租税法規に適合する課税処分について信義則の法理の適用による違法を考え得るのは、納税者間の平等公平という要請を犠牲にしてもなお当該課税処分に係る課税を免れしめて納税者の信頼を保護しなければ正義に反するといえるような特別の事情が存する場合でなければない。
昭和62年10月30日最高裁判所第三小法廷判決
裁判要旨
租税法規に適合する課税処分について信義則の法理の適用による違法を考え得るのは、納税者間の平等公平という要請を犠牲にしてもなお当該課税処分に係る課税を免れしめて納税者の信頼を保護しなければ正義に反するといえるような特別の事情が存する場合でなければならず、右特別の事情が存するかどうかの判断に当たつては、少なくとも、税務官庁が納税者に対し信頼の対象となる公的見解を表示し、納税者がその表示を信頼しその信頼に基づいて行動したところ右表示に反する課税処分が行われ、そのために納税者が経済的不利益を受けることになつたものかどうか、納税者が税務官庁の右表示を信頼しその信頼に基づいて行動したことについて納税者の責に帰すべき事由がないかどうか、という点の考慮が不可欠である。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=70488
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/488/070488_hanrei.pdf
一 原審が確定したところによれば、(1) 被上告人の実兄であり、かつ養父であつたD(昭和四七年九月二一日死亡)は、戦前から酒類販売業の免許を受け、E商店の商号で酒類販売業を営んでいた、(2) 被上告人は、昭和二五年四月門司税務署を退職し、E商店の営業に従事するようになり、昭和二九年一一月ころから事実上被上告人が中心となつて同店の業務を運営するようになつた、(3) Dは青色申告の承認を受けており、E商店の営業による事業所得については、昭和二九年分から同四五年分までD名義により青色申告がされてきたが、昭和四七年三月、同四六年分につき、被上告人が青色申告の承認を受けることなく自己の名義で青色申告書による確定申告をしたところ、上告人は、被上告人につき青色申告の承認があるかどうかの確認を怠り、右申告書を受理し、さらに昭和四七年分から同五〇年分までの所得税についても、被上告人に青色申告用紙を送付し、被上告人の青色申告書による確定申告を受理するとともにその申告に係る所得税額を収納してきた、(4) D名義で青色申告を継続してきた間、青色申告の承認を取り消されるようなことはなく、昭和四六年以降もE商店の帳簿書類の整備保存態勢に変化はなかつた、(5) 被上告人は、昭和五一年三月、上告人から青色申告の承認申請がなかつたことを指摘されるや直ちにその申請をし、同年分以降についてその承認を受けた、というものである。
二 原審は、青色申告制度が課税所得額の基礎資料となる帳簿書類を一定の形式に従つて保存整備させ、その内容に隠蔽、過誤などの不実記載がないことを担保させることによつて、納税者の自主的かつ公正な申告による課税の実現を確保しようとする制度であることから考えると、右のような制度の趣旨を潜脱しない限度においては、青色申告書の提出について税務署長の承認を受けていなくても、青色申告としての効力を認めてもよい例外的な場合があるとしたうえ、右の事実関係のもとにおいては、被上告人が青色申告書を提出することについてその承認申請をしなかつたとしても、必ずしも青色申告制度の趣旨に背馳するとは考えられず、上告人が青色申告書による確定申告を受理し、これにつきその承認があるかどうかの確認を怠り、単に被上告人がその承認申請をしていなかつたことだけで青色申告の効力を否認するのは信義則に違反し許されないとし、被上告人の昭和四八年分及び同四九年分の各所得税の確定申告について、これを白色申告とみなして行つた本件各更正処分は違法である、と判断した。
論旨は、要するに、原審の右判断は、法令の解釈適用を誤り、審理不尽、理由不備の違法を犯したものである、というのである。
三 所得税法第二編第五章第三節に規定する青色申告の制度は、納税者が自ら所得金額及び税額を計算し自主的に申告して納税する申告納税制度のもとにおいて、適正課税を実現するために不可欠な帳簿の正確な記帳を推進する目的で設けられたものであつて、同法一四三条所定の所得を生ずべき業務を行う納税者で、適式に帳簿書類を備え付けてこれに取引を忠実に記載し、かつ、これを保存する者について、当該納税者の申請に基づき、その者が特別の申告書(青色申告書)により申告することを税務署長が承認するものとし、その承認を受けた年分以後青色申告書を提出した納税者に対しては、推計課税を認めないなどの課税手続上の特典及び事業専従者給与や各種引当金・準備金の必要経費算入、純損失の繰越控除など所得ないし税額計算上の種々の特典を与えるものである。青色申告の承認は、所得税法一四四条の規定に基づき所定の申請書を提出した居住者(同法二条三号)に与えられる(同法一四六条、一四七条)。そして、青色申告の承認の効力は、その承認を受けた居住者が一定の業務を継続する限りにおいて存続する一身専属的なものとされている(同法一五一条二項)。
以上のような青色申告の制度をみれば、青色申告の承認は、課税手続上及び実体上種々の特典(租税優遇措置)を伴う特別の青色申告書により申告することのできる法的地位ないし資格を納税者に付与する設権的処分の性質を有することが明らかである。そのうえ、所得税法は、税務署長が青色申告の承認申請を却下するについては申請者につき一定の事実がある場合に限られるものとし(一四五条)、かつ、みなし承認の規定を設け(一四七条)、同法所定の要件を具備する納税者が青色申告の承認申請書を提出するならば、遅滞なく青色申告の承認を受けられる仕組みを設けている。このような制度のもとにおいては、たとえ納税者が青色申告の承認を受けていた被相続人の営む事業にその生前から従事し、右事業を継承した場合であつても、青色申告の承認申請書を提出せず、税務署長の承認を受けていないときは、納税者が青色申告書を提出したからといつて、その申告に青色申告としての効力を認める余地はないものといわなければならない。これと異なり、青色申告書の提出について税務署長の承認を受けていなくても青色申告としての効力を認めてもよい例外的な場合がある、とした原審の判断は、青色申告の制度に関する法令の解釈適用を誤つたものというほかない。
原審の確定した事実関係によれば、被上告人は、その昭和四八年分及び同四九年分の各所得税について青色申告の承認を受けていないというのであるから、被上告人の右両年分の所得税の確定申告については、青色申告としての効力を認める余地はなく、これを白色申告として取り扱うべきものである。そのうえで、被上告人の確定申告につき、上告人が法令の規定どおりに白色申告として所得金額及び所得税額を計算し、更正処分をすることを違法とする特別の事情があるかどうかを検討すべきものである。
四 租税法規に適合する課税処分について、法の一般原理である信義則の法理の適用により、右課税処分を違法なものとして取り消すことができる場合があるとしても、法律による行政の原理なかんずく租税法律主義の原則が貫かれるべき租税法律関係においては、右法理の適用については慎重でなければならず、租税法規の適用における納税者間の平等、公平という要請を犠牲にしてもなお当該課税処分に係る課税を免れしめて納税者の信頼を保護しなければ正義に反するといえるような特別の事情が存する場合に、初めて右法理の適用の是非を考えるべきものである。そして、右特別の事情が存するかどうかの判断に当たつては、少なくとも、税務官庁が納税者に対し信頼の対象となる公的見解を表示したことにより、納税者がその表示を信頼しその信頼に基づいて行動したところ、のちに右表示に反する課税処分が行われ、そのために納税者が経済的不利益を受けることになつたものであるかどうか、また、納税者が税務官庁の右表示を信頼しその信頼に基づいて行動したことについて納税者の責めに帰すべき事由がないかどうかという点の考慮は不可欠のものであるといわなければならない。
これを本件についてみるに、納税申告は、納税者が所轄税務署長に納税申告書を提出することによつて完了する行為であり(国税通則法一七条ないし二二条参照)、税務署長による申告書の受理及び申告税額の収納は、当該申告書の申告内容を是認することを何ら意味するものではない(同法二四条参照)。また、納税者が青色申告書により納税申告したからといつて、これをもつて青色申告の承認申請をしたものと解しうるものでないことはいうまでもなく、税務署長が納税者の青色申告書による確定申告につきその承認があるかどうかの確認を怠り、翌年分以降青色申告の用紙を当該納税者に送付したとしても、それをもつて当該納税者が税務署長により青色申告書の提出を承認されたものと受け取りうべきものでないことも明らかである。そうすると、原審の確定した前記事実関係をもつてしては、本件更正処分が上告人の被上告人に対して与えた公的見解の表示に反する処分であるということはできないものというべく、本件更正処分について信義則の法理の適用を考える余地はないものといわなければならない。
五 したがつて、以上とは異なる見解に立ち、本件更正処分を違法なものとした原判決には、法律の解釈適用を誤つた違法があり、ひいては審理不尽の違法があるものといわなければならず、右の違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決中上告人敗訴の部分は破棄を免れない。そして、本件更正処分の適否について更に審理を尽くさせるため、右部分につき本件を原審に差し戻すのが相当である。