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被疑者に対する長時間の取調べが任意捜査として許容される限度を逸脱したものとまではいえないとされた事例(反対意見がある)

平成元年7月4日最高裁判所第三小法廷決定

裁判要旨    
午後一一時過ぎに任意同行の上翌日午後九時二五分ころまで続けられた被疑者に対する取調べは、特段の事情のない限り、容易に是認できないが、取調べが本人の積極的な承諾を得て参考人からの事情聴取として開始されていること、一応の自白があつた後も取調べが続けられたのは重大事犯の枢要部分に関する供述に虚偽が含まれていると判断されたためであること、その間本人が帰宅や休息の申出をした形跡はないことなどの特殊な事情のある本件においては、任意捜査として許容される限度を逸脱したものとまではいえない。

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=50332

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/332/050332_hanrei.pdf

1 原判決の認定及び記録によると、被告人に対する本件取調べの経緯及び状況は、次のとおりと認められる。

(1) 本件捜査は、昭和五八年二月一日午後八時四八分ころ、当時アパートの被害者方居室が約一〇日間にわたり施錠されたままで被害者の所在も不明である旨の被害者の妹からの訴え出に基づき、警察官が被害者方に赴き、被害者が殺害されているのを発見したことから開始されたものであるが、警察官は、右妹から被害者が一か月ほど前まで被告人と同棲して親密な関係にあつた旨聞き込んだので、事案の重大性と緊急性にかんがみ、速やかに被告人から被害者の生前の生活状況や交遊関係を中心に事情を聴取するため、被告人方に赴いて任意同行を求め、これに応じた被告人を同日午後一一時過ぎに平塚警察署に同行した。
(2) 警察官は、まず、被告人から身上関係、被害者と知り合つた経緯などについて事情を聴取した後、一名が主になり、他の一名ないし二名が立ち会つて、同日午後一一時半過ぎころから本格的な取調べに入り、冒頭被告人に対し本件捜査への協力方を要請したところ、被告人がこれに応じ、「同棲していたので知つていることは何でも申し上げます。何とか早く犯人が捕まるように私もお願いします。」と述べて協力を約したので、夜を徹して取調べを行い、その間、被告人の承諾を得てポリグラフ検査を受けさせたり、被告人が最後に被害者と別れたという日以降の行動について一応の裏付け捜査をしたりしたが、翌二日午前九時半過ぎころに至り、被告人は、被害者方で被害者を殺害しその金品を持ち出した事実について自白を始めた。 

(3) そこで、警察官は、その後約一時間にわたつて取調べを続けたうえ、午前一一時過ぎころ被告人に犯行の概要を記載した上申書を作成するよう求め、これに応じた被告人は、途中二、三〇分の昼休み時間をはさみ、被害者と知り合つてから殺害するまでの経緯、犯行の動機、方法、犯行後の行動等を詳細に記載した全文六枚半に及ぶ上申書を午後二時ころ書き上げた。
(4) ところが、右上申書の記載及びこの間の被告人の供述は、被害者名義の郵便貯金の払戻しの時期や被害者殺害の方法につきそれまでに警察に判明していた客観的事実とは異なるものであつたほか、被害者を殺害する際に同女の金品を強取する意思があつたかどうかがはなはだ暖味なものであつたため、警察官は、右の被告人の供述等には虚偽が含まれているものとみて、被告人に対し、その供述するような殺人と窃盗ではなく、強盗殺人の容疑を抱き、その後も取調べを続けたところ、被告人が犯行直前の被害者の態度に憤慨したほか同女の郵便貯金も欲しかつたので殺害した旨右強取の意思を有していたことを認める供述をするに至つたことから、更に上申書を作成するよう求め、これに応じた被告人は、午後四時ころから約一時間にわたつて、右の旨を具体的に記載した全文一枚余の「私がみどりを殺した本当の気持」と題する上申書を書いた。
(5) その後警察官は、逮捕状請求の準備に入り、右二通の上申書をも疎明資料に加え、午後七時五〇分当時の被告人の自白内容に即した強盗殺人と窃盗の罪名で逮捕状を請求し、逮捕状の発付を得たうえ、午後九時二五分被告人を逮捕し、その後間もなく当日の被告人に対する取調べを終えた。そして、同月三日午後二時三〇分に検察官送致の手続がとられ、同日勾留請求がなされ、同月四日午前一一時二三分勾留状が執行された。
(6) 被告人は、勾留質問の際に強盗の意思はなかったと弁解した以外は、その後の取調べにおいても終始強盗の意思を有していたことを認める供述をし、一方、同月七日の取調べまでは、前記被害者名義の郵便貯金の払戻しの時期や被害者殺害の方法につき虚偽の供述を続けていたが、同日の取調べにおいてこれらの点を訂正し、その後は公訴事実に沿う自白を維持し、同月二二日、本件につき強盗致死等の罪名で勾留中起訴された。

2 右の事実関係のもとにおいて、昭和五八年二月一日午後一一時過ぎに被告人を平塚警察署に任意同行した後翌二日午後九時二五分に逮捕するまでの間になされた被告人に対する取調べは、刑訴法一九八条に基づく任意捜査上して行われたものと認められるところ、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において、許容されるものである(最高裁昭和五九年二月二九日第二小法廷決定)。
右の見地から本件任意取調べの適否について勘案するのに、本件任意取調べは、被告人に一睡もさせずに徹夜で行われ、更に被告人が一応の自白をした後もほぼ半日にわたり継続してなされたものであつて、一般的に、このような長時間にわたる被疑者に対する取調べは、たとえ任意捜査としてなされるものであつても、被疑者の心身に多大の苦痛、疲労を与えるものであるから、特段の事情がない限り、容易にこれを是認できるものではなく、ことに本件においては、被告人が被害者を殺害したことを認める自白をした段階で速やかに必要な裏付け捜査をしたうえ逮捕手続をとつて取調べを中断するなど他にとりうる方途もあつたと考えられるのであるから、その適法性を肯認するには慎重を期さなければならない。そして、もし本件取調べが被告人の供述の任意性に疑いを生じさせるようなものであったときには、その取調べを違法とし、その間になされた自白の証拠能力を否定すべきものである。

3 そこで、本件任意取調べについて更に検討するのに、次のような特殊な事情のあつたことはこれを認めなければならない。

すなわち、前述のとおり、警察官は、被害者の生前の生活状況等をよく知る参考人として被告人から事情を聴取するため本件取調べを始めたものであり、冒頭被告人から進んで取調べを願う旨の承諾を得ていた。

また、被告人が被害者を殺害した旨の自白を始めたのは、翌朝午前九時半過ぎころであり、その後取調べが長時間に及んだのも、警察官において、逮捕に必要な資料を得る意図のもとに強盗の犯意について自白を強要するため取調べを続け、あるいは逮捕の際の時間制限を免れる意図のもとに任意取調べを装つて取調べを続けた結果ではなく、それまでの捜査により既に逮捕に必要な資料はこれを得ていたものの、殺人と窃盗に及んだ旨の被告人の自白が客観的状況と照応せず、虚偽を含んでいると判断されたため、真相は強盗殺人ではないかとの容疑を抱いて取調べを続けた結果であると認められる。

さらに、本件の任意の取調べを通じて、被告人が取調べを拒否して帰宅しようとしたり、休息させてほしいと申し出た形跡はなく、本件の任意の取調べ及びその後の取調べにおいて、警察官の追及を受けながらなお前記郵便貯金の払戻時期など重要な点につき虚偽の供述や弁解を続けるなどの態度を示しており、所論がいうように当時被告人が風邪や眠気のため意識がもうろうとしていたなどの状態にあつたものとは認め難い。

4 以上の事情に加え、本件事案の性質、重大性を総合勘案すると、本件取調べは、社会通念上任意捜査として許容される限度を逸脱したものであつたとまでは断ずることができず、その際になされた被告人の自白の任意性に疑いを生じさせるようなものであつたとも認められない。

5 したがつて、本件の任意取調べの際に作成された被告人の上申書、その後の取調べの過程で作成された被告人の上申書、司法警察員及び検察官に対する各供述調書の任意性を肯定し、その証拠能力を認めた第一審判決を是認した原判決に違法があるとはいえない。

三 結論

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項但書、刑法二一条により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官坂上壽夫の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。