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上告理由を発見するためには常日頃から最高裁判例を読む習慣が有効:弁護士中山知行/富士市/TEL0545-50-9701

 刑法36条1項にいう「急迫不正の侵害」が終了していないとされた事例   全体として過剰防衛に当たるとされた事例

 平成9年6月16日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
一 文化住宅の二階便所にいた被告人を鉄パイプで殴打した上逃げ出した後を追い掛けて殴り掛かろうとしていた相手方を、被告人が二階通路から外側の道路上に転落させる行為に及んだ当時、相手方において、勢い余って二階手すりの外側に上半身を前のめりに乗り出した姿勢となったものの、なおも鉄パイプを握り続けるなどその加害の意欲がおう盛かつ強固であり、間もなく態勢を立て直して再度その攻撃に及ぶことが可能であったと認められるなど判示の事実関係の下においては、相手方の被告人に対する急迫不正の侵害は終了しておらず、なお継続していたということができる。
二 相手方の不正の侵害は、鉄パイプで被告人の頭部を一回殴打した上、引き続きそれで殴り掛かろうとしたものであり、他方、被告人の暴行は、もみあいの最中にいったん取り上げた鉄パイプで相手方の頭部を一回殴打したほか、二階手すりの外側に上半身を乗り出した相手方の片足を持ち上げて約四メートル下のコンクリート道路上に転落させたという死亡の結果すら発生しかねない危険なものであったことに照らすと、被告人の一連の暴行は、全体として防衛のためにやむを得ない程度を超えたものであったと認められる。

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50188

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/188/050188_hanrei.pdf

一 原判決及びその是認する第一審判決の認定並びに記録によれば、本件事案の概要は、次のとおりであることが明らかである。

すなわち、被告人は、肩書住居の文化住宅A二階の一室に居住していたものであり、同荘二階の別室に居住するB(当時五六歳)と日ごろから折り合いが悪かったところ、平成八年五月三〇日午後二時一三分ころ、同荘二階の北側奥にある共同便所で小用を足していた際、突然背後からBに長さ約八一センチメートル、重さ約二キログラムの鉄パイプ(以下「鉄パイプ」という)で頭部を一回殴打された。続けて鉄パイプを振りかぶったBに対し、被告人は、それを取り上げようとしてつかみ掛かり、同人ともみ合いになったまま、同荘二階の通路に移動し、その間二回にわたり大声で助けを求めたが、だれも現れなかった。その直後に、被告人は、Bから鉄パィプを取り上げたが、同人が両手を前に出して向かってきたため、その頭部を鉄パイプで一回殴打した。そして、再度もみ合いになって、Bが、被告人から鉄パイプを取り戻し、それを振り上げて被告人を殴打しようとしたため、被告人は、同通路の南側にある一階に通じる階段の方へ向かって逃げ出した。被告人は、階段上の踊り場まで至った際、背後で風を切る気配がしたので振り返ったところ、Bは、通路南端に設置されていた転落防止用の手すりの外側に勢い余って上半身を前のめりに乗り出した姿勢になっていた。しかし、Bがなおも鉄パイプを手に握っているのを見て、被告人は、同人に近づいてその左足を持ち上げ、同人を手すりの外側に追い落とし、その結果、同人は、一階のひさしに当たった後、手すり上端から約四メートル下のコンクリート道路上に転落した。Bは、被告人の右一連の暴行により、入院加療約三箇月間を要する前頭、頭頂部打撲挫創、第二及び第四腰椎圧迫骨折等の傷害を負った。

二 原判決及びその是認する第一審判決は、被告人がBに対しその片足を持ち上げて地上に転落させる行為に及んだ当時、同人が手すりの外側に上半身を乗り出した状態になり、容易には元に戻りにくい姿勢となっていたのであって、被告人は自由にその場から逃げ出すことができる状況にあったというべきであるから、その時点でBの急迫不正の侵害は終了するとともに、被告人の防衛の意思も消失したとして、被告人の行為が正当防衛にも過剰防衛にも当たらないとの判断を示している。
しかしながら、前記一の事実関係に即して検討するに、Bは、被告人に対し執ような攻撃に及び、その挙げ句に勢い余って手すりの外側に上半身を乗り出してしまったものであり、しかも、その姿勢でなおも鉄パイプを握り続けていたことに照らすと、同人の被告人に対する加害の意欲は、おう盛かつ強固であり、被告人がその片足を持ち上げて同人を地上に転落させる行為に及んだ当時も存続していたと認めるのが相当である。また、Bは、右の姿勢のため、直ちに手すりの内側に上半身を戻すことは困難であつたものの、被告人の右行為がなければ、間もなく態勢を立て直した上、被告人に追い付き、再度の攻撃に及ぶことが可能であったものと認められる。そうすると、Bの被告人に対する急迫不正の侵害は、被告人が右行為に及んだ当時もなお継続していたといわなければならない。さらに、それまでの一連の経緯に照らすと、被告人の右行為が防衛の意思をもってされたことも明らかというべきである。したがって、被告人が右行為に及んだ当時、Bの急迫不正の侵害は終了し、被告人の防衛の意思も消失していたとする原判決及びその是認する第一審判決の判断は、是認することができない。 

以上によれば、被告人がBに対しその片足を持ち上げて地上に転落させる行為に及んだ当時、同人の急迫不正の侵害及び被告人の防衛の意思はいずれも存していたと認めるのが相当である。また、被告人がもみ合いの最中にBの頭部を鉄パイプで一回殴打した行為についても、急迫不正の侵害及び防衛の意思の存在が認められることは明らかである。しかしながら、Bの被告人に対する不正の侵害は、鉄パイプでその頭部を一回殴打した上、引き続きそれで殴り掛かろうとしたというものであり、同人が手すりに上半身を乗り出した時点では、その攻撃力はかなり減弱していたといわなければならず、他方、被告人の同人に対する暴行のうち、その片足を持ち上げて約四メートル下のコンクリート道路上に転落させた行為は、一歩間違えば同人の死亡の結果すら発生しかねない危険なものであったことに照らすと、鉄パイプで同人の頭部を一回殴打した行為を含む被告人の一連の暴行は、全体として防衛のためにやむを得ない程度を超えたものであったといわざるを得ない。

そうすると、被告人の暴行は、Bによる急迫不正の侵害に対し自己の生命、身体を防衛するためその防衛の程度を超えてされた過剰防衛に当たるというべきであるから、右暴行について過剰防衛の成立を否定した原判決及びその是認する第一審判決は、いずれも事実を誤認し、刑法三六条の解釈適用を誤ったものといわなければならない。 

三 以上の次第で、原判決及びその是認する第一審判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認及び法令違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるから、刑訴法四一一条一号、三号により原判決及び第一審判決を破棄し、同法四一三条ただし書により更に判決することとする。

第一審判決の挙示する証拠及び原審公判調書中の被告人の供述部分によれば、被告人は、大阪市a区b町c丁目d番e号所在のA二階六号室に居住していたものであるが、日ごろから同荘二階一号室に居住するB(当時五六歳)との折り合いが悪かったところ、平成八年五月三〇日午後二時一三分ころ、同荘二階北側奥にある共同便所で小用を足していた際、後ろから同人にいきなり鉄パイプで頭部を一回殴打され、同人ともみ合いながら同荘二階通路に至ったところで、同人から取り上げた鉄パイプでその頭部を一回殴打し、さらに、同通路で同人ともみ合ううち、鉄パイプを取り返した同人が、これで被告人を殴り付けようとしたが、勢い余って通路南端の手すりの外側へ上半身を前のめりに乗り出してしまっているのを認めるや、その片足を持ち上げて同人を同所から約四メートル下の道路上に転落させ、もって、自己の生命、身体を防衛するため、同人に対し防衛の程度を超えた暴行を加え、よって、同人に入院加療約三箇月間を要する前頭、頭頂部打撲挫創、第二及び第四腰椎圧迫骨折等の傷害を負わせたものであることが認められる。なお、弁護人は、自救行為による違法性阻却を主張するが、右の事実関係に照らすと、理由がないというべきである。

法令に照らすと、被告人の判示所為は刑法二〇四条に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、同法二一条を適用して第一審における未決勾留日数中五〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、第一審、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。