわざるを得ない。したがって、上告人らが憲法二九条三項に基づき被上告人に対し右請求権放棄による損害の補償を求めることはできないものというほかはない。このことは、最高裁昭和四三年一一月二七日大法廷判決の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭和四四年七月四日第二小法廷判決)。
 また、所論は、上告人らが、過酷な条件下で長期間にわたり抑留され、強制労働を課されたことによって生じた損害は、被上告人による戦争の開始、遂行及び終戦処理に起因する特別な損害であり、右損害については、憲法一一条、一三条、一四条、一七条、一八条、二九条三項及び四〇条に基づき補償がされるべきであるともいう。シベリア抑留者の辛苦は前記のとおりであるが、第二次世界大戦によりほとんどすべての国民が様々な被害を受けたこと、その態様は多種、多様であって、その程度において極めて深刻なものが少なくないこともまた公知のところである。戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては、国民のすべてが、多かれ少なかれ、その生命、身体、財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされていたのであって、これらの犠牲は、いずれも戦争犠牲ないし戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり、これらの戦争損害に対する補償は憲法の右各条項の予想しないところというべきである。その補償の要否及び在り方は、事柄の性質上、財政、経済、社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断を待って初めて決し得るものであって、憲法の右各条項に基づいて一義的に決することは不可能であるというほかはなく、これについては、国家財政、社会経済、戦争によって国民が被った被害の内容、程度等に関する資料を基礎とする立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である。以上のこともまた、前記大法廷判決の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭和六二年六月二六日第二小法廷判決)。シベリア抑留者が長期間にわたる抑留と強制労働によって受けた損害が深刻かつ甚大なものであったことを考慮しても、他の戦争損害と区別して、所論主張の憲法の右各条項に基づき、その補償を認めることはできないものといわざるを得ない。
 以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は採用することができない。 

 七 同第八について
 原審の適法に確定したところによれば、

(1) 我が国は、ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して以来、連合国との間の平和条約が発効するまでの数年間、連合国による占領管理下に置かれ、連合国の占領政策に忠実に従わざるを得ず、我が国の統治機構は一応存在していたものの、占領目的の実現という名の下に政治、経済、文化等のあらゆる面において、連合国による種々の厳しい規制を受け、法的、政治的にみれば、いまだおよそ独立国家としての地位と権限を有するには至っていなかった、

(2)終戦後、世界各地から日本へ引き揚げてきた一般人、軍人・軍属のほか、上告人らのように数年間捕虜として連合国の占領地域等に抑留されていた者が、順次帰国するに及んで、右引揚者らが持ち帰る通貨や金、銀等の貴金属類あるいは有価証券類等が無制限に我が国に流入することになれば、終戦直後における通貨、経済体制の混乱状態に一層の拍車が掛かり、我が国の経済復興に重大な支障を与えるおそれがあったため、連合国最高司令官総司令部は、とりあえず通貨、貴金属類、有価証券類等の輸出入等を原則として全面的に禁止するとともに、貿易等の対外的経済取引をも停止するという緊急非常措置を講ずる一方、我が国の経済体制が次第に安定するに従って、徐々に右の各種の制限も緩和するという政策を採用した、

(3) 連合国最高司令官総司令部は、右政策を実施するために、引揚者の持帰金、捕虜として抑留されていた者の貸方残高の決済に関して覚書を発し、引揚者の持帰金については、一般人、軍人・軍属及びその階級等に応じて一律に一定の制限を設けるとともに、捕虜として抑留されていた者については、「戦時捕虜としての所得を示す証明書」を所持する者に限り、その貸方残高を日本政府が決済することを許可する旨を指令し、占領下にあって連合国の占領政策を誠実に遵守すべき立場にあった日本政府は、右覚書を実施するために大蔵省告示を発し、右告示の定めるところに従って、抑留国が発行した個人計算カード等の「戦時捕虜としての所得を示す証明書」を示した者については、抑留国に代わって右証明書に記載された抑留期間中の労働賃金の支払を行ってきた、

(4) 連合国最高司令官総司令部は、日本政府の求めに応じて、ソヴィエト社会主義共和国連邦当局に対し、シベリア抑留者の抑留中の所得を証明する資料の交付等を要請したが、同国当局はこれに応じなかった、というのである。

所論は、右のように、被上告人は、大蔵省告示の定めるところに従って、オーストラリア、ニュージーランド、東南アジア地域など(以下「南方地域」という。)から帰還した日本人捕虜に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払ってきたのであるから、シベリア抑留者に対しても、憲法一四条一項に基づき、その抑留期間中の労働賃金を支払うべき法的義務を負担すると解すべきであるというのである。

しかしながら、右事実関係によれば、連合国との間の平和条約が発効するまでの数年間については、被上告人において、所得を証明するような資料を所持していない者に対して抑留中の労働賃金を決済することは、連合国最高司令官総司令部の覚書によって許されていなかったものといわざるを得ず、連合国による占領管理下に置かれ、連合国の占領政策に忠実に従うべき義務を負っていた日本政府が、右決済の措置を講じなかったことをもって、上告人らに対して差別的取扱いをしたものということはできず、その限りにおいては、所論はその前提を欠くものというべきである。そして、連合国との間の平和条約が発効し、我が国が主権を回復した後においては、捕虜の抑留期間中の労働賃金を被上告人において支払うべきかどうかの問題は、戦争損害に対する補償の一環をなすものとして、立法府の総合的政策判断にゆだねられるに至ったものと解すべきことは、前記説示のとおりである。したがって、被上告人が、主権回復後において、シベリア抑留者に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払うためには、右のような総合的政策判断の上に立った立法措置を講ずることを必要とするのであって、そのような立法措置が講じられていない以上、上告人らが、憲法一四条一項に基づき、その抑留期間中の労働賃金の支払を請求することはできないものといわざるを得ない。

また、所論は、原審の口頭弁論終結後に上告人らの一部の者に対しロシア共和国政府から労働証明書の交付がされた事実を指摘して弁論の再開を申し立てたのに、弁論を再開しなかった原審の措置には審理不尽の違法があるという。しかし、仮に、右事実が立証されたとしても、上告人らが、被上告人に対し、捕虜としての抑留期間中の労働賃金の支払を請求するためには、被上告人にその支払を義務付ける立法を必要とするのであるから、右のような立法措置が執られていないという立法政策の当否が問題となり得るにすぎず、憲法一四条一項に基づきその請求をすることはできないという右判断が左右されるものではない。原審が弁論再開の措置を執らなかったことに、所論の違法を認めることはできない

(なお、上告人らは、南方地域から帰還した捕虜が持ち帰った個人計算カードに記載された労働賃金については、我が国が主権を回復した後においても、その支払を依頼する旨の大蔵省理財局長の日銀国庫局長又は引揚援護庁長官あての通達が発せられ、昭和二九年三月ころまで大蔵大臣の許可によりその支払がされてきた事実が原判決言渡後に判明した旨の指摘をし、関係資料を提出しているが、これらによっても、右の支払は、関係行政庁の判断に基づく一時的な行政措置としてされたものであることがうかがわれ、何らの立法措置も講じられることなくされた右支払をもって被上告人の支払先に対する法的義務の履行としてされたものとみることはできない。右事実が被上告人の上告人らに対する労働賃金の支払義務を根拠付けるものでないことは、既に説示したところから明らかである。)。

南方地域から帰還した日本人捕虜は、被上告人からその抑留期間中の労働賃金の支払を受けることができたのに、シベリア抑留者は、過酷な条件の下で長期間にわたり抑留され、強制労働を課されたにもかかわらず、その抑留期間中の労働賃金が支払われないままであることは、前記説示のとおりであり、上告人らがそのことにつき不平等な取扱いを受けていると感ずることは理由のないことではないし、また、国際法上、捕虜の抑留期間中の労働賃金の支払を確保すべきことが求められていることは、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約以来の捕虜の待遇に関する国際法の変遷や四九年ジュネーブ条約に関する討議の経過につき原審の確定するところから明らかである上、上告人らが捕虜たる身分を失った後であるとはいえ、抑留国から捕虜に支払うべき貸方残高について捕虜の所属国がこれを決済する責任を負う旨を定めた四九年ジュネーブ条約を被上告人が批准したことをも考慮すると、シベリア抑留者の抑留期間中の労働賃金の支払を可能とする立法措置が講じられていないことについて不満を抱く上告人らの心情も理解し得ないものではない。しかし、シベリア抑留者に対する補償の問題は、その抑留期間中の労働賃金の支払の要否を含め、戦後補償立法の策定に当たり度々国会における議論の対象となり、その結果、恩給法、戦傷病者戦没者遺族等援護法において捕虜としての抑留に係る給付につき一定の立法措置が講じられ、また、平和祈念事業特別基金等に関する法律においてシベリア抑留者に対する慰謝の措置が講じられるなどしてきたことは、当裁判所に顕著である。

戦後補償立法の策定に当たり、シベリア抑留者が過酷な条件の下で長期間にわたり抑留され、強制労働を課されたにもかかわらず、その抑留期間中の労働賃金の支払がされていないという事情については、立法府において一応の考慮をしてきたものということができ、立法府が、シベリア抑留者に対し、その抑留期間中の労働賃金を支払うための立法措置を講じていないことが、その裁量の範囲を逸脱したものとまではいうことができない。
 以上によれば、これと同旨に帰する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

 

国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求に憲法二九条三項に基づく損失補償請求を控訴審において予備的・追加的に併合する場合の相手方の同意の要否

平成5年7月20日最高裁判所第三小法廷判決

裁判要旨    
1 国家賠償法一条一項の規定に基づく損害賠償請求に憲法二九条三項の規定に基づく損失補償請求を予備的、追加的に併合することが申し立てられた場合において、右予備的請求が、主位的請求と被告を同じくする上、その主張する経済的不利益の内容が同一で請求額もこれに見合うものであり、同一の行為に起因するものとして発生原因が実質的に共通するなど,相互に密接な関連性を有するものであるときは、右予備的請求の追加的併合は、請求の基礎を同一にするものとして民訴法二三二条の規定による訴えの追加的変更に準じて許される。
2 国家賠償法一条一項の規定に基づく損害賠償請求に、憲法二九条三項の規定に基づく損失補償請求を控訴審において予備的、追加的に併合するには、相手方の同意を要する。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/377/053377_hanrei.pdf

 上告人は、原審において、旅館等の営業者として自然景観の眺望を享受する利益や水資源を利用し得る利益等を有するところ、被上告人の本件ダム設置運営等により、右利益等につき損失を被ったと主張して、憲法二九条三項の規定に基づく損失補償請求を予備的、追加的に併合することを申し立てたが、原審は、追加的併合を不適法として、右予備的請求に係る訴えを却下した。
 しかし、右損失補償請求は、主位的請求である国家賠償法一条一項等に基づく損害賠償請求と被告を同じくする上、いずれも対等の当事者間で金銭給付を求めるもので、その主張する経済的不利益の内容が同一で請求額もこれに見合うものであり、同一の行為に起因するものとして発生原因が実質的に共通するなど、相互に密接な関連性を有するものであるから、請求の基礎を同一にするものとして民訴法二三二条の規定による訴えの追加的変更に準じて右損害賠償請求に損失補償請求を追加することができるものと解するのが相当である。

もっとも、損失補償請求が公法上の請求として行政訴訟手続によって審理されるべきものであることなどを考慮すれば、相手方の審級の利益に配慮する必要があるから、控訴審における右訴えの変更には相手方の同意を要するものというべきである。ところが、記録によれば、原審において、被上告人は、右予備的請求を追加的に併合することは不適法であるとして訴えの却下を求めており、被上告人による同意があったものと認めることはできない。
したがって、上告人の本件予備的請求を追加することは許されないところ、記録によれば、本件損失補償請求の予備的、追加的併合申立ては、主位的請求と同一の訴訟手続内で審判されることを前提とし、専らかかる併合審判を受けることを目的としてされたものと認められるから、右予備的請求に係る訴えは、これを管轄裁判所に移送する措置をとる余地はなく不適法として却下すべきであって、これと結論を同じくする原判決は、正当である。
 論旨は、違憲をいう点を含め、原判決の結論に影響のない違法をいうに帰し、採用することができない。

建造物の管理権者が立入り拒否の意思を積極的に明示していない場合と建造物侵入罪の成否

 昭和58年4月8日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
1 刑法130条前段にいう「侵入シ」とは、他人の看守する建造物等に管理権者の意思に反して立ち入ることをいう。
2 建造物の管理権者が予め立入り拒否の意思を積極的に明示していない場合であつても、該建造物の性質、使用目的、管理状況、管理権者の態度、立入りの目的などからみて、現に行われた立入り行為を管理権者が容認していないと合理的に判断されるときは、他に犯罪の成立を阻却すべき事情が認められない以上、建造物侵入罪の成立を免れない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/229/050229_hanrei.pdf

主    文
原判決を破棄する。
本件を仙台高等裁判所に差し戻す。
理    由 

・・・所論にかんがみ職権により調査すると、原判決は、以下に述べる理由により破棄を免れない。

刑法一三〇条前段にいう「侵入シ」とは、他人の看守する建造物等に管理権者の意思に反して立ち入ることをいうと解すべきであるから、管理権者が予め立入り拒否の意思を積極的に明示していない場合であつても、該建造物の性質、使用目的、管理状況、管理権者の態度、立入りの目的などからみて、現に行われた立入り行為を管理権者が容認していないと合理的に判断されるときは、他に犯罪の成立を阻却すべき事情が認められない以上、同条の罪の成立を免れないというべきである。
 ところで、原判決は、被告人らが、Aの春季闘争の一環として、多数のビラを貼付する目的で、大槌郵便局舎内に管理権者であるB局長の事前の了解を受けることなく立ち入つたものであること、局舎等におけるビラ貼りは、郵政省庁舎管理規程によると、法令等に定めのある場合のほかは、管理権者が禁止すべき事項とされていること、被告人らは、夜間、多人数で土足のまま局舎内に立ち入り、縦約二五糎、横約九糎大の西洋紙に「大巾賃上げ」「スト権奪還」などとガリ版印刷をしたビラ約一〇〇〇枚を局舎の各所に乱雑に貼付したものであり、被告人らの右ビラ貼りは、右庁舎管理規程に反し、前記B局長の許諾しないものであることが明らかであること、右ビラ貼りは、その規模等からみて外形上軽犯法違反に該当する程度の評価が 可能であり、それが組合の闘争手段としてなされたものであるとはいえ、庁舎施設の管理権を害し、組合活動の正当性を超えた疑いがあるから、管理権者としては、このような目的による立入りを受忍する義務はなく、これを拒否できるものと考えられること、組合のビラ貼りについては、東北郵政局から警戒するよう指示されていたこともあつて、前記B局長は、当夜、C局長代理と交代で局舎に立ち寄り、局舎の外側からビラ貼りを警戒していたが、被告人らが局舎内に立ち入りビラ貼りをしているのを確認するや、右局長代理とともに局舎に入り被告人らに退去を求めたことなどを認定している。

これらの事実によれば、記録上他に特段の事情の認められない本件においては、被告人らの本件局舎内への立入りは管理権者である右局長の意思に反するものであり、被告人らもこれを認識していたものと認定するのが合理的である。局舎の宿直員が被告人らの立入りを許諾したことがあるとしても、右宿直員は管理権者から右許諾の権限を授与されていたわけではないから、右宿直員の許諾は右認定に影響を及ぼすものではない。

しかるに、原判決は、B局長が、被告人らのビラ貼り目的による局舎内への立入りを予測しながら、事前にこれを阻止するための具体的措置をとらなかつたということなどから、本件においては、被告人らの立入りを拒否する管理権者の意思が外部に表明されていたとはいえないとし、被告人らの所為は、結局、管理権者の意思に反したといえないから、建造物侵入罪の構成要件に該当しないとしているのであつて、右は、ひつきよう、法令の解釈適用を誤つたか、重大な事実誤認をした疑いがあり、原判決の右違法は、判決に影響を及ぼし、かつ、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
 三 よつて、刑訴法四一一条一号、三号を適用して原判決を破棄し、同法四一三条本文により本件を原裁判所である仙台高等判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

 特定の土地の分割方法を定めた遺言の存在を知らないでされた遺産分割協議の意思表示に要素の錯誤がないとはいえないとされた事例

平成5年12月16日最高裁判所第一小法廷判決

裁判要旨    
特定の土地につきおおよその面積と位置を示して分割した上それぞれを相続人甲、乙、丙に相続させる趣旨の分割方法を定めた遺言が存在したのに、相続人丁が右土地全部を相続する旨の遺産分割協議がされた場合において、相続人の全員が右遺言の存在を知らなかったなど判示の事実関係の下においては、甲のした遺産分割協議の意思表示に要素の錯誤がないとはいえない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/130/073130_hanrei.pdf

 一 原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
 1 原判決別紙不動産目録記載の土地(以下「本件土地」という。)は、Dの所有であった。
 2 Dは、昭和五八年二月一日付け目筆証書によって、本件土地の北一五〇坪を上告人A1の所有地とし、南一八六坪を被上告人及び上告人A2の折半とする旨の遺言(以下「D遺言」という。)をした。
 3 Dは、昭和五八年四月一日死亡し、その法定相続人は、妻であるE、長男である被上告人、二男である上告人A3、三男である上告人A1及び四男である上告人A2である。
 4 右Dの相続人らは、昭和五八年八月一四日、D遺言が存在することを知らずに、本件土地をEが単独で相続する旨の遺産分割協議(以下「本件遺産分割協議」という。)をした。上告人ら及び被上告人は、各自が法定の相続分を有することを前提に、Dから生前本件土地をもらったと信じ込んでいるEの意思を尊重するとともに、Eの単独所有にしても近い将来自分たちが相続することになるとの見通しから、Eに本件土地を単独で相続させる旨の本件遺産分割協議をした。
 5 Eは、昭和五八年八月二七日付け公正証書によって、財産全部を被上告人に相続させる旨の遺言(以下「E遺言」という。)をした。 

 6 本件土地につき、本件遺産分割協議に基づき、Eを所有名義人とする昭和五八年九月二六日受付所有権移転登記がされた。
 7 Eは、昭和五九年一月七日死亡し、その法定相続人は、上告人ら及び被上告人である。
 8 本件土地につき、作幸技遺言に基づき、被上告人を所有名義人とする昭和五九年二月二一日受付所有権移転登記がされた。
 9 上告人A3は、昭和五九年一一月ころ、D遺言の遺言書を発見した。上告人らは、同じころ、E遺言の内容を知り、同六〇年二月七日、被上告人に対し遺留分減殺請求をした。

 二 上告人らは、主位的請求として、D遺言の趣旨により本件土地につき上告人A1は一一一〇分の四九五、同A2は一一一〇分の三〇七の共有持分を取得したと主張して、被上告人に対し、本件土地につき右割合による更正登記手続を求め、予備的請求として、本件遺産分割協議の成立を否認するとともに、仮に成立したとしても要素の錯誤により無効であると主張して、被上告人に対し、本件土地がDの遺産であることの確認及び本件土地につき上告人らの持分各一六分の三とする更正登記手続を求めた。被上告人は、上告人らの右主張を争い、本件土地は本件遺産分割協議によりEが相続したと主張した。
 原審は、前記一の事実関係に基づいて次の判断を示し、上告人らの予備的請求のうち本件土地の更正登記手続請求につき上告人らの持分を各八分の一とする限度で認容すべきものとし、主位的請求及びそのほかの予備的請求を棄却すべきものとした。

 1 上告人らは、法定の相続分を有することを知りながら、Dから生前本件土地をもらったと信じ込んでいるEの意思を尊重するとともに、Eの単独所有にしても近い将来自分たちが相続することになるとの見通しから、本件遺産分割協議をした のであるから、上告人らが当時D遺言の存在を知っていたとしても、本件遺産分割協議の結果には影響を与えなかったということができる。したがって、上告人らがD遺言の存在を知らなかったからといって本件遺産分割協議における上告人らの意思表示に要素の錯誤があるとはいえない。

 2 本件土地は、本件遺産分割協議によりEが単独で相続したから、上告人らの主位的請求及び予備的請求のうち本件土地がDの遺産であることの確認を求める部分は理由がない。

 3 上告人らが本件E遺言についてした遺留分減殺請求により、上告人らは本件土地につき各八分の一の持分を有することになるので、予備的請求のうち更正登記手続請求は右の限度で理由がある。

 三 しかしながら、原審の右1の判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 相続人が遺産分割協議の意思決定をする場合において、遺言で分割の方法が定められているときは、その趣旨は遺産分割の協議及び審判を通じて可能な限り尊重されるべきものであり、相続人もその趣旨を尊重しようとするのが通常であるから、相続人の意思決定に与える影響力は格段に大きいということができる。

ところで、D遺言は、本件土地につきおおよその面積と位置を示して三分割した上、それぞれを被上告人、上告人A1及び同A2の三名に相続させる趣旨のものであり、本件土地についての分割の方法をかなり明瞭に定めているということができるから、上告人A1及び同A2は、D遺言の存在を知っていれば、特段の事情のない限り、本件土地をEが単独で相続する旨の本件遺産分割協議の意思表示をしなかった蓋然性が極めて高いものというべきである。

右上告人らは、それぞれ法定の相続分を有することを知りながら、Dから生前本件土地をもらったと信じ込んでいるEの意思を尊重しようとしたこと、Eの単独所有にしても近い将来自分たちが相続することになるとの見通しを持っていたという事情があったとしても、遺言で定められた分割の方法が相続人の意思決定に与える影響力の大きさなどを考慮すると、これをもって右特段の事情があるということはできない。
 これと異なる見解に立って、右上告人らがD遺言の存在を知っていたとしても、本件遺産分割協議の結果には影響を与えなかったと判断した原判決には、民法九五条の解釈適用を誤った違法があり、ひいては審理不尽の違法があって、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、この趣旨をいう論旨は理由がある。

 四 D遺言の内容は特定の遺産を特定の相続人に相続させる趣旨のものではなく、D遺言が存在することによって上告人らが本件土地につき各主張に係る共有持分を取得するとはいえないというべきであるから、上告人らの主位的請求は主張自体理由がないというべきである。したがって、右主位的請求を棄却した原審の判断は、結論において是認することができる。

 五 よって、原判決のうち予備的請求に係る上告人ら敗訴部分を破棄し、右部分につき錯誤の成否について更に審理を尽くさせるため原審に差し戻し、上告人らのその余の上告を棄却することとし、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。