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迅速な裁判の保障条項に反する事態が生じた場合の事件処理の方途

昭和47年12月20日最高裁判所大法廷判決

裁判要旨    
一 憲法三七条一項は、単に迅速な裁判を一般的に保障するために必要な立法上および司法行政上の措置をとるべきことを要請するにとどまらず、さらに個々の刑事事件について、現実に右の保障に明らかに反し、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判をうける被告人の権利が害せられたと認められる異常な事態が生じた場合には、その審理を打ち切るという非常救済手段がとられるべきことをも認めている趣旨の規定である。

二 具体的刑事事件における審理の遅延が迅速な裁判の保障条項に反する事態に至つているか否かは、遅延の期間のみによつて一律に判断されるべきではなく、遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延がやむをえないものと認められないかどうか、これにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度実際に害せられているかなど諸般の情況を総合的に判断して決せられなければならず、事件が複雑なために、結果として審理に長年月を要した場合はもちろん、被告人の逃亡、出廷拒否または審理引延しなど遅延の主たる原因が被告人側にあつた場合には、たとえその審理に長年月を要したとしても、迅速な裁判をうける被告人の権利が侵害されたということはできない。

三 刑事事件が裁判所に係属している間に、迅速な裁判の保障条項に反する事態が生じた場合においては、判決で免訴の言渡をするのが相当である。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/808/051808_hanrei.pdf

 

 当裁判所は、憲法三七条一項の保障する迅速な裁判をうける権利は、憲法の保障する基本的な人権の一つであり、右条項は、単に迅速な裁判を一般的に保障するために必要な立法上および司法行政上の措置をとるべきことを要請するにとどまらず、さらに個々の刑事事件について、現実に右の保障に明らかに反し、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判をうける被告人の権利が害せられたと認められる異常な事態が生じた場合には、これに対処すべき具体的規定がなくても、もはや当該被告人に対する手続の続行を許さず、その審理を打ち切るという非常救済手段がとられるべきことをも認めている趣旨の規定であると解する。
 刑事事件について審理が著しく遅延するときは、被告人としては長期間罪責の有無未定のまま放置されることにより、ひとり有形無形の社会的不利益を受けるばかりでなく、当該手続においても、被告人または証人の記憶の減退・喪失、関係人の死亡、証拠物の滅失などをきたし、ために被告人の防禦権の行使に種々の障害を生ずることをまぬがれず、ひいては、刑事司法の理念である、事案の真相を明らかにし、罪なき者を罰せず罪ある者を逸せず、刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現するという目的を達することができないことともなるのである。上記憲法の迅速な裁判の保障条項は、かかる弊害発生の防止をその趣旨とするものにほかならない。
 もつとも、「迅速な裁判」とは、具体的な事件ごとに諸々の条件との関連において決定されるべき相対的な観念であるから、憲法の右保障条項の趣旨を十分に活かすためには、具体的な補充立法の措置を講じて問題の解決をはかることが望ましいのであるが、かかる立法措置を欠く場合においても、あらゆる点からみて明らかに右保障条項に反すると認められる異常な事態が生じたときに、単に、これに対処すべき補充立法の措置がないことを理由として、救済の途がないとするがごときは、右保障条項の趣旨を全うするゆえんではないのである。
 それであるから、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判の保障条項によつて憲法がまもろうとしている被告人の諸利益が著しく害せられると認められる異常な事態が生ずるに至つた場合には、さらに審理をすすめても真実の発見ははなはだしく困難で、もはや公正な裁判を期待することはできず、いたずらに被告人らの個人的および社会的不利益を増大させる結果となるばかりであつて、これ以上実体的審理を進めることは適当でないから、その手続をこの段階において打ち切るという非常の救済手段を用いることが憲法上要請されるものと解すべきである。
 翻つて本件をみるに、原判決は、「たとえ当初弁護人側から本件審理中断の要請があり、その後訴訟関係人から審理促進の申出がなかつたにせよ、一五年余の間全く本件の審理を行なわないで放置し、これがため本件の裁判を著しく遅延させる事態を招いたのは、まさにこの憲法によつて保障された本件被告人らの迅速な裁判を受ける権利を侵害したものといわざるを得ない。」という前提に立ちながら、「刑事被告人の迅速な裁判を受ける憲法上の権利を現実に保障するためには、いわゆる補充立法により、裁判の遅延から被告人を救済する方法が具体的に定められていることが先決である。ところが、現行法制のもとにおいては、未だかような補充立法がされているものとは認められないから、裁判所としては救済の仕様がないのである。」との見解のもとに、公訴時効が完成した場合に準じ刑訴法三三七条四号により被告人らを免訴すべきものとした第一審判決を破棄し、本件を第一審裁判所に差し戻すこととしたものであり、原判決の判断は、この点において憲法三七条一項の迅速な裁判の保障条項の解釈を誤つたものといわなければならない。
 そこで、本件において、審理の著しい遅延により憲法の定める迅速な裁判の保障条項に反する異常な事態が生じているかどうかを、次に審案する。
 そもそも、具体的刑事事件における審理の遅延が右の保障条項に反する事態に至つているか否かは、遅延の期間のみによつて一律に判断されるべきではなく、遅延の原因と理由などを勘案して、その遅延がやむをえないものと認められないかどうか、これにより右の保障条項がまもろうとしている諸利益がどの程度実際に害せられているかなど諸般の情況を総合的に判断して決せられなければならないのであつて、たとえば、事件の複雑なために、結果として審理に長年月を要した場合などはこれに該当しないこともちろんであり、さらに被告人の逃亡、出廷拒否または審理引延しなど遅延の主たる原因が被告人側にあつた場合には、被告人が迅速な裁判をうける権利を自ら放棄したものと認めるべきであつて、たとえその審理に長年月を要したとしても、迅速な裁判をうける被告人の権利が侵害されたということはできない。
 ところで、公訴提起により訴訟係属が生じた以上は、裁判所として、これを放置しておくことが許されないことはいうまでもないが、当事者主義を高度にとりいれた現行刑事訴訟法の訴訟構造のもとにおいては、検察官および被告人側にも積極的な訴訟活動が要請されるのである。しかし、少なくとも検察官の立証がおわるまでの間に訴訟進行の措置が採られなかつた場合において、被告人側が積極的に期日指定の申立をするなど審理を促す挙に出なかつたとしても、その一事をもつて、被告人が迅速な裁判をうける権利を放棄したと推定することは許されないのである。

 本件の具体的事情を記録によつてみるに、

 (一)本件は、第一審裁判所である名古屋地裁刑事第三部で、検察官の立証段階において、被告人Aほか二五名については昭和二八年六月一八日の第二三回公判期日、被告人Bほか三名については昭和二九年三月四日の第四回公判期日を最後として、審理が事実上中断され、その後昭和四四年六月一〇日ないし同年九月二五日公判審理が再び開かれるまでの間、一五年余の長年月にわたり、全く審理が行なわれないで経過したこと、

 (二)当初本件審理が中断されるようになつたのは、被告人ら総数三一名中二〇名が本件とほぼ同じころに発生したいわゆるC事件についても起訴され、事件が名古屋地裁刑事第一部に係属していたため、弁護人側からC事件との併合を希望し、同事件を優先して審理し、その審理の終了を待つて本件の審理を進めてもらいたい旨の要望があり、裁判所がこの要望をいれた結果であること、

 (三)C事件が結審したのは、昭和四四年五月二八日であつたが、本件について審理が中断された段階では、裁判所も訴訟関係人も、C事件の審理がかくも異常に長期間かかるとは予想していなかつたこと、

 (四)昭和三九年頃被告人団長および弁護人から、C事件の進行とは別に、本件の審理を再び開くことに異議がない旨の意思表明が裁判所側に対してなされたこと、

 (五)本件被告人中C事件の被告人となつていたもののうち五名が被告人として含まれていた、いわゆるD事件、E事件およびF事件が名古屋地裁刑事第二部に係属しており、本件と同様C事件との併合を希望する旨の申立が昭和二七年頃弁護人からなされたが、右刑事第二部においてはこの点についての決定を留保して手続を進め、昭和三一年頃、全証拠の取調を完了したうえ、論告弁論の段階でC事件と併合することとして、次回期日を追つて指定する措置をとつたこと、

 (六)本件審理の中断が長期に及んだにもかかわらず、検察官から積極的に審理促進の申出がなされた形跡が見あたらないこと、

 (七)その間、被告人側としても、審理促進に関する申出をした形跡はなく消極的態度であつたとは認められるが、被告人らが逃亡し、または、審理の引延しをはかつたことは窺われないこと、

 (八)その他、第一審裁判所が本件について、かくも長年月にわたり審理を再び開く措置をとり得なかつた合理的理由を見いだしえないこと、
の各事実を認めることができる。

これら事実関係のもとにおいては、検察官の立証段階でなされた本件審理の事実上の中断が、当初被告人側の要望をいれて行なわれたということだけを根拠として、一五年余の長きにわたる審理の中断につき、被告人側が主たる原因を与えたものとただちに推認することは相当ではない。

次に、本件審理の遅延により、迅速な裁判の保障条項がまもろうとしている前述の被告人の諸利益がどの程度実際に害せられたかをみるに、記録によれば、

 (一)本件のうち、いわゆるG事件、H事件については、第二二回公判期日に行なわれた最後の証拠調までの間には、関係被告人らの具体的行動等についての証拠調はなされておらず、また同じくいわゆるI事件、J事件については未だ何らの証拠調もなされていなかつたこと、

 (二)検察官がかねてより申請していたG事件の共謀場所であるとするK事務所やH事件の犯行現場であるL団愛知県本部事務所の検証について、その後右両事務所消滅のゆえをもつてその申請が撤回されており、その他地理的状況の変化、証拠物の滅失などにより、被告人側に有利な証拠で利用できなくなつたものもあるのではないかと危倶されること、

 (三)長年月の経過によつて、目撃証人やアリバイ証人はもとより被告人自身の記憶すら瞬味不確実なものとなり、かりに証人尋問や被告人質問をしたとしても、正確な供述を得ることが非常に困難になるおそれがあること、

 (四)各被告人の検察官に対する各供述調書につき、被告人らは当初よりすべてその任意性を争い、ことに多数の被告人らにおいて、右任意性の有無の判断の一資料として取調警察官による暴行脅迫の事実があつたと主張しているのであるが、取調当時から長年月を経過した時点において警察官の証人尋問を行なつても果してどの程度真実を発見し得るかは甚だ疑わしく、その争点についての判断が著しく困難になるおそれがあること、
などの事実が認められる。

 したがつて、もし、本件について、第一審裁判所である名古屋地裁刑事第三部が、前記刑事第二部と同じ審理方式をとり、全証拠を取り調べた後、論告弁論の段階でC事件との併合を予定し、次回期日を追つて指定することとしていたならば、右の被告人側の不利益も大部分防止できたものと思われるが、かかる措置がとられることなく放置されたまま長年月を経過したことにより、被告人らは、訴訟上はもちろん社会的にも多大の不利益を蒙つたものといわざるをえない。

以上の次第で、被告人らが迅速な裁判をうける権利を自ら放棄したとは認めがたいこと、および迅速な裁判の保障条項によつてまもられるべき被告人の諸利益が実質的に侵害されたと認められることは、前述したとおりであるから、本件は、昭和四四年第一審裁判所が公判手続を更新した段階においてすでに、憲法三七条一項の迅速な裁判の保障条項に明らかに違反した異常な事態に立ち至つていたものと断ぜざるを得ない。

したがつて、本件は、冒頭説示の趣旨に照らしても、被告人らに対して審理を打ち切るという非常救済手段を用いることが是認されるべき場合にあたるものといわなければならない。

刑事事件が裁判所に係属している間に迅速な裁判の保障条項に反する事態が生じた場合において、その審理を打ち切る方法については現行法上よるべき具体的な明文の規定はないのであるが、前記のような審理経過をたどつた本件においては、これ以上実体的審理を進めることは適当でないから、判決で「免訴」の言渡をするのが相当である。

 よつて、これと相反する判断をした原判決は、各上告趣意その余の点に判断を加えるまでもなく、刑訴法四一〇条一項本文によつて破棄を免れず、被告人らに免訴を言い渡した本件各第一審判決は、結論において正当であるから、同法四一三条但書、四一四条、三九六条により、本件各被告人に対する検察官の控訴を棄却することとし、裁判官天野武一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。