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子に対する保護責任者遺棄致死被告事件について,被告人の故意を認めず無罪とした第1審判決に事実誤認があるとした原判決に,刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があるとされた事例

平成30年3月19日最高裁判所第二小法廷判決

裁判要旨    
1 刑法218条の不保護による保護責任者遺棄罪の実行行為は,老年者,幼年者,身体障害者又は病者につきその生存のために特定の保護行為を必要とする状況(要保護状況)が存在することを前提として,その者の生存に必要な保護行為として行うことが刑法上期待される特定の行為をしなかったことを意味する。

2 低栄養に基づく衰弱により死亡した被告人の子(当時3歳)に対する保護責任者遺棄致死被告事件について,被告人において,乳児重症型先天性ミオパチーにり患している等の子の特性に鑑みると,子が一定の保護行為を必要とする状態にあることを認識していたとするには合理的疑いがあるとして被告人を無罪とした第1審判決に事実誤認があるとした原判決は,第1審判決の評価が不合理であるとする説得的な論拠を示しているとはいい難く,第1審判決とは別の見方もあり得ることを示したにとどまっていて,第1審判決が論理則,経験則等に照らして不合理であることを十分に示したものとはいえず(判文参照),刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があり,同法411条1号により破棄を免れない。

3 保護責任者遺棄致死罪として起訴されて公判前整理手続に付され,検察官が,公判前整理手続期日において,公判審理の進行によっては過失致死罪又は重過失致死罪の訴因を追加する可能性があると釈明をするなどした後,裁判員の参加する合議体により審理が行われ,第1審裁判所の裁判長が,証拠調べ終了後の公判期日において,検察官に対して訴因変更の予定の有無につき釈明を求めたところ,検察官がその予定はない旨答えたなどの訴訟経緯,本件事案の性質・内容等(判文参照)に照らすと,第1審裁判所としては,検察官に対して,上記のような求釈明によって事実上訴因変更を促したことによりその訴訟法上の義務を尽くしたものというべきであり,更に進んで,検察官に対し,訴因変更を命じ又はこれを積極的に促すべき義務を有するものではない。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/578/087578_hanrei.pdf

所論に鑑み職権をもって調査すると,原判決は,刑訴法411条1号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。

1 本件公訴事実の要旨及び本件審理の概要
本件公訴事実(訴因変更後のもの)の要旨は,「被告人は,A(平成22年生)の実母であり,平成25年4月15日に婚姻し,同月24日にAと養子縁組をした夫と共に親権者として自宅でAを監護していたものであるが,夫と共謀の上,平成26年4月頃,自宅等において,幼年者であり,かつ,先天性ミオパチーにより発育が遅れていたAに十分な栄養を与えるとともに,適切な医療措置を受けさせるなどして生存に必要な保護をする責任があったにもかかわらず,その頃までに栄養不良状態に陥っていたAに対して,同年6月中旬頃までの間,十分な栄養を与えることも,適切な医療措置を受けさせるなどのこともせず,もってその生存に必要な保護をせず,よって,同月15日,自宅において,Aを低栄養に基づく衰弱により死亡させた」というものである。
第1審の公判前整理手続において,争点は,①Aが十分な栄養を与えられなかったために低栄養に基づく衰弱により死亡したものであるか,②被告人において,Aが十分な栄養を与えられていない状態,すなわち,Aが生存に必要な保護として,より栄養を与えられるなどの保護を必要とする状態にあることを認識していたか,とされた。
第1審判決は,争点①につき,Aが低栄養に基づく衰弱により死亡したことを認定した上で,争点②につき,被告人において,Aが生存に必要な保護として,より栄養を与えられるなどの保護を必要とする状態にあることを認識していたというには合理的な疑いが残るとして,無罪を言い渡した。
これに対し,検察官が控訴し,争点②に関して事実誤認があると主張するとともに,第1審裁判所が検察官に対し重過失致死罪に訴因を変更するよう促し,又はこれを命じることなく無罪判決を言い渡した点で訴訟手続の法令違反があると主張した。原判決は,被告人において,争点②に係る認識があったと認定でき,第1審判決には事実誤認があるとして,訴訟手続の法令違反の点について判断することなく,これを破棄し,本件を大阪地方裁判所に差し戻した。

2 本件の事実関係
原判決の認定及び記録によれば,本件の事実関係は以下のとおりである。

(1) Aは,平成22年8月11日に出生し,その当初から筋力が弱く,嚥下障害等があり,経鼻チューブを用いて胃に栄養を注入するなどの入院治療を受けていたが,同年12月,筋力が弱く,運動能力の発達が遅れる病気である乳児重症型先天性ミオパチー(以下単に「ミオパチー」という。)と診断された。
Aは,平成23年3月に退院して,被告人の母(Aの祖母。「祖母」)方で同人及び被告人と同居し,同年4月21日には,居住する市から身体障害者1級の認定を受けた。Aは,月に1回程度の通院を続けていたが,平成25年1月(当時2歳5か月)から,主治医の判断により,経鼻チューブを外して食物のみから栄養を摂取するようになった。
Aは,平成25年4月頃,祖母方を離れ,被告人及び被告人の夫(Aの養父。「夫」)と同居し始め,同月30日にAの弟が生まれ,以後,被告人,夫,A,Aの弟の4人で生活していた。Aは,同年8月(当時2歳11か月)には,自ら食事ができ,独立歩行もできるようになり,その頃,Aを診察した主治医は,被告人に対し,今後は相談事があるときに診察を受ければよく,定期的な診察は必要ない旨告げた。
被告人は,平成26年2月27日(当時Aは3歳6か月),Aに整形外科を受診させ,その際,挨拶のためAを主治医に会わせるなどしたが,それ以後は,Aに医師の診察を受けさせておらず,Aの健康状態等に関して医師に助言を求めるなどもしていなかった。

(2) Aは,出生時から体重が平均より軽く,その後も同年代の女児の平均体重を総じて下回っていたものの,身長は順調に伸びており,平成25年10月の検査では,身長94㎝,体重11.4㎏になっていた。ところが,平成26年5月23日に撮影された動画(以下「本件動画」という。)におけるAの姿は,平成25年10月14日に撮影されたAの写真と比べて明らかに手足が細く,ふくらはぎの骨や膝の関節の形状を見てとれるような状態であった。さらに,死亡後の平成26年6月16日に行われた測定では,身長は前年10月から7㎝増加して101㎝であったが,体重については約3.4㎏減少して約8㎏になっており,その遺体の外見も,胸部には肋骨が,背部には肩甲骨や背骨がそれぞれ浮き出ているほか,腰の周りや臀部も骨や関節が浮き出ており,頬がこけ,手足は骨や関節の形が分かるほど極端に細くなっていた。
被告人は,Aの体重を測っておらず,その体重を正確には把握していなかったものの,Aの母親として,Aを養育しており,入浴などの機会を通じて,Aの体格に関する客観的な状態を認識していた。

(3) Aの食生活は不規則なことが多く,丸1日食事をしなかった日があったり,1日2食や1食になったりすることがあったほか,平成26年4月頃から死亡するまでの2か月余りの間,夜中を含む食事以外の時間帯に,四,五回にわたり,炊飯器の米飯や冷蔵庫のアイスクリームを勝手に食べるなどし,また,ニンニクチップを勝手に大量に食べたこともあった。被告人は,このようなAの食生活を認識していた。

(4) Aは,平成26年2月20日から同月22日まで,祖母方に宿泊したが,それ以後,祖母とは会っていない。Aは,同年3月以降も,被告人の友人や夫の親族らとは会ったことがあり,その者らと一緒に食事をするなどしていた。同年6月以降の時期においても,被告人とAは,同月1日に,夫の母及び弟妹等と一緒にラーメン店で食事をしたほか,被告人の友人が同月10日に,夫の弟が同月13日に,それぞれ被告人方を訪問してAに会っていた。

(5) Aは,平成26年6月15日(当時3歳10か月),低栄養に基づく衰弱により死亡した。

3 第1審における当事者の主張と第1審判決の判断

(1) 検察官は,Aの体格の変化や体重の減少は外見上明らかで,異食等から食事量の不足も明らかであって,被告人は,Aの体格や体重,食事量の異変,空腹の状況を認識していたなどと主張し,被告人と夫には,より十分な栄養を与えたり医療措置を受けさせたりしなければAが健康を害するかもしれないという程度の認識があったから,故意が認められると主張した。
これに対し,被告人は,平成26年3月以降にAの手足が細くなっていると思い,不規則な食生活の問題も関係していると考えて食生活を改善させようと試みたものの,うまくいかなかった,Aが食事を取らない日の翌日にはたくさん食事を取るなどし,2日続けて何も食べない日はなかったので,十分な栄養が摂取できていないとは考えていなかったと弁解した(以下「本件弁解」という。)。

(2) 第1審判決は,本件は,被告人らにおいて,Aに対して意図的に食事を与えていなかったとか,意図的に少量の食事しか与えていなかったとの立証がされた事案ではないとした上,被告人はAの体格等を認識しており,Aの体格等の変化や痩せ方に関する事実は,通常であれば,Aが十分な栄養を与えられていない状態にあり,健康に問題が生じかねない状況にあると認識させる事実であるとしつつも,本件においては,①Aは,ミオパチーにり患していたため筋肉が付きにくく,出生時から体重が平均より軽かったから,そのような前提知識がある者とそうでない者との間では,痩せ方の異常性に関する認識が異なってしまう可能性があること,②平成26年3月から同年6月までにAと会った親族,知人等の中には,Aの体格等から健康上の問題を被告人や夫に指摘した者がいないこと,③人の体格や体重については,日々少しずつ変化していくため,毎日Aと接している場合には気付きにくい面があること,④Aの身長は比較的順調に伸びていたこと,⑤衰弱のためにAの運動能力に明らかな変化があったとの立証がないこと,⑥被告人と夫との間で,Aが2日以上食事を取らなかったら病院に経鼻チューブをもらいに行こうと話していたとの事実は,被告人らにおいて,Aが経鼻チューブを必要とするほどの健康状態ではないと考えていたことを示すとも評価できること,⑦被告人と夫は,同年6月に至るまで友人や夫の親族にAを会わせており,そのような行動は,Aが十分な栄養を与えられていない状態にあると認識していた者の行動としては合理的ではないこと等を指摘し,本件においては,Aの体格等の変化や痩せ方に関する事実のみでは,本件弁解を直ちに排斥できず,検察官が主張する事実を総合してみても,被告人において,Aが生存に必要な保護として,より栄養を与えられるなどの保護を必要とする状態にあることを認識していたというには合理的な疑いが残るとした。

4 当裁判所の判断

(1) 刑法218条の不保護による保護責任者遺棄罪の実行行為は,同条の文言及び趣旨からすると,「老年者,幼年者,身体障害者又は病者」につきその生存のために特定の保護行為を必要とする状況(要保護状況)が存在することを前提として,その者の「生存に必要な保護」行為として行うことが刑法上期待される特定の行為をしなかったことを意味すると解すべきであり,同条が広く保護行為一般(例えば幼年者の親ならば当然に行っているような監護,育児,介護行為等全般)を行うことを刑法上の義務として求めているものでないことは明らかである。

前記1記載の変更後の訴因によれば,本件の実行行為として,平成26年4月頃から6月中旬頃までの間,

①(ア)十分な栄養を与えるとともに,(イ)適切な医療措置を受けさせるという保護行為を行う義務があるのにこれらの保護行為を行わなかったことが主張されていると解されるのであり,これらの保護行為を必要とする状況として,

②被害者が幼年者であって,ミオパチーにり患し,発育の遅れ,栄養不良状態があることが公訴事実に記載され,更に痩せ具合や体重変化,異食等も主張されていたものであり,必ずしも訴因の特定がされていないというわけではなく,事案によっては,この程度に特定された訴因ないし主張をもって,審理判断ができる場合も十分あると考えられる。

しかし,上記①は,かなり広範な保護行為を含み得るところ,本件では,第1審判決が判示しているように,被告人及び夫がAに対して食事を与えなかったとか,十分に栄養が摂取できないような少量の食事しか与えていなかったなどといった不保護行為が立証されているとは認められない。

また,被告人において,ミオパチーにり患した子の特性に応じてAの食生活を改善するための知識を十分に持ち合わせていたのに,その改善を試みなかったといった不保護行為が立証されているものでもない。

したがって,このような本件においては,いかなる要保護状況を前提に,どのような保護行為を行うべきであったと主張されているのか自体が不明確になっているといわざるを得ない。

そこで,前記2記載の認定事実により,本件の要保護状況と行うべき保護行為の内容を検討すると,Aは,本件動画が撮影された平成26年5月23日には,客観的に重度の栄養不良状態にあったことが明らかであり,ミオパチーにり患していることを前提としても,遅くともその時点までには,監護者において,適切な栄養摂取方法について医師等の助言を受けるか又は適切な医療措置をAに受けさせることが,Aの生存に必要な保護行為であったと認められ,Aの監護者である被告人及び夫は,いずれもそのような保護行為(以下「本件保護行為」という。)を行っていなかったと認められる。
そこで,本件では,本件保護行為を行っていなかったという実行行為に係る故意の問題として,Aが生存に必要な保護として本件保護行為を必要とする状態にあることを被告人が認識していたか否かが検討されるべきところ,第1審判決は,前記のとおり,ミオパチーにり患している等のAの特性に関する前提知識がある者がAを見た場合にどのように認識され得るのかという観点からみると,Aの体格等の変化や痩せ方に関する事実のみでは,本件弁解を直ちに排斥することはできず,検察官主張事実を総合してみても,被告人において,Aが本件保護行為を必要とする状態にあったと認識していたと合理的疑いなく推認することはできないとの判断を示したものと解される。

したがって,このような判断を示して被告人を無罪とした第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示さなければ,第1審判決に事実誤認があるということはできないから(最高裁平成24年2月13日第一小法廷判決),これについて,原判決を検討することとする。

(2) まず,原判決は,Aが顕著に痩せるという体格や体重の変化が生じたことと,そのようなAの外見等の状況を被告人も認識していたことから,遅くともAの痩せ方が顕著となっていた平成26年5月下旬頃には,特段の事情がない限り,被告人において,Aが生存に必要な保護として,より栄養を与えられるなどの保護を必要とする状態にあると認識していたと強力に推認できるとし,Aの体格等の変化や痩せ方は,Aがミオパチーにり患していることを考慮しても異常であるとした上で,Aがミオパチーにり患しているため筋肉が付きにくく,その体重が平均より軽いといった知識を被告人が有していることは,Aの体格等の変化や痩せ方の異常性を被告人が認識する可能性を阻害するものではなく,記録上,上記推認を妨げる特段の事情はうかがえないとした。

確かに,前記2認定のようなAの体格等の変化や痩せ方は,客観的には明らかに異常なものであったと認められる。

しかし,本件では,被告人が,Aの体格等の変化や痩せ方について,それまで被告人の認識していたAの特性に照らし,さほど異常ではないと誤解していた可能性の有無が問題とされているのであり,原判決が,Aの特性に関する被告人の知識を踏まえても被告人がAの体格等の変化や痩せ方を異常と認識する可能性は阻害されないと判断した根拠は,Aの体格等の変化や痩せ方の異常性の程度が著しいという点と,被告人が実母としてAに毎日接していたという点に尽きていて,他に,その可能性が阻害されないとする十分な理由は示されていない。結局,原判決は,上記の点を考慮してもなお,Aの体格等の変化や痩せ方の異常性の程度について被告人が誤解していた可能性を認める余地があるとした第1審判決の評価が不合理であるとするだけの説得的な論拠を示しているとはいい難い。

さらに,原判決は,

①Aと会った夫の親族や友人らの中にAの健康上の問題を指摘した者がいなかったとの事実は,Aに接したり観察したりする時間や回数,Aに対する関心の度合い,Aの生育状況についての知識等が被告人とは大きく異なり,その者らの認識と被告人の認識を同列にみることができないから,Aの状態についての被告人の認識に関する判断を左右するものではない,

②Aの体格等の変化や痩せ方は,それだけでAの栄養が足りていないことを十分に認識させるものであるから,Aの運動能力等に異常が見られなかったとしても,Aの状態についての被告人の認識に関する判断を左右するものではない,

③被告人と夫がAを会わせていた夫の親族や友人は,Aの生育状況を知らない者らにすぎず,Aの養育に出生時から関与していた祖母については,平成26年2月22日を最後にAと全く会わせていないことからすれば,被告人らを非難しそうな者だけを遠ざけていた可能性もあり,被告人の行動は不作為犯の故意がある者の行動として不合理ではない,

④被告人と夫が,Aが2日以上食べない場合には経鼻チューブをもらいに行くと会話したことについては,経鼻チューブによる栄養摂取も考えなければならない事態に陥ったこと自体が,被告人においてAの栄養摂取に一定の問題があると認識していたことをうかがわせる事情である,

⑤食事以外の時間帯に米飯やアイスクリームを勝手に食べたり,ニンニクチップを食べるなどというAの行動を全体としてみれば,当時,Aが空腹を感じる状況に継続的に置かれていたことを客観的に推認させる特異な事情といえ,Aの体格等の変化や痩せ方とAの行動全体を認識すれば,通常は,Aの個々の食事の状況如何にかかわらず,Aには栄養不足の問題が生じていることを認識するものといえる,などと判示する。
しかし,上記①については,平成26年6月以降にAと会った夫の親族らは,異常なほど痩せているAの姿が撮影されている本件動画とほぼ同様の外見であったと推認されるAと会い,そのようなAの外見を認識していたと認められるにもかかわらず,その中にAの健康上の問題を指摘した者はいない。このことは,Aが病気のために痩せていると認識していた者らにとっては,Aの栄養不良の状態に気付くことが容易ではなかったことをうかがわせるとも評価できる。そうすると,このことを本件弁解を排斥できない根拠の一つとした第1審判決の判断は,不合理とはいえない。

上記②についても,被告人がAの体格等の変化や痩せ方の異常性の程度を誤解していた可能性があるという第1審判決の評価を前提に考えれば,運動能力等に異常がなかったとの事実は,その誤解の可能性を強めるものと評価できる。

上記③については,Aを夫の親族らには会わせる一方,祖母に会わせていなかったという被告人の行動の意味については様々な可能性が考えられることから,この点をもって,第1審判決の不合理性を指摘できているとはいえない。

上記④についても,被告人と夫は,平成26年6月に至るまで親族らとAとで外食したり,友人にAを会わせたりしており,Aの姿を外部から隠そうとしていた様子はうかがわれず,医療機関を受診させることをあえて避けていたことをうかがわせる事情も見当たらないことからすれば,第1審判決が判示するように,経鼻チューブをもらいに行くことを話していたにもかかわらず,結局医療機関を受診させていないのは,被告人らがAの健康状態が本件保護行為を必要とするほどには至っていないと誤解していたためとみる余地もある。そうすると,上記の会話をもって,被告人に本件保護行為の必要性に関する認識がなかったことを示す事情にもなり得るとした第1審判決の評価にも相応の合理性がある。

上記⑤についてみると,Aの体格等の変化や痩せ方の異常性の程度を誤解していた可能性があるとの第1審判決の評価を前提にしてみれば,夜中に米飯を勝手に食べることが複数回あり,ニンニクチップ等を勝手に食べることがあったというAの行動を被告人が認識したからといって,それだけで直ちにAが継続的に栄養不良状態にあると被告人が認識することに結び付くとまではいい難い。

そうすると,上記①から⑤までの点に関する原判決の判断は,第1審判決とは別の見方もあり得ることを示したにとどまっていて,これらを総合考慮しても,原判決は,Aが本件保護行為を必要とする状態にあることを被告人が認識していたとするには合理的な疑いがあるとした第1審判決の判断が不合理であることを十分に示したものとはいえない。

(3) 以上のとおり,本件保護行為を行わなかったという不保護による保護責任者遺棄致死罪の故意に関し,Aが本件保護行為を必要とする状態にあることを被告人が認識していたとするには合理的疑いがあるとして被告人を無罪とした第1審判決について,原判決は,論理則,経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものとは評価することができない。そうすると,第1審判決に事実誤認があるとした原判断には刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであって,原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
そして,上記の検討によれば,被告人を無罪とした第1審判決に論理則,経験則等に照らして不合理な点があるとはいえない。

第3 訴訟手続の法令違反を主張する検察官の控訴趣意等について

1 そこで,更に訴訟記録に基づいて検討すると,検察官は,控訴趣意において,第1審裁判所には,検察官に対し重過失致死罪に訴因を変更するよう促し又はこれを命じる義務があったとして,これを行わずに無罪判決を言い渡した第1審の訴訟手続に法令違反があると主張するが,以下のとおり,第1審の訴訟手続に法令違反はない。

2 記録により明らかな本件第1審の審理経過は次のとおりである。

(1) 検察官は,平成26年12月22日,保護責任者遺棄致死罪として本件を起訴し,第1審裁判所は,本件を公判前整理手続に付した。

(2) 検察官は,平成27年6月29日,前記第2の1記載の訴因に変更する旨の訴因変更請求書を提出し,第1審裁判所は,同年7月3日の第2回公判前整理手続期日において,その訴因変更を許可する決定をし,検察官は,同期日において,「本件について,重過失致死として処罰を求める予定はない。」と釈明した。

(3) 検察官は,平成27年11月10日の第7回公判前整理手続期日において,「本件について,従前重過失致死として処罰を求める予定はないとしていたが,公判審理の進行を踏まえ,場合によっては予備的訴因として過失致死,重過失致死の追加を検討する可能性があり,その旨は弁護人にも既に伝えている。なお,裁判所に対して必要があれば勧告するよう求めるものではない。」と釈明し,第1審裁判所は,同月11日の第8回公判前整理手続期日において,公判前整理手続を終結させた。

(4) 裁判員の参加する合議体により,平成27年11月16日,第1回公判期日が開かれて審理が行われ,同月20日の第4回公判期日において証拠調べが終了した後,第1審裁判所の裁判長は,検察官に対し,「念のため確認しますが,特に訴因について何か手当をする予定はないということでよろしいんですか。」と尋ね,検察官は,「今のところございません。」と答えた。

(5) 平成27年11月24日の第5回公判期日において論告,弁論,最終陳述が行われ,裁判員の参加する合議体により評議が行われた上で,同月30日,第1審裁判所は,無罪の判決を言い渡した。

3 以上のような訴訟経緯,本件事案の性質・内容等の記録上明らかな諸般の事情に照らしてみると,第1審裁判所としては,検察官に対して,上記のような求釈明によって事実上訴因変更を促したことによりその訴訟法上の義務を尽くしたものというべきであり,更に進んで,検察官に対し,訴因変更を命じ又はこれを積極的に促すなどの措置に出るまでの義務を有するものではないと解するのが相当である。

4 ところで,原審において,重過失致死罪に係る予備的訴因並びに罪名及び罰条追加請求の許可決定がされているが,事後審である控訴審で追加変更された訴因,罰条についての審理,判断は,第1審判決に事実誤認又は法令違反があることを理由に第1審判決が破棄されることを前提として行うべきものであるから,第1審判決に誤りを見いだすことができない本件において,重過失致死罪の予備的訴因を審理,判断することはできない(最高裁昭和42年5月25日第一小法廷判決)。

第4 結論
以上のとおり,第1審判決の事実誤認,第1審訴訟手続の法令違反を主張する検察官の控訴はいずれも理由がないことに帰するから,当審において自判するのが相当である。
よって,刑訴法411条1号により原判決を破棄し,同法413条ただし書,414条,396条により検察官の控訴を棄却することとし,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。