農業協同組合の理事に対する代表訴訟を提起しようとする組合員が,同組合の代表者として監事ではなく代表理事を記載した提訴請求書を同組合に送付したが,監事において,当該理事に対する訴訟を提起すべきか否かを自ら判断する機会があった場合における,上記組合員の提起した代表訴訟の適法性
平成21年3月31日最高裁判所第三小法廷判決
裁判要旨
1 農業協同組合の理事に対する代表訴訟を提起しようとする組合員が,同組合の代表者として監事ではなく代表理事を記載した提訴請求書を同組合に送付した場合であっても,監事において,上記請求書の記載内容を正確に認識した上で当該理事に対する訴訟を提起すべきか否かを自ら判断する機会があったときは,上記組合員が提起した代表訴訟を不適法として却下することはできない。
2 農業協同組合の合併契約に,被合併組合の貸借対照表等に誤びゅう脱落等があったために新設組合が損害を受けたときは,そのことに故意又は重過失のある被合併組合の役員個人が賠償責任を負う旨の条項が含まれている場合,被合併組合の理事会に出席して上記契約の締結に賛成した理事又はこれに異議を述べなかった監事は,個人として上記条項に基づく責任を負う旨の意思表示をしたものとして,新設組合との関係で,上記責任を免れない。
3 農業協同組合の合併契約中の,被合併組合の貸借対照表等に誤びゅう脱落等があったために新設組合が損害を受けたときは,そのことに故意又は重過失のある被合併組合の役員個人が賠償責任を負う旨の条項は,次の(1),(2)などの判示の事実関係の下では,被合併組合において,不良債権が適正に評価されておらず,貸倒引当金が過少に計上されていることが判明したときには,過少に計上したことに故意又は重過失のある被合併組合の理事及び監事に対して,引当不足額相当額を新設組合にてん補する義務を負わせる趣旨を含むものと解される。
(1) 上記契約は,新設組合に引き継がれる被合併組合の財産が貸借対照表等どおりのものであることを前提とするものであり,被合併組合の総会では,不良債権であるのに,そうでないように見せ掛けるなどした場合に,被合併組合の役員が上記条項に基づく責任を負うことになるなどの説明がされている。
(2) 被合併組合及び新設組合では,不良債権を適正に評価し,必要な貸倒引当金を計上し,自己資本比率の維持,向上を図っていくことが重要な課題となっていた。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/502/037502_hanrei.pdf
第1 事案の概要
1 本件は,A農業協同組合(「A農協」)ほか三つの農業協同組合が合併して新設されたB農業協同組合(「B農協」)の組合員である上告人X1 及び同X2 が,上記合併に当たり,A農協の役員らと上記合併前の各農業協同組合との間には,A農協の貸倒引当金が過少に計上されていた場合に,引当不足額を上記役員個人としてB農協にてん補する旨の合意があったなどと主張して,A農協の役員であった者又はその相続人である被上告人らに対し,上記合意に基づき,上記合併後に明らかになった同農協の貸倒引当金の不足額をB農協に支払うことなどを求める農業協同組合の組合員代表訴訟である。同農協の組合員である上告人X3 及び同X4 は,共同訴訟人として,上記訴訟に参加している。
2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1) 上告人X1 及び同X2 は,C農業協同組合(「C農協」)の組合員であり,上告人X3 及び同X4 は,D農業協同組合(「D農協」)の組合員であった。
(2) 被上告人らは,平成12年度及び平成13年度のA農協の理事若しくは監事であった者又はその相続人である。
(3) A農協,E農業協同組合(「E農協」),C農協及びD農協(以下,これら四つの農業協同組合を併せて「旧4農協」という。)は,平成13年2月15日,同年9月1日に合併してB農協を新設する旨の契約(以下「本件合併契約」といい,同契約に基づく合併を「本件合併」という。)を締結した。
本件合併契約は,4条1項において「被合併組合は合併日における財産目録,貸借対照表を基礎とする全財産を新組合に引き継ぐとともに,新組合は,被合併組合の一切の権利義務を継承する。」,5条1項において「前条に規定する合併日の財産目録及び貸借対照表並びにこれに附属する各種書類に,故意又は重大な過失による誤びゅう脱落若しくは隠れた瑕疵があったため,新組合が損害を受けたときは,その損害を与えた被合併組合の役員は,各個人の資格において連帯して賠償の責に任ずるものとする。」(以下,この条項を「本件賠償条項」という。)と定めている。
(4) A農協は,平成13年2月25日に開催された臨時総会において,同農協が本件合併契約を締結したことなどを承認する旨の決議をした。同総会では,どのような場合に同農協の役員が本件賠償条項に基づく責任を負うことになるのかについて質疑がされているが,同農協の参事は,例えば,不良債権であるのに,そうでないように見せ掛けるなどした場合に,同農協の役員が上記責任を負うことになることから,そのような事態の発生を回避するために,同農協の職員において注意して自己査定を行っている旨の説明をした。
(5) 平成13年5月16日に開催されたA農協の通常総会では,不良債権を適正に評価し,必要な貸倒引当金を計上し,財務の健全化に努め,自己資本比率の維持,向上を図った旨の平成12年度の事業報告がされ,個別貸倒引当金として2億5397万6000円が計上されるなどした同年度(平成13年2月28日現在)の貸借対照表,損益計算書及び附属明細書(以下「貸借対照表等」という。)が承認された。
(6) A農協の平成13年度(同年8月31日現在)の貸借対照表等には,個別貸倒引当金として2億6547万1000円が計上されていた。
(7) 平成13年9月1日に本件合併の効力が生じ,上告人らは,新設されたB農協の組合員となった。
(8) その後,A農協の貸借対照表等において個別貸倒引当金が過少に計上されていることが判明したことなどから,B農協は,個別貸倒引当金を1億円以上積み増すことを余儀なくされ,平成13年度(平成14年2月28日現在)の貸借対照表等において,個別貸倒引当金として5億3515万4000円が計上され,当期損失金として1億7292万3000円が計上された。平成14年5月25日に開催された同農協の通常総代会では,「当期損失金として発生した172,923千円につきましては,資産査定要領による適正な資産の自己査定を行った結果として貸倒引当金を計上したことが主たる要因であります。しかし,金融機関の経営基盤を指標する自己資本比率においては,国際基準値(8%)をクリアしております。」などとする平成13年度の事業報告がされ,上記貸借対照表等が承認された。
(9) B農協の設置した自己査定委員会が平成14年11月12日から30日までの間に実態調査をしたところ,平成13年2月28日の時点で,A農協においては個別貸倒引当金の計上額が本来計上すべき金額より3億8467万8000円不足しており,同農協,E農協及びD農協を合わせると個別貸倒引当金の計上額が合計4億5023万2000円不足していたことが判明した。
(10) 上告人X1 及び同X2 は,平成15年6月26日,B農協に対し,A農協において貸倒引当金を過少に計上するなどしていたとして,本件賠償条項に基づき,同農協の理事及び監事であった者に対して同農協の貸倒引当金の不足額等をB農協に支払うことを求める訴訟を提起するよう請求する書面を送付したが(以下,この請求を「本件提訴請求」といい,この書面を「本件提訴請求書」という。),同書面には,同農協の代表者として代表理事組合長である被上告人Y1 が記載されていた。被上告人らのうち,被上告人Y1 ,同Y2 ,同Y3 ,同Y4 ,同Y5 及び同Y6(「被上告人Y1 ら」)は,本件提訴請求の時点で,同農協の理事であった。
(11) 被上告人Y1 は,平成15年6月30日に開催されたB農協の理事会において,出席していた理事及び監事に対し,本件提訴請求についての審議を求め,その際,本件提訴請求書の記載内容を読み上げた。同農協は,同年7月23日に開催された理事会において,監事出席の下,上記記載内容に沿ってA農協の理事及び監事であった者に対する訴訟を提起することを決議した。これを受けて,B農協から委任を受けた弁護士は,同年8月22日,被上告人らに対し,本件賠償条項に基づき損害賠償を請求する旨の書面を送付した。
(12) B農協は,更に財務状況が悪化し,事業譲渡等の措置を執らなければならない状況となったことから,内部において訴訟問題等で紛糾している時ではないとして,平成15年12月22日に開催された理事会において,前記(11)の訴訟を提起しないことを決議した。同農協は,その後,上記訴訟を提起していない。
(13) 上告人X1 及び同X2 は,平成16年2月17日,本件訴訟を提起した。
(14) 平成14年2月28日の時点で8.13%と公表されていたB農協の自己資本比率は,平成16年2月29日の時点で4.05%まで低下し,将来においても国際基準値である8%を維持することができないと見込まれたことから,同農協は,同年5月30日に開催された通常総代会において,破たんを未然に防止するために,同年9月1日をもってF農業協同組合へ事業譲渡し,解散する旨を決議した。
第2 上告代理人鈴木克昌,同杉原信二,同矢田健一の上告受理申立て理由第1について
1 原審は,次のとおり判断して,本件訴えのうち被上告人Y1 らに関する部分を却下した第1審判決を是認した。
農業協同組合の理事に対する組合員代表訴訟を提起しようとする組合員は,あらかじめ農業協同組合に対し,書面をもって,当該理事に対する訴訟の提起を請求する必要があり(以下,この請求を「提訴請求」といい,この書面を「提訴請求書」という。),また,この提訴請求を受けることについては,監事が農業協同組合を代表するものであるところ,上告人X1 らがB農協に送付した本件提訴請求書には,同農協の代表者として代表理事組合長である被上告人Y1 が記載されていたのであるから,本件訴えのうち本件提訴請求の時点で同農協の理事であった被上告人Y1 らに関する部分は,適式な提訴請求を欠くものとして不適法である。なお,本件提訴請求について審議した同農協の理事会に同農協の監事が出席していたとしても,被上告人Y らについて適式な提訴請求がされたことにはならない。
2 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 平成17年法律第87号による改正前の農業協同組合法(「農協法」)39条2項において準用する同改正前の商法275条ノ4によれば,農業協同組合の理事に対する組合員代表訴訟を提起しようとする組合員の提訴請求を受けることについては,監事が農業協同組合を代表することとなる。
しかし,上記のとおり監事が農業協同組合を代表することとされているのは,組合員代表訴訟の相手方が代表理事の同僚である理事の場合には,代表理事が農業協同組合の代表者として提訴請求書の送付を受けたとしても,農業協同組合の利益よりも当該理事の利益を優先させ,当該理事に対する訴訟を提起しないおそれがあるので,これを防止するため,理事とは独立した立場にある監事に,上記請求書の記載内容に沿って農業協同組合として当該理事に対する訴訟を提起すべきか否かを判断させる必要があるからであると解される。
そうすると,農業協同組合の理事に対する代表訴訟を提起しようとする組合員が,農業協同組合の代表者として監事ではなく代表理事を記載した提訴請求書を農業協同組合に対して送付した場合であっても,監事において,上記請求書の記載内容を正確に認識した上で当該理事に対する訴訟を提起すべきか否かを自ら判断する機会があったといえるときには,監事は,農業協同組合の代表者として監事が記載された提訴請求書の送付を受けたのと異ならない状態に置かれたものといえるから,上記組合員が提起した代表訴訟については,代表者として監事が記載された適式な提訴請求書があらかじめ農業協同組合に送付されていたのと同視することができ,これを不適法として却下することはできないというべきである。
(2) 前記事実関係によれば,B農協の代表理事組合長であった被上告人Y1 は,平成15年6月30日に開催された同農協の理事会において,出席していた理事及び監事に対し,本件提訴請求についての審議を求め,その際,本件提訴請求書の記載内容を読み上げたというのであり,その結果,同農協は,同年7月23日に開催された理事会において,いったんは,その記載内容に沿ってA農協の理事及び監事であった者に対する訴訟を提起することを決議したというのである。
そうすると,B農協の監事には,同年6月30日の時点で,本件提訴請求書の記載内容を正確に認識した上で被上告人Y1 らに対する訴訟を提起すべきか否かを自ら判断する機会があったというべきであるから,本件訴えは,本件提訴請求の時点において同農協の理事であった被上告人Y1 らに関する部分についても,適式な提訴請求があったのと同視することができ,これを不適法として却下することはできないというべきである。
これと異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。
3 以上によれば,論旨は理由があり,原判決中,被上告人Y1 らに関する部分は破棄を免れず,同部分につき第1審判決も取消しを免れない。
第3 上告代理人鈴木克昌,同杉原信二,同矢田健一の上告受理申立て理由第2及び第3について
1 原審は,次のとおり判断して,被上告人Y1 らを除く被上告人ら(以下「被上告人Y7 ら」という。)に対する請求を棄却すべきものとした。
(1) 本件合併契約は,旧4農協を当事者とするものであり,被上告人Y7 ら又はその被相続人(以下,「被上告人Y7 ら」というときは,一部の被上告人について,その被相続人を指すこともある。)を当事者とするものではないから,被上告人Y7 ら個人と旧農協との間で本件賠償条項に基づく責任を負う旨の合意をしたと認められる特段の事情のない限り,被上告人Y7 らが上記責任を負うことにはならない。上告人らは,上記特段の事情として,被上告人Y7 らがA農協の理事会において本件合併契約の締結に賛成し,又は異議を唱えなかったと主張するけれども,それだけでは,被上告人Y7 らが上記合意をしたということはできないし,また,他に上記特段の事情を認めるに足りる証拠もない。
(2) 仮に,被上告人Y7 らが本件賠償条項に基づく責任を負う余地があるとしても,それは,B農協に具体的な損害が生じた場合に限られると解される。同農協は,本件合併によりA農協の財産をそのまま引き継いでいるのであるから,同農協の貸借対照表等に誤びゅう脱落,隠れた瑕疵があったとしても,これをもってB農協に具体的な損害が生じたということはできない。
2 しかしながら,原審の上記判断はいずれも是認することができない。その理由は,次のとおりである。
(1) 原審の上記1(1)の判断について
確かに,本件合併契約は,旧4農協を当事者とするものであり,被上告人Y7 らを当事者とするものではない。
しかし,被上告人Y7 らのうちA農協の理事会に出席して同農協が本件合併契約を締結することに賛成した理事又はこれに異議を述べなかった監事に該当する者については,本件合併契約の中に,旧4農協のうちのいずれかの農業協同組合の貸借対照表等に誤びゅう脱落等があったためにB農協が損害を受けた場合には,そのことに故意又は重過失がある当該農業協同組合の役員は個人の資格において賠償する責任を負う旨を明記した本件賠償条項が含まれていることを十分に承知した上で,A農協が本件合併契約を締結することに賛成するなどして,その締結手続を代表理事にゆだねているのであるから,同農協の代表理事を介して,旧4農協に対し,個人として本件賠償条項に基づく責任を負う旨の意思表示をしたものと認めるのが相当である。
また,旧4農協においても,本件合併契約の締結に至っている以上,上記の意思表示について承諾したものと認めるのが相当である。そうすると,少なくとも,被上告人Y7 らのうち上記のような理事又は監事に該当する者については,4農協の権利義務を承継したB農協に対する関係でも,本件賠償条項に基づく責任を免れないものというべきである。
これと異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。
(2) 原審の上記1(2)の判断について
確かに,本件賠償条項においては,「賠償の責に任ずる」場合について,「新組合が損害を受けたとき」と定められているところであり,その文理に照らすと,原審のように解する余地もないわけではない。
しかし,旧4農協のうちのいずれかの農業協同組合の貸借対照表等に誤びゅう脱落等があったために,B農協の資産が流出するなどして,同農協に具体的な損害が生じた場合には,当該農業協同組合の理事及び監事は,軽過失のときであっても,法律上当然に,B農協に対する損害賠償責任を負うのであるから(農協法33条2項,39条2項),故意又は重過失の場合に限って旧4農協の理事及び監事が責任を負うものとする本件賠償条項について上記のように解するのは,当事者の合理的意思に合致しないものというべきである。
前記事実関係によれば,本件合併契約には,B農協に引き継がれる旧4農協の財産が貸借対照表等どおりのものであることを前提とする条項(4条1項)が設けられており,平成13年2月25日に開催されたA農協の臨時総会では,不良債権であるのに,そうでないように見せ掛けるなどした場合に,同農協の役員が本件賠償条項に基づく責任を負うことになることから,そのような事態の発生を回避するために,同農協の職員において注意して自己査定を行っている旨の説明がされているというのである。また,前記事実関係によれば,本件合併の前後を通じて,A農協及びB農協において,不良債権を適正に評価し,必要な貸倒引当金を計上し,財務の健全性確保に努め,自己資本比率の維持,向上を図っていくことが重要な課題となっていたことは,明らかである。
これらの事情に照らすと,本件賠償条項は,不良債権が適正に評価され,必要な貸倒引当金が計上されていることを含めて,旧4農協の貸借対照表等が正確であることを担保する趣旨の定めというべきであり,旧4農協のうちのいずれかの農業協同組合において,不良債権が適正に評価されておらず,貸倒引当金が過少に計上されていることが判明した場合には,過少に計上したことに故意又は重過失のある当該農業協同組合の理事及び監事に対して,引当不足額相当額をB農協にてん補する義務を負わせる趣旨を含むものと解するのが相当である。
以上と異なる原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。
3 以上によれば,論旨はいずれも理由があり,原判決中,被上告人Y7 らに関する部分も,破棄を免れない。
第4 結論
以上のとおりであるから,原判決を破棄し,第1審判決中,被上告人Y1 らに関する部分を取り消した上で,本案の審理をさせるため,同部分を第1審に差し戻すこととし,また,被上告人Y7 らに関する部分につき,被上告人Y7 らがA農協の理事会において本件合併契約の締結に賛成するなどしていたか,被上告人Y7 らに前記の故意又は重過失が認められるか等について更に審理を尽くさせるため,同部分を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。